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持たざる者たち

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「危ねぇぞ! ちゃんと持たねぇと怪我しちまう!」

「すまねぇな。これで大丈夫か?」

 近くではハシゴから屋根へと向かう男性が、ハシゴを支える男性に用心を促している。


 周囲が騒がしい中、アリスは落ち着いたトーンで言った。

「領主の息子と恋に落ちたの。それが私の罪」

「えっ!? それは悪いことじゃないだろ」

 恋愛禁止令でもあるのか?


「領主に言われたわ。『子供ができたと嘘を吐き、一族を乗っ取ろうとしている』って。お腹の中にいた赤ちゃんは死んじゃった」

 赤ちゃんまで……。

 アリスがされたひどい仕打ちを想像するだけで胸が痛い。


「私に野心なんてこれっぽちもなかったのは、全員知ってた。領主の本音は、大切な息子を家柄の良い娘と結婚させたい。そのためには邪魔な私を息子の前から消す必要がある。だから私は罪人としてここへ送られたの」

 豆がコロンと地面に落ちた。

 アリスは豆を拾って、土をはらった。

「街を出る時、耳にしたわ。彼は領主が選んだ女と婚約したって。もう5年も前のことなのに、まだ覚えてるんだから、私も馬鹿ね」


「自分を卑下するなよ! 悪いのは領主もそうだけど、その男だって大概だろ! そんなヤツとっとと忘れろ!! 俺が話しくらいは――」

 アリスの手が止まり、俺と目が合った。

 マズイことを言っただろうか?

 かつて愛した男を悪く言ったことは謝罪しよう。


「アンタ、可愛い顔して大胆なこと言うのね……」

 えっ!?

 俺が忘れさせてやるって宣言じゃないぞ!

 理不尽な目に遭った者同士、傷の舐め合いをしようってことで……!


「ち、違うよ! アリスは良い友達になれたらって思うけど、……俺には、ああっ、そのっ、好きなヤツがいてっ」

「うふふ、ちょっとからかっただけ。ふーん、ジューンには好きな人がいるんだ」

 隠すつもりはないけど、そんな風に言われると恥ずかしい。


「そ、そうだよ。俺は――。そんなことより!! ここの人たちは優しそうで悪人には見えないけど、何でここに集められてるんだ?」

「悪人には死罪が下るから。それにの悪人は、なに食わぬ顔で贅沢な暮らしをしているものよ。ジューンは私たちとは違う暮らしをしてきたのね」

 俺は王宮から来たって言うべきだろうか。

 それを明かしたら、ここの一員でいられなくなると不安になった。


「……どういうことだよ」

「役人に賄賂を渡して無罪にしてもらってるのよ。私たちは貧しかったから、役人の決めた刑に従うしかなかった」

 王宮裁判での裁判官とオーケルマンの関係性が、地方の役所でも蔓延っていると。


「ムードメーカーのナタリーさんは、子供を毒殺した罪で流刑になった。証拠があれば死罪だけど、証拠は出なかった。だってナタリーさんはやってないんだもの。でも無罪にするわけにもいかない。役人は、自分たちが領地の治安を守っていると、領主から褒美をもらいたいから」

「で、流刑にするんだ?」

「そう。遠くにやってしまえば、無実を訴えることすらできなくなるでしょ」

 ナタリーも辛い目に遭ったんだな。

 ここにいる皆がそうなんだ。


「私たちは何度もナタリーさんがよそった食事を口にしたけど、毒なんて入ってなかったわ」

 俺もあの人はそんなことしないと思う。

 初対面の直感だけど、面倒見の良いおばちゃんだった。


 アリスは屋根を修理している2人に視線を向けた。

「カールさんは正当防衛が認められなかったし、イェリクさんは主人から懐中時計を盗んだと言いがかりをつけられた。私たちみたいなのは、揉め事に巻き込まれた瞬間に罪人になるのが決定するの」

 潔白を主張するための金も声も持たぬ者たち。

 それが北の台地で自給自足のコミュニティを形成しているんだ。


「俺が世間知らずだった。話してくれてありがとう。俺は――」

「おーい! そこの新入りー! 若い娘っ子と乳繰り合ってねぇで、こっちを手伝え!」

 屋根の上でカールとイェリクが俺を呼んだ。


「行ってくれば? 手伝ってくれたおかげで、こんなに豆の仕込みができた。ジューンはもう役に立ってるよ。ありがとう」

 アリスが手をひらひらと動かした。

「へへっ、行ってくるよ。またゆっくり話そうな、アリス!」




 その日の夜。

 俺の歓迎パーティーが開かれた。

 肉はわずかしかなくて、品目も多くない。

 豪勢な食事とはいえないが、貴重な食糧を使ってくれたのが嬉しい。


 真ん中の大きな焚き火を囲うように円になって座った。

 キャンプファイヤーみたいで楽しい!!

 昼間はそれぞれが働いており分からなかったが、俺を含めて43人の大家族だ!

 
 ナタリーが

「ジューン、改めて自己紹介しなさい」

 と促してくれたから、俺は立ち上がった

「皆さん! 今日からよろしくお願いします!」

 と本日何十回目かのよろしくを伝えることもできた。


「いつもなら家の中で食べるんだけど、こっちの方が全員の顔を覚えられるよ。今夜は晴れて良かったね!」

 家ってのは、吹けば飛ばされるようなアレのことだよな。

 俺はキョロキョロして、昼間少し喋った人とこれからの人を確認した。

 アリスと目が合って

「何ジロジロ見てんの?」

 と本日2回目の塩対応をもらった。


 その様子を見ていたナタリーは

「アンタたちは歳が近くて髪の毛の色も同じだから、兄妹みたいだねぇ」

 と周囲に共感を求めた。


 俺たちの茶色い髪の毛は本当に似ていた。

「ジューンは珍しい目の色をしてるねぇ」

 俺的にはナタリーの緑目の方が珍しいけど。


 近くにいた中年女性……確か……マリーが

「2人とも可愛いから、お似合いだね!」

 と茶化した。


 先に反応したのはアリス。

「ちょっと、変なこと言わないで!!」

「そうですよ! 俺たちは友達なんですから! それに俺は迎えに来るから待ってろって言われてるんです!!」


 愉快に食事していた働き盛りたちがヒューヒューと冷やかす。

 その中でボソリと聞こえた。

「フンッ。そんなもの来るわけないだろう。ここの女たちはそれを信じてバカを見てきたんだ」

 
 一瞬、場が凍りついた。

 今、言ったの誰だ?

 俺が突き止めようとするのをナタリーは止めた。

「まあまあ。ほら、昼間アンタが取り出した豆だよ。たくさんお食べよ」


 無理やりふかした豆を突っ込まれた。

「あ、ひぎゃひょうひょじゃいまう」

 口の中がもごもごして、「ありがとうございます」が言えない。

 あまり美味しくないが、腹は膨れる良い豆だ。


 騒がしい宴の中、夜空を見上げた。

 いつもそこにある星パヌラが力強く輝いている。

 ハンスも見ているだろうか。

 お互いがこの星に向かって歩いていけば、いつか会えるのに。

 なんて夢物語で無駄に切なくなってしまった、北の台地、初日の夜。
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