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第一章 「辺境伯といえば……?」「君を愛することはない!」
マネジット伯爵家
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「アニエス! 帰ってきてくれたのか! 良かった!」
アニエスが実家に着くなり、父アドリアン・マネジットが駆け寄ってきた。アニエスが挨拶するより前に、がっと肩をつかまれる。
「公爵家から求婚なんてどういうことなんだ? アニエスは今までと同じく断るつもりなんだろう? 返事はどうしたらいいんだい?」
アニエスの両肩を掴んで揺らすアドリアンに、アニエスは顔をしかめた。
「お父様、痛いですから。離してください」
「ああ、すまない。だが、私の苦悩がわかるだろう?」
母のサビーナもやってきて、父の隣で困った顔でアニエスを見る。
「そうよ、ミナパート公爵家よ? 聞き入れてもらえるかしら」
アドリアンもサビーナも、アニエスが断る前提の心配をしているのが、ありがたいやらなにやら。今までを考えたら当然の反応ではあるが。
アニエスたち四姉弟は、多少色味は違うがアドリアンから髪色を、サビーナから顔立ちを、それぞれ引き継いだ。しかし、気弱な父とおっとりした母の性格は誰にも引き継がれなかった。ちなみに家族で一番気が強いのは姉ふたりだ。
「今回は王命なので断れません」
アニエスがそう宣言すると、両親ともに「え?」と固まる。
「アニエスが縁談を断らない、だと……?」
「まさか、アニエスが結婚を?」
「ええ。辺境伯夫人に異動することになりました」
「まあ! 本当に?」
「そうか、異動か! 栄転だな!」
「父上、何言ってるんですか。アニエス姉上もおかしな言い方しないでくださいよ」
冷静に突っ込んだのは弟のルシアンだった。
ルシアンは二十四歳。すでに結婚して、二歳になる息子もいる。マネジット伯爵家は次代もその次も安泰だった。アニエスが好きな仕事をできたのはルシアンのおかげでもあり、アニエスは密かに感謝していた。
「こんなところで話していないで、とりあえず中に入りましょう」
そう促されて、まだ玄関ホールに数歩踏み入れただけだったことに気づいた。アニエスたちの後ろでは、玄関扉を閉められずに執事が苦笑していた。
マネジット家の面々は居間に場を移した。ルシアンの妻ポーラも同席している。
アニエスに話し合いたいことはないため、家族会議ではなく報告会だ。
ソファに腰かけ、アニエスは室内を見渡す。
少し日に焼けたリーフグリーンの壁には領内のあちこちが描かれた小さな風景画がたくさん飾られている。その下の小卓には、家で一番大きな花瓶を使って鮮やかな菜の花が豪快に活けられていた。開いている窓からは風が入り、芝生の庭と木々、さらに領地の北の山が見える。
王都が近いからアニエスは季節ごとに帰郷していた。年季の入った屋敷は、慣れもあってやはり落ち着く。
ハーブティを一口飲んでから、アニエスは経緯を話し始めた。
縁談しか知らなかった家族は、アニエスが職を辞したことに驚いていた。
監査官の件だけは家族にも話せないが、補佐官を辞めたのは王太子妃に配慮した結果だということは伝えた。
「ここだけの話と言いたいところですけれど、触れ回っている方々がいるみたいなので、あまり意味がないかもしれませんね」
「もしかして、この方ですか?」
そう言ってルシアンが取り出したのは、コレットから聞いた『いけすかない連中』のひとりワッカー子爵からの求婚の手紙だった。
「昨日届きましたよ」
「うぅ……本当に届くなんて。私が王命で婚約した噂も出回っているはずなのに、行き違いかしら」
見たくはないがそうもいかない。
アニエスが顔を歪ませながら手に取ろうとすると、ルシアンの横からポーラが取り上げた。
「ワッカー子爵ってアニエスが十年前にお断りした方でしょう?」
二十二歳のポーラは母方のいとこだから、子どものころから家族ぐるみで仲良くしていた。姉弟たちと同程度にアニエスの過去は知っている。
「王宮メイドの友人が言うには、この歳で解雇されたら焦って結婚すると思われたんじゃないかって」
「まあ、図々しい」
ポーラは姉ふたりと似た性格で、歯に衣着せない。――母も、母の兄でポーラの父である伯父もおっとりした性格なのに、とアニエスはいつも不思議に思う。
皆が読んだあとに回ってきた手紙を開くと、婚姻が成立したら畜産物の取引で提携をしないかと書いてあった。
「縁談は断りますけれど、この提携は悪くない話ですわね」
アドリアンに見せると、ぎょっとされた。
「提携だけを打診するわけにはいかないよ」
「そうですよ、姉上」
「下手に関わりができると後々まで面倒なことになるわよ」
アドリアンだけでなくルシアンとポーラからも突っ込まれて、アニエスは「そんなに言わなくても」と不満を述べる。
「ちょっと言ってみただけじゃない。金額は悪くないんですもの」
「金額は悪くないが、相手が悪いぞ」
「誰もが、姉上みたいに効率や利益を最優先にしているわけじゃないですからね」
「話が通じない相手なんていくらでもいるのよ」
さらに突っ込まれてアニエスは閉口する。
にっこり微笑んだサビーナが、ワッカー子爵の手紙を取り上げて「却下の箱に入れておいてね」と執事に渡して、この話は終わった。
「それよりミナパート公爵家よ」
サビーナの手で取り出された手紙は、上質の紙に装飾枠が型押しされた豪華なものだ。ワッカー子爵家からの手紙とは別格だし、受け取ったマネジット伯爵家でも返信に気を遣う。
(筆頭補佐官として上位貴族とやり取りした際の便箋を持って帰って良かったわ)
そう思いながら、文面を確認する。
