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十一、五
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空を飛んでいる家に入って、靴を靴下ごとはぎ捨てた。
「テーブルをどけてください!」
円卓をどかすと、おっさんは絨毯を一気に筒状に丸めた。「あっ!」と俺は思わず声を出した。そこには床下収納庫のような扉があった。
「こんなところに……!」
灯台もと暗しとはこのことである。扉の下には白い螺旋階段があった。まさか地下があったとは考えつかなかった。しかし、ビルの三階の存在を無視してこの家の二階があるのだから、ビルの一階の存在を無視して地下があっても不思議ではなかったのだ。それこそがおっさんが言った『一見、外からじゃわからない』理由だったのである。地下は外部から見えない。それと同じ理屈で、空から帰ってくる花御堂には二階建て住宅に見えていたのだ。
階段は下へ行くほど色が抜けていく。
「チンユーシュツ、ゴウユーシュツ。キユーキューイン」
俺は恐怖心を殺した。透明なタイルの床に足をつけると、宙に立った気分になった。
地下室は壁、床、天井までもがガラス張りの、家具も何もない空間であった。足元では街明かりが煌めき、四方に満点の星空があった。
「ここが、Fの部屋?」
「はい! ここが“FLIGHT DECK”! 操縦室です! 操縦盤カモン!」
おっさんの声に反応して光の円がフロアの中央に浮かび上がり、そこに『足足』という表記が出た。
「そこに立ってください」
俺は『足足』の上に立つ。タイルの溝が光り、地図が浮かんだ。俺が立つ位置にこの家はあるらしく、表記では例のビルと重なっていた。
「まずは前に片手を出して指を差す!」
言われた通りにすると三角の矢印が表示される。
「足踏み! いっちにー、いっちにー」
景色と地図が遅く流れる。家が前進しているのだ。
「足踏みやめ!」
家は止まる。
「と、そんな風に指を差すことで進む方向を決めるんです。上も下も。スピードは足踏みで調整。正面玄関の向きを変えたい時は両腕を広げて回る。ラジコンよりも簡単でしょ? ゲームセンターの踊るやつみたいなものだから」
「オッケー、わかった」
俺は川蝉キャンパスの方角へ指差した。それに合わせて回る矢印。足踏みを軽く速めるだけでも速度のメーターがぐっと上がる。高度はそのままに、家はぐんぐん移動する。おっさんの車が瞬間移動してくれたおかげでサンシンはまだ家より上にいないと考えた俺は、まずは高度をそのままに捜索する。
「おっさん! なんか光ってる物体見えんけ!?」
おっさんはぱたぱたと忙しなく走り回る。
「わっ」
背後から飛行機。金属の巨体が頭上を越えていく。家を見られてしまっただろうか。
「見えましたよ! 右斜め下に白い発光物体がポツポツ!」
おっさんは気にしていないから大丈夫なのだろう。俺はバタバタと足踏みしながら両手を広げて家の向きを変える。滑稽な姿だったが、恥ずかしさを覚える暇はない。俺は少しずつ家を双子クラゲに接近させた。
「おっさん! 俺が玄関からサンシンを引っぱっから、操縦お願いします!」
「はいはい!」
一階へ移動する際に、おっさんが「落ちないように気をつけて!」と下から警告した。
俺は正面玄関の右側を開け、目一杯の大声で親友の名を呼んだ。表情こそ見えないが、顔がこっちに向いた。
「オギかぁーーーー!? お前、何に乗ってんだぁーーーー!?」
「空トンビだよ! 空トンビ!」
「ソラトンビィーーーー!?」
「今そっち行くから! 手ぇ伸ばせ!」
玄関の真正面にサンシンが来る。俺は手を伸ばすが、子クラゲ二号がそれを遮った。いらついた俺はそいつの弾力ある触手をつかみ束ね、中へと引きずり込んでやった。
「こんのぉおおおお!」
渾身のジャイアントスイング! 手を離すと子クラゲ二号は階段の収納に激突し、フィギュアが何体かこぼれ落ちた。あとで花御堂に頭を下げよう。
子クラゲ二号がぐったりと床に広がっているその隙にサンシンの腕を取る。腰を落とし、綱引きの要領で少しずつ後ろへ下がる。子クラゲ一号は負けまいと引っ張る。
「おおい! オギあぶねーって!」
あわや右足がすべる。とっさに体をひねって左のドアノブに左手を引っかけ踏ん張った。おっさんも家の位置を微調整してくれているようだったが、かなり不安定な体勢になった。
「オギオギオギ! うしろまた来たぞ!」
弾力のある柔らかいものが俺の背中を押した。ぐりぐりと傘をひねらせ、強引に外へ出ようとしていた。俺は出すまいと背中と尻で対抗する。競技場でやられたせいで背骨の辺りがずっと痛いし、サンシンをつかむ伸びきった右腕もちぎれそうなほど痛いし、ドアノブをつかむ左手のひらも指も痛い。
その時。
「オギ! いるんでしょ!?」
松先輩の声だ。裏口を激しくノックしている。
「いまぁーーーーっす!!」
やべぇ。鍵かかってる! おっさぁん!
