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第二章 辺境伯家での生活
ブランとの出会い
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ミモザナ王国の北の国境は辺境伯領がふたつ並んでいる。そのうちの東にあたる内陸側がパターリアス辺境伯領だった。
ミモザナ王国の北はマグノリアス王国で、両国とも国境近くは森になっているため、国境を定めたあとは険悪になったことがない。魔獣対策で協力することもある同盟国だ。
王都からパターリアス辺境伯領まで七日かかった。
「城下町に入ったわよ」
クレアに教えられて、ステラは馬車の窓から外を覗く。
石畳の広い馬車道。両脇の歩道には何人もの人が歩いている。道に面した建物は商店が多いようで、活気があった。
辺境伯家の紋章付きの馬車のため、気づいた人々が手を振ってくれる。ラージエンド子爵家の領地ではこんなに歓迎されたことがないため、ステラは驚いた。外に向かって手を振るクレアに「ステラも手を振ってあげて」と言われて、おっかなびっくり手を振ると、わっと皆が沸いた。「お嬢様!」という掛け声が聞こえて、ステラはクレアに尋ねる。
「領民にも私のことを知らせてあるのですか?」
「ええ、そうよ」
パターリアスの城は、領都の中心にあった。敷地は石造りの高い城壁に囲まれていて、その外側は堀。城というより砦だった。
「戦乱の時代は城下町の道は細く入り組んでいたんですって。ここ百年で内外の情勢が落ち着いてから、広い道に整備したそうよ」
戦乱時代は三百年前――ムスカリラ王国の初代聖女の時代だ。
遺物もたくさんあるから調べてみるとおもしろいわよ、とクレアは教えてくれた。
そんなことを話しているうちに馬車は堀を渡る。城壁の門は開いており、生垣で囲まれた道をまっすぐ進む。見えてきた建物は王都屋敷と同じような見慣れた建物だった。
「普通のお屋敷なんですね。もっと、砦みたいな建物を想像していました」
「ふふっ、そうよね。わかるわ。城壁があれですもの」
クレアは笑って、
「屋敷は先々代のときに建て直したそうよ」
馬車はすぐに止まる。
ブルーノの手を借りて降りると、屋敷の前にはたくさんの人がステラを待っていた。
ロータリーの両脇にはお仕着せ姿の使用人が並んでいる。真ん中に集まっているのが辺境伯家の親族だろうか。男性は赤毛で体格の良い人ばかりだ。
その中でひとりだけ金髪で細身の男性がいて、目立っていた。彼がステラの前に進み出る。
「初めまして、ステラ。私が君の養父になったパターリアス辺境伯だ。ダレルと言う」
「初めまして、ステラと申します。私を引き取ってくださってありがとうございます」
ステラは深く礼をした。
「気楽にしてくれ。そんな丁寧な対応ができる人間なんてここにはいないんだ」
ダレルは青い瞳を細めて微笑んだ。
そこでダレルの横や後ろから手が出てきて、「早く紹介しろ」「わしが先だ」など言いながらダレルを押す。
ダレルは鬱陶しそうに手を払いのけると、ステラの横に立っていたクレアに目配せした。
クレアはひとつうなずき、パンッと手を叩く。
「整列!」
クレアの一声で、ざわざわしていた親族たちがばっと横一列に並んだ。
その勢いにステラはびくっとして、少し後退る。
「お義父様から、年齢順に自己紹介をお願いいたします」
クレアがそう言うと、ダレルの横にいた五十代くらいの男性が一歩前に出て、
「わしはダレルの父親のニコラスだ」
「ステラです。よろしくお願いいたします。あの、お祖父様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
