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第二部
ロビンとキータ
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ロビンはラファエルに連れられて、王都の基地にやってきた。
行きたい、行きたい、と駄々をこねるラファエルに風魔法で鞍に乗らされて、王都まで運ばれたような感じだ。
飛行訓練や魔法の訓練も始めてはいたが、西基地の周辺の海上を飛ぶくらいだった。
王都までは時間がかかった。――もちろん馬や馬車よりは速いが。
ラファエルは楽しそうにいろいろしゃべっていたが、ロビンはほとんど聞き流していた。一人、狭い鞍の中で考えるのは、どうしても自分の記憶のことになる。
ジィーネは嘘をついていたそうで、ロビンはギィダスではなかったらしい。
彼女が語った二人の思い出は他人事のようだと思ったが、実際に他人の話だったのだ。
ロビンは気が抜けた。
そうすると周りが見えるようになり、目につくのは黒髪の女だった。
わずかに思い出した記憶で、恨み言を繰り返していた女も黒髪だ。
それから、もう一人――。
考え事に集中していたからだろうか、ロビンは鞍の中で段々体調が悪くなってきた。何刻も歩き続けたような疲労感だ。
訓練ではこんなことはなかったのに、と不安になり始めたころ、
『こちらはカーティス。エリアナンバー351BR1568所属のイー種最上位。ラファエル、聞こえますか?』
『僕はラファエル。エリアナンバー351BR1568所属のエフ種最上位だよ。カーティス、久しぶりー!』
カーティスは団長の飛行機だった。
ラファエルが弾んだ声を上げるが、彼も自分も王都に来る許可を取っていない。
『ラファエル、お久しぶりです。基地を目指してください。滑走路に誘導しますので、着陸の手順はわかりますね?』
怒られると首をすくめたロビンだったが、カーティスは事務的な連絡だけを伝えてきた。
――サリヤやミクラ、他の騎士がいたら、カーティスはほっとしていたようだ、と声の雰囲気から察したはずだ。しかし、ロビンには飛行機の機微がわからない。
こうして、ロビンは王都にやってきた。
基地に着いて早々に医者の診察を受けたロビンだが、疲労感は魔力を多く使ったことではないかと診断された。
「飛行機と騎士の関係はそれぞれ違いますからね。過去の事例はいつも参考程度にしかならないのですよ」
医者はにこやかにそう言って、食事と睡眠を勧めてくれた。
ここでもロビンは兵士に監視されているようで、医務室の扉の前には兵士が二人立っている。
西基地の兵士よりもこちらの兵士のほうが、視線が厳しい。――それはロビンの記憶を揺さぶる。
彼らに見られながら食事をとると、確かに空腹だったようで出されたものは全て平らげてしまった。それからロビンは大人しくベッドに入った。
いつの間に眠ったのか。
窓が開いているのか、うつらうつらしている中、人の声が耳に入る。
王都の基地は人が多い。波の音も風の音もしないからだろうか。
いや、幻聴か、夢かもしれない。それとも、ロビンの記憶の中の声か。
飛行機の名前、人の名前。地名、国名。
ロビンの記憶のふたの鍵になる単語がいくつも浮かぶ。
それらは夢うつつのロビンに囁きかける。
「アンザイ三世に復讐を」
そうだ。母がいつも言っていた。あいつさえいなければ、自分は王妃でお前は王子だったのだ、と。
「メデスディスメ王国のサリヤ王女を手に入れろ」
王女を旗頭にして、南地方をメデスディスメから取り上げるんだ。