王の口添えでとあるが、それ以外はいたって普通の求婚状だった。
「お父様からは縁談をお受けすると返事してください。挨拶に伺いたいので日取りを尋ねる手紙を私が書くので、一緒に出していただけますか」
「あ、ああ……」
「なんですか?」
はっきりしないアドリアンを促すと、
「本当に結婚するんだな? 文官は辞めたんだな?」
「ええ」
「お前はいいのかい? できるかわからないが、アニエスがどうしても嫌だと言うなら公爵家にもお断りの返事を出すこともやぶさかでない」
姉たちに邪険にされアニエスに言いくるめられても怒ったりしないアドリアンが、珍しく険しい表情でそう言った。
自分の退官や結婚は予想以上に――学生時代に文官になると宣言したときよりもずっと、心配されているらしい。
アニエスの本意ではないと皆がわかってくれていることが、こそばゆい。
「お父様、ありがとう」
気遣ってくれる父に、アニエスはきっぱり首を振った。
「でも、辺境伯夫人として領地経営の職に就くことを決めたので、大丈夫です」
「アニエスはこうと決めたら曲げないからなぁ。わかった」
アドリアンは苦笑してため息をついたが、代わりに身を乗り出してアニエスの手を取ったのはサビーナだった。
「あのね、アニエス」
「お母様?」
「アニエスは職務の一環のつもりでも、結婚は結婚なのよ。お相手のあることです」
「それは……もちろんわかっています」
「フィリップ様とよくお話して、ふたりにとって良い夫婦の形を見つけなさいね?」
「……はい」
母の言葉は痛いところを突く。
辺境伯夫人や領地経営は想像できる。
しかし、夫婦と言われてもよくわからない。
できるだけ後回しにしたい懸案だった。
::::::::::
マネジット伯爵領は王都の東側に位置する小さい領地で、ほんのわずかな部分が王都に接していた。
その接しているところに街道が通っているが、街道も領地内を通過するのはほんのわずかだ。街道の設置計画中、地形や王都内の土地所有権の都合でマネジット伯爵領を少しだけ通過することが決まったとき、その土地を政府で買い上げる打診があった。当時の当主だった曾祖父は、もともと狭い領地がさらに減るのを嫌ってそれを断った。その代わり、マネジット伯爵領を通る部分は通行料がかからないことになっている。
アニエスが学生のころは、三女の持参金も危うい弱小貴族だった。
しかし、今は中の中くらいには持ち直していた。
それは、街道を利用して王都から観光客を呼び込むことに成功したからだ。
「エルフィーヌ湖公園は、今のところ大きな問題はありませんよ」
「それなら良かったわ」
報告会のあと、ルシアンに呼び止められたアニエスは彼と一緒に職人組合に馬車で向かっていた。
ルシアンの言うエルフィーヌ湖公園は、領地の北部にある。
この湖の周辺はエルフが出てくるおとぎ話の舞台とされていて、領民の憩いの場になればと先代当主が湖畔を公園に整えた。しかし、街から離れた山の中のため、人出は全くなかった。
アニエスが文官になって、コレットを始めとした裕福な庶民と知り合ったことで、そのような人や下級貴族をターゲットにした観光地にできないかと考えたのだ。
マネジット伯爵領は王都の中心である王城前広場から馬車で二時間。エルフィーヌ湖まで行っても三時間はかからない。日帰りの遠出にはちょうどいい距離だった。
自然の雰囲気はそのまま、散策路を整えたり、市場や屋台村を作ったり、焚火で肉や野菜を焼いて食べられる野外レストランも作った。
市場には領地の特産の宝飾品技術を活かした小物を扱う店が多い。
百年以上前、エルフィーヌ湖のある山では水晶が取れた。その加工技術から発展して、領地には宝飾品や金具の職人が多かった。しかし、王都のデザイナーや宝飾品店などから注文を受けて制作する職人なので、直接客に販売していなかった。それを、注文品の合間に作れるような、真鍮やガラスや屑石を使った安価な小物を作ってもらい、エルフィーヌ湖で販売することにした。
それが人気になり、今年になってから領地の物産を紹介する店を王都に出した。安価な小物から高価な品までを取り扱い、休日には店の前からエルフィーヌ湖までの無料送迎馬車も運行している。
職人街では、領外から弟子希望者がやってきたりするなど、業界の活性化にもつながったようだ。
「私がいなくなっても大丈夫ね」
「アニエス姉上の発案や宣伝のおかげですよ」
「それは当然でしょう」
アニエスが胸を張ると、「そこは謙遜しないんですね……」とルシアンは苦笑する。
「それなら、ここの収益を持参金にしてさっさと誰かと結婚してしまえばよかったんですよ。騎士でも文官でも、仕事を続けてもいいと言う人なんていくらでもいるでしょう?」
「そこまでして結婚したいわけじゃなかったんだもの。こんなことになるとわかっていたら、誰か探したわ」
仕事が楽しかったのだ。
今さら後悔しても仕方ない。
夫になるフィリップが理解のある人であることを祈ろう。
ふてくされて窓の外に視線を逸らすと、ルシアンは話題を変えてくれた。
「ペルトボール辺境領は、何か名産があるんでしたっけ? あまり聞きませんよね?」
「そうね。皮革と木材を他領と取引しているようね。農地では自領で消費する分くらいしか生産されていないわ」
アニエスは王城の資料室で調べてきたことを答える。
ペルトボール辺境領は、国の南東の角から東辺に沿って伸びる細長い領地だ。北側には同様に東辺に沿った辺境領がふたつあり、その三領で国の東側を埋めている。
そもそもこの国モデラート王国は、大陸西岸に三国並ぶうちの南北中央。三国とも南北方向より東西方向の方が広い、横長の四角形に近い形をしていた。三国の東は山脈があり、その向こうはラルゴ王国という大国だ。