ステラはクレアから、お祖父様と呼ぶと喜んでくれると助言されていた。厳しい顔で見下ろすニコラスに恐る恐る尋ねると、彼は重々しく「うむ」とうなずいた。
「構わないぞ」
「ありがとうございます、お祖父様」
ほっとしたステラが笑顔を浮かべると、ニコラスは「お祖父様……! これが孫娘か!」と感動を噛み締めた。拳を握って目を閉じているニコラスの様子は、王都屋敷滞在中にオスカーがたまにやっていた仕草だ。こういうときのオスカーは放置で良いとブルーノに言われていたけれど、ニコラスはどうなのか。ステラがちらりとブルーノを見ると、彼は「放置で問題ありません」とうなずいてくれた。
ニコラスが一歩下がって列に戻ると、今度はダレルを挟んで逆隣の男性が前に出た。妻と子も一緒だ。
そうして順番に紹介されたのは、ダレルの一番目の弟ラルフの一家、二番目の弟ショーンの一家だ。ラルフには息子がひとり、ショーンにはふたり。ラルフの息子はオスカーより年上で、ショーンの息子はふたりともステラより年下だった。
叔父たちは領地内の別の街にそれぞれ住んでいるそうだ。爵位は持たず、町長の仕事をしている。ニコラスも普段は北の砦に詰めているらしい。ステラのためにわざわざ集まってくれたのがうれしい。
今日は来ていないが、ニコラスにも弟がひとりおり、見事に男ばかりだ。
それなら妻たちの立場が弱いかというとそうでもなく、クレアが号令をかけたように、叔父たちの妻も肝が据わっていそうな感じだ。
気弱な態度ではやっていけないのでは? とステラは思う。
オスカーから小動物を愛でるような扱いを受けているのは薄々感じていたけれど、こちらの皆も同じ気配がする。
――お兄様は「小さくてかわいい」って言っていたから、大きくなれば扱いも変わるかしら。
的外れな目標を立てるステラだった。
::::::::::
「わぁっ、綺麗!」
「そうだろう、そうだろう」
木々の向こうに見えてきた翠の湖水にステラが喜色を見せると、ニコラスは満足気にうなずいた。
ステラが辺境伯領にやってきて二ヶ月が経った。季節は初夏だ。
辺境伯家の皆はステラに非常に良くしてくれている。
先月のステラの誕生日はダレルとクレアとニコラスを始め、屋敷の使用人も祝ってくれた。叔父たちとオスカーは来られなかったけれど、素敵な贈り物が届いた。
ステラは家庭教師をつけてもらい学んでいる。算術や共通語、礼儀作法などはムスカリラ王国と変わらない。一方ミモザナ王国の歴史や地理は初めて習うことばかりで、楽しかった。ムスカリラ王国から辺境伯領までの旅のおかげで、知識と経験が結びつくのもおもしろい。
今日は北の砦を訪れていた。この時期は一年で一番魔獣が出ないそうで、ニコラスが砦の周辺を案内してくれている。
北の砦は、国境の森の近くに建てられている。警戒対象は他国ではなく魔獣だ。森から出てきた魔獣を退治し、定期的に討伐隊を組んで森に入っているそうだ。
砦に近いところは木もまばらで、獣もおらず、きちんと対策しておけば散策くらいは可能だと、ステラは連れてきてもらっている。
騎士団員たちの一押しだと言う湖に来ていた。
柱のような立派な木々の間から光が差し、幻想的な陰影を作っている。対岸が見えるほどの小さな湖はひっそりと静かだ。足を踏み入れてしまうのがもったいないようで、ステラは躊躇してしまう。
しかし、ニコラスはお構いなしにずんずんと進んでいく。ステラのために下草を踏んでならしてくれたから、青々した草の匂いが広がる小道にステラは足を進めた。
誰かが置いたのか、座るのにちょうど良い石が三つ並んでいて、ステラとニコラスは腰掛けた。騎士たちは立ったままだ。お付きはブルーノだけで、マーサは砦で留守番だ。そのブルーノがステラに水筒を渡してくれる。
