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第一部
夜の空の下で
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サリヤはベアトリクスの鞍に膝を抱えて座っていた。飛ぶつもりはないから、ガラスの覆いは開けっ放しだ。
――メデスディスメ王国の飛行機と交戦した日の夜。
眠れそうにないサリヤは宿舎の部屋を抜け出してベアトリクスに会いに来た。
『修理の魔法はエフ種に初めて搭載されたのよ。今まで四属性だったのが、エフ種では五属性になったってこと』
サリヤの気を紛らわせるつもりか、単に話したいのか、生返事のサリヤに構わずベアトリクスは続ける。
『最高位の私たちを作って、あとは下位に展開ってなったところで、ね? 旧文明は滅びちゃったのよ』
なぜ旧文明が滅びたのかは、わかっていなかった。古文書や遺跡にも残っていない。飛行機もこれについては語らない。研究者の間では飛行機が元凶説もある。
それよりもサリヤは気になったことがあり、しばらくぶりに口を開いた。
「私たち? あなたの他にもエフ種がいたのか?」
『ええ。私が知っているのはもう一機だけだけれど』
「へー。会ってみたいな」
どこかの国で活躍しているのだろうか。
音を立てて厩舎の扉が開いた。人の出入り口だ。
身を乗り出して見下ろすと、ミクラだった。
『またカーティスなの?』
口を尖らせるベアトリクスに、カーティスは『違います』と否定した。
「サリヤはきっとベアトリクスに会いたくなるんじゃないかって思ったんだが、当たったな」
ミクラの言に、ベアトリクスが照れたように『わかっているじゃない』と笑う。
「大丈夫か?」
ミクラはサリヤを見上げた。
「はい」
そう答えたのにミクラは眉間に皺を寄せた。
「すまない」
謝られて首を傾げる。
「降りてこないか? 受け止めさせてほしい」
両腕を広げて待ち構えるミクラに、サリヤは首を振る。
「ずっと言いたかったんですが、そんなに気を使わないでください。……私を悲劇の王女にしないでくれ」
サリヤは抱えた膝に顔を伏せた。
すると、ぐっとベアトリクスが傾いた。
『ちょっと! 勝手に何するのよ!』
何ごとかと顔を上げると、翼の上にミクラが乗っていた。
彼は機体に背を預ける形で翼に座った。ちょうどサリヤの目線の高さに彼の横顔がある。
「大丈夫かと聞くのは反則だったな。君が大丈夫じゃないと答えるわけがない」
低い声が優しく、サリヤは「怖かった」と本音をこぼした。
誰かを攻撃するのも、祖国と敵対するのも、この国の誰かが傷つくのも。自分が攻撃されるのも。
撃ち落してしまった飛行機、折れた翼。ベアトリクスにそうさせたのは自分だ。騎士は本当に無事だったのだろうか。
何もかもが怖かった。
あの戦いに参加した皆がサリヤと同じように感じたなら、原因のメデスディスメ王国出身のサリヤをどう思うだろう。
今はそれが一番怖い。
エドリーンがサリヤを無視するのはいつも通りだけれど、今日は違う思いを抱いているかも。夕食を一緒にとったときのマーナベーナやアラーイの様子は? サリヤを睨んでくるような者はいなかったか?
