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7、【ワガヤ】くん(前編)
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MGSとは単純に授業を行えばいいトコロじゃないと何度も痛感した。教師として生徒に寄り添い理解しなければいけないのに、ぼくは生きていて、子どもたちはそうじゃない。これが大きな溝だった。
その溝を、臨時教師としてのサダメだったのか、あのコたちの生前の夢を見続けることによって少なからず埋めていくこととなった。半強制的に見させられる夢たちはひどいストレスだった。あらゆる思い出が津波のようにのしかかってくるのだ。
死は平等ではない。子どものユウレイがいる時点でそれは明白だ。もしそれがはじめから天によって定められていた寿命なら悲しい。平等じゃないから個性が産まれ、差があるから競い合い、高め合っていくものだけれど、死は対等であってほしかった。
【ワガヤ】くんは小柄で暴れん坊タイプだった。【エイゴ】くんの勉強を妨害したり、自身より大きな【パジ山】くんを泣かせたり。
他クラスのコにちょっかいを出すのもしばしばで、注意されるのはぼくだった。先生と生徒という二人三脚ができない、生徒がユウレイという異常な環境になじめない人はそうやって互いを苛立ちのはけ口にしていた。
それでも【コトブキ】先生も含め、誰一人投げ出さずに真夜中の学校に通勤していたのは偶然ではなかったと思う。JSYに収集された人は、レーウンさんたちによる面接の合格者なんだから。ぼくのように謹慎になったりして時間が余っていただけだとか、そんな理由で選ばれたのではないと信じている。
はじめはみんな自分の学級を担当するのに精いっぱいで、ほかのコに構っていられない環境が続いた。各学級にも【ワガヤ】くんのようなコがいて、手を焼かされっぱなし、頭を抱えっぱなしだったのだ。こんな時こそ協力し合える関係を築くべきだったのだけれど、ぼくも人のことが言えない立場にあった。
「まるで幼稚園だ……」
「しょーがないですよ。うちんとこなんて半分は低学年で死んじゃってんですよ?」
なんて会話も聞こえた。おなじ六年生でも享年も精神年齢もバラバラ。プロじゃないから舐められている、なんてこともありえた。
【ワガヤ】くんはいつもぼくに悪口を浴びせた。「ボケ」「カス」「デブ」は当たり前。ぼくは身長が一六二センチで団子鼻。しかも鼻の穴が他人より上向きに見えていたから「コブタ」だ。まったく、JSYで“メグミ先生”と決まってつくづくよかった。
十円ハゲができてからは「ハゲ」が追加された。えい、なにクソ、ハゲで悪いか! と、彼に対抗すべく季節にはまだ早かった二ット帽をやめかけたけれど、このコたちのせいで気が滅入ってハゲちゃったぁ、てへへ、なんて周囲に無用な心配をかけさせるのもよくない。あくまでもファッションとしてニット帽をかぶり続けた。
そんなある日【ワガヤ】くんにニット帽を奪われて隠されてしまった。諦めて帰宅し、芽衣子に「生徒に帽子を隠されちゃったよ。あははん」と笑うと、彼女は手編みのニット帽をプレゼントしてくれた。
芽衣子は編み物が得意で、手作り市場で売るほどの腕前だ。売り物にするつもりだった一つをぼくにくれたのだ。シノラー(今時の子はもう知らないのかな?)が好みそうな大きなボタンが付いた虹色のニット帽で【ベベ】ちゃんには大好評だった。それをその日のうちに【ワガヤ】くんが隠してしまった。
その後【ベベ】ちゃんと【ピュア】ちゃんが授業をさぼったから、【コトブキ】先生と手分けして探した。率先してくれた【エイゴ】くんがフタリを発見して「キミたちのせいで僕は大迷惑だ!」と彼は激怒した。
【ベベ】ちゃんは自身の頭をぺちぺちと叩きながら何かを訴えた。ああ、ぼくの代わりにニット帽を探していたんだなとわかった。【ピュア】ちゃんは彼女について行っただけだった。