「ずっと歩いてきましたがお疲れではないですか」
「ううん。まだ大丈夫」
「努力の成果だな」
ニコラスも褒めてくれる。
ステラは少し背が伸びた。もともと健康だったこともあり、普通に食べられるようになってからは痩せていたころの名残はない。
毎日体力作りも欠かさない。ニコラスだけは「鍛錬など危ないではないか」と心配していたが、ダレルもクレアも賛成してくれ、ブルーノの指導の元、走ったり柔軟体操をしたりしている。鍛錬というほどの運動ではない。今日の散策でニコラスももう反対しないだろう。
「夏にはわしの弟が弟子を連れて遊びにくるぞ」
「えっと、大叔父様ですよね」
「そうだが、適当にお前とかあいつとか呼んでやればよい」
「まあ!」
ニコラスの冗談にステラは笑う――ニコラスは本気だったが。
「家を飛び出して傭兵になりおってな」
「傭兵?」
「そうだ。うちのように常時魔獣対策が必要ではないが、時期によっては備えがいる土地もあってな。そういうところを転々とするのだと」
「そんなお仕事もあるのですね」
ステラが感心するとニコラスは苦笑した。
「弟子はステラと同じくらいの年だ。仲良くするといい」
「はい。がんばります」
休憩のあと、ステラは湖の周りを見て歩くことにした。交代で休憩を取っている騎士ふたりを残して、ほぼ全員で歩く。
ふと木の下に白いものが見えて、ステラは足を止めた。よく見ると鳥だ。翼が傷ついているのか、広げたまま、力なく倒れている。
ステラは何も考えずに駆け出し、鳥に手を伸ばした。
十分に警戒しないといけない場所だということは、すっぱりと頭から抜け落ちていた。
取り囲んでいた騎士たちも、隣のニコラスも、後ろにいたブルーノも、ステラの突然の動きについていけなかった。今まで大人しくしていたステラが予想外の行動をとると思っていなかったのだ。
白い鳥はステラが触れると、ふるりと身体を震わせた。生きているようだ。
ほっとしたのもつかの間、がさっと大きな音が正面から聞こえ、ステラは顔を上げた。
そこに、何かがいる。
濁った灰色の毛の塊。獣のようで獣ではない。唸り声はしない。腐ったような匂いが鼻についた。
灰色の真ん中に赤黒い澱のような一対の目。
結局どんな姿形なのか聞けないままだったけれど、相対したらすぐに気づいた。
――魔獣だ!
実際は一瞬の出来事だった。ステラが顔を上げたあと一呼吸もなく、魔獣は飛びかかってきた。
避けるどころか悲鳴を上げる間もなかった。
強い光がステラの胸元から発され、魔獣はステラに当たる前に煙のようにすうっと消えていった。
ぽてっとステラは尻餅をつく。両手に白い鳥を持ったままなのがなんだか間が抜けている、と動かない頭の片隅で思った。
「ステラっ!」
すぐさまニコラスに抱き上げられ、ブルーノに渡される。
「状況確認!」
ニコラスや騎士が森の奥を警戒する中、ステラはブルーノに抱えられ、湖岸まで戻った。
「お嬢様! ステラお嬢様! わかりますか?」
「は、はい……」
「どこか痛いところは?」
「あ……大丈夫。……聖女の護符が守ってくれたみたい。魔獣は当たってないわ」
ステラが返事をすると、ブルーノは大きなため息を吐いた。
「お嬢様、ご無事で何よりです」
ですが! と、彼は目を吊り上げる。
「危険な森だとわかっていたのに、どうして飛び出したりしたのですか?」
「えっと、白い鳥がいて……」
この子、とステラは両手を掲げて見せる。
鳥は大人しくステラの手の中にいた。変わらずぐったりしている。
鳥を見たブルーノは、
