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第一部
会いに来て
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夜。見上げた空にはいくつか星が浮かんでいた。
飛行機から見るよりも数は少ない。
サリヤは庭に出ていた。
テラスの隅にマガリが控えているのは知っている。このくらいのわがままは許されるだろう。
「星に紛れて、会いに来て」
母に教わった歌を歌う。
ベアトリクスの上でこの歌を歌ったとき、サリヤに会いに来てくれたのはミクラだった。
マガリが身じろぎした。
かさりと庭の奥の方から音がする。
サリヤが勢いよく振り返ると、相手は少し驚いたようだった。
「陛下……」
現れたのはウェダだった。お忍び歩きなのか一般兵士のような軍服だ。
「驚かせたか」
「いえ」
「会いに来てほしかった相手とは違ったか?」
顔が見える場所まで近づいてきたウェダは、からかうように笑った。兄らしく、というのはあの場だけの建前でもないのかもしれない。
サリヤは素直にうなずいた。
「ベールルーベ王国では王弟殿下が会いに来てくださいました」
「まあ、お前は最初から決めていると言っていたな。私にはよくわからないが……」
「何がでしょうか?」
「恋とか愛とかだ」
「それは、私にもよくわかりません」
そうなのか、とウェダは笑った。
「会いたいと思っただけですから」
「それが恋だろう」
「陛下はわからないと先ほどおっしゃいましたが?」
「そうだな」
ウェダは空を見上げた。銀髪が夜の微かな光を全て集めたようだった。
サリヤも同じようにする。
「ドバシ殿下との茶会はどうだった? トバタ公爵夫人に習った礼儀作法で悩殺したとか聞いたぞ」
「悩殺……?」
誰の言葉だ、とマガリを振り返るとさっと目をそらされた。
昼間、イキュリークイ国のドバシと茶会をした。サリヤは先日からミュキに礼儀作法を教わっており、それの初披露となった。口調もまあまあ取り繕えるようになったのだが、ドバシはイキュリークイ国語で話そうとするから、そちらはあまり意味はなかった。
イキュリークイ国の王家は、多部族国家の国外向けの窓口的な役割として代々聖地の塩湖を守っていた一族から選ばれた家だそうだ。その一代目が現国王――ドバシは二代目になる予定だ。国内事情だか、愚痴だか、悩み相談だかわからない話を大人しく聞いているのに飽きて、サリヤは塩湖や永久凍土の話を振った。それからはなかなか楽しかった。
悩殺の機会などあっただろうか。
「厳しい自然環境の話を真剣に聞いてくれたと感激していたぞ」
「いえ、あれは単に学問的におもしろかっただけで……」
サリヤは困惑を顔に浮かべて否定する。
「また会いたいとは思わなかったか?」
「はい。思いませんでした」
エスコートで手に触れられたときも緊張した。
きっとドバシの腕には飛び込めない。
「タールラル妃には申し訳ないことをした。あれは、私の失策だった」
ウェダが突然そう言い、サリヤは驚いた。
「いいえ、母のことは私が原因ですから」
「お前は何一つ悪くない。最初から、何も悪いことなどしていない」
サリヤは息を飲む。
「父はお前が王女だと知っていた。歌姫が歌を教えていたから王女だと思っていた、と言っていた」
それは驚いたけれど、あまり感慨は湧かなかった。
アンザイ三世は母に会いに来たことがあったのか、と思ったくらいだ。
サリヤは父親の存在を意識したことがなかった。
しかし、ウェダは違うのだろう。彼はアンザイ三世を父と呼んだ。
サリヤはウェダを見上げた。
「私は母を亡くしましたが、陛下――いえ、お兄様は父を亡くされたのですね」
「そうだな」
「お辛かったですね」
サリヤはそっと微笑んだ。
ウェダの驚いた顔にミクラのことを思い出す。
サリヤは空を見上げてもう一度歌った。
――会いに来て。
「国葬に、ベールルーベ王国から王弟が出席すると連絡があった。飛行機を二機、入国させてほしいと言われた」
「私からも、お願いいたします」
サリヤは頭を下げる。
「心配するな。許可はすでに出してある。――サリヤはそのままベールルーベ王国に嫁ぐがよい」
「はっ! ありがとう存じます」
軽快なサリヤの返事に、「淑女教育の成果……」とウェダが笑う。
「ミュキが泣くな」
「そんなことはございませんわ。お兄様は秘密にしてくださいますから」
ドレスをつまんで礼をするサリヤに、ウェダは目を細めた。
