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最高に都合がいい相手
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ハリーが旅行先に選んだのは大陸の南南西にある島だ。
王都の港から一日かからない距離にある島国で、行き来は以前からあった。最近になって、海を挟んだ南大陸の国で観光地として有名になったが、こちらの大陸の国ではまだあまり知られていない。ハリーは南大陸出身の知人から教えてもらった。
有名になるきっかけになった祭りに日程を合わせたため、小さな島は予想以上に混みあっていた。
ハリーはホテルのフロントで驚きの声を上げた。
「え? 一部屋なのか?」
「はい、そう承っております」
「空きはないだろうか?」
「この時期ですので、申し訳ございません。おそらくは近隣でも空いている宿はないかと」
フロント係は申し訳なさそうに謝る。
休暇を取るために忙しくしていたハリーは秘書のドリスに予約を頼んだ。彼女は二人が普通の夫婦だと思っているため、部屋をわける発想はない。きちんと指示しなかったハリーが悪かった。
「どうしたの?」
手間取っているのに気づいたクラリスが隣にやってきた。
「いや、手違いで一部屋なんだ」
「私は構わないわ」
クラリスはそう微笑んでから、「後ろがつかえているみたい。申し訳ないから」と囁いた。
祭りは島の伝統的な祭事を観光客向けに整えたものだった。実際の祭事は非公開で行っているらしい。
そんな話をしながら島の大通りを歩く。
砂浜沿いに松明が等間隔で立てられている。危なくないように囲いがあるが、近くを通るとバチバチと爆ぜる音が聞こえ、迫力があった。
王都より南に位置するこの島は気温が高い。すでに夜だが、人の多さも手伝って、少し汗ばむくらいだ。
道の陸地側には屋台が並んでいた。色ガラスのランプが軒先を照らす。
珍しい食べ物や飲み物を売る店。島の工芸品を売る店。的あてゲームや占いの店もある。
肉を焼く煙の匂いが、潮の匂いを押しのける勢いだ。スパイスの刺激的な香りも漂っている。
果物の中身をくりぬいて器にした飲み物を一つ買う。
「二人で一つくらいがちょうどいいわ」
一本のストローから交互に飲み、「甘いわね」「俺は無理」などと笑い合う。
騒がしい人混みの中では、顔を寄せないと声が聞こえない。ランプと松明の灯りが照らすクラリスの顔は、いつもと違って見える。
スパイスが効いた肉を挟んだパンと、緑色をした謎のスープを買って、砂浜に設置されたベンチに座って分け合った。
旅先のせいか、祭りの雰囲気のせいか。いつになく近い距離を、ハリーもクラリスも許してしまっている。非日常が二人の物差しを狂わせていた。
シャツの袖をまくった素肌の腕に、クラリスの細い指が触れる。
いつもはきっちりまとめているのに、今夜のクラリスは髪を解いていた。海風がさらって、良い香りが鼻をかすめる。薄手のワンピースが揺れて、きゅっと締まった足首が目に入る。
酒は入っていなかったはずだ。
それなのに制御できない高揚があった。
危ういと思う。
ハリーとクラリスは、お互いに「相手が求めるなら応える」と牽制し合う仲だ。
均衡が崩れたら、止められないと思う。
どちらが先に音を上げるのか。
それは自分だろう。
彼女の一挙一動に煽られている。その身体に触れることばかりを考えてしまう。
パンを食べるクラリスの口元を見つめながら、ハリーは彼女との口付けを思い出していた。
ふと、クラリスが顔をそらした。
「もう……無理……」
赤面するクラリスはハリーの口に残りのパンを押し込んだ。
「あんまり見つめないで」
「え?」
「あなた、自分がどんな顔して私を見ているかわからないの? おかしくなりそうよ」
「それは、すまない」
ハリーは素直に謝る。
「部屋に戻りましょう」
どちらが先かなど、判断がつかなかった。
部屋に入るなり、口付けを交わす。
ハリーの首に腕を絡めるクラリスを持ち上げて、ベッドに運んだ。
彼女がハリーを信頼して身をゆだねてくれている。そう思うと感動すら沸き起こる。
十七年前の自分に教えても信じないだろう。
「本当にいいのか?」
ハリーが聞くと、クラリスは花が咲くように微笑んだ。
「ハリー。あなたが欲しい」
「俺も、君が欲しい」
「私たち気が合うわね」
「最高に都合がいい相手だからな」
唇を重ね、二人は強く抱き合った。
「雨ね」
「雨だな」
翌朝、目覚めると雨音が響いていた。
窓を叩くほどだから、かなりの風雨だ。
「せっかくの旅行なのになぁ。……なんだか、俺たちの外出は呪われているようだな」
二泊三日の二日目。丸一日、島で遊ぶ予定だった。
「まあ、部屋に籠っていてもできることはあるし」