「お嬢様がお優しいのはわかっていますが、何かを助けるときは周りに注意を払ってください。助ける前にお嬢様が倒れてしまっては意味がありません」
「はい……気をつけます。ごめんなさい」
他に魔獣がいないか探っていたニコラスも、
「ステラは警戒や安全確認の特訓をすべきだな」
「ええ、そうですね。あとは森や街中で敵から身を隠す特訓もしましょう」
「ああ。念のため、室内の場合も教えておいてくれ」
「わかりました」
どんな敵を想定しているのだろう、と内心首をかしげつつ、ステラは「がんばります」と返事するしかなかった。
白い鳥は砦に連れて帰った。
一連の報告を受けたマーサからステラが怒られている間に、鳥は鳥獣に詳しい厩番が診てくれた。
「彼が言うには、カラスではないか、と」
鳥を寝かせた鳥籠を持って戻ってきたブルーノがそう教えてくれた。
「カラス? 白もいるの?」
ステラが知っているカラスは黒だ。辺境伯領の固有種なのかと思ったけれど、そうではなく突然変異らしい。
「翼は治っているそうです。聖女の護符の効果ですかね。明日になったら目を覚ますでしょうから、外に放してあげましょうね」
ステラは一泊だけして明日には領都に戻る予定だ。
北の森に住んでいる野生の生き物を連れて帰るわけにはいかない。
「わかったわ。一晩だけだから、この部屋で診ていたらだめ?」
マーサもブルーノも「仕方ないですね」と了承してくれた。
翌日。早起きしたステラが見に行くと、窓辺に置いた籠の中で白いカラスは目を覚ましていた。
白い羽は、幼いころに領地で見た白鷺を思い出す。このカラスは嘴も白い。
目は澄んだルビーのような赤だった。
「綺麗ね」
ステラが呟くと、カラスは褒められたのを理解しているかのように、カァと短く鳴いた。
それから、帰る時間になり、ステラたちを見送りに来たニコラスが、カラスを見て言った。
「ああ、こいつも赤目か」
「こいつも? 白い動物が他にもいるのですか?」
「いや。動物は知らないが……」
ニコラスは言葉を濁し、
「ステラは、このカラスの目が怖くないのか?」
「えっ! なぜですか? とっても綺麗だと思います」
「いや。魔獣の目も赤いだろう? 見なかったか?」
「見ましたけれど、全然違う色ですよね。魔獣の目はもっと黒っぽくて濁っていました」
ステラがそう答えると、ニコラスは「そうか、そうか」と何度もうなずく。
よくわからないまま、ニコラスは自己完結して、ステラにはそれ以上説明してくれなかった。
ブルーノが「お嬢様、カラスを放しますよ」と声をかけたから、ステラの意識も逸れた。
昨日診てくれた厩番が鳥籠を開けると、カラスは自分から外に出てきた。彼が差し出した腕に一度飛び移り、軽く羽ばたくと、そのまま高く飛んでいった。
あっさりした別れだった。
「カラスですから」
ステラががっかりしたのを察した厩番はそう慰めてくれた。
そして、領都までの帰路。
「なんか、いますよね」
「いますわね」
馬車の天井を見上げて、ブルーノとマーサが顔を合わせる。
そう言われて耳を澄ませると、カァと鳴き声がする。
「カラス?」
「はい」
「そのようですわね」
馬車を止めて確かめると、白いカラスが屋根にとまっている。
御者が手を伸ばしたら飛び立ったのだけれど、少し走らせるとまた戻ってきた。
「ブランが一緒に来たいって言うのだから、仕方ないわよね?」
「お嬢様、いつの間に名前つけてるんですか」
馬車の天井からカァと返事がきた。
結局、領都の城までついてきたカラスは、庭で一番高い木に居着いた。
聖女の護符の光を浴びた影響かもしれない、とダレルが言っていた。騎士が聖女の護符を発動させたときに乗っていた気性の荒い馬が従順になった事例があるそうだ。
