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苦杯に触れる

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 ハンスはとても苦しそうだ。

 熱があるからか?

 きっとそれだけじゃない。

 過去を思い出すのが辛いんだ。


「もういいよ。忘れたいことを無理やり引っ張り出すのは良くない! ハンスは何も悪くないよ!」

 俺はどんなハンスでも受け入れたい。

 だが、俺に話すためにこんなに苦しむ必要はないだろ。


「いや、俺は決めたのだ。ずっと話さなくてはならないと考えていた。俺の口からでなければ意味がない。お前に重い荷物を背負わせることになるかもしれないが、他の誰かから聞かされるよりずっと良い」

 この期に及んでも、ハンスは俺の心配をしている。

 俺はこの誠意に応じなきゃいけない。

「分かった。最後まで聞くよ」


「19の俺は、貧しいながらも一人の力で生きられるようになった。生きる目的など何もなかったが、父上を処刑され、母上と兄の墓すら作ってやれなかった憤りと虚しさだけが、俺を動かしていた。


 そんな俺の前に唯一の宰相となったオーケルマンが現れた。

 オーケルマンは

『王がお呼びだ』と言った。

 
 俺は父上を死に追いやった張本人だと知らず、

『何の用だ? 王は俺たち家族を捨てたのを忘れたのか!』

 と息巻いた。


 オーケルマンは俺が『ハンス・ユーホルト』であることを知っていた。知った上で、俺を探し王宮へと連れて帰った。

 王宮で貴族だった頃と変わらないもてなしを受けた。清潔な衣服、腹が減ったと言う前に出される温かい食事――。俺は忘れていた幸福の日々を思い出し、自分ばかりが贅沢をして良いのかと天に赦しを乞うた。


 天は俺を赦し、二度と家族に気後れしなくて良いよう、決して逃げられぬ檻で囲った。俺は……王の側室の一人として迎えられたのだ――」


 王の側室……?

 フレデリクの話が頭をよぎった。

 ――王も宰相も黒を纏う若い男が好きでね

 ――宰相は王が好みそうな男娼を献上し、成り上がってきた人だ


 ハンスの美しい黒髪。

 まさか、オーケルマンの政治的道具に使われていたとは。


「オーケルマンは王に男娼をあてがい、権力を拡大させていた。

 俺は元男娼だと知る者は、オーケルマンのような古株と騎士団員しかいなくなった。王が側室に男娼を選んでいたという事実は隠さなければならない。だから俺が気に入らなくても、その理由を口に出す者はいないし、記録にすら残っていない。

 オーケルマンが俺を不当に扱っているように見えるのは、奴にとっては男娼でしかないからだ。

 
 俺が男娼から抜け出せたのは、王が体力の限界を迎えたことで側室そのものが廃止されたためだ。功績を残し評価されれば別の道があったのかもしれないが、俺にはその力がなかった。側室が廃止されるまで、従順な男娼でいることしかできなかったのだ。


 元側室の男娼たちは手厚い支援を受けた。ある者は金を抱えて生家に帰り、またある者は身分を偽って隣国の貴族の娘と結婚した。

 俺は騎士になることを選んだ。あれほど国や王に絶望したにも関わらずだ。王宮での日々の中、俺はすっかり飼い慣らされていたからな。

 王を楽しませる必要がなくなると、王国のために死ぬのが次の生きがいであるように思えた。命を賭して戦えば、いずれ死ねる。絶望から最も遠い場所を目指し、俺は騎士として生きていくと決めた。


 王は死をも厭わない俺にソール騎士団を与えた。結成当時、集められたのは、実戦経験の乏しい若者たちだった。俺たちは戦場でほんの一瞬でも王国軍の盾になれば良いと思われたのだろう。

 だが、人間の底力は恐ろしいものだ。生に執着しなくなった途端、恐れるものはなくなり、ソール騎士団は次々と敵を撃破した。最強の軍団と恐れられていたディヴォラ、娯楽と称して上官をも惨殺するヘラスニアム。どんな猛者が立ちはだかっても、ソール騎士団は負けなかった。どこに行っても付き纏う絶望が俺たちを強くしたのだ。

 次第にソール騎士団は王国内で存在感を増した。すると希望に満ち満ちた若者たちが入団するようになり、俺たちはようやく誇りを手に入れた。王国のために戦う本物の騎士団へと変わった。


 俺たちが変われたのは星のめぐり合わせが良かったからだ。以前として古株たちは騎士団を捨て駒と見なしているが、そんな者たちの評価を気にしても仕方のないことだ。俺たちは幸運にも手にした誇りを糧に戦っている」


 俺はハンスを弱気になっていると決めつけたことを恥じた。

 いつだってハンスは誇り高き騎士であり、穢れなき光だ。
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