「飛行機で王城に乗り込め」
最強のエフ種最上位の飛行機なら、王城を制することも簡単だ。
――ラファエル。
『僕を呼んだ?』
ふっと目が覚めた。
起き上がると、周りは暗い。
『ロビン、僕を呼んだでしょ?』
ベッドを仕切るカーテンは少しだけ開いていた。
その隙間から窓の外が見える。
目の前に、白い大きな飛行機がいた。
ロビンは震えた。
――歓喜なのか、恐怖なのか。
自分でもわからなかった。
::::::::::
『サリヤー! 起きてー! ねーえー! 真夜中のお散歩に行こうよー!』
サリヤは飛行機の声で目が覚めた。
ラファエルの声だ。
「ラファエル?」
サリヤはそっとベッドを降りると、窓のカーテンを開ける。
――このときはエドリーンが退団する前だったが、彼女は王城基地の夜勤で宿舎にいなかったため、サリヤは部屋に一人だった。王城から派遣された近衛騎士が扉の外に控えていたが、この事態は誰も予想していなかった。
窓の外。目の前に、ラファエルが滞空している。
「え?」
鞍にはロビンが乗っていた。
サリヤは慌てて窓を開ける。
冷えた外気が室内の空気をかき混ぜた。外は暗い。白い機体の向こうに星がいくつも光っている。
「ラファエル、こんな夜中にどうしたんだ?」
『お散歩のお誘いだよー!』
ラファエルはそう言うなり、魔法の蔦でサリヤを絡めとり、窓から引っ張り出した。そのまま鞍に乗せられる。
「ベアトリクス! ベアトリクス、起きてくれ! っ!」
サリヤが助けを呼ぼうとしたところ、後ろから口を塞がれた。
ロビンだ。
「静かにしろ」
低い声で命令される。
サリヤはロビンと話をしたことがなかったが、ミクラから聞いていた範囲では、おとなしい人物を想像していた。
――記憶が戻ったのだろうか?
サリヤはうなずいた。
サリヤは彼の膝に座っている。後ろから首に腕を回されていた。
ロビンは刃物などは持っていないようだった。
首を締められたら危ういだろうが、最悪の事態ではなさそうに思える。頭の上から吐かれても嫌だからあまりやりたくないが、この体勢なら肘でロビンの腹を打つこともできる。
そうしている間にも、ラファエルはガラスの覆いを閉めて、高度を上げる。
部屋の外にいた近衛騎士は、サリヤの異変に気づいただろう。きっと誰かが追いかけてきてくれる。
抵抗しないサリヤを見て、ロビンは手を離した。
サリヤはロビンに問いかけた。
「記憶を取り戻したのか?」
「そうだ」
『えっ? そうなの? やったね、ロビン!』
「俺はロビンじゃねぇ! キータだ」
喜ぶラファエルをロビン――もといキータは一蹴した。
「バロクロヴァン王国の王子のキータだ!」
――実際は、彼の母親が王の妃だっただけで、彼の父親は平民なため、彼に王族の血は流れていない。
『キータ?』
「ああ、そうだ」
『ロビンじゃないの……?』
キータはラファエルを無視して、
「なあ、サリヤ王女。王弟妃なんかじゃなくて、王妃になりたいと思わないか?」
「は? どういうことだ?」
「あんただって、アンザイ三世に滅ぼされた国の王女だろ? 一緒にメデスディスメを乗っ取ってやろうぜ?」
「何を言っている?」
サリヤはわけがわからずに眉を寄せてから、
「もしかして、あなたは、私の母がフスチャットスフ王国の王女だったと思っているのか? 本気で?」
「ああ。第四側妃は王女に決まってる。そうじゃなきゃ、おかしい。――バロクロヴァン王国の高貴な女に見向きもしなかったアンザイ三世が、市井の女を連れて帰るわけがない」