ちなみに聖女の護符は使い切りで、ステラが発動させた護符は守袋の中で灰のようになって崩れてしまっていた。心配したクレアが、自分のものをステラに譲ってくれ、今はそれを肌身離さず持ち歩いていた
「ブラン!」
いつもの木にいるのを見つけてステラが呼びかけると、ブランは鳴いて返事をする。しかし、それだけですぐに羽繕いを再開する。ときどきは飛んで見せてくれるけれど、二、三度旋回したらどこかに行く。ステラの前に降りてくることはない。
エサは自分で探しているようだ。
飼っているような、住み着いているだけのような、おかしな関係だった。
でも、ダレルは猟師ギルドや城下町に、白いカラスはステラのカラスだから撃ち落としたり捕まえたりしないように通達してくれた。
今日のブランは、空を飛んでくれる。
初夏の空に白が映える。
ステラは手を振って、飛んでいくブランを見送った。
ミモザナ王国の北はマグノリアス王国で、両国とも国境近くは森になっているため、国境を定めたあとは険悪になったことがない。魔獣対策で協力することもある同盟国だ。
王都からパターリアス辺境伯領まで七日かかった。
「城下町に入ったわよ」
クレアに教えられて、ステラは馬車の窓から外を覗く。
石畳の広い馬車道。両脇の歩道には何人もの人が歩いている。道に面した建物は商店が多いようで、活気があった。
辺境伯家の紋章付きの馬車のため、気づいた人々が手を振ってくれる。ラージエンド子爵家の領地ではこんなに歓迎されたことがないため、ステラは驚いた。外に向かって手を振るクレアに「ステラも手を振ってあげて」と言われて、おっかなびっくり手を振ると、わっと皆が沸いた。「お嬢様!」という掛け声が聞こえて、ステラはクレアに尋ねる。
「領民にも私のことを知らせてあるのですか?」
「ええ、そうよ」
パターリアスの城は、領都の中心にあった。敷地は石造りの高い城壁に囲まれていて、その外側は堀。城というより砦だった。
「戦乱の時代は城下町の道は細く入り組んでいたんですって。ここ百年で内外の情勢が落ち着いてから、広い道に整備したそうよ」
戦乱時代は三百年前――ムスカリラ王国の初代聖女の時代だ。
遺物もたくさんあるから調べてみるとおもしろいわよ、とクレアは教えてくれた。
そんなことを話しているうちに馬車は堀を渡る。城壁の門は開いており、生垣で囲まれた道をまっすぐ進む。見えてきた建物は王都屋敷と同じような見慣れた建物だった。
「普通のお屋敷なんですね。もっと、砦みたいな建物を想像していました」
「ふふっ、そうよね。わかるわ。城壁があれですもの」
クレアは笑って、
「屋敷は先々代のときに建て直したそうよ」
馬車はすぐに止まる。
ブルーノの手を借りて降りると、屋敷の前にはたくさんの人がステラを待っていた。
ロータリーの両脇にはお仕着せ姿の使用人が並んでいる。真ん中に集まっているのが辺境伯家の親族だろうか。男性は赤毛で体格の良い人ばかりだ。
その中でひとりだけ金髪で細身の男性がいて、目立っていた。彼がステラの前に進み出る。
「初めまして、ステラ。私が君の養父になったパターリアス辺境伯だ。ダレルと言う」
「初めまして、ステラと申します。私を引き取ってくださってありがとうございます」
ステラは深く礼をした。
「気楽にしてくれ。そんな丁寧な対応ができる人間なんてここにはいないんだ」
ダレルは青い瞳を細めて微笑んだ。
そこでダレルの横や後ろから手が出てきて、「早く紹介しろ」「わしが先だ」など言いながらダレルを押す。
ダレルは鬱陶しそうに手を払いのけると、ステラの横に立っていたクレアに目配せした。
クレアはひとつうなずき、パンッと手を叩く。
「整列!」
クレアの一声で、ざわざわしていた親族たちがばっと横一列に並んだ。