「気持ちはウレシイよ。でも授業には参加しよう。休み時間になったらいっしょに帽子を探してくれるかい?」
そう【ベベ】ちゃんに言うと、彼女はぶーぶーと唇をとがらせながらスキップして、【ピュア】ちゃんと教室に戻ってくれた。
教室ではまた【ワガヤ】くんとビンテージくんが取っ組み合いをしていた。角で【パジ山】くんが頭を押さえたり耳を押さえたりして怯えていた。
【ビンテージ】くんが言うには、【ワガヤ】くんは【パジ山】くんの大切なブランケットを引っ張って【パジ山】くんを引きずり回したらしい。ぼくはフタリを引き離そうとしたけれど物理的にムリで。授業が再開できないから【エイゴ】くんが怒りだす。一人の不満が別の不満を作るという連鎖は恒例行事だった。
ぼくはもう一度、間に割り込もうとした。たとえ触れることができなくても、ぼくがジャマになって取っ組み合いができなくなればよかった。こんな時、相手がユウレイでよかった、なんて思ってしまう自分がいた。また見境なく平手打ちをする自分と体罰を恐れていたからだ。
先に諦めてくれたのは【ビンテージ】くんだった。【ワガヤ】くんは「死ね」「お前も死ね」「みんな死んでしまえ」と喚いて、ぼくを押し倒そうとタックルし始めた。なかなか力強かったが、ぼくは足腰には自信があった。
大学生時代にプロレスをやっていた。泰京大学の川蝉キャンパスのキングフィッシャーズというチームだ。ぼくは強くなりたかった。少なくとも女性よりは強くなりたいと思っていた。どうしても花色キャンパスのワイルドフラワーズのマネージャーだった芽衣子には勝てなかったけれど。
【ワガヤ】くんほど憎まれ口を叩き、ものを憎んでいるコは見たことがない。あのコが行き場ない怒りからぶつかってくる時には、決まって電飾がまぶたの裏に映し出された。暖色系の光がいくつもまたたいて、めまいが起きそうだった。タックルと同調しているように感じさせた。【エイゴ】くんの時と違って瞬間的なものを断片的に感じ取ることしかできず、一体どういう光景なのか、何の感覚なのか、理解できるまでには何度も体をぶつけられた。
今度は脚を蹴り始めた【ワガヤ】くん。中腰で構えていたぼくは一方的な攻撃に負けなかった。ぼくはじん帯を損傷していて、そこら辺がちょっぴり違和感だったけれども。
「どうだ。倒れない先生の勝ちだ。授業の続きをしよう」
どや顔してみせると、彼は「豚足のブタ! トンチキ! 死ね!」と悔しそうに顔を歪ませて、机を蹴り、着席した。花瓶が転がり落ちて割れると、途端に彼の姿が消えた。花瓶はパワースポットみたいなものだ。これのおかげでみんなは長時間ぼくらの前に姿を現すことができていた。
【コトブキ】先生が新たに花瓶を用意すると、【ワガヤ】くんはそっぽを向いたまま逃げることなくその場に居続けていた。
【ワガヤ】くんは校内にいる間は単独でどこかに行ってしまうことはなかった。授業をさぼることはあっても、その時は必ず他のコを巻き込んでいた。
あのコはひとりぼっちが嫌いだった。ムシされるのも嫌いだった。だからぼくが他のコにかまけて近くを通り過ぎれば、怒ってぼくにキックした。
ユウレイ児童は、とにかく気づいてほしい、構ってほしいというコと、とにかくそっとしておいてほしい、放っておいてほしいというコの両極端があって、【ワガヤ】くんは前者であり、暴力でしか伝えられないコだった。
ぼくはまずニット帽を隠されないようにするにはどうすればいいか対策を練った。それで別の柄のニット帽を家から持ってこようかと持ちかけてみた。
「そんなダッセーのいらねー」
「こら、先生の大切な人が編んでくれた帽子だぞ」
「ジマンすんな! 帽子なんかいらない!」
反応イマイチ。怒鳴られてしまった。でもとりあえずは……と、次の日に青いニット帽を彼の机の中にこっそり入れておいた。それからはニット帽を取られなくなった。でもやっぱり悪口や蹴りはやめなかった。
ニット帽が嬉しかったのかもしれない。ニット帽じゃなくたって、プレゼントそのものがうれしかったのだろう。【エイゴ】くんだけではなく彼も密かに自宅までついてくるようになった。
夜明けに【エイゴ】くんが去ってから行動開始だ。ぼくが寝室に行く気力もなくソファに寝転ぶと、あのコはまずテレビをつける。ぼくは芽衣子が起床したのだと思って、動かずにいると音量がぐんと上がって飛び起きた。慌ててテレビを消せば、次は風呂場だ。シャワーを止めると、またテレビがついていた。音量は通常だったけれど、次々とチャンネルが変わった。芽衣子が本当に起きたので、ごまかすのに必死になった。ディズニーランドのCMが映った瞬間にザッピングが止まった。
芽衣子が出勤してから「ダレだ、イタズラしているのは? 正直に答えなさい」と見えない相手を叱った。【ワガヤ】くんだと気づいたのは、帽子かけに青のニット帽があったからだ。
一度叱ったきり、テレビの音量を上げたり、水をムダに出したりすることはやめてくれたけれど、アニメの時間にはテレビをつけ、情報番組でアミューズメント施設を取り上げられると必ず食いついてチャンネル権を譲らなかった。子どもができたらこんな感じになるのかしらとしみじみしつつ、甘やかしてばかりではいけないゾ、と自分に言い聞かせた。
結局、テレビのつけっぱなしは諦めて、ベッドで改めて眠っていると、耳元で騒音が鳴り始めた。静かにしてくれと言えなかったのは、既に夢の中だったからだ。
電飾と喧騒に包まれていた。喚声がどこかで響いていた。たくさんの着ぐるみがキラキラな服を着たダンサーと踊っていた。
花火が打ち上がった。銀色の巨大な観覧車が見えた。遊園地だった。一日中、写真を撮るヒマもないくらい目一杯に遊んだ。アイスクリームは冬の贅沢。欲張って二段重ねだ。お土産もたくさん、腕からあふれるほど買ってもらえた。
何年分もの誕生日とクリスマスが一気にやって来たキブン! 何もかもが目まぐるしかった。お父さんの財布はマホウの財布で、どんどんおカネが出てきた。
観覧車に乗った。オルゴールが鳴っていた。頂上に来ると、電飾が星のようにまたたいていた。あれはメリーゴーランド座で、あれはジェットコースター座だ。
地上に戻ると、観覧車の時計が動いた。観覧車が七色に光った。時間だ。
さあ、帰らなきゃ。振り返れば駐車場だ。ぼくは名残惜しんだ。
「また来ればいいさ。ほらイッセイ」
お父さんがゆっくりと手招きしていた。ぼくはお母さんの手に引かれて車に乗り込もうとした。それを【ワガヤ】くんが止めた。ぼくの腕をムリやり引っ張って、鬼の形相で叫んだ。
「乗ったら死んじゃう! 父ちゃんはウソつきだ!」
ぼくは飛び起きた。【ワガヤ】くんがまだいるのか探った。「イッセイくん……」と、そっと呼んでみたけれど反応はなかった。ニット帽もなくなっていた。
学校に来てから「おれはイッセイじゃねーよ。センセイのくせに間違ってんじゃねーよ」と膝に膝蹴りを受けた。
そうだね。【ワガヤ】くんは、ワガヤくんだ。
昼夜逆転の生活に慣れるまで、何度も睡魔に襲われた。授業中は何ともないのに、職員室に入るや目元はとろん。こっくり、こっくりすると、必ずと言っていいほど【ワガヤ】くんがイスをガタガタと揺らして、ぼくを寝かせまいとした。
「寝たら死ぬ! ブタ!」
はじめはユウレイジョークだと思って半笑いだった。けれど、例の夢を見てからは本気で取り合う気になった。【ワガヤ】くんは半信半疑で”寝たら死ぬ”と思っているのではないか。目を覚ましたらユウレイになっていたから、一種の強迫概念にとらわれているのではないか。それを悪ふざけにすり替えることで恐怖心をごまかしているのではないか。そう考えざるを得なかった。
MGS本職員に、JSYに興味津々であると装って遠まわしにいろいろとたずねてみた。
〈問題〉
「家族全員が亡くなってしまった時。子どもがユウレイ学校に通っている間、両親はどう過ごせばいいんでしょうか?」
〈答え〉