ペルトボール辺境領は山脈のふもとにあたるため、一番面積が広いのは森だった。そこで伐採した木や狩猟で得た皮革を取引している。
「皮ですか。うちで作っている金具と組み合わせれば何かできそうですね。そのときは親族待遇で取引お願いしますね」
ルシアンが目を輝かせる。
最優先ではないにしても、彼だって十分に利益重視なのだ。
そんな話をしながら到着した職人組合の事務所は、職人街の真ん中にある。どの家も工房兼住居なため、雑多な下町だが、アニエスもルシアンも慣れたものだ。
「アニエスお嬢さん、久しぶりだな」
出迎えてくれたのは老年の組合長だ。領民のざっくばらんな言葉使いはマネジット領では普通のことだった。
彼に案内された応接室のテーブルにはお茶より先に様々な金属小物が並べられた。
「まあ、ずいぶん個性的ね!」
宝石も彫刻もない板状のチャームは研磨技術を見せつけるよう。他にも、立方体や球体としか言いようのない小さなモチーフが髪飾りに仕立てられている。一方で、ベルトのバックルが立体的で写実的な獅子の頭になっているものもある。
どれも今までにない新しいデザインだった。
「新しく弟子になった者たちの作品なんだがね。どうかね、王都住まいのお嬢さんの目で見て、売れると思うかい?」
「そうねぇ。おもしろいと思うけれど、エルフィーヌ湖公園で売るにはどうかしら? 個性的なデザインはどちらかと言うと上級貴族向きよね……」
「そうなんだよなぁ。値段もな。他の物産品のような金額にはできねぇんだ」
組合長は腕を組む。
ルシアンは獅子のバックルを手に取って、
「このまま上級貴族向けに売り出すには技術的にどうなんだい?」
「まだ足りねぇな。……こいつはまあそこそこか」
組合長が指さしたのは立体や球体の作品だ。
「この人たちは、どちらかというとデザイナーになりたいのかしら?」
「うーん、どうだろうなぁ。俺は親方経由でしか話を聞いていないから、やっぱり直接話さないとならないか」
「外から弟子志望が入ってくるとやはり問題もあるかな?」
「いいや。それで問題が起こっても、後継不足より深刻ってことはないからな。想定内だ」
「エルフィーヌ湖公園の市場で売りたいなら、金額が見合うものを。王都の物産館で上級貴族向けに並べるなら、技術向上を先に。――というところかな」
ルシアンと組合長が話すのを聞きながら、アニエスは並んだ作品を見つめた。立体的な獅子や小さな球体を見て、思い出すものがあった。
「そういえば、大洋の向こうの輸入品を扱うダイカ商会で、根付という商品が売り出されたの」
アニエスは親指と人差し指で輪っかを作り、
「このくらいの大きさの、木彫りの動物や植物に絹の組み紐が付いている商品なの。この獅子みたいに頭だけじゃなくて、多少デフォルメされた全身像ね。私が見たのはもっとかわいらしい動物だったけれど、傾向としては似ている気がするわ。その根付を剣帯やレティキュールにつけている人を見たわ。そのまま真似はできないけれど、物産館の職員に買って来てもらったら参考になるかもしれないわよ」
「金属だとその大きさでもけっこう重くならないか」
「まあ、それは職人たちの努力でどうにかするところでしょう。彫刻じゃなくて、普段の宝飾品のように薄いパーツで組み立てたっていいんですから。ただ、丸みのある形のほうが持ち歩きやすそうではあるわ。それに、繊細なものは不向きでしょうね。ああ、ブレスレット向けのチャームを少し大きくして、バッグにつけるチェーンを作って、好きに組み合わせられるようにするのもおもしろそうね」
アニエスが思いつきで話すと、組合長とルシアンは顔を見合わせる。そんな彼らに、
「これからは、王都の流行の情報は物産館の職員に集めてもらうようにしてください」
「ああ、すまん。お嬢さんに頼ってばっかりじゃ、負担だったな」
「いいえ、負担なんてことはないわ。ただ、私は結婚して王都からもマネジット領からも離れることになったから」
「ええっ! アニエスお嬢さんが結婚! 王太子様の筆頭補佐官はやめるのかい?」
「そうなのよ」
憂い顔を見せても良くないから、アニエスは真顔でうなずいた。――ここで微笑んだりはにかんだりする技能はアニエスにはない。
「へぇ! お相手は?」
「東のペルトボール辺境伯よ」
「辺境伯様! さすが出世頭は違うやね! 結婚式はいつだい? 宝飾品はもちろんエドゥールズに注文するんだろう。職人総出ではりきって作るぞ」
エドゥールズはマネジット領随一の仕立て屋で、宝飾品のデザインもしてくれる。マネジット家のドレスは全てエドゥールズで仕立てられていた。
「まだ先方への挨拶も済んでいないからはっきりしないの。こちらの希望が通るかわからないけれど、もしできたらそのときはお願いするわね」
組合長にあいまいに首を振ってごまかし、アニエスはふと疑問に思う。
夫になるフィリップはすでに辺境伯領に引っ越したと聞いた。急ぎの結婚なのに、式はするのだろうか。
そこで、テーブルに並べられていた試作品を片づけていた職員が組合長に声をかけた。
「組合長、アニエス様にあのコモンオパールを見ていただいたらいいんじゃないですか?」
「ああ! そうだそうだ」
組合長は膝を手で打って、職員に「持ってきてくれ」と頼む。
「前にお嬢さんにオパール鉱山のことを調べてもらっただろ?」
「ええ。半年ほど前のことよね」
アニエスは思い出す。
ひとりの青年が領内の宝石研磨工房にやってきて、「これは宝石だろうか?」と原石を持ち込んだ。親方がコモンオパールだと答えると、青年は価値を聞く。
『うちは研磨屋なもんでね。鑑定はやってないんだがな』
親方はそう断りながらも、大体の相場を教えた。青年は、なるほど、とうなずき、