クラリスを後ろから抱き寄せると、彼女はくすくす笑う。
そうしているうちに、雨の音は意識の外に追いやられたのだった。
王都の港から一日かからない距離にある島国で、行き来は以前からあった。最近になって、海を挟んだ南大陸の国で観光地として有名になったが、こちらの大陸の国ではまだあまり知られていない。ハリーは南大陸出身の知人から教えてもらった。
有名になるきっかけになった祭りに日程を合わせたため、小さな島は予想以上に混みあっていた。
ハリーはホテルのフロントで驚きの声を上げた。
「え? 一部屋なのか?」
「はい、そう承っております」
「空きはないだろうか?」
「この時期ですので、申し訳ございません。おそらくは近隣でも空いている宿はないかと」
フロント係は申し訳なさそうに謝る。
休暇を取るために忙しくしていたハリーは秘書のドリスに予約を頼んだ。彼女は二人が普通の夫婦だと思っているため、部屋をわける発想はない。きちんと指示しなかったハリーが悪かった。
「どうしたの?」
手間取っているのに気づいたクラリスが隣にやってきた。
「いや、手違いで一部屋なんだ」
「私は構わないわ」
クラリスはそう微笑んでから、「後ろがつかえているみたい。申し訳ないから」と囁いた。
祭りは島の伝統的な祭事を観光客向けに整えたものだった。実際の祭事は非公開で行っているらしい。
そんな話をしながら島の大通りを歩く。
砂浜沿いに松明が等間隔で立てられている。危なくないように囲いがあるが、近くを通るとバチバチと爆ぜる音が聞こえ、迫力があった。
王都より南に位置するこの島は気温が高い。すでに夜だが、人の多さも手伝って、少し汗ばむくらいだ。
道の陸地側には屋台が並んでいた。色ガラスのランプが軒先を照らす。
珍しい食べ物や飲み物を売る店。島の工芸品を売る店。的あてゲームや占いの店もある。
肉を焼く煙の匂いが、潮の匂いを押しのける勢いだ。スパイスの刺激的な香りも漂っている。
果物の中身をくりぬいて器にした飲み物を一つ買う。
「二人で一つくらいがちょうどいいわ」
一本のストローから交互に飲み、「甘いわね」「俺は無理」などと笑い合う。
騒がしい人混みの中では、顔を寄せないと声が聞こえない。ランプと松明の灯りが照らすクラリスの顔は、いつもと違って見える。
スパイスが効いた肉を挟んだパンと、緑色をした謎のスープを買って、砂浜に設置されたベンチに座って分け合った。
旅先のせいか、祭りの雰囲気のせいか。いつになく近い距離を、ハリーもクラリスも許してしまっている。非日常が二人の物差しを狂わせていた。
シャツの袖をまくった素肌の腕に、クラリスの細い指が触れる。
いつもはきっちりまとめているのに、今夜のクラリスは髪を解いていた。海風がさらって、良い香りが鼻をかすめる。薄手のワンピースが揺れて、きゅっと締まった足首が目に入る。
酒は入っていなかったはずだ。
それなのに制御できない高揚があった。
危ういと思う。
ハリーとクラリスは、お互いに「相手が求めるなら応える」と牽制し合う仲だ。
均衡が崩れたら、止められないと思う。
どちらが先に音を上げるのか。
それは自分だろう。
彼女の一挙一動に煽られている。その身体に触れることばかりを考えてしまう。
パンを食べるクラリスの口元を見つめながら、ハリーは彼女との口付けを思い出していた。
ふと、クラリスが顔をそらした。
「もう……無理……」
赤面するクラリスはハリーの口に残りのパンを押し込んだ。
「あんまり見つめないで」
「え?」
「あなた、自分がどんな顔して私を見ているかわからないの? おかしくなりそうよ」
「それは、すまない」
ハリーは素直に謝る。
「部屋に戻りましょう」
どちらが先かなど、判断がつかなかった。
部屋に入るなり、口付けを交わす。
ハリーの首に腕を絡めるクラリスを持ち上げて、ベッドに運んだ。
彼女がハリーを信頼して身をゆだねてくれている。そう思うと感動すら沸き起こる。
十七年前の自分に教えても信じないだろう。
「本当にいいのか?」
ハリーが聞くと、クラリスは花が咲くように微笑んだ。
「ハリー。あなたが欲しい」
「俺も、君が欲しい」
「私たち気が合うわね」
「最高に都合がいい相手だからな」
唇を重ね、二人は強く抱き合った。
「雨ね」
「雨だな」
翌朝、目覚めると雨音が響いていた。
窓を叩くほどだから、かなりの風雨だ。
「せっかくの旅行なのになぁ。……なんだか、俺たちの外出は呪われているようだな」
二泊三日の二日目。丸一日、島で遊ぶ予定だった。
「まあ、部屋に籠っていてもできることはあるし」
クラリスを後ろから抱き寄せると、彼女はくすくす笑う。
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