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 兄にエスコートされて王城の大広間に入る。
 読み上げられた名前に多くの人が振り向いた。王太子と婚約発表することになっている令嬢としてなのか、ジャクリーンのことまで知った上での興味なのか、わからない。
 しばらくのあと、ジャクリーンが入場した。私はびくりと肩を揺らし、兄の陰からそっと確認する。淡い桃色のドレスは儚げな彼女の魅力を引き立てていた。
 さらに少し経ち、王族が入場した。
 壇上の椅子に両陛下と王太子殿下が座る。陛下のお言葉をいただいて、夜会が始まった。
 序列から考えると、私たち侯爵家より先にジャクリーンのイースト公爵家が王族に挨拶する。
 ――ジャクリーンと殿下が会う。
「パトリシア」
「ええ、大丈夫よ」
 兄は心配そうに何か言いかけ、思い直したように笑顔に変えた。
「殿下は私があとで殴っておくからな」
「え、どうして?」
 婚約解消――婚約はしていないのだけれど――になるから? と聞くと、兄は首を振った。
「それは殿下が許さないだろう」
 兄はため息を吐いた。
「最初から全部、殿下が悪いんだ」
「え?」
 首を傾げる私の背中を兄はそっと押した。
「それも含めて、殿下が話してくださる」
 促されて前を向くと、殿下が立っていた。
「クリフォード様」
 ちらりと壇上に目を向けると、それに気づいた彼は苦笑した。
「先に婚約発表をしたいって陛下にお願いしたんだ」
 紺色を基調にした上品で、しかし豪華な衣装は彼によく似合っていた。緑色の瞳が私を見つめて細められる。
 彼が何か言おうとしたとき、
「王太子殿下!」
 横から声がかけられた。儚げな見た目に似合わずよく通る声はジャクリーンのものだ。
 駆け込んできた彼女が殿下の視界に入る。
 私は「ああ」と嘆息した。
「わたくしの前世は殿下の妻でございました。どうか、今世でも妻にしていただけませんか?」
「君は?」
 殿下は硬い声で短く尋ねる。
 ジャクリーンの後ろから彼女の父親らしき男性が現れた。
「殿下、娘がご無礼を。長女のジャクリーンと申します」
「イースト公爵」
「前世の最愛に出会えた娘を止められる親がおりましょうか」
「私の最愛は、サウザンド侯爵令嬢パトリシアだ」
 殿下は私の手を引いて、抱き寄せた。
「しかしパトリシア嬢は前世を覚えていないそうではないですか。それなら前世はないのでは? 前世がない者が殿下の前世の最愛のはずがない」
 息を詰めて体をこわばらせる私を殿下はぎゅっと抱きしめた。
「私の娘ジャクリーンは前世を覚えておりますよ。その娘が殿下を前世の最愛だと言うのです。一考に値しませんか?」
 それは私を前世の妻だと言ったときの殿下のセリフに似ていた。
「殿下、どうか私との前世を思い出してください!」
 ジャクリーンが殿下の腕にすがりつく。
 寸前で、殿下はそれを避けた。
「パトリシア様は前世を覚えてらっしゃいません。殿下はお間違いになったのですわ」
 ジャクリーンの声が響く。
 私はもういたたまれなかった。
「クリフォード様、もう……私……」
 腕の中から逃れようと体をよじる。
「パトリシア。待ってくれ」
「でも、私は前世を思い出せないのです」
「そうですわ! パトリシア様に前世はないのです」
 ジャクリーンが絶妙な合いの手を入れる。
「私……このままクリフォード様と婚約なんて……」
「パトリシア!」
 殿下の大声が響いた。
「僕にも前世がない! 君に話したのは全部嘘だ!」
 大広間全体が静まった。
「はい? 嘘?」
「一目ぼれだったんだ」
「ひとめ……ぼれ? どなたに?」
「君にだよ! 他に誰がいるの?」
 殿下は私をさらに抱き寄せた。
「子どもだった僕は何て言って口説いたらいいのかわからなかったんだ」
 ぷっと噴き出す声が聞こえたけれど、背後の兄ではないだろうか。
「前世の最愛だと言えば納得してくれるかと思って嘘を吐いた。君には前世がないとジョナスから聞いて知っていた。僕も前世がない。だったら、嘘をついても困ることはないだろうと思ったんだ」
「……はい……」
「僕に前世がないのは、両陛下もご存じだ。ジョナスも知っている」
 だから兄は、私が殿下から聞いた前世の話をするたびに、複雑な表情を浮かべたのか。
「僕の最愛はパトリシアだ。君は?」
「私の最愛はクリフォード様です」
「それなら何の問題もないね?」
「……え、と……」
「ないよね?」
「はい」
 殿下は私を離して、ひざまずくと手を取った。
「パトリシア嬢、私と結婚していただけますか?」
「はい。私でよろしければ」
 殿下はにっこりと笑って、六年前のバラ園のときのように、私の手に口づけた。
 その瞬間、会場に響き渡ったのは拍手ではなく、何かが倒れる音だった。
 とっさに殿下は立ち上がり私を抱き寄せる。兄がその前に出た。
 何事かと皆が見つめた先にいたのは、ウェスト公爵だ。どうやら遅れて入場したところらしい。
 注目を集めて眉をひそめるウェスト公爵の後ろから、倒した小卓に構いもせずにふらふらと前に出てきた青年がいた。私も何度か会ったことがある、ウェスト公爵令息だ。
 彼は「君は前世の!」と叫んだ。「あなたは前世の!」と叫んで彼に駆け寄ったのは、ジャクリーンだった。
 ひしっと抱き合ってから、ジャクリーンは自身の父親を振り返った。
「お父様、やっぱり嘘はよくありませんわ。わたくし、全然病弱じゃありませんし、殿下の前世の妻でもありません」
 呆然と立ち尽くすイースト公爵に嫣然と笑うジャクリーン。
「本当の前世の最愛が見つかりましたので、皆様、失礼いたしますわね」
 ごきげんよう、とウェスト公爵令息とともに会場を出て行ってしまう。
「お、おい! ポール!」
 彼らのあとを追いかけたのは、ウェスト公爵だった。
 イースト公爵とウェスト公爵は、前世で敵同士だった縁で今世は交流を絶っていた。病弱でないならなぜ領地に籠っていたのかはわからないけれど、イースト公爵令嬢ジャクリーンが今までウェスト公爵令息ポールと会ったことがなくても不思議ではない。
「あー、イースト公爵?」
 殿下が声をかけると、公爵はぼんやりと振り返った。
「前世がないのは私の弱みではないから、ああいうことを令嬢にさせても意味はなかったのだ」
「……ああ……」
 返事とも言えない呻きを上げる公爵の両腕を兄が叩いた。
「イースト公爵閣下! 令嬢を追いかけなくて良いのですか?」
 はっと目に光を戻した公爵は、殿下と壇上の両陛下に一礼して踵を返した。
「ジャクリーン様とポール様、お幸せになっていただきたいですね」
 微笑んで殿下を見上げる私。
「君は何か大事なことを忘れていないかな?」
 殿下は楽しそうに笑って、私の額に口づけたのだった。


終わり
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