1 / 10
王都の魔術契約士
しおりを挟む
「さあ、ハリーさん。この中から一人選んでくださいね」
応接セットのローテーブルにずらっと並べられた五人の女性の写真に、ハリーはうんざりした声を出す。
「オーガスト夫人、私はもう再婚は考えていません」
「いいえ、ダメです。国家資格を持つ魔術契約士ともあろう者が独身なんて! 信頼感が薄れるじゃないですか!」
「そんなことありませんよ。いちいち魔術契約士が既婚者かどうか調べてくる依頼者なんていませんから、大丈夫です」
「そういう問題じゃありません!」
そういう問題にしたのはそちらだろう、とハリーは内心悪態をつく。
五十代半ばのオーガスト夫人は、ハリーの母方の伯父の配偶者だ。血の繋がりはない。
仲人が趣味という人で、ハリーの最初の結婚を取り持った。しかし、その結婚は二年後に離婚という結末を迎えた。彼女の初めての失点がハリーの離婚だったらしい。
ハリーの二度目の結婚もオーガスト夫人の紹介だったが、残念ながら離婚に終わっている。ことハリーの結婚においては失点続きのオーガスト夫人は、どうにかしてハリーを再婚させたいと躍起になっていた。
ハリー自身はもう結婚するつもりはなかった。
結婚したところでどうせまたうまくいかないだろうと思う。
「私ももう三十五です。一人で生きて行く方が気楽でいいんです」
「そうはいってもね。十年、二十年後、これから先ずっと一人なんて、さみしいものよ」
夫人はしんみりと諭すように言う。仲人趣味だけでなく親戚として心配されてもいたのか、とハリーが認識を改めようとしたところ、夫人は「ですから!」と元の勢いを取り戻した。
「あなたが選べないって言うなら、わたくしの方で選んでお見合いの日程を決めさせていただきますわ! いいですね?」
「いや、それはちょっと……」
軽いノックに続いて、応接室の扉が開いた。
「失礼いたします」
顔を出したのは、ハリーの秘書ドリスだ。四十代半ばのドリスは出産の際に退職してしまったそうだが別の大手事務所で勤務経験があり、ハリーの事務所には彼女以外の従業員はいないため、事務から受付やスケジュール管理まで一手に引き受けてくれている頼もしい存在だった。
オーガスト夫人との会話を強制的に終わらせるために、三十分経ったら入ってきてほしいとドリスに頼んでいたのだ。
「所長、お客様がいらっしゃっています。受付でお待ちいただいております」
「ああ、わかった」
やたらと目くばせするドリスに「助かるよ」とうなずいてから、ハリーは夫人に「次の約束があるので今日はこの辺で」とエスコートする。
「またそうやって、わたくしを追い出すのね。それならそれでけっこうです。次はお相手の方と一緒に来ますから、ここでお見合いしましょう」
「いえ、ですから、もう二度離婚して結婚はこりごりだと」
そこで、こほん、と小さく咳払いが聞こえ、ハリーと夫人は口をつぐんだ。
応接室を出るとすぐに事務所の受付スペースだ。カウンターと衝立で執務スペースと区切ってあるだけだが、入り口の脇に設置された待合の椅子に女性が座っていた。
ドリスの言ったお客様は夫人を帰らせるための方便だと思っていたハリーだ。本当に客がいるとは思わずに、私的な話を続けてしまった。ドリスの目くばせは「嘘ですよ」だと思っていたが、「本当ですよ」の意味だったのか。
夫人も気まずく思ったのか、「また改めて」とだけ言ってそそくさと帰っていった。
結局、見合いの阻止はできなかった。
ハリーは内心ため息をつき、夫人を送り出したドアを閉めると、待合の女性に向き直った。
「先ほどはお見苦しいところをお見せしてしまい、失礼いたしました」
ハリーが声をかけると、女性はすっと立ち上がる。
同年代くらいだろうか。黒に見まがうほど暗いグレーのジャケットとスカートは、喪中なのかもしれない。
彼女はくすっと小さく笑い声を立てた。
「お久しぶりね、フォーグラフさん。クラリス・レインです」
「アンダーソンさん……」
ハリーは懐かしい顔を前に、目を瞬かせる。
「そうそう。魔術科時代はアンダーソンだったわね」
華やかな美しさは変わらず、年を重ねてしっとりとした艶を感じさせる表情で、クラリスはあのころと同じように笑った。
卒業してから十七年ぶりの再会だった。
応接セットのローテーブルにずらっと並べられた五人の女性の写真に、ハリーはうんざりした声を出す。