考え出すと止まらない。
再び顔を伏せたサリヤに、ミクラは「聞いてくれるか?」と声をかけた。
「俺の話だ」
悲劇の王女にしないでと言われたのは、ミクラにも堪えた。
そんなつもりはなかった。気を配っていたのは、新人だから、隣国の王族だから、彼女が訳ありだから。理由はいくつでも思い浮かぶ。
これまでの境遇はかわいそうだと思った。
ベアトリクスへの向き合い方は好感が持てるし、王族としての心構えも申し分ない気持ちのいい人柄だと思う。
しかし何よりも、自分の親友と同じように、彼女が敵国とも言える他国の飛行騎士になったことが、ミクラの琴線に触れたのかもしれなかった。
彼女を見守ることで、撃ち落とした親友への罪滅ぼしをしようとしていないだろうか。
「マーナベーナからどこまで聞いた? 他国の飛行騎士になったやつの話だ」
「そういう人がいた。悲しい結果になった、と。団長の親友でマーナベーナの婚約者だった。撃ち落としたのは団長だった。そして今は行方不明。……以上です」
簡潔にまとめられた全てだ。
ミクラは思い出をなぞるように、詳細を語る。
「俺が彼――ハヤシと出会ったのは士官学校だった」
ベアトリクスが来るまで飛行騎士団で最も上位だったカーティスは、ずっと団長の絆の飛行機として活躍していた。飛行機の位で決まるものではなかったが、彼より相応しい飛行機もなかった。都合の良いことに、彼は王家の血筋と親和性が高かったため、代々の飛行騎士団長は王族かそれに近い者が務めることが多かった。ミクラの先代団長は大叔父にあたる。ミクラは子どものころにカーティスに会い、次代を約束されていた。騎士団長になるべく士官学校に入学したのだ。
ハヤシは男爵家の次男。家を継げない男子が軍に職を得ようとするのは定番だ。
彼は飄々とした掴みどころのない男で、当時は第二王子の立場だったミクラを皆が特別視する中、率先して普通に扱ってくれた。彼の遠慮ない言動にミクラが気さくに返したことで、他の級友にもミクラの気質が伝わったのだと思う。今でも感謝している。
「ハヤシは卒業後、諜報部に所属した」
暇があれば飛行騎士団に遊びに来ていたハヤシが、男爵家令嬢から飛行騎士になったマーナベーナと出会ったのはそのころだ。ミクラの知らないうちに二人は仲良くなり、いつのまにか婚約していた。
「六年前、ハヤシは任務でメデスディスメ王国に潜入した。フスチャットスフ領に遺跡があるのを知っているか?」
「はい」
しっかりした声の答えに、振り向くと目が合う。濃茶の瞳は少し潤んでいた。
「偶然、飛行機に触れて、騎士に選ばれてしまったらしい。周りには人がたくさんいて、メデスディスメ王国の平民を名乗っていた彼は怪しまれないためにそのまま絆を受け入れることにした」
機を見て逃げ出すつもりだったのに、タイミング悪く、飛行騎士団に出動命令が出た。
「それは……」
「そうだ。ベールルーベ王国に、だ」
ミクラはハヤシがそんなことになっているとは知らなかった。諜報部は今も昔も秘密主義だ。
今回のように国境を越えてきた敵機を押し戻し、その際に一機を撃ち落とした。
「それがハヤシの乗った飛行機だった」
飛行機は尾の辺りを損傷して、森に不時着した。国境を超えてすぐのメデスディスメ王国ガタエルタッカ領だ。飛行機はメデスディスメ王国の騎士団に回収されたが、乗っていたはずのハヤシはいなかった。あちらでは彼は死亡の扱いになっているらしい。全てあとから諜報部経由で知ったことだ。
自力で逃げ出したのか? それならなぜ戻らない? 動けないような怪我をした? まさか生きていないのでは?
「諜報部も彼を探したし、俺も何度かメデスディスメ王国に密かに行ってみた」
全く手がかりがないまま、六年が経った。
「今ではもう諦めている」
ミクラはそう言葉を絞り出した。
「それは辛かったですね」
サリヤの静かな声にミクラは弾かれたように振り向く。驚いたのかサリヤは、身をのけぞらせた。
「いえ。すみません。私なら辛いだろうと勝手に」
「仕方ない、飛行騎士団なら当然だ、と皆から言われたが……」
共感されたのは初めてだった。
「団長も辛かったですか? 怖かったですか? 私みたいに」
「ああ……」
ミクラは、サリヤにハヤシを重ねている自分を説明するため、この話を始めた。しかしサリヤは、ミクラの体験談はサリヤの今の気持ちに寄り添うためだと受け取ったらしい。
そんなサリヤの思いは、同じようにミクラに返ってきた。彼女の共感がミクラの気持ちに寄り添う。
「そうだ。俺も辛かった。ひたすら苦しかった」
あのとき撃ち落としたのは仕方ないことだったか。当然だったのか。
「今日、撃ち落とすなと指示を出してくださいましたね」
そう言ったサリヤは淡く微笑んでいた。
「ありがとうごさいました」
ミクラは息を飲む。
