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第二部
サリヤの忙しい休日
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「ねぇ、あんたって明日休みでしょ?」
夜、宿舎の部屋で、サリヤは同室のエドリーンに話しかけられた。
夜会が終わったため、サリヤは団長の屋敷から宿舎に戻っていた。
以前は話しかけても無視されることもあったエドリーンだが、今は雑談できるくらいの友だちだ。――とサリヤは思っている。
それでも、彼女から話しかけてくることはあまりない。
サリヤは少し心を躍らせながら、
「ああ、休みだ。だが、朝から王城で妃教育がある」
「それは知ってるわ。明日、私も休みなの。だから、あんたが持ってるドレスを見せてもらえない? 侍女かメイドの人に案内してって頼んでよ」
エドリーンがサリヤに頼み事なんて珍しい。
「見るだけでいいのか?」
「触ってもいいなら触らせて」
「いや、着なくていいのか?」
「えー、まさか! あたしはドレスのデザインや作りを見たいだけよ。着るのはあたしの役目じゃないもの」
エドリーンは両手を振って否定する。
彼女は飛行騎士になる前は仕立て屋で修行をしていたそうだ。体質のせいで飛行騎士を泣く泣く辞めた兄と家族に期待されて、仕方なく面接を受けたところマルヴィナの騎士に選ばれ、大喜びの家族を前に抵抗する気力をなくして、仕立て屋を辞めて騎士になったらしい。
今でも仕立て屋になりたいエドリーンだが、騎士団の仕事はきっちりこなすし、他の騎士と同様に、空を飛ぶのは好きなようだった。
彼女は、自由時間は宿舎の部屋で刺繍をしたり、小物を作ったりしていた。
「それなら、明日エドリーンも一緒に王城へ行くか? あちらで着付けてもらうんだ。王城にあるドレスのほうが華やかなものが多かったと思う」
妃教育を受けるときはドレスを着るが、ドレスではベアトリクスに乗れない。結局、王城に部屋を用意してもらって毎回そこで支度することになった。だから、ドレスのいくつかを王城に移したのだ。
「見学は侍女のヒルカがいるときでないと難しいと思うが、私が妃教育に行くときはヒルカも一緒だからな。明日の朝、ヒルカが馬車で出る前に紹介する。そうしたら、エドリーンが都合のいいときに屋敷に行けば、ヒルカが案内してくれると思う」
サリヤがそう言うと、「侍女って王女様の行くとこ全部についていくものなの?」とエドリーンはサリヤに咎めるような視線を送る。
サリヤがヒルカをこき使っているように思われるのは心外だが、どこに行くにも侍女や護衛を伴わなければならないのは確かだ。
「お互いに、そういう仕事なんだ」
「ふうん。お互いにって。そうよね、いちいちついて来られるほうも大変か」
王子時代、離宮に移る前は侍女も護衛もおらず、一人で王城の中を歩いていたが、離宮に移ってからはたいていヒルカとマガリがついていた。二人ともウェダから派遣されてきていた者だから、当時は監視されている気分になったものだ。性別を偽っていたのも負担が大きかった。
それに比べたら、今は二人と打ち解けたから、ずいぶん気楽だ。
それに騎士団の施設内や仕事中は一人になる時間もある。
「サリヤは王城までベアトリクスで行くの?」
「ああ。飛行機で行けるところは飛行機で行くように言われている」
「そっか、あんた狙われてるんだもんね」
エドリーンは北基地勤務のときにカメイに会ったと聞いた。
カメイはミクラに反乱組織の手配者の件を警告しに来てくれたらしい。ロビンの素性調査もふくめて、そちらはミクラが対応してくれていて、サリヤはときどき状況を教えてもらうだけだ。
「着たまま飛行機に乗れるドレスがあればいいんだがなぁ」
「うーん、ドレスは無理じゃない? 布の量が違うでしょ。平民の服なら、スカートやワンピースでも乗れそうだけど」
エドリーンは自分が着ているワンピースを見下ろす。
サリヤの私服は騎士になったばかりのころに街で買ったシャツとズボンばかりだが、エドリーンの私服はかわいらしい刺繍やレースがついた服だ。
同じスカートでも彼女が着ているワンピースなら動きやすいのに。
「ワンピースとドレスと、何が違うんだ? 布の質を変えれば、王城に着ていける服にならないか?」
サリヤがそう言うと、エドリーンは考え込んでしまった。
「それはそうかもしれないけど……デザインが違うし……。スカート丈を長くすれば……ううん、なんか違う。でも、膨らませたら乗れないし……」
帳面を取り出して何やら絵を描き始めたエドリーンに、サリヤは、
「すまない、エドリーン。それで、明日はどうする?」
「んー、明日? あたしも王城に行くー」
「わかった。朝食をとったらヒルカに紹介する」
「うん」
