王国の飛行騎士

神田柊子

文字の大きさ
上 下
12 / 69
第一部

三年前、第三王子ウェダと第七王子カッラ

しおりを挟む
 ――三年前。メデスディスメ王国、王宮。

「俺が鍛えてやる」
 廊下を曲がった先から、聞きたくもない声が聞こえて、ウェダは道を変えようとした。しかし、マスモットに答える声があり、ウェダは足を止めた。
 静かに、けれどもきっぱりとマスモットを押しのける、まだ幼いといえる域の声。
「誰だかわかるか?」
 横のイーノヴェに尋ねると、彼は少し考えてから「第七王子カッラでは?」と返した。
 カッラは第四側妃タールラルの産んだ最年少の王子だ。タールラルによく似た黒髪と濃茶の目が思い浮かぶが、直接話したことがあったかどうか。
 そうこうしている間も向こうの話は続いている。
「いいえ。私は成人しましたらすぐに臣下に下るつもりでおります。武芸には向いておりませんので、文官を目指しております」
 イーノヴェに目を向けると彼はうなずいた。
「イキュリークイ国の使節団にかの国の言葉で話したとか。聖堂の神官がカッラ王子は歴史の造形が深いと話していましたね。聡明な王子だと若手の文官たちからも聞きます。……もう少し腹芸と社交を磨いたら、外交官にでもいいんじゃないでしょうかね」
「へぇ……」
 イーノヴェがここまでほめるなどあまりない。ウェダはそれだけで感心した。
「後見は?」
「ベップ侯爵ですね」
「ああ、彼か」
 今代のベップ侯爵は宮廷に役職がない。父王は人を見る目は確かだ。彼が取り立てないならベップ侯爵は無能だとわかる。それでいてつぶさずに側妃の後見を許したのは、害にもならないからだろう。
「では、私が密かに後見しよう」
 ウェダがうなずくなり、イーノヴェは足音を立てて、廊下に出て行った。
 彼はウェダと協力関係にあるが、表立っては同母兄マスモットに友好的に振る舞っている。
 イーノヴェがマスモットを追い払ったあとに、ウェダは出て行った。護衛騎士のマガリに目くばせして、辺りに注意を払わせる。
「カッラ」
 声をかけたウェダに振り返ったカッラは大きな目を見開いて驚いていた。
 カッラの母タールラルが王宮に来たとき、彼女は十五歳の少女だった。彼女の祖国を滅ぼした戦勝の式典で、王は彼女に歌を披露させた。一心に玉座を睨みつけながら恋の歌を歌ったタールラルの印象は、ウェダに強く残っている。あのときウェダは十一歳だった。
 マスモットに抗っていたカッラの様子は、確かに彼女の子どもだと思わせた。
 カッラに教師を派遣することを約束して、話を終える。途中、カッラがふらついたところを支えた際に違和感を覚えたウェダは、カッラの後ろ姿を見つめた。
「どうかしましたか?」
「いや……」
 ウェダは首を傾げながら、イーノヴェを抱きしめる。
「殿下っ?」
 ウェダの突然の奇行に慌てたイーノヴェに、
「子どもだと差し引いても、違うな……。本当に王子か?」
 カッラの声は、昔聞いたタールラルの声によく似ていた。変声期前だからわからないでもないが……。
 イーノヴェははっと顔を強張らせる。
「急ぎ調べます」
「ああ。待て、ベップ侯爵の周辺だけで良い。他に勘ぐられると面倒だ。……そうだな、フスチャットスフ領の離宮に移そう」
 ウェダは少し離れたところにいたマガリを呼ぶ。
「お前はしばらくカッラの護衛につけ」
「は? カッラ殿下ですか?」
 唐突な命令にマガリは怪訝な顔をした。イーノヴェとの密談は聞こえていなかったのだろう。
「しかし、あなたの護衛は」
「いくらでもいるし、ある程度は自分で守れる」
 カッラには信頼できる者をつける必要がある。マガリはウェダの乳兄弟だ。付き合いの長さと信頼度ならイーノヴェに勝る。
 ウェダの気持ちが変わらないとわかったのか、マガリは口を閉じた。不満げな顔は隠さなかったが。
「王太子が決まるまでの間だ」
 少し思いついて、ウェダは付け加える。
「もし本当の名前を教えてもらえたら、一度帰ってきてもいいぞ」
「は? 本当の名前?」
「間違ってもこちらから尋ねたりしないように」