「オーガスト夫人、私はもう再婚は考えていません」
「いいえ、ダメです。国家資格を持つ魔術契約士ともあろう者が独身なんて! 信頼感が薄れるじゃないですか!」
「そんなことありませんよ。いちいち魔術契約士が既婚者かどうか調べてくる依頼者なんていませんから、大丈夫です」
「そういう問題じゃありません!」
そういう問題にしたのはそちらだろう、とハリーは内心悪態をつく。
五十代半ばのオーガスト夫人は、ハリーの母方の伯父の配偶者だ。血の繋がりはない。
仲人が趣味という人で、ハリーの最初の結婚を取り持った。しかし、その結婚は二年後に離婚という結末を迎えた。彼女の初めての失点がハリーの離婚だったらしい。
ハリーの二度目の結婚もオーガスト夫人の紹介だったが、残念ながら離婚に終わっている。ことハリーの結婚においては失点続きのオーガスト夫人は、どうにかしてハリーを再婚させたいと躍起になっていた。
ハリー自身はもう結婚するつもりはなかった。
結婚したところでどうせまたうまくいかないだろうと思う。
「私ももう三十五です。一人で生きて行く方が気楽でいいんです」
「そうはいってもね。十年、二十年後、これから先ずっと一人なんて、さみしいものよ」
夫人はしんみりと諭すように言う。仲人趣味だけでなく親戚として心配されてもいたのか、とハリーが認識を改めようとしたところ、夫人は「ですから!」と元の勢いを取り戻した。
「あなたが選べないって言うなら、わたくしの方で選んでお見合いの日程を決めさせていただきますわ! いいですね?」
「いや、それはちょっと……」
軽いノックに続いて、応接室の扉が開いた。
「失礼いたします」
顔を出したのは、ハリーの秘書ドリスだ。四十代半ばのドリスは出産の際に退職してしまったそうだが別の大手事務所で勤務経験があり、ハリーの事務所には彼女以外の従業員はいないため、事務から受付やスケジュール管理まで一手に引き受けてくれている頼もしい存在だった。
オーガスト夫人との会話を強制的に終わらせるために、三十分経ったら入ってきてほしいとドリスに頼んでいたのだ。
「所長、お客様がいらっしゃっています。受付でお待ちいただいております」
「ああ、わかった」
やたらと目くばせするドリスに「助かるよ」とうなずいてから、ハリーは夫人に「次の約束があるので今日はこの辺で」とエスコートする。
「またそうやって、わたくしを追い出すのね。それならそれでけっこうです。次はお相手の方と一緒に来ますから、ここでお見合いしましょう」
「いえ、ですから、もう二度離婚して結婚はこりごりだと」
そこで、こほん、と小さく咳払いが聞こえ、ハリーと夫人は口をつぐんだ。
応接室を出るとすぐに事務所の受付スペースだ。カウンターと衝立で執務スペースと区切ってあるだけだが、入り口の脇に設置された待合の椅子に女性が座っていた。
ドリスの言ったお客様は夫人を帰らせるための方便だと思っていたハリーだ。本当に客がいるとは思わずに、私的な話を続けてしまった。ドリスの目くばせは「嘘ですよ」だと思っていたが、「本当ですよ」の意味だったのか。
夫人も気まずく思ったのか、「また改めて」とだけ言ってそそくさと帰っていった。
結局、見合いの阻止はできなかった。
ハリーは内心ため息をつき、夫人を送り出したドアを閉めると、待合の女性に向き直った。
「先ほどはお見苦しいところをお見せしてしまい、失礼いたしました」
ハリーが声をかけると、女性はすっと立ち上がる。
同年代くらいだろうか。黒に見まがうほど暗いグレーのジャケットとスカートは、喪中なのかもしれない。
彼女はくすっと小さく笑い声を立てた。
「お久しぶりね、フォーグラフさん。クラリス・レインです」
「アンダーソンさん……」
ハリーは懐かしい顔を前に、目を瞬かせる。
「そうそう。魔術科時代はアンダーソンだったわね」
華やかな美しさは変わらず、年を重ねてしっとりとした艶を感じさせる表情で、クラリスはあのころと同じように笑った。
卒業してから十七年ぶりの再会だった。
35
お気に入りに追加
128
あなたにおすすめの小説
婚姻契約には愛情は含まれていません。 旦那様には愛人がいるのですから十分でしょう?
すもも
恋愛
伯爵令嬢エーファの最も嫌いなものは善人……そう思っていた。
人を救う事に生き甲斐を感じていた両親が、陥った罠によって借金まみれとなった我が家。
これでは領民が冬を越せない!!