自分の作業に移ってしまったエドリーンに、サリヤは苦笑した。
翌日、王城にて。
王城基地にベアトリクスで乗りつけたサリヤは、馬車と馬で王城に先行したヒルカとマガリを連れて回廊を歩いていた。
エドリーンは王城には着いてこなかった。
サリヤが考えなしだったのだが、非番のエドリーンが自由に王城に出入りできるわけがなかった。基地の中ならともかく、サリヤが行くのは奥の棟だ。
ヒルカに指摘されて気づいたサリヤだった。
サリヤが謝ると、エドリーンは「別にいいわよ」と、屋敷にあるドレスを見せてもらう約束をヒルカに取り付けて宿舎に戻って行った。
「エドリーンさんは衣装に造詣が深いのですね」
歩きながらヒルカが言う。エドリーンはヒルカの着ている服にも興味津々だった。
侍女のヒルカは、メイドのようにお仕着せではないものの、装飾のないシンプルな上着とスカートだ。サリヤが王城で着付けられるドレスはもっと豪華だから、エドリーンが見たら喜ぶに違いない。
「彼女は仕立て屋になりたいんだそうだ」
「まあ、でしたら、殿下の私服もエドリーンさんに見立ててもらえば良かったのに。シャツやズボンを着るにしても、殿下はもう少し素材やデザインにこだわっていただきたいものですわ」
「うーん、まあ、そのころはエドリーンと今ほど仲良くなかったんだ」
と、サリヤは笑った。
――現在でもサリヤとエドリーンは休日に一緒に外出したりはしないのだけれど、サリヤは気にしていない。
奥の棟に入ったところで、廊下の向かいから王太子のタガミがやって来るのが見えた。彼もサリヤ同様、近衛騎士と侍従を連れている。
サリヤたちは廊下の端に避けた。
タガミもこちらに気づき、近くで立ち止まる。
「サリヤ殿、こんにちは」
「王太子殿下、ごきげんよう」
淑女の礼をしようとして、まだドレスに着替えていなかったのを思い出す。格好がつかないが、やりかけてしまったのでスカートを持つふりをした。
「今日は騎士団の任務ではないのか?」
「はい。今日は王妃殿下にお願いしていた妃教育を受けに来ました」
「そうか。それなら、ここで引き止めては良くないな。着替えるのだろう?」
サリヤがうなずくと、タガミは少しためらってから口を開く。
「終わるころにまた声をかけてもいいだろうか。一緒にお茶でもどうだろう? あ、いや、ええと他意はなく。そうだ。私も勉強があってその息抜きに……。約束があると思うと座学もがんばれると思うのだ」
「ありがとうございます。お時間が合えばぜひ」
サリヤがそう答えると、タガミはうれしそうに笑った。
「それでは、またあとでな」
「はい」
タガミは足取りも軽く去って行った。
サリヤは彼を見送ってから、
「王太子殿下は口実がないとお茶も飲めないほど、お忙しいのだろうか。大変だな……」
サリヤがそう言うと、ヒルカとマガリは顔を見合わせた。
「単に殿下とお茶を飲みたかっただけではないかと……」
「披露目の夜会でもダンスに誘われたのでしょう?」
「元敵国からやってきた私を気遣ってくれたんだろう。人質のような政略結婚は嫌ではないのか、と聞かれたことがある。それに、先ほど、他意はないと王太子殿下もおっしゃっていたじゃないか」
サリヤは「それより着付けの時間がなくなってしまう」と、足を速めた。
後ろでヒルカとマガリは、
「他意がないようには見えませんでしたわよね」
「イキュリークイ国の王太子殿下のように一目惚れなんじゃ?」
などと囁きあっていたけれど、サリヤには聞こえなかった。
そして、午後。
サリヤは王族専用の温室にいた。
南国の植物を育てているのではなく、冬にも花を咲かせるための温室だ。だから、今の季節は一部のガラスが開けられていた。樹木は育てられていないから見通しがいい。
その一角にレンガが敷かれた開けた場所があって、そこでお茶を飲んだり読書や刺繍をしたりするのだそうだ。
サリヤの前にある小さな金属製の丸テーブルには、ケーキや焼き菓子のほか、サンドイッチも並ぶ。
テーブルを挟んだ向かいに王太子タガミ。
――そして、なぜか少し離れたところにもう一つテーブルセットが用意されており、そこには国王ケンザキと王妃リンドゥがいた。
同席というにはテーブルが離れており、彼らはこちらを見守る体勢だ。
サリヤは妃教育で、ベールルーベ王国の詳細な地理や歴史や文化、法律や政策、貴族関係など、この国の情報を主に習っていた。披露目の前にも本で自習していたが、教師は一般にあまり知られていない事柄も交えて解説してくれ、勉強になる。
あとは圧倒的に足りていない淑女教育だ。今日は教師と一緒に昼食をとりながら学んだ。
詰め込み学習に少々ぐったりしたところで、タガミの侍従が迎えにきた。
連れてこられた温室には、国王夫妻。
――彼らの見学は、淑女教育の成果のテストだろうか。
「サリヤ殿、すまない。温室を使う許可を取ったら母に用途を聞かれて、邪魔しないから参加させろ、と。父まで来るとは私も思わなかったが……」