その勢いにステラはびくっとして、少し後退る。
「お義父様から、年齢順に自己紹介をお願いいたします」
クレアがそう言うと、ダレルの横にいた五十代くらいの男性が一歩前に出て、
「わしはダレルの父親のニコラスだ」
「ステラです。よろしくお願いいたします。あの、お祖父様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
ステラはクレアから、お祖父様と呼ぶと喜んでくれると助言されていた。厳しい顔で見下ろすニコラスに恐る恐る尋ねると、彼は重々しく「うむ」とうなずいた。
「構わないぞ」
「ありがとうございます、お祖父様」
ほっとしたステラが笑顔を浮かべると、ニコラスは「お祖父様……! これが孫娘か!」と感動を噛み締めた。拳を握って目を閉じているニコラスの様子は、王都屋敷滞在中にオスカーがたまにやっていた仕草だ。こういうときのオスカーは放置で良いとブルーノに言われていたけれど、ニコラスはどうなのか。ステラがちらりとブルーノを見ると、彼は「放置で問題ありません」とうなずいてくれた。
ニコラスが一歩下がって列に戻ると、今度はダレルを挟んで逆隣の男性が前に出た。妻と子も一緒だ。
そうして順番に紹介されたのは、ダレルの一番目の弟ラルフの一家、二番目の弟ショーンの一家だ。ラルフには息子がひとり、ショーンにはふたり。ラルフの息子はオスカーより年上で、ショーンの息子はふたりともステラより年下だった。
叔父たちは領地内の別の街にそれぞれ住んでいるそうだ。爵位は持たず、町長の仕事をしている。ニコラスも普段は北の砦に詰めているらしい。ステラのためにわざわざ集まってくれたのがうれしい。
今日は来ていないが、ニコラスにも弟がひとりおり、見事に男ばかりだ。
それなら妻たちの立場が弱いかというとそうでもなく、クレアが号令をかけたように、叔父たちの妻も肝が据わっていそうな感じだ。
気弱な態度ではやっていけないのでは? とステラは思う。
オスカーから小動物を愛でるような扱いを受けているのは薄々感じていたけれど、こちらの皆も同じ気配がする。
――お兄様は「小さくてかわいい」って言っていたから、大きくなれば扱いも変わるかしら。
的外れな目標を立てるステラだった。
::::::::::
「わぁっ、綺麗!」
「そうだろう、そうだろう」
木々の向こうに見えてきた翠の湖水にステラが喜色を見せると、ニコラスは満足気にうなずいた。
ステラが辺境伯領にやってきて二ヶ月が経った。季節は初夏だ。
辺境伯家の皆はステラに非常に良くしてくれている。
先月のステラの誕生日はダレルとクレアとニコラスを始め、屋敷の使用人も祝ってくれた。叔父たちとオスカーは来られなかったけれど、素敵な贈り物が届いた。
ステラは家庭教師をつけてもらい学んでいる。算術や共通語、礼儀作法などはムスカリラ王国と変わらない。一方ミモザナ王国の歴史や地理は初めて習うことばかりで、楽しかった。ムスカリラ王国から辺境伯領までの旅のおかげで、知識と経験が結びつくのもおもしろい。
今日は北の砦を訪れていた。この時期は一年で一番魔獣が出ないそうで、ニコラスが砦の周辺を案内してくれている。
北の砦は、国境の森の近くに建てられている。警戒対象は他国ではなく魔獣だ。森から出てきた魔獣を退治し、定期的に討伐隊を組んで森に入っているそうだ。
砦に近いところは木もまばらで、獣もおらず、きちんと対策しておけば散策くらいは可能だと、ステラは連れてきてもらっている。
騎士団員たちの一押しだと言う湖に来ていた。
柱のような立派な木々の間から光が差し、幻想的な陰影を作っている。対岸が見えるほどの小さな湖はひっそりと静かだ。足を踏み入れてしまうのがもったいないようで、ステラは躊躇してしまう。
