奥様はエリート文官

神田柊子

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第二章 「奥様は……?」「エリート文官!」

人事面談

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 アニエスは応接室で面談することにした。
 まずは執事のナタン・ハリッドを呼んだ。
 応接室もきちんと掃除がされていた。家具も多少古いが趣味が良い。アニエスの実家より高級な家具だと思う。
(使えるものはそのまま使いましょう)
 アニエスとフィリップはソファに並んで座り、向かいにナタンが座った。彼は六十歳くらいか。すっと背を伸ばし、浅く腰掛ける。
 コレットが皆の前に紅茶を並べた。
 一口飲んだナタンが少し目を瞠ったから、アニエスは「コレットは王妃殿下にも仕えていた王宮メイドだったのよ」と自慢した。
「左様でございましたか。奥様も旦那様も王都からいらして、辺境はさぞつまらないことでしょう」
「いいえ! まさか! こんなにやり甲斐のある仕事があって、つまらないなんてことがあるかしら! あれもこれも、どこから手をつけようかしらって考えるだけで心が弾むわ!」
 アニエスがそう語ると、ナタンは表情を固まらせる。フィリップが横から「アニエスはこの地を心から満喫している」と言い添えた。
「あなたはこの屋敷は長いのかしら?」
「私は十代のころから五十年ほど勤めております。先代ギヨーム様のお父上の代でございます」
「そう。それなら、まずはギヨーム様のことを聞かせてちょうだい」
「ギヨーム様ですか。これは、私ども使用人の今後の勤務に関する面談ではなかったのですか?」
「ええ、そうよ。でも、ギヨーム様の存在とあなたの勤務態度は切っても切り離せないと思うのよ。あなた以上に詳しそうな人はいないだろうし」
 ナタンは一瞬だけ言葉を詰まらせ、紅茶を一口飲んだ。それから、にっこりと微笑むと、先代辺境伯ギヨームの話を始めた。
「もともと先々代が金銭感覚のない方で、無謀な買い物をしたり、方々からお金を借りたり、怪しい儲け話を信じてそれを人に勧めたりして、親戚や他家から距離を置かれるようになりました。そうして孤立し家が傾き始めたころ、ギヨーム様に代替わりされました。ギヨーム様はお父上を反面教師にしてらして、逆に――品のない表現を許していただけるなら『ケチ』ですとか『金にがめつい』ですとか言われましたが、家の立て直しには成功したのです。気難しい方だったので、お父上の代に離れた親族が擦り寄ってくるのをよしとせず……、手ひどく追い返したので余計に誰もいなくなりました。二十年ほど前に、奥様と若君を相次いで病気で亡くされ、人嫌いに拍車がかかり……」
「養子や後妻は検討されなかったの?」
「はい。信じられるのは金だけだ、と。家なんて自分の代で終わり、ペルトボール家の血など絶やしてしまえ、とおっしゃっていました」
「まあ、ご家族を亡くされて何をやっても報われないと思われてしまったのかもしれないわね」
 アニエスがそう言うと、ナタンは何度もうなずいた。
「それが、四年前のことです。前から勤めていた家政婦長が高齢で辞めたあと、後任に突然マルゴを連れてきたのです」
「まあ、マルゴはギヨーム様が採用したの?」
「亡き奥様の遠縁ということだったのですが、いつのまにか、マルゴはギヨーム様の愛人になっていました」
「え? ええと、ギヨーム様は六十代だったかしら」
「六十七歳でした」
 マルゴは三十代半ばだから、親子ほども違うだろうか。貴族の後妻ではなくもない年齢差だが。
「それは……」
 あの女が旦那様をたぶらかしたのです、とナタンは苦々しげに吐き捨てた。
「先代が亡くなった原因は?」
 フィリップがふいに尋ねた。
「はい、流行りの風邪をこじらせて……。医者にも念入りに診ていただいていましたので、マルゴにも不審なところはありませんでした」
「そうか」
「あの女は旦那様――失礼いたしました、ギヨーム様が亡くなったあと、すぐに屋敷から出て行くと思ったのですが、今までずっと居残っております」
「管理官と親しいとか」
「ああ、ジャコブ・シェーシズ様ですね。話はしているようでしたが、関係がある印象ではありません。シェーシズ様の方が熱心に口説いていらっしゃるように見受けられます」
 今思えば、とナタンは続ける。
「数年空けずに次の辺境伯様がいらっしゃる、とシェーシズ様から聞いて、それで居残ることにしたのかもしれません」
「なるほど」
 それでフィリップが来たから、さっそく取り入ろうとしたというわけか、とアニエスは納得する。
「マルゴが着けているブローチはわかる?」
「ブローチですか? 装飾品は常に何かしら着けていて、いろいろ持っているようなので……」
「ほんの少し緑がかった白い宝石のブローチよ。今朝着けていたの」
「ああ、今朝の……」
「彼女はあれをいつごろから持っているか知っている?」
「いいえ、申し訳ごさいません。そこまではわかりかねます」
「ギヨーム様が彼女に装飾品を贈ったことはあった?」
「はい。把握しております。リストをお持ちしましょうか」
「お願いするわ」
 そこでナタンは、
「マルゴは何か後ろ暗いところがあるのですか? 素性は不確かですし、ギヨーム様をたぶらかした悪女だと私は思っておりますが、昨日来られたばかりの奥様がそこまで気になさるとは正直考えておりませんでした。辞めさせておしまいかと」
「そうね。でも、辞めてからもこの辺りをうろうろされると迷惑だし、管理官のシェーシズ氏をそそのかして何かすることも考えられるわ。調べられることは徹底的に調べておきたいの。マルゴに悟られないように協力してくれる?」
「はい、もちろんでございます」
 ナタンは確かに請け負ってくれた。
「私は次の辺境伯様がいらしたら辞めさせていただくつもりでおりました。マルゴの件は最後の務めとして取り組む所存です」
「えっ、辞めてしまうの?」
 アニエスが驚きの声を上げると、フィリップが口を開く。
「君には今後も我が家で執事を勤めてほしいが、どうだろうか?」
「もったいないお言葉でございます。しかし私は」
「いや、答えを出すのは全て片付いてからで構わない。今はこの屋敷を整えることを優先してほしい。旧辺境伯家から新辺境伯家に繋いでいくには、君の力が必要だ。先代の血は途絶えたが、記憶は引き継いでいくことができる。先代は努力して家を立て直した方だ、きっと心の底では家の存続を願っていただろう。それまでは協力してくれるか?」
「かしこまりました」
 ナタンは丁寧に頭を下げた。
(さすがに騎士団で多くの部下を従える方は違うわ)
 アニエスは感心する。
 そこですかさずアニエスは質問役を交代し、他の使用人の評価や、以前の人員構成や給与体系など、このあとの面談に必要な情報を手に入れた。
 執事を味方につけたことで、ずいぶん仕事がやりやすくなり、アニエスはほっとした。