「いえ、お二人とも王太子殿下をご心配されたのでしょう。私は元敵国の人間ですし」
「それは違う。そんなことはない! 私も両親もあなたのことは信頼している」
「では、やはり淑女教育のテストでしょうか?」
「……それも違うと思う」
タガミは「あちらのテーブルはないものと思ってほしい」と言ってから、サリヤの注意を引いた。
「サリヤ殿は甘いものを好むのか?」
「焼き菓子は好きですね。ケーキは以前はあまり食べる機会がなかったのですが、最近は茶会でよく食べます」
「では、このクランベリーパイがお勧めだ」
サリヤはタガミの勧めに従って、給仕のメイドにパイを取り分けてもらう。
ナイフを入れるとさくっと軽い音がして、口に入れると甘酸っぱい。
「おいしいですね!」
「そうか! 気に入ってくれたなら良かった」
タガミはほっとしたように笑った。
「王太子殿下は」
「タガミと呼んでくれ」
「タガミ殿下はお忙しいのですか? 息抜きの茶会が必要だとおっしゃっていましたが」
「あ、あー、そうだなー。それなりにいろいろ勉強することがあるのだ」
ないものとした外野のテーブルで吹き出し笑いが聞こえたが、タガミは無視して、
「サリヤ殿は双子の兄の身代わりで、王子教育を受けたと聞いたが、どんなことを習ったんだ?」
「座学は地理や歴史、算術、語学などです。兄は第七王子だったので、王子教育ではなく貴族の子息が受ける内容とあまり変わらないと思います。――それから、剣や弓、乗馬を習いました」
「剣も? 強いのか?」
「相手が非力な者なら勝てるかもしれませんが、男性騎士などでは難しいですね。熟練の女性騎士にも勝てないと思います」
サリヤは肩をすくめた。マガリが護衛になったから、離宮時代のように彼からまた指南を受けようかと思っている。
タガミは身を乗り出すと、
「私となら?」
「え? そうですね……やってみないとわかりませんが、もしかしたら私が勝つかもしれません」
身長はサリヤの方が高いし、歳も離れている。
ミクラが剣を握ったところも知らないため、こちらの王子教育のレベルがわからないが、互角くらいはいけるのではないだろうか。
「今度ぜひ手合わせしよう!」
「はい、私は構いませんが……」
いいのか、とサリヤは、タガミの斜め後ろに立つ近衛騎士を見たが、彼は特に反応を示さなかった。
ないものにしたテーブルのほうをちらりと見たら、国王夫妻は仕方ないというように笑ってうなずいていた。
「では、次に妃教育で王城に来たときに手合わせしましょう。私も稽古しておきます」
「ありがとう! 指導役としか打ち合ったことがなかったのだ。楽しみだ!」
顔を輝かせるタガミに、サリヤは同意する。
「ああ、それはわかります。私も歳の近い者とはほとんど手合わせしたことがありませんでした」
「兄王子が何人もいたのではないのか?」
「はい。ですが、当時は交流がなかったので……」
向こうから絡んでくる者たちはサリヤをいたぶろうとしているだけなので、サリヤは全力で回避していた。
「そうなのか……」
タガミは少し目を伏せてから、意を決した様子で顔を上げた。
「私は、サリヤ殿は兄の王に命令されたから叔父上と婚約したのだと思っていた」
「それは違います」
サリヤが否定すると、タガミは「わかっている」とうなずく。
「前に話したときに言っていたな。飛行騎士になりたかった、と」
「はい」
タガミはサリヤをまっすぐに見た。
「それなら、叔父上ではなく私と結婚するのはどうだろうか?」
「いいえ、ミクラ殿下がいいです」
サリヤは間髪入れずに断った。
タガミは「あ……」と一度絶句してから、
「一考の余地もないのか?」
「ええと……」
サリヤは、さすがに失礼だったかと思って言葉を探したが、上手い言い訳が思いつかない。
「ミクラ殿下以外には考えられません」
潔く言い切ったサリヤに、タガミは顔を歪めた。
そこで、向こうのテーブルからリンドゥが声をかけてきた。
「タガミ、あなたでは無理だって言ったではありませんか」
「でも、私は……」
「これも経験だろう? ほら、初恋は実らないって言うじゃないか」
ケンザキの言葉にサリヤは「初恋?」と驚きの声を上げる。
「政略結婚の誘いではなかったのか。申し訳ない」
素の口調で頭を下げるサリヤに、タガミは、
「初恋と言ったら考えてくれるか?」
「ええと、……申し訳ありません。タガミ殿下が嫌というわけではなく、ミクラ殿下が良いというだけで……比べてどうこうではなく……」
サリヤが言葉を重ねる度にタガミの顔が曇っていく。サリヤは段々小声になった。
「色恋には疎く、申し訳ありません」
「サリヤ殿が謝ることではない」
そう言われても気まずく、サリヤは視線をさまよわせる。