「MGSの生徒に登録されたユウレイ児童は、タマシイを美しく保つため、美しい状態に戻すため早めに生前の身分を捨てなければなりません。元ご家族との縁を切り、未練を断ち切り、キレイさっぱり洗い流さなければなりません。元ご両親の方には事前に説明し、理解させた上でMGSに入学させます。入学させない道もありますが、元ご両親の方にモンダイがある場合は半強制的に引き離します――」
また夢を見た。今度は車に乗ってしまった。眠ってはいけないと理解していながら、遊び疲れて体が言うことを聞かなかった。まぶたが重かった。
「寝たらダメだ! 寝たら死んじゃうよお!」
【ワガヤ】くんの悲痛の叫びを聞きながら、夢の中で眠りについた。そして夢の中で目が覚めた。家に着いたのカナ。
隣のお母さんは眠っていた。お父さんも運転席で眠っていた。長時間の運転は疲れるから休んでいるのだ。
外に出てみた。山道の路肩だった。前後は霧で見えなかったが、空の白さは朝日のもののようだった。鳥のさえずりも、他の車のエンジン音も聞こえない。
車のうしろにある、排気ガスが出る部分にホースがくっついていた。なんでだろう? 固くて取れないぞ。
とても静かだ。
怖くなって、両親の声の聞きたさに呼び起こそうとした。
「父ちゃん。朝だよ」
あっ、ガソリンのメーターがゼロになっている。早く起こして教えなきゃ。ホースも取ってもらわなきゃ。
教えようとして、やっと気がついた。【ワガヤ】くんが眠っているお母さんに寄りかかったまま、ぼくを真っ赤な涙目で激しくにらんでいた。
「どうして寝たんだよお。お前が寝たからこうなったんだぞ! 死ねよ!」
寝覚めが悪く悶絶した。枕が湿っていて、寝汗かと思ったが、どうやら涙だった。【ワガヤ】くんの分の涙だったと思う。
あのコの行き場のない怒りを違う形で発散させるにはどうすればいいか。「死ね」とか、自分自身の気持ちをもマイナスにさせる言葉ではなく、もっとポジティブな言葉を吐き出させるにはどうすればいいのか。遊園地に連れていけばいいのか。それはちょっと違うと思った。
芽衣子には心配をかけたくなかったけれども、思わず食卓の席でも頭を抱えていた。相手がユウレイだということを伏せて悩みを打ち明けると、芽衣子は単純明快な答えを出した。
「その子、スポーツ得意?」
その溝を、臨時教師としてのサダメだったのか、あのコたちの生前の夢を見続けることによって少なからず埋めていくこととなった。半強制的に見させられる夢たちはひどいストレスだった。あらゆる思い出が津波のようにのしかかってくるのだ。
死は平等ではない。子どものユウレイがいる時点でそれは明白だ。もしそれがはじめから天によって定められていた寿命なら悲しい。平等じゃないから個性が産まれ、差があるから競い合い、高め合っていくものだけれど、死は対等であってほしかった。
【ワガヤ】くんは小柄で暴れん坊タイプだった。【エイゴ】くんの勉強を妨害したり、自身より大きな【パジ山】くんを泣かせたり。
他クラスのコにちょっかいを出すのもしばしばで、注意されるのはぼくだった。先生と生徒という二人三脚ができない、生徒がユウレイという異常な環境になじめない人はそうやって互いを苛立ちのはけ口にしていた。
それでも【コトブキ】先生も含め、誰一人投げ出さずに真夜中の学校に通勤していたのは偶然ではなかったと思う。JSYに収集された人は、レーウンさんたちによる面接の合格者なんだから。ぼくのように謹慎になったりして時間が余っていただけだとか、そんな理由で選ばれたのではないと信じている。
はじめはみんな自分の学級を担当するのに精いっぱいで、ほかのコに構っていられない環境が続いた。各学級にも【ワガヤ】くんのようなコがいて、手を焼かされっぱなし、頭を抱えっぱなしだったのだ。こんな時こそ協力し合える関係を築くべきだったのだけれど、ぼくも人のことが言えない立場にあった。
「まるで幼稚園だ……」
「しょーがないですよ。うちんとこなんて半分は低学年で死んじゃってんですよ?」
なんて会話も聞こえた。おなじ六年生でも享年も精神年齢もバラバラ。プロじゃないから舐められている、なんてこともありえた。
