王国の飛行騎士

神田柊子

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第一部

マガリ到来

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「あれは?」
 王城勤務の実地訓練から基地に戻って、サリヤはマーナベーナに尋ねた。
「見慣れない飛行機がいる」
 滑走路のある広場に台車に乗った飛行機がいた。銀に輝く赤の機体だ。
「ああ、今は騎士のいない飛行機よ。地下に眠っている飛行機がまだ何機もいるの」
「何機も? すごいな」
「進化の進んだ種ほど好みが激しくて、なかなか騎士が決まらないらしいわ」
 あの飛行機はイー種の火属性特化型だとマーナベーナは説明した。
「整備のために、ときどき地上に出すのよ。今はきっと地下に戻すところね」
「あ、マルヴィナ。エドリーン!」
 特化型飛行機が乗った台車を引いているのはマルヴィナだった。
 鞍のエドリーンがこちらを見たからサリヤは手を振ったけれど、ふいっと無視された。いつも通りで安心する。
 マーナベーナやアラーイ、他の騎士たちも、メデスディスメ王国の国境侵犯事件のあとも変わらずサリヤに接してくれた。
「サリヤはもう、メデスディスメ王国出身者っていうよりベアトリクスの騎士だもんな」
 とはアラーイの言だ。
 同じ第三隊だったハックサンやナルミネがベアトリクスの修理魔法について語ったことも一因だ。
 宿舎に向けて歩きながら、マーナベーナはサリヤに尋ねた。
「王城勤務はどうだった? 通信は飛行機がやってくれるから、騎士はあんまりやることないのよ」
「確かに。むしろ、ベアトリクスの相手をする方が大変だった」
 東西南北の国境基地と騎士団基地に、異常がないか定期的に通信するのが主な業務だ。あとは基地の管轄内に入った飛行機の名前を確認すること。これは飛行機同士の挨拶のようなもので、普段から行なっているから業務とも言えない。つまり、何か起こらない限りは暇なのだ。
 ベアトリクスは最初は王城基地の設備に目を向けていたがすぐに飽きて、飛ばないのか、それなら話をしよう、歌ってくれ、とサリヤを離さなかった。
 ベアトリクスがサリヤを気に入っているのも、サリヤが騎士団に受け入れられている理由だ。飛行機が自分の騎士と認めている人間は信頼に値すると皆わかっている。
「小さい妹みたいよね」
 マーナベーナも思い出したのか、ふふっと笑う。
 それから宿舎に目を向けて、「あら?」と首を傾げた。
「お客さんかしら。本部棟と間違えているのね」
 宿舎の出入り口の前に人がいた。体格の良い男は旅装で、騎士や基地の職員には見えない。基地への客は本部棟に向かうが、目印があるわけでもなく、間違える者がいてもおかしくはない。
 しかし、男の姿にサリヤには見覚えがあった。
「マガリ……、なぜ……」
 サリヤたちに気づいたマガリが振り返る。
 マガリはサリヤを認めて、目を見開いた。サリヤは慌てて彼に駆け寄る。
「でんっ」
「マガリ!」
 大声で殿下などと呼ばれては困る。サリヤは彼の顔の前に手を出して黙らせる。
「知り合い?」
「ああ、実家の……」
 マーナベーナに聞かれてサリヤは口ごもる。
「少し話をしてくるから、マーナベーナは先に食堂に行ってくれ」
「それはいいけど、大丈夫なの? 信用できる人?」
「ああ、それは問題ない」
 サリヤはマーナベーナにうなずき、マガリを促す。彼はマーナベーナに軽く一礼して、黙ってサリヤについてきた。
 宿舎から離れて、敷地の端まで歩く。目立たないように木の陰に入り、サリヤは足を止めた。
 振り返ると、マガリは片膝をついた。
「マガリ、立ってくれ。人が来たときにごまかせない」
「いいえ、殿下」
「……命令だ。立て」
 ようやく立ち上がったマガリにサリヤは内心ため息をつく。そういえば、同じくウェダから派遣されてきた侍女のヒルカはマガリのことを「堅物騎士」と呼んでいた。
「本当にカッラ殿下なのですか?」
「ああ」
「殿下! よくぞご無事で!」
 マガリの声は震えている。
「離宮の火事以来だな。……あのときは、刺客に応戦してくれてありがとう」
「いいえ! 申し訳もございません! タールラル妃は……」
「知っている。亡くなったと聞いた。私を庇ったのが原因だろう?」
「殿下もお守りできずに……、私は……」
 俯いたマガリにサリヤは、
「結果的にはこうして生きている。勝手に逃げた私も軽率だった。あまり気に病まないでくれ」
 心配をかけてすまなかった、と謝ると、マガリは顔を上げてサリヤを見た。
「殿下、髪が! それにお痩せになりましたか? 以前はもっと……」
 マガリの言葉は途切れた。彼の視線はサリヤの胸元に向けられている。
 布で押しつぶすのをやめて女性用の下着を身につけるようになったからか、隠さなくてよくなった安心感からか、サリヤの胸は少し大きくなった。
「離宮では胸をつぶしていたからな。それに、綿を詰めた下着をつけて、肩や腹の薄さをごまかしていたんだ」
「ええっ、女?」
「そこからか? やはり、あなたは気づいていなかったのだな……」
「本当に……? 本当にカッラ殿下なのですか?」
「そうだが。顔は変わっていないだろう?」
 サリヤは憮然として腕を組む。
 マガリは一体何をしに来たんだ?
「そうか、それで本当の名前……、ヒルカもウェダ殿下も……」
 マガリの独り言をサリヤは聞き咎める。
「ウェダ殿下? もしかして、あなたはウェダ陛下が即位されたのを知らないのか?」
「え!」
 マガリは、バネ仕掛けの人形のように勢いよくサリヤに詰め寄った。
 それを躱したのはサリヤ自身ではなく、彼女を抱き上げた腕だった。
「うわ! 団長、なぜここに」
「マーナベーナから聞いて探した」
 ミクラはサリヤを抱えたまま、マガリに対峙した。
「お前は誰だ?」
 マガリも剣の柄に手をかける。
「殿下を離せ」
 睨み合う二人にサリヤは、
「マガリ、控えろ。こちらはベールルーベ王国の王弟であられるミクラ公爵閣下だ」
「っ! 存じ上げず、失礼いたしました」
 マガリはすぐに片膝をつく。
「団長は今すぐ私を降ろしてください」
「サリヤ、それはできない相談だ」
 真顔で返されてサリヤは対応に困る。とりあえず話を進めることにした。
「彼は離宮で私の護衛を務めていたマガリ卿です」
「護衛? 今さら何の用だ?」
 後半はマガリに向けられた。ミクラの視線はいつになく厳しい。
「マガリ、あなたは何のためにベールルーベ王国に来たんだ?」
 サリヤも知りたいことだった。
 マガリは顔を上げ、恐る恐るという風情で口を開いた。
「殿下、先ほど閣下が呼ばれたお名前は殿下のお名前でしょうか?」
「ああ、そうだが」
 祖国にいたころは母しか呼ばなかった名前だ。それが今では逆転している。
 しかし。
「それがなんだ?」
 マガリはサリヤの質問に一つも答えていない。
 彼はなぜかがっくりと肩を落とした。
「本当の名前は殿下から教えていただきたかったのに……」
 マガリのつぶやきが聞き取れなかったサリヤは、彼の様子に首を傾げたのだ。