すると、ケンザキとリンドゥが心配そうにタガミを見ており、彼らはこのために同席したのだと理解した。
国王と王妃の顔ではなく、息子の成長を見守る親の顔だ。
タガミも彼らの視線に気づいたようで、今にも泣きそうに表情を崩した。
サリヤは姿勢を正すと、
「タガミ殿下、本日はこれで失礼したします」
「あ、うん。じゃなくて。あの」
少し言葉遣いの崩れたタガミは、目元を手の甲でぐいっと拭うと、
「サリヤと呼んでもいいか。私のことはタガミと呼んでくれ。友だちになってほしい」
サリヤは彼に合わせて、普段の口調で返す。
「タガミ。わかった」
「次に会うときは剣の手合わせだ。約束だからな」
「ああ。楽しみにしている」
タガミが手を出したから、サリヤも握手した。
温室を出て振り返ると、タガミがリンドゥに抱きついており、彼の頭をケンザキが撫でているのが見えた。
サリヤはその光景を目にして動揺した。
慌てて踵を返すと、ヒルカと目が合った。
彼女は痛ましげな顔をしている。
――仲のいい家族を前にして、自分は今どんな表情をしているだろうか。
足早に回廊を進むと、ベアトリクスの声がした。
『サリヤ! すぐに基地に来て! ミクラが着いたわよ!』
「え? 団長が? 何かあったのか?」
サリヤがそう答えると、ベアトリクスの声が聞こえなかったマガリがさっとあたりに警戒の目を走らせた。ヒルカの顔もこわばる。
『タガミからお茶に誘われたんでしょう? 一大事じゃないの! ミクラにちゃんと伝えておいてあげたわよ。あ、ミクラをお茶会に乗り込ませたほうがいいのかしら? ミクラ、サリヤをタガミから助け出すのよ!』
タガミとお茶を飲むから基地に戻るのが予定より遅くなるとベアトリクスに連絡したのを思い出す。
「ベアトリクス! お茶会はもう終わったから! 今から基地に戻るから、団長にもそこにいてほしいと頼んでくれ」
サリヤはドレスを持ち上げて回廊を駆け出した。
マガリとヒルカには走りながら説明したが、二人ともほっとしつつ笑ってくれた。
王城基地に戻ると、滑走路の端にベアトリクスとカーティスが並んでいた。その間にミクラが立っている。
走ってきたサリヤに気づいて、ミクラはくしゃりと笑った。
それを見た瞬間。
サリヤはなんだか胸がいっぱいになって、走ってきた勢いのまま、思わずミクラに抱きついてしまった。
「おぅ、どうした? 何かあったのか?」
とっさのことなのに危なげなく抱き止めてくれたミクラは、驚いた声を上げる。
「タガミに求婚されました。初恋だそうです」
顔を伏せたままサリヤが報告すると、ミクラは低い声を出した。
「あ?」
『ほらぁ、だから一大事だって言ったじゃない!』
「もちろん断りました。それで、タガミとは友だちになりました。剣の手合わせをする約束もしています」
「剣? 友だち? いや、まあ、断ってくれたならいいが」
それで? とミクラは促す。
「茶会には陛下と王妃殿下もいらっしゃって……お二人はタガミを心配して……私は……その場にいられなくなってしまって……」
「そうか……」
上手く気持ちを表現できないサリヤをミクラは抱き上げた。急に持ち上げられて、サリヤは驚いて彼の首に腕を回してしがみついた。
「わぁっ! 団長、いきなりはやめてください!」
「いつものことだろう? もうそろそろ慣れてくれ」
ミクラはベアトリクスに寄りかかる。彼の身体が斜めになると、自然とサリヤもミクラに身体を寄せることになった。
サリヤの背中に回った腕が、ぎゅっと強めに抱きしめた。
ミクラの腕の中は温かい。
「サリヤはきっと寂しかったんだな」
「そう、でしょうか? 団長の顔を見たら抱きつきたくなったんです」
サリヤも腕に力をこめた。
「俺は君の家族になるのだから、いくらでも甘えてくれて構わないぞ。俺は君の兄役でも父役でも母役でも、何にでもなる」
「ふっ、母もですか?」
サリヤが笑うと、ミクラも笑った。身体が揺れるのが伝わる。
「ありがとうございます。でも、団長は婚約者です。夫役をお願いします」
「うれしいことを言ってくれる」
ミクラは腕の力を緩めた。ぽんっと背中を軽く叩かれる。
「サリヤ、未来の夫の願いを叶えてくれないか? 団長じゃなくてミクラと呼んでほしい」
「あ……!」
ミクラから請われて、サリヤは初めて気づいた。婚約者として夜会に出たときもサリヤはミクラを「団長」と呼んでいた。
サリヤは少し体を起こして、ミクラの顔を見る。
「ミクラ。改めてよろしく頼む」
サリヤが敬語も取ると、ミクラは笑った。
――そのあとしばらくサリヤは放してもらえず、ミクラに抱き上げられたまま、彼やベアトリクスたちと雑談した。
ミクラの気が済んだところで、サリヤはやっと解放されたわけだが、着替えてくると言ったサリヤをミクラが引き留めた。
「君がやっと落ち着いたところで、すまない。これだけは今伝えないとならなくてだな」