【ワガヤ】くんはいつもぼくに悪口を浴びせた。「ボケ」「カス」「デブ」は当たり前。ぼくは身長が一六二センチで団子鼻。しかも鼻の穴が他人より上向きに見えていたから「コブタ」だ。まったく、JSYで“メグミ先生”と決まってつくづくよかった。
十円ハゲができてからは「ハゲ」が追加された。えい、なにクソ、ハゲで悪いか! と、彼に対抗すべく季節にはまだ早かった二ット帽をやめかけたけれど、このコたちのせいで気が滅入ってハゲちゃったぁ、てへへ、なんて周囲に無用な心配をかけさせるのもよくない。あくまでもファッションとしてニット帽をかぶり続けた。
そんなある日【ワガヤ】くんにニット帽を奪われて隠されてしまった。諦めて帰宅し、芽衣子に「生徒に帽子を隠されちゃったよ。あははん」と笑うと、彼女は手編みのニット帽をプレゼントしてくれた。
芽衣子は編み物が得意で、手作り市場で売るほどの腕前だ。売り物にするつもりだった一つをぼくにくれたのだ。シノラー(今時の子はもう知らないのかな?)が好みそうな大きなボタンが付いた虹色のニット帽で【ベベ】ちゃんには大好評だった。それをその日のうちに【ワガヤ】くんが隠してしまった。
その後【ベベ】ちゃんと【ピュア】ちゃんが授業をさぼったから、【コトブキ】先生と手分けして探した。率先してくれた【エイゴ】くんがフタリを発見して「キミたちのせいで僕は大迷惑だ!」と彼は激怒した。
【ベベ】ちゃんは自身の頭をぺちぺちと叩きながら何かを訴えた。ああ、ぼくの代わりにニット帽を探していたんだなとわかった。【ピュア】ちゃんは彼女について行っただけだった。
「気持ちはウレシイよ。でも授業には参加しよう。休み時間になったらいっしょに帽子を探してくれるかい?」
そう【ベベ】ちゃんに言うと、彼女はぶーぶーと唇をとがらせながらスキップして、【ピュア】ちゃんと教室に戻ってくれた。
教室ではまた【ワガヤ】くんとビンテージくんが取っ組み合いをしていた。角で【パジ山】くんが頭を押さえたり耳を押さえたりして怯えていた。
【ビンテージ】くんが言うには、【ワガヤ】くんは【パジ山】くんの大切なブランケットを引っ張って【パジ山】くんを引きずり回したらしい。ぼくはフタリを引き離そうとしたけれど物理的にムリで。授業が再開できないから【エイゴ】くんが怒りだす。一人の不満が別の不満を作るという連鎖は恒例行事だった。
ぼくはもう一度、間に割り込もうとした。たとえ触れることができなくても、ぼくがジャマになって取っ組み合いができなくなればよかった。こんな時、相手がユウレイでよかった、なんて思ってしまう自分がいた。また見境なく平手打ちをする自分と体罰を恐れていたからだ。
先に諦めてくれたのは【ビンテージ】くんだった。【ワガヤ】くんは「死ね」「お前も死ね」「みんな死んでしまえ」と喚いて、ぼくを押し倒そうとタックルし始めた。なかなか力強かったが、ぼくは足腰には自信があった。
大学生時代にプロレスをやっていた。泰京大学の川蝉キャンパスのキングフィッシャーズというチームだ。ぼくは強くなりたかった。少なくとも女性よりは強くなりたいと思っていた。どうしても花色キャンパスのワイルドフラワーズのマネージャーだった芽衣子には勝てなかったけれど。
【ワガヤ】くんほど憎まれ口を叩き、ものを憎んでいるコは見たことがない。あのコが行き場ない怒りからぶつかってくる時には、決まって電飾がまぶたの裏に映し出された。暖色系の光がいくつもまたたいて、めまいが起きそうだった。タックルと同調しているように感じさせた。【エイゴ】くんの時と違って瞬間的なものを断片的に感じ取ることしかできず、一体どういう光景なのか、何の感覚なのか、理解できるまでには何度も体をぶつけられた。
今度は脚を蹴り始めた【ワガヤ】くん。中腰で構えていたぼくは一方的な攻撃に負けなかった。ぼくはじん帯を損傷していて、そこら辺がちょっぴり違和感だったけれども。
「どうだ。倒れない先生の勝ちだ。授業の続きをしよう」
