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第三章 「旦那様は……?」「辺境騎士団長!」
お忍び街歩きデート
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デートは翌々日に決行された。
アニエスは、メイドたちに萌黄色のストライプのワンピースを着せられた。今日は髪をおろして出かけるように彼女たちから厳命されたため、服装もあいまって二十歳そこそこに見える。
フィリップはどうするのかと聞いたら、「騎士が休日に街に出てきました風です」とドロテが笑顔で教えてくれた。
それは事実そのままなのでは、と思ったがアニエスは黙っておいた。
支度をしたアニエスが玄関ホールに降りていくと、フィリップはすでに待っていてくれた。
フィリップは、簡素なシャツにズボンだが、ボタンをいくつか外したり腕をまくり上げているのがいつもと違う。なんとなく目のやり場に困って、アニエスは顔を伏せた。
「今日は髪をおろしているのか」
「あ、はい」
「似合うと思う。かわいい」
「ありがとうございます。フィリップ様もお似合いです」
アニエスが思い切って顔を上げると、フィリップは「そうか、ありがとう」と顔をほころばせていた。
街までは馬車で行くことにした。どう考えても領都の街でお忍びは無理なので、服装で街の人たちが察してくれたらいい、くらいの気持ちでいる。
領都の商工会や猟師組合などにはふたりで挨拶に行ったが、領内の有力者や近隣の領主を集めての披露目などは行っていなかった。
「お披露目会をやったほうがいいでしょうか」
「ああ、そうか、そういうパーティが必要か。盗掘団の件も一段落したからなぁ。しかし、時期が問題か」
「そうですね。もうすぐ議会の季節になりますから、王城で夜会もありますし」
「陛下から招待状が来る気がするな……」
「そのとき改めて考えましょう」
そこでフィリップが笑う。アニエスが首をかしげると、
「いや、すぐに仕事の話になってしまうな、と思って」
「あ、申し訳ありません」
「私も同じだから、お互い様だ」
そうこうしているうちに馬車は街中に着く。
「今日の予定は? アニエスが決めるということだったが」
「私が、というより、メイドたちが、ですね。おすすめの場所を書いてくれたので、それに沿って回ってみましょう」
「討伐だなんだと、全然街には来れなかったから、楽しみだな」
「ええ、そうですね」
アニエスはフィリップが差し出した手にそっと手をのせる。メイドたちの指示には『手をつなぐこと』とあった。フィリップの大きな手のひらに包まれると自分の手がおもちゃのように思える。
「最初は広場の噴水だそうです」
初めての場所をフィリップと歩くのは楽しかった。
アレグロ王国のさらに南からの輸入品雑貨の店や、皮革工芸の店などは物珍しかった。
昼食は屋台で買って、広場のベンチで食べた。何種類もある具から好きなものを好きなだけ挟んでくれるサンドイッチが、豪快でおいしかった。
「そういえば、そのブローチは昨日届いたものか?」
先に食べ終わったフィリップが尋ねる。
「ええ、そうなんです」
ルシアンに依頼していたコモンオパールのブローチだ。モーリスがマネジット領に遺していったオパールはアニエスが買い取った。
モーリスの恋人だったスフィーにあげようかとも思ったけれど、彼女には事件の詳細を知らせていないし、モーリスが殺される原因になったものだし、やめておいた。スフィーは新しく雇った従僕の若者といい感じ、というドロテの情報もある。
マルゴについた嘘にちなんで四百年前に流行ったデザインを取り入れてほしいと言ったら、マネジット領の仕立て屋エドゥールズとあの獅子のバックルの職人が盛り上がって、アンティーク調だけれど現代的なアレンジの良い品が出来上がった。石がまろやかな色合いなので華美ではなく、普段使いにしても違和感がない。
「四百年前はそんなデザインが流行ったんだな」
「はい。ダルーオ朝時代の、今では廃れてしまったモチーフですね」
上部に鳩が一羽止まり、オパールの周りを茨と羽が囲んでいる。
胸元に飾ったブローチを見て思い出した。
「私がこのオパールに似ているって言ったチョコレート、気になった義妹がわざわざ王都まで買いに行ったんですって。それでついでに私の分も送ってくれました」
「ああ、ホワイトミントチョコレートだったか」
フィリップが笑う。
「帰ったら開けてみましょう。フィリップ様もいかがです?」
「ひとつもらおうかな」
帰宅後の楽しみもできた。
そうして楽しく街を歩いた。
馬車停めに向かう途中、アニエスは正面から歩いてくる紳士に目が留まった。アニエスと同じ年ごろだ。
(誰だったかしら? どこかでお会いした気がするわ)
気になったアニエスは振り返ってしまう。すると、向こうも立ち止まってアニエスを見ていた。
「アニエス?」
フィリップに声をかけられてはっとする。
「いえ、今……」
言いながら再度振り返るとその紳士はもういない。
「知り合いか?」
「わかりません。どこかでお会いしたことがあるような……?」
アニエスは首をかしげながら、フィリップに促されて馬車に乗った。
ずっと記憶を探っていたアニエスは、フィリップがそんな自分を見つめていたことに気づかなった。
屋敷が近くなったころ、フィリップがアニエスに話しかけた。
「アニエス。もし、君が私以外の誰かを好きになったなら、いつでも言ってほしい。私は身を引くつもりだ。君が離縁したいなら受け入れる」
「え? どういうことですか?」
「先ほどの男が気になっているのだろう?」
「はい、でも、それは、誰だか思い出せないからで」
「前にも言ったように、君に自分の思いを押し付けるつもりはない。だから、君が私を嫌になったら」
「嫌です!」
アニエスは大きな声を出していた。
フィリップが顔をこわばらせる。
「嫌?」
「嫌です! フィリップ様以外を好きになるなんて嫌です」
「は?」
止まるフィリップにアニエスは言い募る。
「どうして、離縁なんて言うんですか。私のこともう嫌いになったからですか。私がフィリップ様の望む答えを出せなかったから? 回答期限は私が答えを出すまでって言っていましたよね。約束が違います。私は、フィリップ様のこと嫌いじゃないです。好きです。恋愛かどうかはわかりませんが、愛しています。敬愛や親愛じゃだめなんですか? 好きなのに」
「アニエス……」
アニエスは正面に座るフィリップに抱きついた。背中まで腕が届かないから、シャツをぎゅっと握りしめた。
「恋愛じゃないとだめですか?」
涙目で見上げたらフィリップは呆然とアニエスを見下ろしていた。
「君は俺のことが好きなのか?」
「好きだって言っています」
「それは恋愛感情じゃないのか?」
「わかりません」
「本当に? 恋愛にしか見えないのだが」
「しつこいですわね。わからないものはわからないんです。フィリップ様が定義されたらどうですか?」
面倒になってアニエスはそう言った。――のちに、「面倒なのはアニエスの方でしょ」とコレットに散々言われるのだけれど。
「俺が決めていいのか?」
恐る恐るといった様子で聞いたフィリップに、アニエスはうなずいた。
「構いません」
「それじゃあ、君が俺に向ける気持ちは恋愛感情だということにしよう」
「はい。承知いたしました」
ずっと棚上げになっていた問題が片付いた。
アニエスはほっとしてフィリップを見上げて微笑んだ。
フィリップは「うっ」と胸を押さえて、アニエスの頭に顎を乗せた。
「君の笑顔は威力が強すぎる」
アニエスには意味がわからない。
アニエスはその夜、フィリップにこう言った。
「私は聞き分けの良い手がかからない子どもだと言われていたんです。泣いてわがままを言うことなんてなくて……」
「今日みたいに?」
とフィリップは笑った。
「ええ。今日の私、子どもみたいでしたね」
「いや、うれしかった」
アニエスはフィリップの胸に頬を寄せた。
「一度だけ、泣いてわがままを言ったことがあるんです」
「ん?」