ミクラは真面目な顔になると、
「ロビンはギィダスではないことがはっきりした」
そう言ったのだった。
夜、宿舎の部屋で、サリヤは同室のエドリーンに話しかけられた。
夜会が終わったため、サリヤは団長の屋敷から宿舎に戻っていた。
以前は話しかけても無視されることもあったエドリーンだが、今は雑談できるくらいの友だちだ。――とサリヤは思っている。
それでも、彼女から話しかけてくることはあまりない。
サリヤは少し心を躍らせながら、
「ああ、休みだ。だが、朝から王城で妃教育がある」
「それは知ってるわ。明日、私も休みなの。だから、あんたが持ってるドレスを見せてもらえない? 侍女かメイドの人に案内してって頼んでよ」
エドリーンがサリヤに頼み事なんて珍しい。
「見るだけでいいのか?」
「触ってもいいなら触らせて」
「いや、着なくていいのか?」
「えー、まさか! あたしはドレスのデザインや作りを見たいだけよ。着るのはあたしの役目じゃないもの」
エドリーンは両手を振って否定する。
彼女は飛行騎士になる前は仕立て屋で修行をしていたそうだ。体質のせいで飛行騎士を泣く泣く辞めた兄と家族に期待されて、仕方なく面接を受けたところマルヴィナの騎士に選ばれ、大喜びの家族を前に抵抗する気力をなくして、仕立て屋を辞めて騎士になったらしい。
今でも仕立て屋になりたいエドリーンだが、騎士団の仕事はきっちりこなすし、他の騎士と同様に、空を飛ぶのは好きなようだった。
彼女は、自由時間は宿舎の部屋で刺繍をしたり、小物を作ったりしていた。
「それなら、明日エドリーンも一緒に王城へ行くか? あちらで着付けてもらうんだ。王城にあるドレスのほうが華やかなものが多かったと思う」
妃教育を受けるときはドレスを着るが、ドレスではベアトリクスに乗れない。結局、王城に部屋を用意してもらって毎回そこで支度することになった。だから、ドレスのいくつかを王城に移したのだ。
「見学は侍女のヒルカがいるときでないと難しいと思うが、私が妃教育に行くときはヒルカも一緒だからな。明日の朝、ヒルカが馬車で出る前に紹介する。そうしたら、エドリーンが都合のいいときに屋敷に行けば、ヒルカが案内してくれると思う」
サリヤがそう言うと、「侍女って王女様の行くとこ全部についていくものなの?」とエドリーンはサリヤに咎めるような視線を送る。
サリヤがヒルカをこき使っているように思われるのは心外だが、どこに行くにも侍女や護衛を伴わなければならないのは確かだ。
「お互いに、そういう仕事なんだ」
「ふうん。お互いにって。そうよね、いちいちついて来られるほうも大変か」
王子時代、離宮に移る前は侍女も護衛もおらず、一人で王城の中を歩いていたが、離宮に移ってからはたいていヒルカとマガリがついていた。二人ともウェダから派遣されてきていた者だから、当時は監視されている気分になったものだ。性別を偽っていたのも負担が大きかった。
それに比べたら、今は二人と打ち解けたから、ずいぶん気楽だ。
それに騎士団の施設内や仕事中は一人になる時間もある。
「サリヤは王城までベアトリクスで行くの?」
「ああ。飛行機で行けるところは飛行機で行くように言われている」
「そっか、あんた狙われてるんだもんね」
エドリーンは北基地勤務のときにカメイに会ったと聞いた。
カメイはミクラに反乱組織の手配者の件を警告しに来てくれたらしい。ロビンの素性調査もふくめて、そちらはミクラが対応してくれていて、サリヤはときどき状況を教えてもらうだけだ。
「着たまま飛行機に乗れるドレスがあればいいんだがなぁ」
「うーん、ドレスは無理じゃない? 布の量が違うでしょ。平民の服なら、スカートやワンピースでも乗れそうだけど」
エドリーンは自分が着ているワンピースを見下ろす。
サリヤの私服は騎士になったばかりのころに街で買ったシャツとズボンばかりだが、エドリーンの私服はかわいらしい刺繍やレースがついた服だ。
同じスカートでも彼女が着ているワンピースなら動きやすいのに。
「ワンピースとドレスと、何が違うんだ? 布の質を変えれば、王城に着ていける服にならないか?」
サリヤがそう言うと、エドリーンは考え込んでしまった。
「それはそうかもしれないけど……デザインが違うし……。スカート丈を長くすれば……ううん、なんか違う。でも、膨らませたら乗れないし……」
帳面を取り出して何やら絵を描き始めたエドリーンに、サリヤは、
「すまない、エドリーン。それで、明日はどうする?」
「んー、明日? あたしも王城に行くー」
「わかった。朝食をとったらヒルカに紹介する」
「うん」
自分の作業に移ってしまったエドリーンに、サリヤは苦笑した。
翌日、王城にて。
王城基地にベアトリクスで乗りつけたサリヤは、馬車と馬で王城に先行したヒルカとマガリを連れて回廊を歩いていた。
エドリーンは王城には着いてこなかった。