『これを研磨してもらえるだろうか?』
マネジット領の工房は扱っているものが宝飾品だけに、盗品が持ち込まれる可能性も考えている。個人客や一見客は工賃を半額もらって引き受けておき、受け渡し日を通常より長めに設定して時間を稼ぐ。王都にある宝飾品店組合と宝飾品職人組合は、国あるいは同盟国内の盗難情報を騎士団から得ており、各領地の組合に随時提供している。持ち込まれた品に盗難届が出されていたら騎士団に通報し、受け取りに来た依頼人を捕まえてもらうのだ。
そのときの親方も青年を警戒して、十日後の受け渡し日で引き受けた。青年は親方に疑われているとは全く思っていなそうな自然な態度だったから、親方は取り越し苦労かと思ったそうだ。――実際に盗難届は出ていなかった。
そこで、工房から出ていく際、青年が独り言をこぼした。
『もしかしたらもっと落ちているかもしれない』
マネジット領は百年以上前に水晶の鉱山があった。山の頂上近くにある坑道の入口は埋められ、至る道も立ち入り禁止になっている。領主主導で定期的に見回りを行っているが、長年の間に自然の木々が道を隠してわかる者しか登れなくなっている。その道には採掘時に捨てられた屑石がいくつも落ちている。また、自然の流れで削り出された水晶が川や湖に落ちていることもあった。
持ち込まれた原石は、マネジット領の『落ちている水晶』とは違ってきちんと採掘されたような状態だったが、青年の独り言が本当なら新しい鉱山だろうか。
親方は組合長にその独り言も報告した。組合長は盗品の照会とともに、王都の組合にオパール鉱山の情報も尋ねたが、今も昔も国内にオパール鉱山はない。
そこで、アニエスに頼んだのだ。
鉱山は国に届け出ることになっているため、組合よりも政府の方が先に情報を持っている場合もある。
ルシアンからの手紙で依頼されたアニエスは調べたが、ここ十年ほど新しい鉱山の登録はなかった。新規登録は珍しいため、そんなことがあれば話題になるから調べるまでもなかったが。――念のため、担当部署にオパール鉱山の届け出があったら教えてほしいと伝えておいたが、アニエスが退官するまでに連絡はなかった。
「私が辞めるまでの間にも鉱山の届け出の話は聞いていないわ」
「うーん、やっぱりそうか。特に市場に出回ってもいないようだからなぁ。国外って可能性もあるし」
西岸三国はもともと同じ民族で、言語も同じ。同盟国で移住や旅行も簡単なため、人の行き来も多い。一見しただけではわからない。
「失礼いたします」
先ほどの職員が戻ってきて、テーブルの上に黒いビロード貼りのトレーを恭しく置いた。
トレーの上には乳白色の石が載っていた。
とろりとした柔らかい光沢で、ごくわずかに緑色を帯びた白のコモンオパール――色によって様々な名前がつくがこれはミルキーオパールだ。
「まあ」
アニエスは目を丸くした。
「大きいわね。色も綺麗。貴族向けでも十分だわ」
オーロラのような独特の輝き――遊色効果――がないオパールをコモンオパールと呼ぶ。遊色効果のあるオパールより宝石としての価値は落ちるが、コモンオパールは色も様々で、物によってはそれなりの値段になる。
これは希少なタイプではないが、銅貨ほどの大きさがあり見栄えがする。手ごろな金額で目立つ装飾品を作りたい需要に沿うだろう。
「ここにあるってことは依頼者は引き取りにこなかったの?」
「そうなんだ。盗品照会した件だったから、連絡先の王都の宿屋を警備隊が調べてくれた。そしたら、そんな客は泊まっていない、とさ」
組合長は腕組みをする。ルシアンは知っていたのか同じように難しい顔をした。
「依頼契約では半年経っても引き取りに来ない場合は、工賃の残額は組合が工房に支払い、品は組合が引き取る。そのあとは組合で売るなり好きに扱っていいことになっているが、盗品じゃないが出所が不確かなものを売るのもなぁ……」
「そういう品は多いの?」
「うちの職人街はもともと個人客向けじゃなかったから、引き取りに来ない客はほとんどないな」
組合長が振り返ると職員が「組合で今管理しているのはこのオパール含めて三つです」と答えた。
「たくさんあるのなら訳あり品だけ集めて売るイベントを企画してもいいと思ったのだけれど、少ないのなら王都の物産館の一角で売ったらいいのではない? どういう経緯なのか事細かに書いた説明を添えてね」
「いや、売るのはどうかっつう話をしてたんだが」
「事前に全部説明しておけば誰も文句は言わないわよ。持ち主が何人も亡くなったっていう宝石がオークションで高値で取引されるのよ? 謎の言葉を残して消えた依頼人、存在しないオパール鉱山……そう言われてから見たらなんとなく怪しげな色に見えてこない?」
アニエスはテーブルの上の宝石に手を向ける。
(私には、今流行りのホワイトチョコレート、その中でもパティスリー・キューリックのホワイトミントチョコレートにしか見えないけれど)
唸る組合長と対照に、ルシアンは乗り気になったようで、
「売れなくても話題にはなりそうだな。話題になれば依頼人の関係者が気づくかもしれない。……やってみよう」
数か月後、マネジット領の物産館に訳あり品コーナーが作られ、アニエスの提案は成功を収めた。
とある新人デザイナーがコンテストのために作成依頼していたペンダントトップ――完成前に本人が亡くなり遺族もおらず、コンテスト用といういわば私的作品だったため買い取り予定の客もいなかった品――が、悲劇の作品として新聞に取り上げられ話題になり、貴族に売れた。それをきっかけにして、そのデザイナーが生前残した他の作品にも日の目が当たり、オークションに出品されて高値で落札された。以来、掘り出し物があるかもしれないと、物産館の客も増えたのだ。
しかし、訳ありのコモンオパールが店頭に並ぶことはなかった。最終的にオパールはアニエスの元にやってくることになるが、もう少しあとの話である。
アニエスが実家に着くなり、父アドリアン・マネジットが駆け寄ってきた。アニエスが挨拶するより前に、がっと肩をつかまれる。
「公爵家から求婚なんてどういうことなんだ? アニエスは今までと同じく断るつもりなんだろう? 返事はどうしたらいいんだい?」
アニエスの両肩を掴んで揺らすアドリアンに、アニエスは顔をしかめた。
「お父様、痛いですから。離してください」
「ああ、すまない。だが、私の苦悩がわかるだろう?」
母のサビーナもやってきて、父の隣で困った顔でアニエスを見る。
「そうよ、ミナパート公爵家よ? 聞き入れてもらえるかしら」
アドリアンもサビーナも、アニエスが断る前提の心配をしているのが、ありがたいやらなにやら。今までを考えたら当然の反応ではあるが。
アニエスたち四姉弟は、多少色味は違うがアドリアンから髪色を、サビーナから顔立ちを、それぞれ引き継いだ。しかし、気弱な父とおっとりした母の性格は誰にも引き継がれなかった。ちなみに家族で一番気が強いのは姉ふたりだ。
「今回は王命なので断れません」
アニエスがそう宣言すると、両親ともに「え?」と固まる。
「アニエスが縁談を断らない、だと……?」
「まさか、アニエスが結婚を?」
「ええ。辺境伯夫人に異動することになりました」
「まあ! 本当に?」
「そうか、異動か! 栄転だな!」
「父上、何言ってるんですか。アニエス姉上もおかしな言い方しないでくださいよ」
冷静に突っ込んだのは弟のルシアンだった。
ルシアンは二十四歳。すでに結婚して、二歳になる息子もいる。マネジット伯爵家は次代もその次も安泰だった。アニエスが好きな仕事をできたのはルシアンのおかげでもあり、アニエスは密かに感謝していた。
「こんなところで話していないで、とりあえず中に入りましょう」
そう促されて、まだ玄関ホールに数歩踏み入れただけだったことに気づいた。アニエスたちの後ろでは、玄関扉を閉められずに執事が苦笑していた。
マネジット家の面々は居間に場を移した。ルシアンの妻ポーラも同席している。
アニエスに話し合いたいことはないため、家族会議ではなく報告会だ。
ソファに腰かけ、アニエスは室内を見渡す。
少し日に焼けたリーフグリーンの壁には領内のあちこちが描かれた小さな風景画がたくさん飾られている。その下の小卓には、家で一番大きな花瓶を使って鮮やかな菜の花が豪快に活けられていた。開いている窓からは風が入り、芝生の庭と木々、さらに領地の北の山が見える。
王都が近いからアニエスは季節ごとに帰郷していた。年季の入った屋敷は、慣れもあってやはり落ち着く。
ハーブティを一口飲んでから、アニエスは経緯を話し始めた。
縁談しか知らなかった家族は、アニエスが職を辞したことに驚いていた。
監査官の件だけは家族にも話せないが、補佐官を辞めたのは王太子妃に配慮した結果だということは伝えた。
「ここだけの話と言いたいところですけれど、触れ回っている方々がいるみたいなので、あまり意味がないかもしれませんね」
「もしかして、この方ですか?」
そう言ってルシアンが取り出したのは、コレットから聞いた『いけすかない連中』のひとりワッカー子爵からの求婚の手紙だった。
「昨日届きましたよ」
「うぅ……本当に届くなんて。私が王命で婚約した噂も出回っているはずなのに、行き違いかしら」
見たくはないがそうもいかない。
アニエスが顔を歪ませながら手に取ろうとすると、ルシアンの横からポーラが取り上げた。
「ワッカー子爵ってアニエスが十年前にお断りした方でしょう?」
二十二歳のポーラは母方のいとこだから、子どものころから家族ぐるみで仲良くしていた。姉弟たちと同程度にアニエスの過去は知っている。
「王宮メイドの友人が言うには、この歳で解雇されたら焦って結婚すると思われたんじゃないかって」
「まあ、図々しい」
ポーラは姉ふたりと似た性格で、歯に衣着せない。――母も、母の兄でポーラの父である伯父もおっとりした性格なのに、とアニエスはいつも不思議に思う。
皆が読んだあとに回ってきた手紙を開くと、婚姻が成立したら畜産物の取引で提携をしないかと書いてあった。
「縁談は断りますけれど、この提携は悪くない話ですわね」
アドリアンに見せると、ぎょっとされた。
「提携だけを打診するわけにはいかないよ」
「そうですよ、姉上」
「下手に関わりができると後々まで面倒なことになるわよ」
アドリアンだけでなくルシアンとポーラからも突っ込まれて、アニエスは「そんなに言わなくても」と不満を述べる。
「ちょっと言ってみただけじゃない。金額は悪くないんですもの」
「金額は悪くないが、相手が悪いぞ」
「誰もが、姉上みたいに効率や利益を最優先にしているわけじゃないですからね」
「話が通じない相手なんていくらでもいるのよ」
さらに突っ込まれてアニエスは閉口する。
にっこり微笑んだサビーナが、ワッカー子爵の手紙を取り上げて「却下の箱に入れておいてね」と執事に渡して、この話は終わった。
「それよりミナパート公爵家よ」
サビーナの手で取り出された手紙は、上質の紙に装飾枠が型押しされた豪華なものだ。ワッカー子爵家からの手紙とは別格だし、受け取ったマネジット伯爵家でも返信に気を遣う。
(筆頭補佐官として上位貴族とやり取りした際の便箋を持って帰って良かったわ)
そう思いながら、文面を確認する。
王の口添えでとあるが、それ以外はいたって普通の求婚状だった。
「お父様からは縁談をお受けすると返事してください。挨拶に伺いたいので日取りを尋ねる手紙を私が書くので、一緒に出していただけますか」
「あ、ああ……」