キータはそう言うが、アンザイ三世は血筋で臣下を選ばなかった。妃だってそうだろう。
ここで反論する意味はなく、逆に危険はありそうだったため、サリヤは黙った。
それを同意ととったのか、キータはラファエルに、
「ラファエル、メデスディスメの王城に行け。それから、城をぶっ潰してやれ!」
『えー! どういうこと? ロビンはサリヤを誘って散歩したいだけって言ってたのにー』
「いいから、行けよ!」
『…………』
ラファエルの返答はない。
サリヤは視線を巡らせる。
上弦の月が左手の低い位置にあり、北に向かっているとわかる。下方の暗い影は森だが、前方に切れ目が見えた。それが国境の谷川だとすると、北基地が近い。
キータはラファエルに「メデスディスメの城をぶっ潰せ!」と繰り返しているが、息切れしているようだ。
「キータ、体調が良くないのではないのか?」
「はぁ? お前、何を呑気なことを! 王女なんだから泣くとか震えるとかあるだろうが。さっきから冷静すぎて気持ち悪ぃんだよ! お前、本当に王女なのか?」
「残念ながら王女だな」
――王女だから、殺されそうになったこともある。
そのときより危機感がないのは確かだった。
というのも、サリヤには追いかけてくるベアトリクスの声が聞こえていたからだ。キータに悟られないように返事ができなかったが、ラファエルを説得すれば北基地に降りられるかもしれない。
「ラファエル」
『んー、サリヤ? なにー?』
サリヤが声をかけるとラファエルから返答があり、ほっとする。
「私もキータも安全ベルトを締めていない。ガラスの覆いはあるから外に投げ出されることはないが、ラファエルが回転のような激しい動きをすると、私たちは鞍から浮き上がって怪我をすることがある。気を付けてくれ」
『りょーかい!』
「ベアトリクスにも、私たちが安全ベルトを締めていないことを伝えてくれるか?」
『オッケー!』
ラファエルはサリヤの頼みを素直に引き受けてくれた。
すると、キータが癇癪を起こす。
「おい、ラファエル! どういうことだ!! なんで俺の命令は聞かないのに、王女の命令は聞くんだよっ!」
『えー、だって、サリヤはベアトリクスの騎士だもん。できるお願いなら聞いてあげるよ? でも、ロビンのお願いはさぁ』
ラファエルは少し考えるように、
『ロビン、少し前から、何か違うんだよねぇ……』
「ああ、もしかして……」
サリヤは思いついて聞いてみる。
「ラファエルの騎士はロビンだろう? ここにいるロビンはもうロビンじゃなくて、キータらしい。だから……」
『ああ! そういうこと! なぁんだ!』
ラファエルは納得したような声を上げた。
『ロビンは僕の騎士だったけど、キータは僕の騎士じゃないんだ! お城を潰せなんていう人間、僕、好きじゃないもん』
キータの体調が良くないのは、ラファエルとの相性が変わってしまったからだろう。無理やり魔力を使っている状態なのでは?
『僕、キータはいらないよ!』
そう言うとラファエルは、くるりと横向きに回転した。
「うわぁ!」
サリヤは悲鳴を上げる。
いつのまにか、ガラスの覆いは開けられている。
サリヤとキータは鞍から空中に落とされてしまった。
『サリヤ!!』
ベアトリクスの叫び声だ。
『あっ! サリヤまで落ちちゃった! どうしよー!』
「ラファエル! 蔦を出せ! さっきみたいに私を絡めとるんだ!」
『そっか、わかったー! えーい!』
なんとも気の抜けた掛け声とともに、サリヤの身体を蔦が巻き取って、落下が止まった。
はっと気づくと、キータはまだ落ちている。