どや顔してみせると、彼は「豚足のブタ! トンチキ! 死ね!」と悔しそうに顔を歪ませて、机を蹴り、着席した。花瓶が転がり落ちて割れると、途端に彼の姿が消えた。花瓶はパワースポットみたいなものだ。これのおかげでみんなは長時間ぼくらの前に姿を現すことができていた。
【コトブキ】先生が新たに花瓶を用意すると、【ワガヤ】くんはそっぽを向いたまま逃げることなくその場に居続けていた。
【ワガヤ】くんは校内にいる間は単独でどこかに行ってしまうことはなかった。授業をさぼることはあっても、その時は必ず他のコを巻き込んでいた。
あのコはひとりぼっちが嫌いだった。ムシされるのも嫌いだった。だからぼくが他のコにかまけて近くを通り過ぎれば、怒ってぼくにキックした。
ユウレイ児童は、とにかく気づいてほしい、構ってほしいというコと、とにかくそっとしておいてほしい、放っておいてほしいというコの両極端があって、【ワガヤ】くんは前者であり、暴力でしか伝えられないコだった。
ぼくはまずニット帽を隠されないようにするにはどうすればいいか対策を練った。それで別の柄のニット帽を家から持ってこようかと持ちかけてみた。
「そんなダッセーのいらねー」
「こら、先生の大切な人が編んでくれた帽子だぞ」
「ジマンすんな! 帽子なんかいらない!」
反応イマイチ。怒鳴られてしまった。でもとりあえずは……と、次の日に青いニット帽を彼の机の中にこっそり入れておいた。それからはニット帽を取られなくなった。でもやっぱり悪口や蹴りはやめなかった。
ニット帽が嬉しかったのかもしれない。ニット帽じゃなくたって、プレゼントそのものがうれしかったのだろう。【エイゴ】くんだけではなく彼も密かに自宅までついてくるようになった。
夜明けに【エイゴ】くんが去ってから行動開始だ。ぼくが寝室に行く気力もなくソファに寝転ぶと、あのコはまずテレビをつける。ぼくは芽衣子が起床したのだと思って、動かずにいると音量がぐんと上がって飛び起きた。慌ててテレビを消せば、次は風呂場だ。シャワーを止めると、またテレビがついていた。音量は通常だったけれど、次々とチャンネルが変わった。芽衣子が本当に起きたので、ごまかすのに必死になった。ディズニーランドのCMが映った瞬間にザッピングが止まった。
芽衣子が出勤してから「ダレだ、イタズラしているのは? 正直に答えなさい」と見えない相手を叱った。【ワガヤ】くんだと気づいたのは、帽子かけに青のニット帽があったからだ。
一度叱ったきり、テレビの音量を上げたり、水をムダに出したりすることはやめてくれたけれど、アニメの時間にはテレビをつけ、情報番組でアミューズメント施設を取り上げられると必ず食いついてチャンネル権を譲らなかった。子どもができたらこんな感じになるのかしらとしみじみしつつ、甘やかしてばかりではいけないゾ、と自分に言い聞かせた。
結局、テレビのつけっぱなしは諦めて、ベッドで改めて眠っていると、耳元で騒音が鳴り始めた。静かにしてくれと言えなかったのは、既に夢の中だったからだ。
電飾と喧騒に包まれていた。喚声がどこかで響いていた。たくさんの着ぐるみがキラキラな服を着たダンサーと踊っていた。
花火が打ち上がった。銀色の巨大な観覧車が見えた。遊園地だった。一日中、写真を撮るヒマもないくらい目一杯に遊んだ。アイスクリームは冬の贅沢。欲張って二段重ねだ。お土産もたくさん、腕からあふれるほど買ってもらえた。
何年分もの誕生日とクリスマスが一気にやって来たキブン! 何もかもが目まぐるしかった。お父さんの財布はマホウの財布で、どんどんおカネが出てきた。
観覧車に乗った。オルゴールが鳴っていた。頂上に来ると、電飾が星のようにまたたいていた。あれはメリーゴーランド座で、あれはジェットコースター座だ。
地上に戻ると、観覧車の時計が動いた。観覧車が七色に光った。時間だ。
さあ、帰らなきゃ。振り返れば駐車場だ。ぼくは名残惜しんだ。
「また来ればいいさ。ほらイッセイ」