『ミクラ、ローズマリーから伝言です』
「おう」
 カーティスの声が聞こえ、ミクラは答える。腕の中のサリヤがミクラを振り返り怪訝な顔をしたから、カーティスは自分にだけ声を届けているとわかる。
 ローズマリーは現在、絆の騎士コーワとともに北の国境基地の勤務だ。
 また北か、とミクラは眉間の皺を深くする。
『コーワからミクラへ。――メデスディスメ王国の飛行機から北基地のコンソールに通信。新王の親書を届けたい。返事を待つとのこと』
 ルッボーと話をしたのは今朝だ。メデスディスメ王国から接触があるとしても新政府が落ち着いてから――ひと月以上は先だと思っていた。
 サリヤと関係ない内容の可能性もあるが、ここに護衛が来ている以上、懸念は消えない。
「カーティス、コーワに伝言だ。――承知した。対応を検討して連絡する。もし先方と通信が続いているなら、明日返答すると伝えてくれ。――以上だ」
『承知しました』
 サリヤの心配そうな瞳がミクラを見る。
「何かあったのですか?」
「ああ」
 うなずき、ミクラは思案する。
 まずはこの護衛から話を聞くのが先だろう。
「カーティス、ルッボーを団長室に呼べるか?」
『はい。サイラスで飛行中です』
「今朝の懸念が現実になった、と」
『承知しました』
 こちらを待つサリヤを安心させるように笑ってから、彼女を地面に降ろした。
 そして、ミクラは膝をついたままの護衛に向き直った。
「マガリと言ったか?」
「は」
「話を聞かせてもらおう。ついてこい」
「は」
「サリヤもだ」
「はい」
 硬い表情の彼女の頭を「大丈夫だ」と撫でて、ミクラは身をひるがえす。
 団長室までのわずかな道のり、サリヤがマガリと並んで自分の後ろを歩いているのが気になって仕方ない。
 苛立ちが顔に出ていたのか、途中で行き会ったルッボーはミクラの顔を見て実に楽しそうな笑顔を浮かべたのだった。
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