サリヤが考えなしだったのだが、非番のエドリーンが自由に王城に出入りできるわけがなかった。基地の中ならともかく、サリヤが行くのは奥の棟だ。
ヒルカに指摘されて気づいたサリヤだった。
サリヤが謝ると、エドリーンは「別にいいわよ」と、屋敷にあるドレスを見せてもらう約束をヒルカに取り付けて宿舎に戻って行った。
「エドリーンさんは衣装に造詣が深いのですね」
歩きながらヒルカが言う。エドリーンはヒルカの着ている服にも興味津々だった。
侍女のヒルカは、メイドのようにお仕着せではないものの、装飾のないシンプルな上着とスカートだ。サリヤが王城で着付けられるドレスはもっと豪華だから、エドリーンが見たら喜ぶに違いない。
「彼女は仕立て屋になりたいんだそうだ」
「まあ、でしたら、殿下の私服もエドリーンさんに見立ててもらえば良かったのに。シャツやズボンを着るにしても、殿下はもう少し素材やデザインにこだわっていただきたいものですわ」
「うーん、まあ、そのころはエドリーンと今ほど仲良くなかったんだ」
と、サリヤは笑った。
――現在でもサリヤとエドリーンは休日に一緒に外出したりはしないのだけれど、サリヤは気にしていない。
奥の棟に入ったところで、廊下の向かいから王太子のタガミがやって来るのが見えた。彼もサリヤ同様、近衛騎士と侍従を連れている。
サリヤたちは廊下の端に避けた。
タガミもこちらに気づき、近くで立ち止まる。
「サリヤ殿、こんにちは」
「王太子殿下、ごきげんよう」
淑女の礼をしようとして、まだドレスに着替えていなかったのを思い出す。格好がつかないが、やりかけてしまったのでスカートを持つふりをした。
「今日は騎士団の任務ではないのか?」
「はい。今日は王妃殿下にお願いしていた妃教育を受けに来ました」
「そうか。それなら、ここで引き止めては良くないな。着替えるのだろう?」
サリヤがうなずくと、タガミは少しためらってから口を開く。
「終わるころにまた声をかけてもいいだろうか。一緒にお茶でもどうだろう? あ、いや、ええと他意はなく。そうだ。私も勉強があってその息抜きに……。約束があると思うと座学もがんばれると思うのだ」
「ありがとうございます。お時間が合えばぜひ」
サリヤがそう答えると、タガミはうれしそうに笑った。
「それでは、またあとでな」
「はい」
タガミは足取りも軽く去って行った。
サリヤは彼を見送ってから、
「王太子殿下は口実がないとお茶も飲めないほど、お忙しいのだろうか。大変だな……」
サリヤがそう言うと、ヒルカとマガリは顔を見合わせた。
「単に殿下とお茶を飲みたかっただけではないかと……」
「披露目の夜会でもダンスに誘われたのでしょう?」
「元敵国からやってきた私を気遣ってくれたんだろう。人質のような政略結婚は嫌ではないのか、と聞かれたことがある。それに、先ほど、他意はないと王太子殿下もおっしゃっていたじゃないか」
サリヤは「それより着付けの時間がなくなってしまう」と、足を速めた。
後ろでヒルカとマガリは、
「他意がないようには見えませんでしたわよね」
「イキュリークイ国の王太子殿下のように一目惚れなんじゃ?」
などと囁きあっていたけれど、サリヤには聞こえなかった。
そして、午後。
サリヤは王族専用の温室にいた。
南国の植物を育てているのではなく、冬にも花を咲かせるための温室だ。だから、今の季節は一部のガラスが開けられていた。樹木は育てられていないから見通しがいい。
その一角にレンガが敷かれた開けた場所があって、そこでお茶を飲んだり読書や刺繍をしたりするのだそうだ。
サリヤの前にある小さな金属製の丸テーブルには、ケーキや焼き菓子のほか、サンドイッチも並ぶ。
テーブルを挟んだ向かいに王太子タガミ。
――そして、なぜか少し離れたところにもう一つテーブルセットが用意されており、そこには国王ケンザキと王妃リンドゥがいた。
同席というにはテーブルが離れており、彼らはこちらを見守る体勢だ。
サリヤは妃教育で、ベールルーベ王国の詳細な地理や歴史や文化、法律や政策、貴族関係など、この国の情報を主に習っていた。披露目の前にも本で自習していたが、教師は一般にあまり知られていない事柄も交えて解説してくれ、勉強になる。
あとは圧倒的に足りていない淑女教育だ。今日は教師と一緒に昼食をとりながら学んだ。
詰め込み学習に少々ぐったりしたところで、タガミの侍従が迎えにきた。
連れてこられた温室には、国王夫妻。
――彼らの見学は、淑女教育の成果のテストだろうか。
「サリヤ殿、すまない。温室を使う許可を取ったら母に用途を聞かれて、邪魔しないから参加させろ、と。父まで来るとは私も思わなかったが……」
「いえ、お二人とも王太子殿下をご心配されたのでしょう。私は元敵国の人間ですし」
「それは違う。そんなことはない! 私も両親もあなたのことは信頼している」