お父さんがゆっくりと手招きしていた。ぼくはお母さんの手に引かれて車に乗り込もうとした。それを【ワガヤ】くんが止めた。ぼくの腕をムリやり引っ張って、鬼の形相で叫んだ。
「乗ったら死んじゃう! 父ちゃんはウソつきだ!」
ぼくは飛び起きた。【ワガヤ】くんがまだいるのか探った。「イッセイくん……」と、そっと呼んでみたけれど反応はなかった。ニット帽もなくなっていた。
学校に来てから「おれはイッセイじゃねーよ。センセイのくせに間違ってんじゃねーよ」と膝に膝蹴りを受けた。
そうだね。【ワガヤ】くんは、ワガヤくんだ。
昼夜逆転の生活に慣れるまで、何度も睡魔に襲われた。授業中は何ともないのに、職員室に入るや目元はとろん。こっくり、こっくりすると、必ずと言っていいほど【ワガヤ】くんがイスをガタガタと揺らして、ぼくを寝かせまいとした。
「寝たら死ぬ! ブタ!」
はじめはユウレイジョークだと思って半笑いだった。けれど、例の夢を見てからは本気で取り合う気になった。【ワガヤ】くんは半信半疑で”寝たら死ぬ”と思っているのではないか。目を覚ましたらユウレイになっていたから、一種の強迫概念にとらわれているのではないか。それを悪ふざけにすり替えることで恐怖心をごまかしているのではないか。そう考えざるを得なかった。
MGS本職員に、JSYに興味津々であると装って遠まわしにいろいろとたずねてみた。
〈問題〉
「家族全員が亡くなってしまった時。子どもがユウレイ学校に通っている間、両親はどう過ごせばいいんでしょうか?」
〈答え〉
「MGSの生徒に登録されたユウレイ児童は、タマシイを美しく保つため、美しい状態に戻すため早めに生前の身分を捨てなければなりません。元ご家族との縁を切り、未練を断ち切り、キレイさっぱり洗い流さなければなりません。元ご両親の方には事前に説明し、理解させた上でMGSに入学させます。入学させない道もありますが、元ご両親の方にモンダイがある場合は半強制的に引き離します――」
また夢を見た。今度は車に乗ってしまった。眠ってはいけないと理解していながら、遊び疲れて体が言うことを聞かなかった。まぶたが重かった。
「寝たらダメだ! 寝たら死んじゃうよお!」
【ワガヤ】くんの悲痛の叫びを聞きながら、夢の中で眠りについた。そして夢の中で目が覚めた。家に着いたのカナ。
隣のお母さんは眠っていた。お父さんも運転席で眠っていた。長時間の運転は疲れるから休んでいるのだ。
外に出てみた。山道の路肩だった。前後は霧で見えなかったが、空の白さは朝日のもののようだった。鳥のさえずりも、他の車のエンジン音も聞こえない。
車のうしろにある、排気ガスが出る部分にホースがくっついていた。なんでだろう? 固くて取れないぞ。
とても静かだ。
怖くなって、両親の声の聞きたさに呼び起こそうとした。
「父ちゃん。朝だよ」
あっ、ガソリンのメーターがゼロになっている。早く起こして教えなきゃ。ホースも取ってもらわなきゃ。
教えようとして、やっと気がついた。【ワガヤ】くんが眠っているお母さんに寄りかかったまま、ぼくを真っ赤な涙目で激しくにらんでいた。
「どうして寝たんだよお。お前が寝たからこうなったんだぞ! 死ねよ!」
寝覚めが悪く悶絶した。枕が湿っていて、寝汗かと思ったが、どうやら涙だった。【ワガヤ】くんの分の涙だったと思う。
あのコの行き場のない怒りを違う形で発散させるにはどうすればいいか。「死ね」とか、自分自身の気持ちをもマイナスにさせる言葉ではなく、もっとポジティブな言葉を吐き出させるにはどうすればいいのか。遊園地に連れていけばいいのか。それはちょっと違うと思った。
芽衣子には心配をかけたくなかったけれども、思わず食卓の席でも頭を抱えていた。相手がユウレイだということを伏せて悩みを打ち明けると、芽衣子は単純明快な答えを出した。
「その子、スポーツ得意?」
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