「弟が誕生日にもらった熊のぬいぐるみがほしくて」
「ん、うん?」
やっぱり熊か、とフィリップはつぶやいたけれど、アニエスは半分眠りかけていたから聞こえなかった。
アニエスは、メイドたちに萌黄色のストライプのワンピースを着せられた。今日は髪をおろして出かけるように彼女たちから厳命されたため、服装もあいまって二十歳そこそこに見える。
フィリップはどうするのかと聞いたら、「騎士が休日に街に出てきました風です」とドロテが笑顔で教えてくれた。
それは事実そのままなのでは、と思ったがアニエスは黙っておいた。
支度をしたアニエスが玄関ホールに降りていくと、フィリップはすでに待っていてくれた。
フィリップは、簡素なシャツにズボンだが、ボタンをいくつか外したり腕をまくり上げているのがいつもと違う。なんとなく目のやり場に困って、アニエスは顔を伏せた。
「今日は髪をおろしているのか」
「あ、はい」
「似合うと思う。かわいい」
「ありがとうございます。フィリップ様もお似合いです」
アニエスが思い切って顔を上げると、フィリップは「そうか、ありがとう」と顔をほころばせていた。
街までは馬車で行くことにした。どう考えても領都の街でお忍びは無理なので、服装で街の人たちが察してくれたらいい、くらいの気持ちでいる。
領都の商工会や猟師組合などにはふたりで挨拶に行ったが、領内の有力者や近隣の領主を集めての披露目などは行っていなかった。
「お披露目会をやったほうがいいでしょうか」
「ああ、そうか、そういうパーティが必要か。盗掘団の件も一段落したからなぁ。しかし、時期が問題か」
「そうですね。もうすぐ議会の季節になりますから、王城で夜会もありますし」
「陛下から招待状が来る気がするな……」
「そのとき改めて考えましょう」
そこでフィリップが笑う。アニエスが首をかしげると、
「いや、すぐに仕事の話になってしまうな、と思って」
「あ、申し訳ありません」
「私も同じだから、お互い様だ」
そうこうしているうちに馬車は街中に着く。
「今日の予定は? アニエスが決めるということだったが」
「私が、というより、メイドたちが、ですね。おすすめの場所を書いてくれたので、それに沿って回ってみましょう」
「討伐だなんだと、全然街には来れなかったから、楽しみだな」
「ええ、そうですね」
アニエスはフィリップが差し出した手にそっと手をのせる。メイドたちの指示には『手をつなぐこと』とあった。フィリップの大きな手のひらに包まれると自分の手がおもちゃのように思える。
「最初は広場の噴水だそうです」
初めての場所をフィリップと歩くのは楽しかった。
アレグロ王国のさらに南からの輸入品雑貨の店や、皮革工芸の店などは物珍しかった。
昼食は屋台で買って、広場のベンチで食べた。何種類もある具から好きなものを好きなだけ挟んでくれるサンドイッチが、豪快でおいしかった。
「そういえば、そのブローチは昨日届いたものか?」
先に食べ終わったフィリップが尋ねる。
「ええ、そうなんです」
ルシアンに依頼していたコモンオパールのブローチだ。モーリスがマネジット領に遺していったオパールはアニエスが買い取った。
モーリスの恋人だったスフィーにあげようかとも思ったけれど、彼女には事件の詳細を知らせていないし、モーリスが殺される原因になったものだし、やめておいた。スフィーは新しく雇った従僕の若者といい感じ、というドロテの情報もある。
マルゴについた嘘にちなんで四百年前に流行ったデザインを取り入れてほしいと言ったら、マネジット領の仕立て屋エドゥールズとあの獅子のバックルの職人が盛り上がって、アンティーク調だけれど現代的なアレンジの良い品が出来上がった。石がまろやかな色合いなので華美ではなく、普段使いにしても違和感がない。
「四百年前はそんなデザインが流行ったんだな」
「はい。ダルーオ朝時代の、今では廃れてしまったモチーフですね」
上部に鳩が一羽止まり、オパールの周りを茨と羽が囲んでいる。
胸元に飾ったブローチを見て思い出した。