善良で善人で、人に尽くすのが好きな両親は何の迷いもなくこう言った。
『エーファ、君の結婚が決まったんだよ!! 君が嫁ぐなら、お金をくれるそうだ!! 領民のために尽くすのは領主として当然の事。 多くの命が救えるなんて最高の幸福だろう。 それに公爵家に嫁げばお前も幸福になるに違いない。 これは全員が幸福になれる機会なんだ、当然嫁いでくれるよな?』
と……。
そして、夫となる男の屋敷にいたのは……三人の愛人だった。

純白の牢獄
ゆる
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」
華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。
王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。
そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。
レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。
「お願いだ……戻ってきてくれ……」
王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。
「もう遅いわ」
愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。
裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。
これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。

傷心令嬢と氷の魔術師のスパイス食堂
ゆちば
恋愛
【スパイスオタク令嬢×傲慢魔術師×歪んだ純愛】
王国の男爵令嬢フィーナは、薬師業の傍ら、大好きなスパイス料理の研究をしているスパイスオタク。
ところが、戦地に遠征中の婚約者の帰りをひたすら待つ彼女を家族は疎み、勝手に縁談を結ぼうとしていた。
そのことを知ったフィーナは家出を計画し、トドメに「婚約者は死んだのよ!」という暴言を吐く義妹をビンタ!!
そして実家を飛び出し、婚約者がいるらしい帝国を目指すが、道中の森で迷ってしまう。
そこで出会ったのは、行き倒れの魔術師の青年だった。
青年を救うため、偶然見つけた民家に彼を運び込み、フィーナは自慢のスパイス料理を振る舞う。
料理を食べた青年魔術師は元気を取り戻し、フィーナにある提案をする。
「君にスパイス料理の店を持たせてあげようってコトさ。光栄だろ?」
アッシュと名乗る彼は、店を構えれば結婚資金を稼ぎながら、行方知れずの婚約者の情報を集めることができるはずだと言う。
甘い言葉に釣られたフィーナは、魔術師アッシュと共に深夜限定営業の【スパイス食堂】をオープンさせることに。
じんわりと奥深いスパイス料理、婚約者の行方、そして不遜で傲慢で嫌味でイケメンなアッシュの秘密とは――?
★全63話完結済み
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
呪いを受けて醜くなっても、婚約者は変わらず愛してくれました
しろねこ。
恋愛
婚約者が倒れた。
そんな連絡を受け、ティタンは急いで彼女の元へと向かう。
そこで見たのはあれほどまでに美しかった彼女の変わり果てた姿だ。
全身包帯で覆われ、顔も見えない。
所々見える皮膚は赤や黒といった色をしている。
「なぜこのようなことに…」
愛する人のこのような姿にティタンはただただ悲しむばかりだ。
同名キャラで複数の話を書いています。
作品により立場や地位、性格が多少変わっていますので、アナザーワールド的に読んで頂ければありがたいです。
この作品は少し古く、設定がまだ凝り固まって無い頃のものです。
皆ちょっと性格違いますが、これもこれでいいかなと載せてみます。
短めの話なのですが、重めな愛です。
お楽しみいただければと思います。
小説家になろうさん、カクヨムさんでもアップしてます!
初恋と想い出と勘違い
瀬野凜花
恋愛
王都から領地に遊びに来ていた侯爵令嬢ソフィア・フェルノは、ある日公爵令息のルイス・ウォーレンと出会い、友だちになる。
ソフィアはフィーと名乗り、身分を隠してルイスと会い続けた。
王都に帰ることになったソフィアは、ルイスに別れを告げた。本当の身分を告げることができないまま。
※小説家になろう様、エブリスタ様にも投稿しています。(外部リンク参照)


嫌われ王妃の一生 ~ 将来の王を導こうとしたが、王太子優秀すぎません? 〜
悠月 星花
恋愛
嫌われ王妃の一生 ~ 後妻として王妃になりましたが、王太子を亡き者にして処刑になるのはごめんです。将来の王を導こうと決心しましたが、王太子優秀すぎませんか? 〜
嫁いだ先の小国の王妃となった私リリアーナ。
陛下と夫を呼ぶが、私には見向きもせず、「処刑せよ」と無慈悲な王の声。
無視をされ続けた心は、逆らう気力もなく項垂れ、首が飛んでいく。
夢を見ていたのか、自身の部屋で姉に起こされ目を覚ます。
怖い夢をみたと姉に甘えてはいたが、現実には先の小国へ嫁ぐことは決まっており……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる