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――それからさらに三年。
私の社交界デビューと同時に、私と殿下は婚約することになった。
前世のことは思い出せないままだったけれど、私は今の殿下が好きになっていた。
殿下が前世の縁で私を選んでくれているから思い出せないのは心苦しいけれど、私には殿下の求婚を断る理由はもうなかった。
デビューと婚約発表を三日後に控えた日。私はとある侯爵令嬢主催の茶会に招待された。
「今日のお茶会、イースト公爵家のジャクリーン様のためのものらしいわ」
行きの馬車で同じく招待された従姉のハリエットが教えてくれた。
「お会いしたことはないわよね?」
王城のバラ園の茶会などで、主要な上位貴族の令息令嬢は面識があるけれど、イースト公爵家の令嬢の記憶はない。
「ジャクリーン様は病弱で、ずっと領地のお屋敷で静養されてたんですって」
「まあ、それで」
「パトリシアと同じ夜会でデビューされるみたいよ」
デビュー前に同年代の令嬢と交友を持ちたいということだろう。
実際は公爵家から頼まれたのかもしれないけれど、ジャクリーンに招待主の侯爵令嬢が友人を紹介するという体裁の茶会だ。
綺麗に刈り込まれたトピアリーが整然と並ぶ庭園を望むテラスには、伯爵家以上の令嬢が十人ほど招待されていた。パトリシアとハリエットの友人も何人かいる。
ジャクリーンは確かに病弱らしく、線の細い少女だった。白い肌に白金の髪も相まって、日の光に溶けて消えそうな儚さがある。
自己紹介しながら穏やかに歓談する。
令嬢の一人が前世の夫だった人を見つけて婚約したと話すと、ジャクリーンが声を上げた。
「わたくしも、前世の夫がわかっているのです」
「まあ素敵!」
「うらやましいわ」
「それで、お相手はどなたですの?」
ジャクリーンはゆっくりとテーブルを見回し、私の顔で目を止めた。
「王太子殿下ですわ」
皆が息をのんだ。
「えっ!」
「でも、王太子殿下は」
視線が私に集まる。
交際が始まってから六年。王家も私の侯爵家も反対していない交際だ。貴族どころか国民にも知られていた。正式な婚約はまだだったけれど、どこに行っても私は殿下の婚約者のように扱われていた。
「殿下は、前世の妻はパトリシアだとおっしゃっていますわよ」
驚きに固まる私の手を握って、ハリエットが横から反論してくれた。
「でも、パトリシア様は前世を覚えてらっしゃらないんでしょう?」
何人かの令嬢がうなずく。隠すことでもないため、私はいつも正直に話していた。
「殿下はきっとお間違いになっていらっしゃるんですわ」
ジャクリーンはうっとりと微笑んだ。
「わたくしを見たら思い出してくださるはず」
あとのことはあまりよく覚えていない。茶会が終わったのか、ハリエットが中座させてくれたのか、気づいたら自室にいた。
「お嬢様? 起きてらっしゃいますか?」
ベッドの天蓋の外から声をかけられて、私はのろのろと起き上がった。
「王太子殿下がお忍びでいらっしゃっています」
「クリフォード様が……?」
ぼんやりとしていた頭が一気に事態を認識する。
「だめ。帰っていただいて!」
「よろしいのですか? お忍びでいらっしゃるなんて初めてのことですよ」
侍女の声に戸惑いが滲む。
「今日はお会いしたくないの。そう、あの、体調が良くないから」
お願い。
小声で付け足すと涙があふれた。
「お嬢様、あとで温かいものをお持ちしますね」
私が泣いていることに気づいたのか、侍女は気遣って退出した。
――会いたくないと断った私に、殿下は手紙を書いてくれた。
ホットミルクと一緒に侍女が持ってきたそれを読む。
追い返したことを怒っている様子はなく、私の体調を心配する言葉で始まる。
『イースト公爵令嬢のことは、ジョナス経由でスプリング伯爵令嬢から聞いた』
スプリング伯爵令嬢はハリエットのことだ。
『僕はイースト公爵令嬢には会ったことがない。だから間違っているのは彼女の方だと思う』
『僕とパトリシアはもう何度も会っている。六年間交際していたんだ。――君が好きなもの、好きなこと。君の声、表情。僕はたくさん知っているよ。君だってそうだろう?』
『前世のことは会ってきちんと話をしたい。とにかくイースト公爵令嬢は僕の前世とは全く関係がない』
『君は心配しないで。夜会で待っている』
うれしいのか悲しいのかよくわからない涙がこぼれる。
手紙の最後。流れるような署名のあとに、こう付け足されていた。
『もし夜会に来なかったら、寝室まで押しかけてでも迎えに行くからね』
私の社交界デビューと同時に、私と殿下は婚約することになった。
前世のことは思い出せないままだったけれど、私は今の殿下が好きになっていた。
殿下が前世の縁で私を選んでくれているから思い出せないのは心苦しいけれど、私には殿下の求婚を断る理由はもうなかった。
デビューと婚約発表を三日後に控えた日。私はとある侯爵令嬢主催の茶会に招待された。
「今日のお茶会、イースト公爵家のジャクリーン様のためのものらしいわ」
行きの馬車で同じく招待された従姉のハリエットが教えてくれた。
「お会いしたことはないわよね?」
王城のバラ園の茶会などで、主要な上位貴族の令息令嬢は面識があるけれど、イースト公爵家の令嬢の記憶はない。
「ジャクリーン様は病弱で、ずっと領地のお屋敷で静養されてたんですって」
「まあ、それで」
「パトリシアと同じ夜会でデビューされるみたいよ」
デビュー前に同年代の令嬢と交友を持ちたいということだろう。
実際は公爵家から頼まれたのかもしれないけれど、ジャクリーンに招待主の侯爵令嬢が友人を紹介するという体裁の茶会だ。
綺麗に刈り込まれたトピアリーが整然と並ぶ庭園を望むテラスには、伯爵家以上の令嬢が十人ほど招待されていた。パトリシアとハリエットの友人も何人かいる。
ジャクリーンは確かに病弱らしく、線の細い少女だった。白い肌に白金の髪も相まって、日の光に溶けて消えそうな儚さがある。
自己紹介しながら穏やかに歓談する。
令嬢の一人が前世の夫だった人を見つけて婚約したと話すと、ジャクリーンが声を上げた。
「わたくしも、前世の夫がわかっているのです」
「まあ素敵!」
「うらやましいわ」
「それで、お相手はどなたですの?」
ジャクリーンはゆっくりとテーブルを見回し、私の顔で目を止めた。
「王太子殿下ですわ」
皆が息をのんだ。
「えっ!」
「でも、王太子殿下は」
視線が私に集まる。
交際が始まってから六年。王家も私の侯爵家も反対していない交際だ。貴族どころか国民にも知られていた。正式な婚約はまだだったけれど、どこに行っても私は殿下の婚約者のように扱われていた。
「殿下は、前世の妻はパトリシアだとおっしゃっていますわよ」
驚きに固まる私の手を握って、ハリエットが横から反論してくれた。
「でも、パトリシア様は前世を覚えてらっしゃらないんでしょう?」
何人かの令嬢がうなずく。隠すことでもないため、私はいつも正直に話していた。
「殿下はきっとお間違いになっていらっしゃるんですわ」
ジャクリーンはうっとりと微笑んだ。
「わたくしを見たら思い出してくださるはず」
あとのことはあまりよく覚えていない。茶会が終わったのか、ハリエットが中座させてくれたのか、気づいたら自室にいた。
「お嬢様? 起きてらっしゃいますか?」
ベッドの天蓋の外から声をかけられて、私はのろのろと起き上がった。
「王太子殿下がお忍びでいらっしゃっています」
「クリフォード様が……?」
ぼんやりとしていた頭が一気に事態を認識する。
「だめ。帰っていただいて!」
「よろしいのですか? お忍びでいらっしゃるなんて初めてのことですよ」
侍女の声に戸惑いが滲む。
「今日はお会いしたくないの。そう、あの、体調が良くないから」
お願い。
小声で付け足すと涙があふれた。
「お嬢様、あとで温かいものをお持ちしますね」
私が泣いていることに気づいたのか、侍女は気遣って退出した。
――会いたくないと断った私に、殿下は手紙を書いてくれた。
ホットミルクと一緒に侍女が持ってきたそれを読む。
追い返したことを怒っている様子はなく、私の体調を心配する言葉で始まる。
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『僕はイースト公爵令嬢には会ったことがない。だから間違っているのは彼女の方だと思う』
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『前世のことは会ってきちんと話をしたい。とにかくイースト公爵令嬢は僕の前世とは全く関係がない』
『君は心配しないで。夜会で待っている』
うれしいのか悲しいのかよくわからない涙がこぼれる。
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