「ラファエル! キータもだ! 彼も吊り下げてくれ」
『オッケー!』
下方を見ると、キータも蔦に吊り下げられていた。悲鳴も上げていないから、気を失っているのかもしれない。
――落ちる前から体調が悪かったからな……。
『ねぇ、サリヤー。吊り下げたけど、僕、キータはいらないよ? どっかで捨てていい?』
「いや、彼を引き取りたいって人がいるから、捨てないでくれ。頼む」
『そうなの? 変わった人もいるねー』
「キータは城を潰したいと言っていたが、それ以前にもいろいろ罪を犯してるんだ。それを償わせたいってことだな」
『へー』
そんな話をしながらも、サリヤは空中に吊り下げられており、強風にさらされていた。寝巻のままなので、この状態で北基地まで行ったら風邪を引くかもしれない。
「ベアトリクス! いるか?」
声をかけると返答があった。
『サリヤ! サリヤ! 無事なの?』
「ああ、無事だ。ベアトリクス。鞍で受け止めてもらえると助かるんだが」
『もちろんよ! え? ちょっと待って。ミクラが何か言ってるわ』
「ん? カーティスもいるのか?」
後ろが見えずにサリヤにはよくわからない。
話がまとまったのか、ベアトリクスがラファエルに指示を出し、まずはキータがベアトリクスに移った。――移ったと言っても鞍ではなく、ベアトリクスがラファエルの代わりに蔦を出して吊り下げなおしただけだ。
サリヤの下方に何もなくなったところで、カーティスが現れた。ガラスの覆いが開いていて、ミクラが腕を広げている。
すぐ下にいるため、大した衝撃もなく、サリヤはミクラの腕の中に抱きとられた。
「サリヤ! 無事か?」
「ああ、大丈夫だ」
「こんなに冷えて……」
ミクラはサリヤをぎゅっと抱きしめてくれた。
腹の前に回された彼の手をサリヤも握る。
やっとサリヤは肩の力を抜いた。ミクラの腕の中はやはり温かい。
「ミクラ、追いかけてきてくれてありがとう」
「こちらこそ、無事でいてくれてありがとう」
振り返って見上げると、ミクラはくしゃりと笑った。
サリヤは安心して、彼の胸に頭を預ける。
――それから、そのまま三機で北基地に降りた。
行きたい、行きたい、と駄々をこねるラファエルに風魔法で鞍に乗らされて、王都まで運ばれたような感じだ。
飛行訓練や魔法の訓練も始めてはいたが、西基地の周辺の海上を飛ぶくらいだった。
王都までは時間がかかった。――もちろん馬や馬車よりは速いが。
ラファエルは楽しそうにいろいろしゃべっていたが、ロビンはほとんど聞き流していた。一人、狭い鞍の中で考えるのは、どうしても自分の記憶のことになる。
ジィーネは嘘をついていたそうで、ロビンはギィダスではなかったらしい。
彼女が語った二人の思い出は他人事のようだと思ったが、実際に他人の話だったのだ。
ロビンは気が抜けた。
そうすると周りが見えるようになり、目につくのは黒髪の女だった。
わずかに思い出した記憶で、恨み言を繰り返していた女も黒髪だ。
それから、もう一人――。
考え事に集中していたからだろうか、ロビンは鞍の中で段々体調が悪くなってきた。何刻も歩き続けたような疲労感だ。
訓練ではこんなことはなかったのに、と不安になり始めたころ、
『こちらはカーティス。エリアナンバー351BR1568所属のイー種最上位。ラファエル、聞こえますか?』
『僕はラファエル。エリアナンバー351BR1568所属のエフ種最上位だよ。カーティス、久しぶりー!』
カーティスは団長の飛行機だった。
ラファエルが弾んだ声を上げるが、彼も自分も王都に来る許可を取っていない。