飛行機から見るよりも数は少ない。
サリヤは庭に出ていた。
テラスの隅にマガリが控えているのは知っている。このくらいのわがままは許されるだろう。
「星に紛れて、会いに来て」
母に教わった歌を歌う。
ベアトリクスの上でこの歌を歌ったとき、サリヤに会いに来てくれたのはミクラだった。
マガリが身じろぎした。
かさりと庭の奥の方から音がする。
サリヤが勢いよく振り返ると、相手は少し驚いたようだった。
「陛下……」
現れたのはウェダだった。お忍び歩きなのか一般兵士のような軍服だ。
「驚かせたか」
「いえ」
「会いに来てほしかった相手とは違ったか?」
顔が見える場所まで近づいてきたウェダは、からかうように笑った。兄らしく、というのはあの場だけの建前でもないのかもしれない。
サリヤは素直にうなずいた。
「ベールルーベ王国では王弟殿下が会いに来てくださいました」
「まあ、お前は最初から決めていると言っていたな。私にはよくわからないが……」
「何がでしょうか?」
「恋とか愛とかだ」
「それは、私にもよくわかりません」
そうなのか、とウェダは笑った。
「会いたいと思っただけですから」
「それが恋だろう」
「陛下はわからないと先ほどおっしゃいましたが?」
「そうだな」
ウェダは空を見上げた。銀髪が夜の微かな光を全て集めたようだった。
サリヤも同じようにする。
「ドバシ殿下との茶会はどうだった? トバタ公爵夫人に習った礼儀作法で悩殺したとか聞いたぞ」
「悩殺……?」
誰の言葉だ、とマガリを振り返るとさっと目をそらされた。
昼間、イキュリークイ国のドバシと茶会をした。サリヤは先日からミュキに礼儀作法を教わっており、それの初披露となった。口調もまあまあ取り繕えるようになったのだが、ドバシはイキュリークイ国語で話そうとするから、そちらはあまり意味はなかった。
イキュリークイ国の王家は、多部族国家の国外向けの窓口的な役割として代々聖地の塩湖を守っていた一族から選ばれた家だそうだ。その一代目が現国王――ドバシは二代目になる予定だ。国内事情だか、愚痴だか、悩み相談だかわからない話を大人しく聞いているのに飽きて、サリヤは塩湖や永久凍土の話を振った。それからはなかなか楽しかった。
悩殺の機会などあっただろうか。
「厳しい自然環境の話を真剣に聞いてくれたと感激していたぞ」
「いえ、あれは単に学問的におもしろかっただけで……」
サリヤは困惑を顔に浮かべて否定する。
「また会いたいとは思わなかったか?」
「はい。思いませんでした」
エスコートで手に触れられたときも緊張した。
きっとドバシの腕には飛び込めない。
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ウェダが突然そう言い、サリヤは驚いた。
「いいえ、母のことは私が原因ですから」
「お前は何一つ悪くない。最初から、何も悪いことなどしていない」
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「父はお前が王女だと知っていた。歌姫が歌を教えていたから王女だと思っていた、と言っていた」
それは驚いたけれど、あまり感慨は湧かなかった。
アンザイ三世は母に会いに来たことがあったのか、と思ったくらいだ。
サリヤは父親の存在を意識したことがなかった。
しかし、ウェダは違うのだろう。彼はアンザイ三世を父と呼んだ。
サリヤはウェダを見上げた。
「私は母を亡くしましたが、陛下――いえ、お兄様は父を亡くされたのですね」
「そうだな」
「お辛かったですね」
サリヤはそっと微笑んだ。
ウェダの驚いた顔にミクラのことを思い出す。
サリヤは空を見上げてもう一度歌った。
――会いに来て。
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「私からも、お願いいたします」
サリヤは頭を下げる。
「心配するな。許可はすでに出してある。――サリヤはそのままベールルーベ王国に嫁ぐがよい」
「はっ! ありがとう存じます」
軽快なサリヤの返事に、「淑女教育の成果……」とウェダが笑う。
「ミュキが泣くな」
「そんなことはございませんわ。お兄様は秘密にしてくださいますから」
ドレスをつまんで礼をするサリヤに、ウェダは目を細めた。
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