 ウェダはその足で王の元へ出向いた。
「ウェダ殿下」
「ああ、宰相。今日のご機嫌は?」
 執務室の前ですれ違った宰相にそう尋ねると、珍しく笑顔が返ってきた。
 どうやら機嫌は悪くないらしい。
 近年のアンザイ三世の暴挙は、加齢が原因ではないかとウェダは疑っていた。さっさと後継を決めて引退してしまえばいいのにと思う。
 侍従を取次に立て、執務室に入る。
「ウェダ、どうした?」
 確かに機嫌が良いらしく、アンザイ三世は大きな執務机を前にウェダに対してにやりと笑った。
「第四側妃の体調が悪いようで、子どもともども離宮に静養に出そうと思います」
「第四側妃?」
「タールラル妃です」
「ああ、歌姫か。王女は何歳になったか」
 アンザイ三世は何の裏もない口調でそう聞いた。
 ウェダは慎重に、
「タールラル妃の子どものカッラ王子は十三になりましたが」
「王子だったのか。知らなんだな」
 アンザイ三世は瞬きをしてウェダを見た。何か空恐ろしいものが背筋を駆け抜けた。タールラル妃かベップ侯爵か、共謀かわからないが、子どもの性別を偽った者は必死だっただろうに。
「歌姫が子どもに歌を教えていただろう? だから王女だと思っておった」
 王は言い訳のようにそう言った。こういう愛嬌のある様子が、戦場の姿と落差があり、覇王の魅力の一端だった。
 しかし、今はそんな人物評をしている気分ではなかった。
 ウェダは今度こそ目を瞠る。
 彼は忘れられた妃の元に訪れていたのか。それも彼らの前に姿を現さずにいたような口ぶりだ。
「陛下は、タールラル妃の子どもが王子でも王女でもお気にされない、と?」
「そうだな。どうでもよい」
 アンザイ三世はにやりと笑った。
「静養先はどこの離宮だ?」
「フスチャットスフ領の予定です」
「いいだろう。歌姫に良い医師をつけてやれ」
 さらさらと書きつけると、王はウェダに命令書を差し出した。
 日に焼けた大きな手には深い皺が刻まれている。この手にぐしゃぐしゃと頭を撫でられるのを好ましく感じていた時期が自分にはあったのだ。軍装をつけた大きな馬の前に抱えて乗せられたときの誇らしさ。剣の手合わせをしてもらい、覇王の剣に打ち込むときの高揚感。
 近年の暴君ぶりに落胆しているのは何も将軍や宰相だけではなかった。
 ――これ以上の醜態をさらす前に引退してくれたらいいのに。
 ウェダは表情を消して命令書を受け取った。
「王子か王女か、次に会うときが楽しみだ」
 父はそう言って呵呵と笑っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

幸せな人生を目指して

える
ファンタジー
不慮の事故にあいその生涯を終え異世界に転生したエルシア。 十八歳という若さで死んでしまった前世を持つ彼女は今度こそ幸せな人生を送ろうと努力する。 精霊や魔法ありの異世界ファンタジー。

【完結】五度の人生を不幸な出来事で幕を閉じた転生少女は、六度目の転生で幸せを掴みたい!

アノマロカリス
ファンタジー
「ノワール・エルティナス! 貴様とは婚約破棄だ!」 ノワール・エルティナス伯爵令嬢は、アクード・ベリヤル第三王子に婚約破棄を言い渡される。 理由を聞いたら、真実の相手は私では無く妹のメルティだという。 すると、アクードの背後からメルティが現れて、アクードに肩を抱かれてメルティが不敵な笑みを浮かべた。 「お姉様ったら可哀想! まぁ、お姉様より私の方が王子に相応しいという事よ!」 ノワールは、アクードの婚約者に相応しくする為に、様々な事を犠牲にして尽くしたというのに、こんな形で裏切られるとは思っていなくて、ショックで立ち崩れていた。 その時、頭の中にビジョンが浮かんできた。 最初の人生では、日本という国で淵東 黒樹(えんどう くろき)という女子高生で、ゲームやアニメ、ファンタジー小説好きなオタクだったが、学校の帰り道にトラックに刎ねられて死んだ人生。 2度目の人生は、異世界に転生して日本の知識を駆使して…魔女となって魔法や薬学を発展させたが、最後は魔女狩りによって命を落とした。 3度目の人生は、王国に使える女騎士だった。 幾度も国を救い、活躍をして行ったが…最後は王族によって魔物侵攻の盾に使われて死亡した。 4度目の人生は、聖女として国を守る為に活動したが… 魔王の供物として生贄にされて命を落とした。 5度目の人生は、城で王族に使えるメイドだった。 炊事・洗濯などを完璧にこなして様々な能力を駆使して、更には貴族の妻に抜擢されそうになったのだが…同期のメイドの嫉妬により捏造の罪をなすりつけられて処刑された。 そして6度目の現在、全ての前世での記憶が甦り… 「そうですか、では婚約破棄を快く受け入れます!」 そう言って、ノワールは城から出て行った。 5度による浮いた話もなく死んでしまった人生… 6度目には絶対に幸せになってみせる! そう誓って、家に帰ったのだが…? 一応恋愛として話を完結する予定ですが… 作品の内容が、思いっ切りファンタジー路線に行ってしまったので、ジャンルを恋愛からファンタジーに変更します。 今回はHOTランキングは最高9位でした。 皆様、有り難う御座います!