『ラファエル、お久しぶりです。基地を目指してください。滑走路に誘導しますので、着陸の手順はわかりますね?』
怒られると首をすくめたロビンだったが、カーティスは事務的な連絡だけを伝えてきた。
――サリヤやミクラ、他の騎士がいたら、カーティスはほっとしていたようだ、と声の雰囲気から察したはずだ。しかし、ロビンには飛行機の機微がわからない。
こうして、ロビンは王都にやってきた。
基地に着いて早々に医者の診察を受けたロビンだが、疲労感は魔力を多く使ったことではないかと診断された。
「飛行機と騎士の関係はそれぞれ違いますからね。過去の事例はいつも参考程度にしかならないのですよ」
医者はにこやかにそう言って、食事と睡眠を勧めてくれた。
ここでもロビンは兵士に監視されているようで、医務室の扉の前には兵士が二人立っている。
西基地の兵士よりもこちらの兵士のほうが、視線が厳しい。――それはロビンの記憶を揺さぶる。
彼らに見られながら食事をとると、確かに空腹だったようで出されたものは全て平らげてしまった。それからロビンは大人しくベッドに入った。
いつの間に眠ったのか。
窓が開いているのか、うつらうつらしている中、人の声が耳に入る。
王都の基地は人が多い。波の音も風の音もしないからだろうか。
いや、幻聴か、夢かもしれない。それとも、ロビンの記憶の中の声か。
飛行機の名前、人の名前。地名、国名。
ロビンの記憶のふたの鍵になる単語がいくつも浮かぶ。
それらは夢うつつのロビンに囁きかける。
「アンザイ三世に復讐を」
そうだ。母がいつも言っていた。あいつさえいなければ、自分は王妃でお前は王子だったのだ、と。
「メデスディスメ王国のサリヤ王女を手に入れろ」
王女を旗頭にして、南地方をメデスディスメから取り上げるんだ。
「飛行機で王城に乗り込め」
最強のエフ種最上位の飛行機なら、王城を制することも簡単だ。
――ラファエル。
『僕を呼んだ?』
ふっと目が覚めた。
起き上がると、周りは暗い。
『ロビン、僕を呼んだでしょ?』
ベッドを仕切るカーテンは少しだけ開いていた。
その隙間から窓の外が見える。
目の前に、白い大きな飛行機がいた。
ロビンは震えた。
――歓喜なのか、恐怖なのか。
自分でもわからなかった。
::::::::::
『サリヤー! 起きてー! ねーえー! 真夜中のお散歩に行こうよー!』
サリヤは飛行機の声で目が覚めた。
ラファエルの声だ。
「ラファエル?」
サリヤはそっとベッドを降りると、窓のカーテンを開ける。
――このときはエドリーンが退団する前だったが、彼女は王城基地の夜勤で宿舎にいなかったため、サリヤは部屋に一人だった。王城から派遣された近衛騎士が扉の外に控えていたが、この事態は誰も予想していなかった。
窓の外。目の前に、ラファエルが滞空している。
「え?」
鞍にはロビンが乗っていた。
サリヤは慌てて窓を開ける。
冷えた外気が室内の空気をかき混ぜた。外は暗い。白い機体の向こうに星がいくつも光っている。
「ラファエル、こんな夜中にどうしたんだ?」
『お散歩のお誘いだよー!』
ラファエルはそう言うなり、魔法の蔦でサリヤを絡めとり、窓から引っ張り出した。そのまま鞍に乗せられる。
「ベアトリクス! ベアトリクス、起きてくれ! っ!」
サリヤが助けを呼ぼうとしたところ、後ろから口を塞がれた。
ロビンだ。
「静かにしろ」
低い声で命令される。
サリヤはロビンと話をしたことがなかったが、ミクラから聞いていた範囲では、おとなしい人物を想像していた。
――記憶が戻ったのだろうか?