「では、やはり淑女教育のテストでしょうか?」
「……それも違うと思う」
タガミは「あちらのテーブルはないものと思ってほしい」と言ってから、サリヤの注意を引いた。
「サリヤ殿は甘いものを好むのか?」
「焼き菓子は好きですね。ケーキは以前はあまり食べる機会がなかったのですが、最近は茶会でよく食べます」
「では、このクランベリーパイがお勧めだ」
サリヤはタガミの勧めに従って、給仕のメイドにパイを取り分けてもらう。
ナイフを入れるとさくっと軽い音がして、口に入れると甘酸っぱい。
「おいしいですね!」
「そうか! 気に入ってくれたなら良かった」
タガミはほっとしたように笑った。
「王太子殿下は」
「タガミと呼んでくれ」
「タガミ殿下はお忙しいのですか? 息抜きの茶会が必要だとおっしゃっていましたが」
「あ、あー、そうだなー。それなりにいろいろ勉強することがあるのだ」
ないものとした外野のテーブルで吹き出し笑いが聞こえたが、タガミは無視して、
「サリヤ殿は双子の兄の身代わりで、王子教育を受けたと聞いたが、どんなことを習ったんだ?」
「座学は地理や歴史、算術、語学などです。兄は第七王子だったので、王子教育ではなく貴族の子息が受ける内容とあまり変わらないと思います。――それから、剣や弓、乗馬を習いました」
「剣も? 強いのか?」
「相手が非力な者なら勝てるかもしれませんが、男性騎士などでは難しいですね。熟練の女性騎士にも勝てないと思います」
サリヤは肩をすくめた。マガリが護衛になったから、離宮時代のように彼からまた指南を受けようかと思っている。
タガミは身を乗り出すと、
「私となら?」
「え? そうですね……やってみないとわかりませんが、もしかしたら私が勝つかもしれません」
身長はサリヤの方が高いし、歳も離れている。
ミクラが剣を握ったところも知らないため、こちらの王子教育のレベルがわからないが、互角くらいはいけるのではないだろうか。
「今度ぜひ手合わせしよう!」
「はい、私は構いませんが……」
いいのか、とサリヤは、タガミの斜め後ろに立つ近衛騎士を見たが、彼は特に反応を示さなかった。
ないものにしたテーブルのほうをちらりと見たら、国王夫妻は仕方ないというように笑ってうなずいていた。
「では、次に妃教育で王城に来たときに手合わせしましょう。私も稽古しておきます」
「ありがとう! 指導役としか打ち合ったことがなかったのだ。楽しみだ!」
顔を輝かせるタガミに、サリヤは同意する。
「ああ、それはわかります。私も歳の近い者とはほとんど手合わせしたことがありませんでした」
「兄王子が何人もいたのではないのか?」
「はい。ですが、当時は交流がなかったので……」
向こうから絡んでくる者たちはサリヤをいたぶろうとしているだけなので、サリヤは全力で回避していた。
「そうなのか……」
タガミは少し目を伏せてから、意を決した様子で顔を上げた。
「私は、サリヤ殿は兄の王に命令されたから叔父上と婚約したのだと思っていた」
「それは違います」
サリヤが否定すると、タガミは「わかっている」とうなずく。
「前に話したときに言っていたな。飛行騎士になりたかった、と」
「はい」
タガミはサリヤをまっすぐに見た。
「それなら、叔父上ではなく私と結婚するのはどうだろうか?」
「いいえ、ミクラ殿下がいいです」
サリヤは間髪入れずに断った。
タガミは「あ……」と一度絶句してから、
「一考の余地もないのか?」
「ええと……」
サリヤは、さすがに失礼だったかと思って言葉を探したが、上手い言い訳が思いつかない。
「ミクラ殿下以外には考えられません」
潔く言い切ったサリヤに、タガミは顔を歪めた。
そこで、向こうのテーブルからリンドゥが声をかけてきた。
「タガミ、あなたでは無理だって言ったではありませんか」
「でも、私は……」
「これも経験だろう? ほら、初恋は実らないって言うじゃないか」
ケンザキの言葉にサリヤは「初恋?」と驚きの声を上げる。
「政略結婚の誘いではなかったのか。申し訳ない」
素の口調で頭を下げるサリヤに、タガミは、
「初恋と言ったら考えてくれるか?」
「ええと、……申し訳ありません。タガミ殿下が嫌というわけではなく、ミクラ殿下が良いというだけで……比べてどうこうではなく……」
サリヤが言葉を重ねる度にタガミの顔が曇っていく。サリヤは段々小声になった。
「色恋には疎く、申し訳ありません」
「サリヤ殿が謝ることではない」
そう言われても気まずく、サリヤは視線をさまよわせる。
すると、ケンザキとリンドゥが心配そうにタガミを見ており、彼らはこのために同席したのだと理解した。
国王と王妃の顔ではなく、息子の成長を見守る親の顔だ。
タガミも彼らの視線に気づいたようで、今にも泣きそうに表情を崩した。
サリヤは姿勢を正すと、