「いるんでしょ!? ここを開けて! 開けろオギ!」
そうだ! 中の音は外には聞こえないんだっけ! おっさぁん!
「今は……っ、ムリぃいいいいいッ!! わぁッ!」
左手が滑った。体勢を崩し、前のめりにアプローチに倒れ、膝を擦りむかせた。
「わーッ! オギぃ!」
サンシンが叫ぶ。俺の上半身はかろうじて夜空にぶらりと垂れ下がっていた。両腕を使って体勢を持ち直すも、ジャイアントスイングの腹いせか、子クラゲ二号が脚に巻きつく。
「ハクトーさん早くカギッ!」
松先輩が急かしている。とうとう俺は夜空で宙づりにされ、突然に凍てつくような寒さと風のどよめきと耳のつんざく痛みに襲われた。俺は見えない何かに助けを求めもがいた。呪文を唱える余裕はなかった。恐怖で喘ぎ、酸素を求め、白い息が儚く消えていく。
「わわ、オギ!」
俺は絶叫した。恐怖すらかき消されそうなほど、縦横無尽に振り回された。街明かりも星明りも何重もの円になって目が回った。
呼吸ができない。窒息しそうだ。上も下もわからない、この拷問が永遠に続くかと思った時には既にハンマー投げの要領で捨てられていた。
俺を呼ぶサンシンの叫び声が急激に遠ざかっていった。
「テーブルをどけてください!」
円卓をどかすと、おっさんは絨毯を一気に筒状に丸めた。「あっ!」と俺は思わず声を出した。そこには床下収納庫のような扉があった。
「こんなところに……!」
灯台もと暗しとはこのことである。扉の下には白い螺旋階段があった。まさか地下があったとは考えつかなかった。しかし、ビルの三階の存在を無視してこの家の二階があるのだから、ビルの一階の存在を無視して地下があっても不思議ではなかったのだ。それこそがおっさんが言った『一見、外からじゃわからない』理由だったのである。地下は外部から見えない。それと同じ理屈で、空から帰ってくる花御堂には二階建て住宅に見えていたのだ。
階段は下へ行くほど色が抜けていく。
「チンユーシュツ、ゴウユーシュツ。キユーキューイン」
俺は恐怖心を殺した。透明なタイルの床に足をつけると、宙に立った気分になった。
地下室は壁、床、天井までもがガラス張りの、家具も何もない空間であった。足元では街明かりが煌めき、四方に満点の星空があった。
「ここが、Fの部屋?」
「はい! ここが“FLIGHT DECK”! 操縦室です! 操縦盤カモン!」
おっさんの声に反応して光の円がフロアの中央に浮かび上がり、そこに『足足』という表記が出た。
「そこに立ってください」
俺は『足足』の上に立つ。タイルの溝が光り、地図が浮かんだ。俺が立つ位置にこの家はあるらしく、表記では例のビルと重なっていた。
「まずは前に片手を出して指を差す!」
言われた通りにすると三角の矢印が表示される。
「足踏み! いっちにー、いっちにー」
景色と地図が遅く流れる。家が前進しているのだ。
「足踏みやめ!」
家は止まる。
「と、そんな風に指を差すことで進む方向を決めるんです。上も下も。スピードは足踏みで調整。正面玄関の向きを変えたい時は両腕を広げて回る。ラジコンよりも簡単でしょ? ゲームセンターの踊るやつみたいなものだから」
「オッケー、わかった」
俺は川蝉キャンパスの方角へ指差した。それに合わせて回る矢印。足踏みを軽く速めるだけでも速度のメーターがぐっと上がる。高度はそのままに、家はぐんぐん移動する。おっさんの車が瞬間移動してくれたおかげでサンシンはまだ家より上にいないと考えた俺は、まずは高度をそのままに捜索する。
「おっさん! なんか光ってる物体見えんけ!?」
おっさんはぱたぱたと忙しなく走り回る。