サリヤはうなずいた。
サリヤは彼の膝に座っている。後ろから首に腕を回されていた。
ロビンは刃物などは持っていないようだった。
首を締められたら危ういだろうが、最悪の事態ではなさそうに思える。頭の上から吐かれても嫌だからあまりやりたくないが、この体勢なら肘でロビンの腹を打つこともできる。
そうしている間にも、ラファエルはガラスの覆いを閉めて、高度を上げる。
部屋の外にいた近衛騎士は、サリヤの異変に気づいただろう。きっと誰かが追いかけてきてくれる。
抵抗しないサリヤを見て、ロビンは手を離した。
サリヤはロビンに問いかけた。
「記憶を取り戻したのか?」
「そうだ」
『えっ? そうなの? やったね、ロビン!』
「俺はロビンじゃねぇ! キータだ」
喜ぶラファエルをロビン――もといキータは一蹴した。
「バロクロヴァン王国の王子のキータだ!」
――実際は、彼の母親が王の妃だっただけで、彼の父親は平民なため、彼に王族の血は流れていない。
『キータ?』
「ああ、そうだ」
『ロビンじゃないの……?』
キータはラファエルを無視して、
「なあ、サリヤ王女。王弟妃なんかじゃなくて、王妃になりたいと思わないか?」
「は? どういうことだ?」
「あんただって、アンザイ三世に滅ぼされた国の王女だろ? 一緒にメデスディスメを乗っ取ってやろうぜ?」
「何を言っている?」
サリヤはわけがわからずに眉を寄せてから、
「もしかして、あなたは、私の母がフスチャットスフ王国の王女だったと思っているのか? 本気で?」
「ああ。第四側妃は王女に決まってる。そうじゃなきゃ、おかしい。――バロクロヴァン王国の高貴な女に見向きもしなかったアンザイ三世が、市井の女を連れて帰るわけがない」
キータはそう言うが、アンザイ三世は血筋で臣下を選ばなかった。妃だってそうだろう。
ここで反論する意味はなく、逆に危険はありそうだったため、サリヤは黙った。
それを同意ととったのか、キータはラファエルに、
「ラファエル、メデスディスメの王城に行け。それから、城をぶっ潰してやれ!」
『えー! どういうこと? ロビンはサリヤを誘って散歩したいだけって言ってたのにー』
「いいから、行けよ!」
『…………』
ラファエルの返答はない。
サリヤは視線を巡らせる。
上弦の月が左手の低い位置にあり、北に向かっているとわかる。下方の暗い影は森だが、前方に切れ目が見えた。それが国境の谷川だとすると、北基地が近い。
キータはラファエルに「メデスディスメの城をぶっ潰せ!」と繰り返しているが、息切れしているようだ。
「キータ、体調が良くないのではないのか?」
「はぁ? お前、何を呑気なことを! 王女なんだから泣くとか震えるとかあるだろうが。さっきから冷静すぎて気持ち悪ぃんだよ! お前、本当に王女なのか?」
「残念ながら王女だな」
――王女だから、殺されそうになったこともある。
そのときより危機感がないのは確かだった。
というのも、サリヤには追いかけてくるベアトリクスの声が聞こえていたからだ。キータに悟られないように返事ができなかったが、ラファエルを説得すれば北基地に降りられるかもしれない。
「ラファエル」
『んー、サリヤ? なにー?』
サリヤが声をかけるとラファエルから返答があり、ほっとする。
「私もキータも安全ベルトを締めていない。ガラスの覆いはあるから外に投げ出されることはないが、ラファエルが回転のような激しい動きをすると、私たちは鞍から浮き上がって怪我をすることがある。気を付けてくれ」
『りょーかい!』
「ベアトリクスにも、私たちが安全ベルトを締めていないことを伝えてくれるか?」
『オッケー!』
ラファエルはサリヤの頼みを素直に引き受けてくれた。
すると、キータが癇癪を起こす。
「おい、ラファエル! どういうことだ!! なんで俺の命令は聞かないのに、王女の命令は聞くんだよっ!」
『えー、だって、サリヤはベアトリクスの騎士だもん。できるお願いなら聞いてあげるよ? でも、ロビンのお願いはさぁ』
ラファエルは少し考えるように、
『ロビン、少し前から、何か違うんだよねぇ……』
「ああ、もしかして……」
サリヤは思いついて聞いてみる。
「ラファエルの騎士はロビンだろう? ここにいるロビンはもうロビンじゃなくて、キータらしい。だから……」
『ああ! そういうこと! なぁんだ!』
ラファエルは納得したような声を上げた。
『ロビンは僕の騎士だったけど、キータは僕の騎士じゃないんだ! お城を潰せなんていう人間、僕、好きじゃないもん』
キータの体調が良くないのは、ラファエルとの相性が変わってしまったからだろう。無理やり魔力を使っている状態なのでは?