「タガミ殿下、本日はこれで失礼したします」
「あ、うん。じゃなくて。あの」
少し言葉遣いの崩れたタガミは、目元を手の甲でぐいっと拭うと、
「サリヤと呼んでもいいか。私のことはタガミと呼んでくれ。友だちになってほしい」
サリヤは彼に合わせて、普段の口調で返す。
「タガミ。わかった」
「次に会うときは剣の手合わせだ。約束だからな」
「ああ。楽しみにしている」
タガミが手を出したから、サリヤも握手した。
温室を出て振り返ると、タガミがリンドゥに抱きついており、彼の頭をケンザキが撫でているのが見えた。
サリヤはその光景を目にして動揺した。
慌てて踵を返すと、ヒルカと目が合った。
彼女は痛ましげな顔をしている。
――仲のいい家族を前にして、自分は今どんな表情をしているだろうか。
足早に回廊を進むと、ベアトリクスの声がした。
『サリヤ! すぐに基地に来て! ミクラが着いたわよ!』
「え? 団長が? 何かあったのか?」
サリヤがそう答えると、ベアトリクスの声が聞こえなかったマガリがさっとあたりに警戒の目を走らせた。ヒルカの顔もこわばる。
『タガミからお茶に誘われたんでしょう? 一大事じゃないの! ミクラにちゃんと伝えておいてあげたわよ。あ、ミクラをお茶会に乗り込ませたほうがいいのかしら? ミクラ、サリヤをタガミから助け出すのよ!』
タガミとお茶を飲むから基地に戻るのが予定より遅くなるとベアトリクスに連絡したのを思い出す。
「ベアトリクス! お茶会はもう終わったから! 今から基地に戻るから、団長にもそこにいてほしいと頼んでくれ」
サリヤはドレスを持ち上げて回廊を駆け出した。
マガリとヒルカには走りながら説明したが、二人ともほっとしつつ笑ってくれた。
王城基地に戻ると、滑走路の端にベアトリクスとカーティスが並んでいた。その間にミクラが立っている。
走ってきたサリヤに気づいて、ミクラはくしゃりと笑った。
それを見た瞬間。
サリヤはなんだか胸がいっぱいになって、走ってきた勢いのまま、思わずミクラに抱きついてしまった。
「おぅ、どうした? 何かあったのか?」
とっさのことなのに危なげなく抱き止めてくれたミクラは、驚いた声を上げる。
「タガミに求婚されました。初恋だそうです」
顔を伏せたままサリヤが報告すると、ミクラは低い声を出した。
「あ?」
『ほらぁ、だから一大事だって言ったじゃない!』
「もちろん断りました。それで、タガミとは友だちになりました。剣の手合わせをする約束もしています」
「剣? 友だち? いや、まあ、断ってくれたならいいが」
それで? とミクラは促す。
「茶会には陛下と王妃殿下もいらっしゃって……お二人はタガミを心配して……私は……その場にいられなくなってしまって……」
「そうか……」
上手く気持ちを表現できないサリヤをミクラは抱き上げた。急に持ち上げられて、サリヤは驚いて彼の首に腕を回してしがみついた。
「わぁっ! 団長、いきなりはやめてください!」
「いつものことだろう? もうそろそろ慣れてくれ」
ミクラはベアトリクスに寄りかかる。彼の身体が斜めになると、自然とサリヤもミクラに身体を寄せることになった。
サリヤの背中に回った腕が、ぎゅっと強めに抱きしめた。
ミクラの腕の中は温かい。
「サリヤはきっと寂しかったんだな」
「そう、でしょうか? 団長の顔を見たら抱きつきたくなったんです」
サリヤも腕に力をこめた。
「俺は君の家族になるのだから、いくらでも甘えてくれて構わないぞ。俺は君の兄役でも父役でも母役でも、何にでもなる」
「ふっ、母もですか?」
サリヤが笑うと、ミクラも笑った。身体が揺れるのが伝わる。
「ありがとうございます。でも、団長は婚約者です。夫役をお願いします」
「うれしいことを言ってくれる」
ミクラは腕の力を緩めた。ぽんっと背中を軽く叩かれる。
「サリヤ、未来の夫の願いを叶えてくれないか? 団長じゃなくてミクラと呼んでほしい」
「あ……!」
ミクラから請われて、サリヤは初めて気づいた。婚約者として夜会に出たときもサリヤはミクラを「団長」と呼んでいた。
サリヤは少し体を起こして、ミクラの顔を見る。
「ミクラ。改めてよろしく頼む」
サリヤが敬語も取ると、ミクラは笑った。
――そのあとしばらくサリヤは放してもらえず、ミクラに抱き上げられたまま、彼やベアトリクスたちと雑談した。
ミクラの気が済んだところで、サリヤはやっと解放されたわけだが、着替えてくると言ったサリヤをミクラが引き留めた。
「君がやっと落ち着いたところで、すまない。これだけは今伝えないとならなくてだな」
ミクラは真面目な顔になると、
「ロビンはギィダスではないことがはっきりした」
そう言ったのだった。
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