 ナタンの他に興味深い話を聞かせてくれたのは、メイドのドロテだった。
 メイドは三人いて、皆、領都の出身。十九から二十歳だ。二十代から三十代のメイドは、ギヨームの生前にマルゴが辞めさせたらしい。ライバル排除だろうか。その代わりに雇われたのが彼女たち若いメイドだった。遠方出身者はギヨームの死後に辞めたが、彼女たちは家が近いことからもうしばらく働くことにしたそうだ。
 ドロテは噂好きらしく、他の人の評価の参考に皆に聞いていることだから、と水を向けると、嬉々として話し始めた。
 ナタンが前の家政婦長に密かに憧れていたらしいとか、メイドのスフィーと亡くなったモーリスが付き合っていたとか、管理官は白っぽい石がついたカフスボタンを着けている、とか。
(それはマルゴと同じ石かしら?)
「そういえば、管理官様は赴任していらした当初はよく前の旦那様と言い争いをしておりました。……言い争いというより、何か不満を訴えていたというか……」
「ギヨーム様の反応はどうだったのかしら?」
「あまり真剣に聞いていらっしゃらないようでした」
 ドロテは思い出すように、首をかしげた。
「半年くらいで、いつのまにかそういうことはなくなりましたね」
 モーリスの恋人というスフィーは、昨夜アニエスを部屋まで案内してくれたメイドだった。彼女はモーリスについてこう話した。
「なかなか新しい領主様がやってこないので、どうしようかと話していたんですが……、彼は伝手があるから王都で就職するって言って辞めたんです。落ち着いたら私も呼んでくれるって言っていて……、それなのに王都に行ったはずのモーリスが街で見つかるなんてっ!」
 スフィーは泣き出してしまい、アニエスは慌てる。
「ごめんなさい、悲しいことを思い出させてしまって」
 スフィーの隣にコレットがそっと座り、背中を撫でた。
「あなたは彼がペルトボールに戻って来ていたのを知らなかったのね? モーリスは王都に行く前、どこかで何か見つけたとか、拾ったとか話していなかった?」
「え? いいえ、特に何も……」
 念のため、何か思い出したら教えてほしいということと、アニエスたちからモーリスについて聞かれたことは誰にも言わないように言い含めて、スフィーの面談を終わらせる。
 他に、料理長がひとり。騎士団と兼任の厩番がふたり、御者がひとり。庭師がひとり。今は従僕がいない代わりに何か男手がいるときには騎士団に依頼しているらしい。
 途中、人事以外の質問も交えたが、マルゴ以外の使用人には引き続き勤めてもらうことに決めた。
 面談の間、フィリップはほとんどアニエスに任せてくれていた。
 それでいて見守ってくれているという安心感がある。
 こういうとき、かつての部下たちはアニエスを信頼して頼ってくれていたし、上司のフェルナンはアニエスが好き勝手するのをおもしろそうに見ていた。父や弟ならハラハラと不安そうに見ていただろうか。
 部下はアニエスの下に立ち、フェルナンは隣あるいは少し上、父や弟は遠巻きに見つめている感じ。
(そう例えると、フィリップ様は私の後ろにいてくれているような……)
 今までにない距離感だと思う。
 夫だからか。フィリップだからか。
 アニエスにはよくわからない。
 ただ、この距離感はとても心地がいいものだった。