「なんですか?」
はっきりしないアドリアンを促すと、
「本当に結婚するんだな? 文官は辞めたんだな?」
「ええ」
「お前はいいのかい? できるかわからないが、アニエスがどうしても嫌だと言うなら公爵家にもお断りの返事を出すこともやぶさかでない」
姉たちに邪険にされアニエスに言いくるめられても怒ったりしないアドリアンが、珍しく険しい表情でそう言った。
自分の退官や結婚は予想以上に――学生時代に文官になると宣言したときよりもずっと、心配されているらしい。
アニエスの本意ではないと皆がわかってくれていることが、こそばゆい。
「お父様、ありがとう」
気遣ってくれる父に、アニエスはきっぱり首を振った。
「でも、辺境伯夫人として領地経営の職に就くことを決めたので、大丈夫です」
「アニエスはこうと決めたら曲げないからなぁ。わかった」
アドリアンは苦笑してため息をついたが、代わりに身を乗り出してアニエスの手を取ったのはサビーナだった。
「あのね、アニエス」
「お母様?」
「アニエスは職務の一環のつもりでも、結婚は結婚なのよ。お相手のあることです」
「それは……もちろんわかっています」
「フィリップ様とよくお話して、ふたりにとって良い夫婦の形を見つけなさいね?」
「……はい」
母の言葉は痛いところを突く。
辺境伯夫人や領地経営は想像できる。
しかし、夫婦と言われてもよくわからない。
できるだけ後回しにしたい懸案だった。
::::::::::
マネジット伯爵領は王都の東側に位置する小さい領地で、ほんのわずかな部分が王都に接していた。
その接しているところに街道が通っているが、街道も領地内を通過するのはほんのわずかだ。街道の設置計画中、地形や王都内の土地所有権の都合でマネジット伯爵領を少しだけ通過することが決まったとき、その土地を政府で買い上げる打診があった。当時の当主だった曾祖父は、もともと狭い領地がさらに減るのを嫌ってそれを断った。その代わり、マネジット伯爵領を通る部分は通行料がかからないことになっている。
アニエスが学生のころは、三女の持参金も危うい弱小貴族だった。
しかし、今は中の中くらいには持ち直していた。
それは、街道を利用して王都から観光客を呼び込むことに成功したからだ。
「エルフィーヌ湖公園は、今のところ大きな問題はありませんよ」
「それなら良かったわ」
報告会のあと、ルシアンに呼び止められたアニエスは彼と一緒に職人組合に馬車で向かっていた。
ルシアンの言うエルフィーヌ湖公園は、領地の北部にある。
この湖の周辺はエルフが出てくるおとぎ話の舞台とされていて、領民の憩いの場になればと先代当主が湖畔を公園に整えた。しかし、街から離れた山の中のため、人出は全くなかった。
アニエスが文官になって、コレットを始めとした裕福な庶民と知り合ったことで、そのような人や下級貴族をターゲットにした観光地にできないかと考えたのだ。
マネジット伯爵領は王都の中心である王城前広場から馬車で二時間。エルフィーヌ湖まで行っても三時間はかからない。日帰りの遠出にはちょうどいい距離だった。
自然の雰囲気はそのまま、散策路を整えたり、市場や屋台村を作ったり、焚火で肉や野菜を焼いて食べられる野外レストランも作った。
市場には領地の特産の宝飾品技術を活かした小物を扱う店が多い。
百年以上前、エルフィーヌ湖のある山では水晶が取れた。その加工技術から発展して、領地には宝飾品や金具の職人が多かった。しかし、王都のデザイナーや宝飾品店などから注文を受けて制作する職人なので、直接客に販売していなかった。それを、注文品の合間に作れるような、真鍮やガラスや屑石を使った安価な小物を作ってもらい、エルフィーヌ湖で販売することにした。
それが人気になり、今年になってから領地の物産を紹介する店を王都に出した。安価な小物から高価な品までを取り扱い、休日には店の前からエルフィーヌ湖までの無料送迎馬車も運行している。
職人街では、領外から弟子希望者がやってきたりするなど、業界の活性化にもつながったようだ。
「私がいなくなっても大丈夫ね」
「アニエス姉上の発案や宣伝のおかげですよ」
「それは当然でしょう」
アニエスが胸を張ると、「そこは謙遜しないんですね……」とルシアンは苦笑する。
「それなら、ここの収益を持参金にしてさっさと誰かと結婚してしまえばよかったんですよ。騎士でも文官でも、仕事を続けてもいいと言う人なんていくらでもいるでしょう?」
「そこまでして結婚したいわけじゃなかったんだもの。こんなことになるとわかっていたら、誰か探したわ」
仕事が楽しかったのだ。
今さら後悔しても仕方ない。
夫になるフィリップが理解のある人であることを祈ろう。
ふてくされて窓の外に視線を逸らすと、ルシアンは話題を変えてくれた。
「ペルトボール辺境領は、何か名産があるんでしたっけ? あまり聞きませんよね?」
「そうね。皮革と木材を他領と取引しているようね。農地では自領で消費する分くらいしか生産されていないわ」
アニエスは王城の資料室で調べてきたことを答える。
ペルトボール辺境領は、国の南東の角から東辺に沿って伸びる細長い領地だ。北側には同様に東辺に沿った辺境領がふたつあり、その三領で国の東側を埋めている。
そもそもこの国モデラート王国は、大陸西岸に三国並ぶうちの南北中央。三国とも南北方向より東西方向の方が広い、横長の四角形に近い形をしていた。三国の東は山脈があり、その向こうはラルゴ王国という大国だ。
ペルトボール辺境領は山脈のふもとにあたるため、一番面積が広いのは森だった。そこで伐採した木や狩猟で得た皮革を取引している。
「皮ですか。うちで作っている金具と組み合わせれば何かできそうですね。そのときは親族待遇で取引お願いしますね」
