王国の飛行騎士

神田柊子

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第一部

マーナベーナとサリヤ

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「初飛行はどうだった?」
 マーナベーナは明るい声でサリヤに聞いた。
 サリヤの案内を兼ねて、二人は厩舎までベアトリクスを先導していた。
 マーナベーナはサリヤのために靴と薄手の肩掛けを持ってきてくれていた。ありがたくそれを身につけ、ベアトリクスの横を離れて歩く。普通は危ないから飛行機を歩かせるときは鞍に乗るものだとマーナベーナは教えてくれたけれど、整備が終わるまでは絶対に乗せないとベアトリクスが譲らず、距離を開けることと速度を守ることを条件にこういう布陣になったのだ。
 ベアトリクスに目をやると、鼻先の花弁のようなもの――プロペラと呼ぶらしい――がゆっくり回っていた。機嫌が良さそうだ。
「初飛行は……風が痛かった」
 サリヤが苦笑すると、マーナベーナは声を上げて笑った。
 正直なところ、飛んでいる間よりも落ちている間の印象の方が大きかった。
『ガラスの覆いを閉め忘れたのよ』
 ベアトリクスのふてくされたような声。
「落ちているときに見た景色は綺麗だった」
『もう落とさないわ。飛行中の景色だって素敵なんだから』
「ああ、期待している」
「そうね。期待して。おすすめの時間を教えてあげるわ」
 マーナベーナもそう言ってくれた。
 彼女は二十五歳。飛行騎士団の常勤の女性騎士では最年長だそうだ。
「女性騎士は結婚や出産で引退する人も多いの。飛行機が認めれば、だけれどね」
「騎士が引退したらその飛行機はどうするんだ?」
「新たな騎士を探すのよ」
『私は嫌よ。引退なんて許さないから』
 マーナベーナはベアトリクスを振り返り、
「ああいう場合は、非常勤騎士になるわ」
 騎士団の近くの街で暮らして、週に何日か訓練に通う。
「訓練って言ってもほとんど飛行機の機嫌取りね。……有事のときは動員されるけれど」
 最後は少し声をひそめて、彼女は付け足した。
 厩舎は滑走路の隣りにあった。
 間隔をあけて、平屋の建物が並んでいる。その建物一つ一つが横に大きかった。
 飛行機の大きな体が入ることを考えたら、確かにそのくらいの広さが必要だろう。
 そのうちの一つの建物にベアトリクスは寝床をもらったそうで、『なかなか快適よ』と満足げだ。
 五機ほど入れる広さの厩舎は仕切りがなく、ベアトリクス以外の飛行機は出かけていてがらんとしていた。
「全部で何機いるんだ?」
「二十五。ベアトリクスで二十六ね」
「すごい! うち・・なんて七機だ」
 ベールルーベ王国の国土の五分の一を占める森。その森には旧文明の遺跡が多いため、飛行機の数も周辺の国々に比べてかなり多い。飛行騎士団の充実はそのまま軍事力につながる。近年この国に戦を仕掛けたのはメデスディスメ王国くらいだ。
 そういった情勢は、離宮に暮らしてからも教師に教わっていた。
 メデスディスメ王国に思考が向くと、先ほどミクラから聞いた政変が気にかかる。離宮の人たち。そして、置いてきた母。
 サリヤは一日寝ていたと聞かされて驚いたところだ。今から急ぎ戻ったところで遅いだろう。それに自分にできることなど何もないとも思う。しかし、なんとかして戻れないか。ベアトリクスは整備をしないと乗せないと言ったが、どうにかして……。
 考え込むサリヤにマーナベーナが声をかけた。
「あのね、サリヤ」
 彼女は気遣う視線を向ける。
「サリヤはメデスディスメ王国の出身かもしれないって団長が言ってたんだけれど、本当?」
「ああ……」
 今さらごまかしようもなく、サリヤはうなずく。
「貴族? 話し方が違うわ」
「それは……失礼しました、わ?」
 いろいろなことが起こりすぎて、素性を隠すことなど考えもしなかった。今は男装でもないのだ。しかし女性らしい口調など一度もしたことがない。
「そんな取って付けたような。あはは。普通でいいわよ」
「そう言ってもらえると助かる」
 そこでマーナベーナは笑顔を引っ込めた。
「飛行機には群れがあるのは知ってる?」
「群れ?」
「そう。生まれたときに決まっているんだって。群れを移ることはないの。――でね、ベアトリクスの群れはベールルーベ王国飛行騎士団なのよ」
「え?」
「騎士の出身よりも飛行機の群れが優先されるの。だから、サリヤがベアトリクスの騎士になるにはベールルーベ王国の国民になるしかないってこと」
「……私が? ベールルーベ王国の国民に?」
 メデスディスメ王国の王子として生きてきた自分が?
「メデスディスメ王国とベールルーベ王国って敵国、よね……」
「そう、だな……」
 国交はない。戦いの記憶も古くはない。直近の小競り合いは六年前だ。
「あ、私は別にメデスディスメの人を敵だって思ってるわけじゃないわよ!」
「それは、もちろん私もだ」
「ただ、よく思わない人もいると思う」
「ああ……」
 ベールルーベ王国は攻め込まれた側だ。
 そちらの立場の人たちはフスチャットスフ領でたくさん見てきた。
 サリヤの母タールラルは、アンザイ三世がフスチャットスフ王国を侵略したときに見染めて――と言えば聞こえはいいが王女が自決したため身代わりのように連れ帰った平民だ。それを知っている領地の者はタールラルとサリヤに同情的だった。外に出たことなど数えるほどしかないが、敵意を向けられたことはない。一方で、王宮から従ってきた侍女や騎士と、地元採用の離宮の使用人との間には大きな溝があることにも気づいていた。
「そうじゃなくても、政変でしょう? これからどうなるのかわからないじゃない」
 マーナベーナはサリヤの両手を握った。温かい手は少し硬めの騎士の手だ。
 深い茶色の瞳が真摯にサリヤを見つめていた。
「同じように別の国の飛行騎士になった人を知っているから、サリヤ自身にも、サリヤの家族や大事な人にも悲しい思いはしてほしくないのよ」
「悲しい思い……。その人は?」
 マーナベーナは首を振る。
「行方不明」
 ぎゅっと彼女の両手に力が籠った。
「私の婚約者。それで、団長の親友」
「…………」
「彼の飛行機を撃ち落としたのは団長だったわ」
 そう言ったマーナベーナの声は重く響いた。
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