「私がこのオパールに似ているって言ったチョコレート、気になった義妹がわざわざ王都まで買いに行ったんですって。それでついでに私の分も送ってくれました」
「ああ、ホワイトミントチョコレートだったか」
フィリップが笑う。
「帰ったら開けてみましょう。フィリップ様もいかがです?」
「ひとつもらおうかな」
帰宅後の楽しみもできた。
そうして楽しく街を歩いた。
馬車停めに向かう途中、アニエスは正面から歩いてくる紳士に目が留まった。アニエスと同じ年ごろだ。
(誰だったかしら? どこかでお会いした気がするわ)
気になったアニエスは振り返ってしまう。すると、向こうも立ち止まってアニエスを見ていた。
「アニエス?」
フィリップに声をかけられてはっとする。
「いえ、今……」
言いながら再度振り返るとその紳士はもういない。
「知り合いか?」
「わかりません。どこかでお会いしたことがあるような……?」
アニエスは首をかしげながら、フィリップに促されて馬車に乗った。
ずっと記憶を探っていたアニエスは、フィリップがそんな自分を見つめていたことに気づかなった。
屋敷が近くなったころ、フィリップがアニエスに話しかけた。
「アニエス。もし、君が私以外の誰かを好きになったなら、いつでも言ってほしい。私は身を引くつもりだ。君が離縁したいなら受け入れる」
「え? どういうことですか?」
「先ほどの男が気になっているのだろう?」
「はい、でも、それは、誰だか思い出せないからで」
「前にも言ったように、君に自分の思いを押し付けるつもりはない。だから、君が私を嫌になったら」
「嫌です!」
アニエスは大きな声を出していた。
フィリップが顔をこわばらせる。
「嫌?」
「嫌です! フィリップ様以外を好きになるなんて嫌です」
「は?」
止まるフィリップにアニエスは言い募る。
「どうして、離縁なんて言うんですか。私のこともう嫌いになったからですか。私がフィリップ様の望む答えを出せなかったから? 回答期限は私が答えを出すまでって言っていましたよね。約束が違います。私は、フィリップ様のこと嫌いじゃないです。好きです。恋愛かどうかはわかりませんが、愛しています。敬愛や親愛じゃだめなんですか? 好きなのに」
「アニエス……」
アニエスは正面に座るフィリップに抱きついた。背中まで腕が届かないから、シャツをぎゅっと握りしめた。
「恋愛じゃないとだめですか?」
涙目で見上げたらフィリップは呆然とアニエスを見下ろしていた。
「君は俺のことが好きなのか?」
「好きだって言っています」
「それは恋愛感情じゃないのか?」
「わかりません」
「本当に? 恋愛にしか見えないのだが」
「しつこいですわね。わからないものはわからないんです。フィリップ様が定義されたらどうですか?」
面倒になってアニエスはそう言った。――のちに、「面倒なのはアニエスの方でしょ」とコレットに散々言われるのだけれど。
「俺が決めていいのか?」
恐る恐るといった様子で聞いたフィリップに、アニエスはうなずいた。
「構いません」
「それじゃあ、君が俺に向ける気持ちは恋愛感情だということにしよう」
「はい。承知いたしました」
ずっと棚上げになっていた問題が片付いた。
アニエスはほっとしてフィリップを見上げて微笑んだ。
フィリップは「うっ」と胸を押さえて、アニエスの頭に顎を乗せた。
「君の笑顔は威力が強すぎる」
アニエスには意味がわからない。
アニエスはその夜、フィリップにこう言った。
「私は聞き分けの良い手がかからない子どもだと言われていたんです。泣いてわがままを言うことなんてなくて……」
「今日みたいに?」
とフィリップは笑った。
「ええ。今日の私、子どもみたいでしたね」
「いや、うれしかった」
アニエスはフィリップの胸に頬を寄せた。
「一度だけ、泣いてわがままを言ったことがあるんです」
「ん?」
「弟が誕生日にもらった熊のぬいぐるみがほしくて」
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