「ベアトリクスも修理魔法をありがとう」
『サリヤのお願いなら当たり前でしょ!』
「カーティス。あなたも、メデスディスメ王国の騎士団の安否まで教えてくれてありがとう」
『ミクラも気にしていましたから』
そんなやり取りをするサリヤを、ミクラは鞍から抱き上げた。
「うわっ!」
かわいらしいとはお世辞にも言えない悲鳴に笑い、ミクラは彼女を自分の足の間に座らせ、腕の中に閉じ込める。
「な、何をっ? 離してくれ」
「嫌だ」
「は? 嫌とは何だ!」
「すまない。少しこのままで」
辛かった俺を慰めてくれ、と俯いて、サリヤの頭に額を乗せる。彼女は押し黙ったあと、「仕方ないとは、こんなときに言うのでは?」と力を抜いた。
先ほどサリヤが感謝を告げたとき、ミクラの六年が報われたような気がした。
ハヤシにもマーナベーナにも許されないのはわかっている。罪もなくならない。辛さも苦しさも変わらない。
しかし、それらを胸にこれまで進んできたのは、そしてこれから先も進んでいくのは、この道で間違っていないのだと認めてもらえた。
そんな一言だった。
ふいに伸びやかな声が穏やかな旋律を紡ぎ出す。サリヤが歌っているのは、以前に聞いたのとは別の歌だ。
静かに聞き入るミクラと、歌に合わせて体をゆっくりと揺らすベアトリクス。
『綺麗な歌ね』
「母が昔歌ってくれた子守唄だ」
仲の良い少女たちが内緒話をするように、飛行機とその騎士は密やかに交わす。
ミクラはそれを壊さないように静かに見守っていた。
ミクラの中で、もはやサリヤはハヤシの投影ではなくなっていた。
:::::::
大柄な男と小柄な少女が連れ立って厩舎を出てきた。
少女に先導を任せ、男は少し後ろを守るように歩く。
二人が宿舎の中に消えるのを、息を殺して見つめていた男が一人。
「あの翌朝、飛行機が飛んだからまさかとは思ったけど、よりによってここかよ。ああー、最悪」
黒衣の男は頭を抱える。
「ほんと、めんどくせぇなぁ」
――メデスディスメ王国の飛行機と交戦した日の夜。
眠れそうにないサリヤは宿舎の部屋を抜け出してベアトリクスに会いに来た。
『修理の魔法はエフ種に初めて搭載されたのよ。今まで四属性だったのが、エフ種では五属性になったってこと』
サリヤの気を紛らわせるつもりか、単に話したいのか、生返事のサリヤに構わずベアトリクスは続ける。
『最高位の私たちを作って、あとは下位に展開ってなったところで、ね? 旧文明は滅びちゃったのよ』
なぜ旧文明が滅びたのかは、わかっていなかった。古文書や遺跡にも残っていない。飛行機もこれについては語らない。研究者の間では飛行機が元凶説もある。
それよりもサリヤは気になったことがあり、しばらくぶりに口を開いた。
「私たち? あなたの他にもエフ種がいたのか?」
『ええ。私が知っているのはもう一機だけだけれど』
「へー。会ってみたいな」
どこかの国で活躍しているのだろうか。
音を立てて厩舎の扉が開いた。人の出入り口だ。
身を乗り出して見下ろすと、ミクラだった。
『またカーティスなの?』
口を尖らせるベアトリクスに、カーティスは『違います』と否定した。
「サリヤはきっとベアトリクスに会いたくなるんじゃないかって思ったんだが、当たったな」
ミクラの言に、ベアトリクスが照れたように『わかっているじゃない』と笑う。
「大丈夫か?」
ミクラはサリヤを見上げた。
「はい」
そう答えたのにミクラは眉間に皺を寄せた。
「すまない」
謝られて首を傾げる。
「降りてこないか? 受け止めさせてほしい」
両腕を広げて待ち構えるミクラに、サリヤは首を振る。
「ずっと言いたかったんですが、そんなに気を使わないでください。……私を悲劇の王女にしないでくれ」
サリヤは抱えた膝に顔を伏せた。
すると、ぐっとベアトリクスが傾いた。
『ちょっと! 勝手に何するのよ!』
何ごとかと顔を上げると、翼の上にミクラが乗っていた。
彼は機体に背を預ける形で翼に座った。ちょうどサリヤの目線の高さに彼の横顔がある。
「大丈夫かと聞くのは反則だったな。君が大丈夫じゃないと答えるわけがない」
低い声が優しく、サリヤは「怖かった」と本音をこぼした。
誰かを攻撃するのも、祖国と敵対するのも、この国の誰かが傷つくのも。自分が攻撃されるのも。
撃ち落してしまった飛行機、折れた翼。ベアトリクスにそうさせたのは自分だ。騎士は本当に無事だったのだろうか。
何もかもが怖かった。
あの戦いに参加した皆がサリヤと同じように感じたなら、原因のメデスディスメ王国出身のサリヤをどう思うだろう。
今はそれが一番怖い。
エドリーンがサリヤを無視するのはいつも通りだけれど、今日は違う思いを抱いているかも。夕食を一緒にとったときのマーナベーナやアラーイの様子は? サリヤを睨んでくるような者はいなかったか?