「わっ」
背後から飛行機。金属の巨体が頭上を越えていく。家を見られてしまっただろうか。
「見えましたよ! 右斜め下に白い発光物体がポツポツ!」
おっさんは気にしていないから大丈夫なのだろう。俺はバタバタと足踏みしながら両手を広げて家の向きを変える。滑稽な姿だったが、恥ずかしさを覚える暇はない。俺は少しずつ家を双子クラゲに接近させた。
「おっさん! 俺が玄関からサンシンを引っぱっから、操縦お願いします!」
「はいはい!」
一階へ移動する際に、おっさんが「落ちないように気をつけて!」と下から警告した。
俺は正面玄関の右側を開け、目一杯の大声で親友の名を呼んだ。表情こそ見えないが、顔がこっちに向いた。
「オギかぁーーーー!? お前、何に乗ってんだぁーーーー!?」
「空トンビだよ! 空トンビ!」
「ソラトンビィーーーー!?」
「今そっち行くから! 手ぇ伸ばせ!」
玄関の真正面にサンシンが来る。俺は手を伸ばすが、子クラゲ二号がそれを遮った。いらついた俺はそいつの弾力ある触手をつかみ束ね、中へと引きずり込んでやった。
「こんのぉおおおお!」
渾身のジャイアントスイング! 手を離すと子クラゲ二号は階段の収納に激突し、フィギュアが何体かこぼれ落ちた。あとで花御堂に頭を下げよう。
子クラゲ二号がぐったりと床に広がっているその隙にサンシンの腕を取る。腰を落とし、綱引きの要領で少しずつ後ろへ下がる。子クラゲ一号は負けまいと引っ張る。
「おおい! オギあぶねーって!」
あわや右足がすべる。とっさに体をひねって左のドアノブに左手を引っかけ踏ん張った。おっさんも家の位置を微調整してくれているようだったが、かなり不安定な体勢になった。
「オギオギオギ! うしろまた来たぞ!」
弾力のある柔らかいものが俺の背中を押した。ぐりぐりと傘をひねらせ、強引に外へ出ようとしていた。俺は出すまいと背中と尻で対抗する。競技場でやられたせいで背骨の辺りがずっと痛いし、サンシンをつかむ伸びきった右腕もちぎれそうなほど痛いし、ドアノブをつかむ左手のひらも指も痛い。
その時。
「オギ! いるんでしょ!?」
松先輩の声だ。裏口を激しくノックしている。
「いまぁーーーーっす!!」
やべぇ。鍵かかってる! おっさぁん!
「いるんでしょ!? ここを開けて! 開けろオギ!」
そうだ! 中の音は外には聞こえないんだっけ! おっさぁん!
「今は……っ、ムリぃいいいいいッ!! わぁッ!」
左手が滑った。体勢を崩し、前のめりにアプローチに倒れ、膝を擦りむかせた。
「わーッ! オギぃ!」
サンシンが叫ぶ。俺の上半身はかろうじて夜空にぶらりと垂れ下がっていた。両腕を使って体勢を持ち直すも、ジャイアントスイングの腹いせか、子クラゲ二号が脚に巻きつく。
「ハクトーさん早くカギッ!」
松先輩が急かしている。とうとう俺は夜空で宙づりにされ、突然に凍てつくような寒さと風のどよめきと耳のつんざく痛みに襲われた。俺は見えない何かに助けを求めもがいた。呪文を唱える余裕はなかった。恐怖で喘ぎ、酸素を求め、白い息が儚く消えていく。
「わわ、オギ!」
俺は絶叫した。恐怖すらかき消されそうなほど、縦横無尽に振り回された。街明かりも星明りも何重もの円になって目が回った。
呼吸ができない。窒息しそうだ。上も下もわからない、この拷問が永遠に続くかと思った時には既にハンマー投げの要領で捨てられていた。
俺を呼ぶサンシンの叫び声が急激に遠ざかっていった。
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