ルシアンが目を輝かせる。
最優先ではないにしても、彼だって十分に利益重視なのだ。
そんな話をしながら到着した職人組合の事務所は、職人街の真ん中にある。どの家も工房兼住居なため、雑多な下町だが、アニエスもルシアンも慣れたものだ。
「アニエスお嬢さん、久しぶりだな」
出迎えてくれたのは老年の組合長だ。領民のざっくばらんな言葉使いはマネジット領では普通のことだった。
彼に案内された応接室のテーブルにはお茶より先に様々な金属小物が並べられた。
「まあ、ずいぶん個性的ね!」
宝石も彫刻もない板状のチャームは研磨技術を見せつけるよう。他にも、立方体や球体としか言いようのない小さなモチーフが髪飾りに仕立てられている。一方で、ベルトのバックルが立体的で写実的な獅子の頭になっているものもある。
どれも今までにない新しいデザインだった。
「新しく弟子になった者たちの作品なんだがね。どうかね、王都住まいのお嬢さんの目で見て、売れると思うかい?」
「そうねぇ。おもしろいと思うけれど、エルフィーヌ湖公園で売るにはどうかしら? 個性的なデザインはどちらかと言うと上級貴族向きよね……」
「そうなんだよなぁ。値段もな。他の物産品のような金額にはできねぇんだ」
組合長は腕を組む。
ルシアンは獅子のバックルを手に取って、
「このまま上級貴族向けに売り出すには技術的にどうなんだい?」
「まだ足りねぇな。……こいつはまあそこそこか」
組合長が指さしたのは立体や球体の作品だ。
「この人たちは、どちらかというとデザイナーになりたいのかしら?」
「うーん、どうだろうなぁ。俺は親方経由でしか話を聞いていないから、やっぱり直接話さないとならないか」
「外から弟子志望が入ってくるとやはり問題もあるかな?」
「いいや。それで問題が起こっても、後継不足より深刻ってことはないからな。想定内だ」
「エルフィーヌ湖公園の市場で売りたいなら、金額が見合うものを。王都の物産館で上級貴族向けに並べるなら、技術向上を先に。――というところかな」
ルシアンと組合長が話すのを聞きながら、アニエスは並んだ作品を見つめた。立体的な獅子や小さな球体を見て、思い出すものがあった。
「そういえば、大洋の向こうの輸入品を扱うダイカ商会で、根付という商品が売り出されたの」
アニエスは親指と人差し指で輪っかを作り、
「このくらいの大きさの、木彫りの動物や植物に絹の組み紐が付いている商品なの。この獅子みたいに頭だけじゃなくて、多少デフォルメされた全身像ね。私が見たのはもっとかわいらしい動物だったけれど、傾向としては似ている気がするわ。その根付を剣帯やレティキュールにつけている人を見たわ。そのまま真似はできないけれど、物産館の職員に買って来てもらったら参考になるかもしれないわよ」
「金属だとその大きさでもけっこう重くならないか」
「まあ、それは職人たちの努力でどうにかするところでしょう。彫刻じゃなくて、普段の宝飾品のように薄いパーツで組み立てたっていいんですから。ただ、丸みのある形のほうが持ち歩きやすそうではあるわ。それに、繊細なものは不向きでしょうね。ああ、ブレスレット向けのチャームを少し大きくして、バッグにつけるチェーンを作って、好きに組み合わせられるようにするのもおもしろそうね」
アニエスが思いつきで話すと、組合長とルシアンは顔を見合わせる。そんな彼らに、
「これからは、王都の流行の情報は物産館の職員に集めてもらうようにしてください」
「ああ、すまん。お嬢さんに頼ってばっかりじゃ、負担だったな」
「いいえ、負担なんてことはないわ。ただ、私は結婚して王都からもマネジット領からも離れることになったから」
「ええっ! アニエスお嬢さんが結婚! 王太子様の筆頭補佐官はやめるのかい?」
「そうなのよ」
憂い顔を見せても良くないから、アニエスは真顔でうなずいた。――ここで微笑んだりはにかんだりする技能はアニエスにはない。
「へぇ! お相手は?」
「東のペルトボール辺境伯よ」
「辺境伯様! さすが出世頭は違うやね! 結婚式はいつだい? 宝飾品はもちろんエドゥールズに注文するんだろう。職人総出ではりきって作るぞ」
エドゥールズはマネジット領随一の仕立て屋で、宝飾品のデザインもしてくれる。マネジット家のドレスは全てエドゥールズで仕立てられていた。
「まだ先方への挨拶も済んでいないからはっきりしないの。こちらの希望が通るかわからないけれど、もしできたらそのときはお願いするわね」
組合長にあいまいに首を振ってごまかし、アニエスはふと疑問に思う。
夫になるフィリップはすでに辺境伯領に引っ越したと聞いた。急ぎの結婚なのに、式はするのだろうか。
そこで、テーブルに並べられていた試作品を片づけていた職員が組合長に声をかけた。
「組合長、アニエス様にあのコモンオパールを見ていただいたらいいんじゃないですか?」
「ああ! そうだそうだ」
組合長は膝を手で打って、職員に「持ってきてくれ」と頼む。
「前にお嬢さんにオパール鉱山のことを調べてもらっただろ?」
「ええ。半年ほど前のことよね」
アニエスは思い出す。
ひとりの青年が領内の宝石研磨工房にやってきて、「これは宝石だろうか?」と原石を持ち込んだ。親方がコモンオパールだと答えると、青年は価値を聞く。
『うちは研磨屋なもんでね。鑑定はやってないんだがな』
親方はそう断りながらも、大体の相場を教えた。青年は、なるほど、とうなずき、
『これを研磨してもらえるだろうか?』