『僕、キータはいらないよ!』
そう言うとラファエルは、くるりと横向きに回転した。
「うわぁ!」
サリヤは悲鳴を上げる。
いつのまにか、ガラスの覆いは開けられている。
サリヤとキータは鞍から空中に落とされてしまった。
『サリヤ!!』
ベアトリクスの叫び声だ。
『あっ! サリヤまで落ちちゃった! どうしよー!』
「ラファエル! 蔦を出せ! さっきみたいに私を絡めとるんだ!」
『そっか、わかったー! えーい!』
なんとも気の抜けた掛け声とともに、サリヤの身体を蔦が巻き取って、落下が止まった。
はっと気づくと、キータはまだ落ちている。
「ラファエル! キータもだ! 彼も吊り下げてくれ」
『オッケー!』
下方を見ると、キータも蔦に吊り下げられていた。悲鳴も上げていないから、気を失っているのかもしれない。
――落ちる前から体調が悪かったからな……。
『ねぇ、サリヤー。吊り下げたけど、僕、キータはいらないよ? どっかで捨てていい?』
「いや、彼を引き取りたいって人がいるから、捨てないでくれ。頼む」
『そうなの? 変わった人もいるねー』
「キータは城を潰したいと言っていたが、それ以前にもいろいろ罪を犯してるんだ。それを償わせたいってことだな」
『へー』
そんな話をしながらも、サリヤは空中に吊り下げられており、強風にさらされていた。寝巻のままなので、この状態で北基地まで行ったら風邪を引くかもしれない。
「ベアトリクス! いるか?」
声をかけると返答があった。
『サリヤ! サリヤ! 無事なの?』
「ああ、無事だ。ベアトリクス。鞍で受け止めてもらえると助かるんだが」
『もちろんよ! え? ちょっと待って。ミクラが何か言ってるわ』
「ん? カーティスもいるのか?」
後ろが見えずにサリヤにはよくわからない。
話がまとまったのか、ベアトリクスがラファエルに指示を出し、まずはキータがベアトリクスに移った。――移ったと言っても鞍ではなく、ベアトリクスがラファエルの代わりに蔦を出して吊り下げなおしただけだ。
サリヤの下方に何もなくなったところで、カーティスが現れた。ガラスの覆いが開いていて、ミクラが腕を広げている。
すぐ下にいるため、大した衝撃もなく、サリヤはミクラの腕の中に抱きとられた。
「サリヤ! 無事か?」
「ああ、大丈夫だ」
「こんなに冷えて……」
ミクラはサリヤをぎゅっと抱きしめてくれた。
腹の前に回された彼の手をサリヤも握る。
やっとサリヤは肩の力を抜いた。ミクラの腕の中はやはり温かい。
「ミクラ、追いかけてきてくれてありがとう」
「こちらこそ、無事でいてくれてありがとう」
振り返って見上げると、ミクラはくしゃりと笑った。
サリヤは安心して、彼の胸に頭を預ける。
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気になる方はお避け下さい。
・8/1 長編に変更しました。
・8/16 本編完結しました。
公爵家の半端者~悪役令嬢なんてやるよりも、隣国で冒険する方がいい~
石動なつめ
ファンタジー
半端者の公爵令嬢ベリル・ミスリルハンドは、王立学院の休日を利用して隣国のダンジョンに潜ったりと冒険者生活を満喫していた。
しかしある日、王様から『悪役令嬢役』を押し付けられる。何でも王妃様が最近悪役令嬢を主人公とした小説にはまっているのだとか。
冗談ではないと断りたいが権力には逆らえず、残念な演技力と棒読みで悪役令嬢役をこなしていく。
自分からは率先して何もする気はないベリルだったが、その『役』のせいでだんだんとおかしな状況になっていき……。
※小説家になろうにも掲載しています。
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