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四つ足の小悪魔③

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 俺はハンスの体を突き放して、音の方を見た。


 ………………。

「にゃーん」


 なーんだ猫か~。

 って、王宮を未曾有の危機に陥れている猫だ!!


 猫は壺を載せた水晶の台をガタガタと揺らして遊んでいる。


「まさか。あれが……」

 そうだぞ、ハンス!

 実物はあんなにチャーミングな動物なんだ。


 猫が遊びすぎたせいで、壺がぐらりと傾き、台から落ちそうになった。

「危ないっ!!」

 俺は一目散に飛んでいき、落ちるスレスレで壺をキャッチした。


「にゃーん?」

 猫は悪びれる様子はなく、グルーミングし始めた。

 とんだカワイ子にゃんだ。


 付近の大きな扉が開き

「騒がしいのう……」

 寝巻き姿の爺さんが出てきた。


 あ、この爺さんは猫を見たらパニックで死んじゃうかも。

 そしたら俺たちが責任を追及されるのか?

 猫ちゃんのせいにできるわけないしなあ。


「おい! 頭を下げろ!」

 後方のハンスが膝をついて頭を垂れている。

「?」

「この方はラムハリ前国王バルド様だ」


 この爺さんが前国王!?

 新国王が70代だったはずだから、この人は80、いや90か?

 とにかく、俺は年齢も身分もはるか上の相手に、礼を欠いてしまった。

 急いで膝を付いて頭を下げた。


 猫は床にごろんとしている。

 へそ天可愛い~。


「そうかしこまらんでも良い。顔を上げよ。して、その生き物は?」

 皆が恐れおののく猫であると答えたら、このニャンコはどうなるんだ?

 よりによって前国王に見つかるとは……。


「そ、それは……」

 どう誤魔化そうか思案していると、猫は自由奔放な行動を取った。

 前国王の足に擦り寄って

「にゃーん」

 と鳴いたのだ。


「この鳴き声は!?」

「いやっ、これは――」

「これが猫かあ~。実に愛らしいのう」


 前国王は猫をひょいと抱き上げて頬擦りしている。

「猫が平気なのですか?」

「なあに、余はここまで生きながらえてきた。今更魂を奪われるなど恐ろしくない。死ぬ前に一度で良いから見たかったんじゃ~」


 野良猫の割には人懐っこくて、嫌がっている様子は見られない。

「かように愛らしい姿、あのような伝承が広まったのも頷ける」

 
 そういうことだったんだ!

 魂を奪われるってのは、命を落とすんじゃなくて、骨抜きになってしまうと。

 生半可な気持ちで猫と付き合うと、お互い不幸になる。

 昔の人は注意喚起のために、恐ろしい動物のイメージを擦り込んだんだ!


「猫は決して邪悪な動物ではありません。人間が節度を持って接すれば、良いパートナーとなります」

 猫は前国王に甘えている。

「余はそちが気に入った。猫をラムハリの守り神にしよう」

 前国王は猫の魂を奪われた。


「そなたらはロマーリアの者じゃな? ここで猫を探しておったのか?」

 最初はそうだったんだけど、途中からは別のことをしていたような……。

 どぎまぎする俺の代わりにハンスが答えた。


「この者が猫は恐ろしい動物ではないことを知っており、猫の安全を確保するために先回りしておりました」

 まあ、ものは言いようだな。

「本質を見極め行動する、それが国を繁栄させるのじゃ。そなたらを抱えるロマーリアが羨ましいのう」

 前国王は猫との出会いに満足するあまり、俺たちのことまで気に入ったようだ。


 俺たちは前国王に付き従い、未曾有の危機に直面中の家臣や使用人たちがいる広間へ行った。

 前国王は猫を高く掲げた。

 神々しさを背景に、猫は手をペロペロと舐めている。


「皆の者、見よ! これが猫じゃ!!」

 膝を付いた家臣と使用人たちは、目の前に猫がいると知りざわついた。

「この者たちがラムハリ王国に一つの知恵と光をもたらした。これより、王宮内の猫の出入りを自由とする!」

 
 前国王の決定に異を唱える者はいなかった。

 権力に屈したからではない。

 その場にいる全員が、猫の可愛さに魅了されたからだ。

 猫はまたしても魂を奪ってしまった。



 ロマーリア王国へ帰る俺たちに、前国王はラムハリの早馬をくれた。

 この馬ならラムハリからロマーリアまで野宿をしないで帰り着けるらしい。


 帰りの馬車でオーケルマンの機嫌は良くなかった。

 原因は、俺たちがオーケルマンを差し置いて前国王と親交を深めたこと。

 それとオーケルマンの前に座る俺の横に、ハンスがいるからだ。


 オーケルマンはハンスを馬車から下ろすことができない。

 全ては前国王の指示だからだ。



「ふんっ」

 何か言いたげだが、宰相オーケルマンでも前国王の肩書きを持つ人物には勝てない。


 どうにかして溜飲を下げたいオーケルマンは、ようやくアラを発見した。

「マヤ、ワシがあげた指輪はどうした? まさか猫を探すのにかまけて失くしたのではないな?」


 もらったんだから俺の自由だろ!

 しかも失くしたんじゃなくて、子供のために金に換えたんだよ!!

 俺は堂々と言ってやった。


「そんな物は売ってしまいました」

 オーケルマンは鳩が豆鉄砲を食らった顔をした。

「旦那様はマヤを特別気に入っているとおっしゃいますが、あの指輪は他の妾にも贈ったではありませんか。本当にマヤを特別だというのなら、贈り物も特別でないと気が済みません」


 今日の俺は強気だった。

 オーケルマンは身代金を払わなかった負い目も少しだけあったようで、それ以上、横暴な言動は見られなかった。


 さらに愉快だったのは、オーケルマンが眉をしかめて

「ラムハリの馬は揺れがひどい。……気持ち悪くなってきた……」

 と酔い始めたことだ。


 進行方向と逆に座るからだ!

 横になったオーケルマンの目を盗んで、俺とハンスはニヤリと笑った。
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