考え出すと止まらない。
再び顔を伏せたサリヤに、ミクラは「聞いてくれるか?」と声をかけた。
「俺の話だ」
悲劇の王女にしないでと言われたのは、ミクラにも堪えた。
そんなつもりはなかった。気を配っていたのは、新人だから、隣国の王族だから、彼女が訳ありだから。理由はいくつでも思い浮かぶ。
これまでの境遇はかわいそうだと思った。
ベアトリクスへの向き合い方は好感が持てるし、王族としての心構えも申し分ない気持ちのいい人柄だと思う。
しかし何よりも、自分の親友と同じように、彼女が敵国とも言える他国の飛行騎士になったことが、ミクラの琴線に触れたのかもしれなかった。
彼女を見守ることで、撃ち落とした親友への罪滅ぼしをしようとしていないだろうか。
「マーナベーナからどこまで聞いた? 他国の飛行騎士になったやつの話だ」
「そういう人がいた。悲しい結果になった、と。団長の親友でマーナベーナの婚約者だった。撃ち落としたのは団長だった。そして今は行方不明。……以上です」
簡潔にまとめられた全てだ。
ミクラは思い出をなぞるように、詳細を語る。
「俺が彼――ハヤシと出会ったのは士官学校だった」
ベアトリクスが来るまで飛行騎士団で最も上位だったカーティスは、ずっと団長の絆の飛行機として活躍していた。飛行機の位で決まるものではなかったが、彼より相応しい飛行機もなかった。都合の良いことに、彼は王家の血筋と親和性が高かったため、代々の飛行騎士団長は王族かそれに近い者が務めることが多かった。ミクラの先代団長は大叔父にあたる。ミクラは子どものころにカーティスに会い、次代を約束されていた。騎士団長になるべく士官学校に入学したのだ。
ハヤシは男爵家の次男。家を継げない男子が軍に職を得ようとするのは定番だ。
彼は飄々とした掴みどころのない男で、当時は第二王子の立場だったミクラを皆が特別視する中、率先して普通に扱ってくれた。彼の遠慮ない言動にミクラが気さくに返したことで、他の級友にもミクラの気質が伝わったのだと思う。今でも感謝している。
「ハヤシは卒業後、諜報部に所属した」
暇があれば飛行騎士団に遊びに来ていたハヤシが、男爵家令嬢から飛行騎士になったマーナベーナと出会ったのはそのころだ。ミクラの知らないうちに二人は仲良くなり、いつのまにか婚約していた。
「六年前、ハヤシは任務でメデスディスメ王国に潜入した。フスチャットスフ領に遺跡があるのを知っているか?」
「はい」
しっかりした声の答えに、振り向くと目が合う。濃茶の瞳は少し潤んでいた。
「偶然、飛行機に触れて、騎士に選ばれてしまったらしい。周りには人がたくさんいて、メデスディスメ王国の平民を名乗っていた彼は怪しまれないためにそのまま絆を受け入れることにした」
機を見て逃げ出すつもりだったのに、タイミング悪く、飛行騎士団に出動命令が出た。
「それは……」
「そうだ。ベールルーベ王国に、だ」
ミクラはハヤシがそんなことになっているとは知らなかった。諜報部は今も昔も秘密主義だ。
今回のように国境を越えてきた敵機を押し戻し、その際に一機を撃ち落とした。
「それがハヤシの乗った飛行機だった」
飛行機は尾の辺りを損傷して、森に不時着した。国境を超えてすぐのメデスディスメ王国ガタエルタッカ領だ。飛行機はメデスディスメ王国の騎士団に回収されたが、乗っていたはずのハヤシはいなかった。あちらでは彼は死亡の扱いになっているらしい。全てあとから諜報部経由で知ったことだ。
自力で逃げ出したのか? それならなぜ戻らない? 動けないような怪我をした? まさか生きていないのでは?
