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紅口白牙の想い人

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 窓の外を眺めてハンスが下にいないかを確認する。

 そろそろ来ても良さそうな時間帯だけど。

 昨日の今日だから、まだ休んでるかもな。


 乱暴に扉が開けられ、すぐに閉まった。

 何事だ!?

 視線の先には薄ピンクのドレスを来た可憐な女の子。

 俺と同年代っぽくて、昔だったらワンチャン狙ってただろう。


 女の子は肩を上下させて息を切らしている。

「エミリア様、どこに行かれたのですか~?」

 エミリアってのがこの子の名前みたいだ。

 外の声から察するに、追いかけられて逃げて来たんだな。


 どうして俺の部屋なのか知らないが、色々と事情がありそうだ。

 俺は紳士だ、すぐに追い出すのはやめてあげよう。


 呼吸を整えたエミリアはようやく事の経緯を話し始めた。

「いきなり失礼いたしました! 私はエミリアと申します。父はスティカード伯。財務大臣の尚書をやっておりますわ」

 全然聞いたことのない人だが、きっと偉い人で、エミリアはお嬢様だ。


「はじめまして。俺はマヤって呼ばれてます。どうぞよろしく……お願いします」

 エミリアはカーテシーをした。

 妾にするなんて、礼儀正しいお嬢様だな。

 そんな人が何で追いかけられてるんだ?


「私、普段は別荘で生活しております。今日はシェーンバリ卿との縁談で、こちらに出向きました」

 別荘持ってるのか!

「それでどうして逃げてるんですか? 縁談って大切なんでしょう?」


「だって嫌じゃないですか!! 王宮に住んでいる貴族なんて……」

 え!?

 王宮に住めるってスゴイことじゃないの?

 俺の認識では、特権階級は王宮に部屋を持ってるんだけど。


「王宮住みってそんなに悪いことなんですか? あまり王宮のこと知らないんですよね」

 エミリアは無知で王宮住みの俺をバカにすることなく、教えてくれた。


「我々は別荘を持っており、王宮よりもずっと多くの使用人を抱え、広いお庭だってあります。王宮では自由にお散歩したり馬に乗ったりできないでしょう?」

 ……俺は割と自由にやってます。

「王宮にある物は全て王の所有物です。もちろんここに住んでいる方たちも。私たちは不自由な生活から抜け出すために、別荘で暮らすのが一般的なのですよ。用事がある時に王宮に出仕すれば良いのですから」

 確かに王が見てると思ったら、あんまり無茶できないかも。


「王宮に住んでいるということは、別荘を持っていらっしゃらない、つまりシェーンバリ卿は『無産貴族』ということになります」

 無産貴族?

 貴族なのに持たざる者っていうのもなあ。

 じゃあハンスも同じ括り?


「あ、失礼いたしました。宰相は常に王のお傍にいる必要がございますから、王宮にいらっしゃっても恥ずかしいことではありませんわ」

 オーケルマンのことはどうでもいいんだ。

「じゃあ、エミリア様はあまり裕福ではない男性との結婚が嫌で、ここまで逃げてきたんですか?」


 エミリアは恥ずかしそうにモジモジし始めた。

 つられて俺もモジモジ。

 女の子って、こういう時になんて声をかけてあげたら良かったんだっけか?

 トイレ使っていいですよ、とか?


「あの……それだけではないのです」

「え?」

 エミリアは頬をピンクに染めた。

 もしや、それって……!


「私には心に決めた方がいるのです!」

 あ~やっぱり。

 これは恋する女の子の顔だったわけだ。

 無産貴族などと言っていたが、本音はこっちか。


 俺は興味津々で聞いた。

「好きな人って誰なんですか?」

 名前を言われてもピンとこないだろうけど、秘密は共有した方が楽しい。


「か、からかっていらっしゃるのですか!? 私は真剣にお慕いしているのです……!」

「からかってないよ。恋するって素晴らしいことだろ? 今のエミリア様を笑ったら、俺は自分まで否定することになる。協力できることがあれば力になるからさ」

 エミリアはうっすら浮かべた涙を指で拭って、胸に手を当てた。

 きっと好きな人を思い浮かべているんだ。


「その方の名は……」

 名は?

 ワクワク、ワクワク。

「……やっぱり恥ずかしくて口に出せませんっ!!」


 両手で顔を覆ってしまった。

 何だよ、もう!

 気になってしょうがないよ!

 だが、可愛い子をいじめるのはちょっと……。


 俺はエミリアに無理をさせないことにした。

 泣き出されても困るし。

「大丈夫。教えてくれなくても話くらいは聞くよ?」

 エミリアは手を下ろして

「でしたら、今からその方のところに一緒に行ってくださいませんか?」

 名前も出せないほどの恥ずかしがり屋なのに、何とまあ大胆な。


 それくらい会いたい気持ちが強いってことかな。

 分かる気がする。

「いいよ。追っ手に見つからないように要心だね!」
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