婚約破棄され逃げ出した転生令嬢は、最強の安住の地を夢見る

拓海のり
ファンタジー
 階段から落ちて死んだ私は、神様に【救急箱】を貰って異世界に転生したけれど、前世の記憶を思い出したのが婚約破棄の現場で、私が断罪される方だった。  頼みのギフト【救急箱】から出て来るのは、使うのを躊躇うような怖い物が沢山。出会う人々はみんな訳ありで兵士に追われているし、こんな世界で私は生きて行けるのだろうか。  破滅型の転生令嬢、腹黒陰謀型の年下少年、腕の立つ元冒険者の護衛騎士、ほんわり癒し系聖女、魔獣使いの半魔、暗部一族の騎士。転生令嬢と訳ありな皆さん。  ゆるゆる異世界ファンタジー、ご都合主義満載です。  タイトル色々いじっています。他サイトにも投稿しています。 完結しました。ありがとうございました。

【完結】初級魔法しか使えない低ランク冒険者の少年は、今日も依頼を達成して家に帰る。

アノマロカリス
ファンタジー
少年テッドには、両親がいない。 両親は低ランク冒険者で、依頼の途中で魔物に殺されたのだ。 両親の少ない保険でやり繰りしていたが、もう金が尽きかけようとしていた。 テッドには、妹が3人いる。 両親から「妹達を頼む!」…と出掛ける前からいつも約束していた。 このままでは家族が離れ離れになると思ったテッドは、冒険者になって金を稼ぐ道を選んだ。 そんな少年テッドだが、パーティーには加入せずにソロ活動していた。 その理由は、パーティーに参加するとその日に家に帰れなくなるからだ。 両親は、小さいながらも持ち家を持っていてそこに住んでいる。 両親が生きている頃は、父親の部屋と母親の部屋、子供部屋には兄妹4人で暮らしていたが…   両親が死んでからは、父親の部屋はテッドが… 母親の部屋は、長女のリットが、子供部屋には、次女のルットと三女のロットになっている。 今日も依頼をこなして、家に帰るんだ! この少年テッドは…いや、この先は本編で語ろう。 お楽しみくださいね! HOTランキング20位になりました。 皆さん、有り難う御座います。

冤罪で山に追放された令嬢ですが、逞しく生きてます

里見知美
ファンタジー
王太子に呪いをかけたと断罪され、神の山と恐れられるセントポリオンに追放された公爵令嬢エリザベス。その姿は老婆のように皺だらけで、魔女のように醜い顔をしているという。 だが実は、誰にも言えない理由があり…。 ※もともとなろう様でも投稿していた作品ですが、手を加えちょっと長めの話になりました。作者としては抑えた内容になってるつもりですが、流血ありなので、ちょっとエグいかも。恋愛かファンタジーか迷ったんですがひとまず、ファンタジーにしてあります。 全28話で完結。

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

魔法が使えない令嬢は住んでいた小屋が燃えたので家出します

怠惰るウェイブ
ファンタジー
グレイの世界は狭く暗く何よりも灰色だった。 本来なら領主令嬢となるはずの彼女は領主邸で住むことを許されず、ボロ小屋で暮らしていた。 彼女はある日、棚から落ちてきた一冊の本によって人生が変わることになる。 世界が色づき始めた頃、ある事件をきっかけに少女は旅をすることにした。 喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。

召喚とか聖女とか、どうでもいいけど人の都合考えたことある?

浅海 景
恋愛
水谷 瑛莉桂(みずたに えりか)の目標は堅実な人生を送ること。その一歩となる社会人生活を踏み出した途端に異世界に召喚されてしまう。召喚成功に湧く周囲をよそに瑛莉桂は思った。 「聖女とか絶対ブラックだろう!断固拒否させてもらうから!」 ナルシストな王太子や欲深い神官長、腹黒騎士などを相手に主人公が幸せを勝ち取るため奮闘する物語です。

処理中です...