「諜報部も彼を探したし、俺も何度かメデスディスメ王国に密かに行ってみた」
全く手がかりがないまま、六年が経った。
「今ではもう諦めている」
ミクラはそう言葉を絞り出した。
「それは辛かったですね」
サリヤの静かな声にミクラは弾かれたように振り向く。驚いたのかサリヤは、身をのけぞらせた。
「いえ。すみません。私なら辛いだろうと勝手に」
「仕方ない、飛行騎士団なら当然だ、と皆から言われたが……」
共感されたのは初めてだった。
「団長も辛かったですか? 怖かったですか? 私みたいに」
「ああ……」
ミクラは、サリヤにハヤシを重ねている自分を説明するため、この話を始めた。しかしサリヤは、ミクラの体験談はサリヤの今の気持ちに寄り添うためだと受け取ったらしい。
そんなサリヤの思いは、同じようにミクラに返ってきた。彼女の共感がミクラの気持ちに寄り添う。
「そうだ。俺も辛かった。ひたすら苦しかった」
あのとき撃ち落としたのは仕方ないことだったか。当然だったのか。
「今日、撃ち落とすなと指示を出してくださいましたね」
そう言ったサリヤは淡く微笑んでいた。
「ありがとうごさいました」
ミクラは息を飲む。
「ベアトリクスも修理魔法をありがとう」
『サリヤのお願いなら当たり前でしょ!』
「カーティス。あなたも、メデスディスメ王国の騎士団の安否まで教えてくれてありがとう」
『ミクラも気にしていましたから』
そんなやり取りをするサリヤを、ミクラは鞍から抱き上げた。
「うわっ!」
かわいらしいとはお世辞にも言えない悲鳴に笑い、ミクラは彼女を自分の足の間に座らせ、腕の中に閉じ込める。
「な、何をっ? 離してくれ」
「嫌だ」
「は? 嫌とは何だ!」
「すまない。少しこのままで」
辛かった俺を慰めてくれ、と俯いて、サリヤの頭に額を乗せる。彼女は押し黙ったあと、「仕方ないとは、こんなときに言うのでは?」と力を抜いた。
先ほどサリヤが感謝を告げたとき、ミクラの六年が報われたような気がした。
ハヤシにもマーナベーナにも許されないのはわかっている。罪もなくならない。辛さも苦しさも変わらない。
しかし、それらを胸にこれまで進んできたのは、そしてこれから先も進んでいくのは、この道で間違っていないのだと認めてもらえた。
そんな一言だった。
ふいに伸びやかな声が穏やかな旋律を紡ぎ出す。サリヤが歌っているのは、以前に聞いたのとは別の歌だ。
静かに聞き入るミクラと、歌に合わせて体をゆっくりと揺らすベアトリクス。
『綺麗な歌ね』
「母が昔歌ってくれた子守唄だ」
仲の良い少女たちが内緒話をするように、飛行機とその騎士は密やかに交わす。
ミクラはそれを壊さないように静かに見守っていた。
ミクラの中で、もはやサリヤはハヤシの投影ではなくなっていた。
:::::::
大柄な男と小柄な少女が連れ立って厩舎を出てきた。
少女に先導を任せ、男は少し後ろを守るように歩く。
二人が宿舎の中に消えるのを、息を殺して見つめていた男が一人。
「あの翌朝、飛行機が飛んだからまさかとは思ったけど、よりによってここかよ。ああー、最悪」
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