マネジット領の工房は扱っているものが宝飾品だけに、盗品が持ち込まれる可能性も考えている。個人客や一見客は工賃を半額もらって引き受けておき、受け渡し日を通常より長めに設定して時間を稼ぐ。王都にある宝飾品店組合と宝飾品職人組合は、国あるいは同盟国内の盗難情報を騎士団から得ており、各領地の組合に随時提供している。持ち込まれた品に盗難届が出されていたら騎士団に通報し、受け取りに来た依頼人を捕まえてもらうのだ。
そのときの親方も青年を警戒して、十日後の受け渡し日で引き受けた。青年は親方に疑われているとは全く思っていなそうな自然な態度だったから、親方は取り越し苦労かと思ったそうだ。――実際に盗難届は出ていなかった。
そこで、工房から出ていく際、青年が独り言をこぼした。
『もしかしたらもっと落ちているかもしれない』
マネジット領は百年以上前に水晶の鉱山があった。山の頂上近くにある坑道の入口は埋められ、至る道も立ち入り禁止になっている。領主主導で定期的に見回りを行っているが、長年の間に自然の木々が道を隠してわかる者しか登れなくなっている。その道には採掘時に捨てられた屑石がいくつも落ちている。また、自然の流れで削り出された水晶が川や湖に落ちていることもあった。
持ち込まれた原石は、マネジット領の『落ちている水晶』とは違ってきちんと採掘されたような状態だったが、青年の独り言が本当なら新しい鉱山だろうか。
親方は組合長にその独り言も報告した。組合長は盗品の照会とともに、王都の組合にオパール鉱山の情報も尋ねたが、今も昔も国内にオパール鉱山はない。
そこで、アニエスに頼んだのだ。
鉱山は国に届け出ることになっているため、組合よりも政府の方が先に情報を持っている場合もある。
ルシアンからの手紙で依頼されたアニエスは調べたが、ここ十年ほど新しい鉱山の登録はなかった。新規登録は珍しいため、そんなことがあれば話題になるから調べるまでもなかったが。――念のため、担当部署にオパール鉱山の届け出があったら教えてほしいと伝えておいたが、アニエスが退官するまでに連絡はなかった。
「私が辞めるまでの間にも鉱山の届け出の話は聞いていないわ」
「うーん、やっぱりそうか。特に市場に出回ってもいないようだからなぁ。国外って可能性もあるし」
西岸三国はもともと同じ民族で、言語も同じ。同盟国で移住や旅行も簡単なため、人の行き来も多い。一見しただけではわからない。
「失礼いたします」
先ほどの職員が戻ってきて、テーブルの上に黒いビロード貼りのトレーを恭しく置いた。
トレーの上には乳白色の石が載っていた。
とろりとした柔らかい光沢で、ごくわずかに緑色を帯びた白のコモンオパール――色によって様々な名前がつくがこれはミルキーオパールだ。
「まあ」
アニエスは目を丸くした。
「大きいわね。色も綺麗。貴族向けでも十分だわ」
オーロラのような独特の輝き――遊色効果――がないオパールをコモンオパールと呼ぶ。遊色効果のあるオパールより宝石としての価値は落ちるが、コモンオパールは色も様々で、物によってはそれなりの値段になる。
これは希少なタイプではないが、銅貨ほどの大きさがあり見栄えがする。手ごろな金額で目立つ装飾品を作りたい需要に沿うだろう。
「ここにあるってことは依頼者は引き取りにこなかったの?」
「そうなんだ。盗品照会した件だったから、連絡先の王都の宿屋を警備隊が調べてくれた。そしたら、そんな客は泊まっていない、とさ」
組合長は腕組みをする。ルシアンは知っていたのか同じように難しい顔をした。
「依頼契約では半年経っても引き取りに来ない場合は、工賃の残額は組合が工房に支払い、品は組合が引き取る。そのあとは組合で売るなり好きに扱っていいことになっているが、盗品じゃないが出所が不確かなものを売るのもなぁ……」
「そういう品は多いの?」
「うちの職人街はもともと個人客向けじゃなかったから、引き取りに来ない客はほとんどないな」
組合長が振り返ると職員が「組合で今管理しているのはこのオパール含めて三つです」と答えた。
「たくさんあるのなら訳あり品だけ集めて売るイベントを企画してもいいと思ったのだけれど、少ないのなら王都の物産館の一角で売ったらいいのではない? どういう経緯なのか事細かに書いた説明を添えてね」
「いや、売るのはどうかっつう話をしてたんだが」
「事前に全部説明しておけば誰も文句は言わないわよ。持ち主が何人も亡くなったっていう宝石がオークションで高値で取引されるのよ? 謎の言葉を残して消えた依頼人、存在しないオパール鉱山……そう言われてから見たらなんとなく怪しげな色に見えてこない?」
アニエスはテーブルの上の宝石に手を向ける。
(私には、今流行りのホワイトチョコレート、その中でもパティスリー・キューリックのホワイトミントチョコレートにしか見えないけれど)
唸る組合長と対照に、ルシアンは乗り気になったようで、
「売れなくても話題にはなりそうだな。話題になれば依頼人の関係者が気づくかもしれない。……やってみよう」
数か月後、マネジット領の物産館に訳あり品コーナーが作られ、アニエスの提案は成功を収めた。
とある新人デザイナーがコンテストのために作成依頼していたペンダントトップ――完成前に本人が亡くなり遺族もおらず、コンテスト用といういわば私的作品だったため買い取り予定の客もいなかった品――が、悲劇の作品として新聞に取り上げられ話題になり、貴族に売れた。それをきっかけにして、そのデザイナーが生前残した他の作品にも日の目が当たり、オークションに出品されて高値で落札された。以来、掘り出し物があるかもしれないと、物産館の客も増えたのだ。
しかし、訳ありのコモンオパールが店頭に並ぶことはなかった。最終的にオパールはアニエスの元にやってくることになるが、もう少しあとの話である。
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