 マルゴは屋敷の中におらず、面談は延期した。
 解雇は確定しているので、面談しても意味がない。彼女から聞きたいのは勤務態度や今後の目標などではなかった。
 セシルが途中で戻ってきて報告してくれた。
 マルゴはアニエスから『ホワイトミントオパール』の話を聞いて、街の古物商に行ったそうだ。
「ブローチを鑑定してもらって、『ホワイトミントオパールって何ですか?』と言われたようで、『これだから田舎は!』と文句を言いながら出てきましたよ」
「普通のコモンオパールの金額で査定されたのでしょうね」
「だと思います。そのあと、宝石店でも同じように鑑定してもらっていました」
 組合への周知は、マネジット領経由ではなくこちらからもすぐに行ったほうがいいかもしれない。
「そこでセザールさんと交替しました」
「ありがとう、セシル」
 フィリップは、セザールの報告はアニエスにも共有すると約束してくれた。

 アニエスは、マネジット領の弟への手紙の中で、あのコモンオパールをブローチに仕立ててほしいと依頼した。
『四百年前のダルーオ朝時代に流行った鳩と茨のモチーフを使って、アンティーク風に線の太い表現で』
 またわけのわからない注文を、とため息をつく弟の顔が見えるようで、アニエスは手紙を書きながら少し笑ったのだった。
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