しかし、ニコラスはお構いなしにずんずんと進んでいく。ステラのために下草を踏んでならしてくれたから、青々した草の匂いが広がる小道にステラは足を進めた。
誰かが置いたのか、座るのにちょうど良い石が三つ並んでいて、ステラとニコラスは腰掛けた。騎士たちは立ったままだ。お付きはブルーノだけで、マーサは砦で留守番だ。そのブルーノがステラに水筒を渡してくれる。
「ずっと歩いてきましたがお疲れではないですか」
「ううん。まだ大丈夫」
「努力の成果だな」
ニコラスも褒めてくれる。
ステラは少し背が伸びた。もともと健康だったこともあり、普通に食べられるようになってからは痩せていたころの名残はない。
毎日体力作りも欠かさない。ニコラスだけは「鍛錬など危ないではないか」と心配していたが、ダレルもクレアも賛成してくれ、ブルーノの指導の元、走ったり柔軟体操をしたりしている。鍛錬というほどの運動ではない。今日の散策でニコラスももう反対しないだろう。
「夏にはわしの弟が弟子を連れて遊びにくるぞ」
「えっと、大叔父様ですよね」
「そうだが、適当にお前とかあいつとか呼んでやればよい」
「まあ!」
ニコラスの冗談にステラは笑う――ニコラスは本気だったが。
「家を飛び出して傭兵になりおってな」
「傭兵?」
「そうだ。うちのように常時魔獣対策が必要ではないが、時期によっては備えがいる土地もあってな。そういうところを転々とするのだと」
「そんなお仕事もあるのですね」
ステラが感心するとニコラスは苦笑した。
「弟子はステラと同じくらいの年だ。仲良くするといい」
「はい。がんばります」
休憩のあと、ステラは湖の周りを見て歩くことにした。交代で休憩を取っている騎士ふたりを残して、ほぼ全員で歩く。
ふと木の下に白いものが見えて、ステラは足を止めた。よく見ると鳥だ。翼が傷ついているのか、広げたまま、力なく倒れている。
ステラは何も考えずに駆け出し、鳥に手を伸ばした。
十分に警戒しないといけない場所だということは、すっぱりと頭から抜け落ちていた。
取り囲んでいた騎士たちも、隣のニコラスも、後ろにいたブルーノも、ステラの突然の動きについていけなかった。今まで大人しくしていたステラが予想外の行動をとると思っていなかったのだ。
白い鳥はステラが触れると、ふるりと身体を震わせた。生きているようだ。
ほっとしたのもつかの間、がさっと大きな音が正面から聞こえ、ステラは顔を上げた。
そこに、何かがいる。
濁った灰色の毛の塊。獣のようで獣ではない。唸り声はしない。腐ったような匂いが鼻についた。
灰色の真ん中に赤黒い澱のような一対の目。
結局どんな姿形なのか聞けないままだったけれど、相対したらすぐに気づいた。
――魔獣だ!
実際は一瞬の出来事だった。ステラが顔を上げたあと一呼吸もなく、魔獣は飛びかかってきた。
避けるどころか悲鳴を上げる間もなかった。
強い光がステラの胸元から発され、魔獣はステラに当たる前に煙のようにすうっと消えていった。
ぽてっとステラは尻餅をつく。両手に白い鳥を持ったままなのがなんだか間が抜けている、と動かない頭の片隅で思った。
「ステラっ!」
すぐさまニコラスに抱き上げられ、ブルーノに渡される。
「状況確認!」
ニコラスや騎士が森の奥を警戒する中、ステラはブルーノに抱えられ、湖岸まで戻った。
「お嬢様! ステラお嬢様! わかりますか?」
「は、はい……」
「どこか痛いところは?」
「あ……大丈夫。……聖女の護符が守ってくれたみたい。魔獣は当たってないわ」
ステラが返事をすると、ブルーノは大きなため息を吐いた。
「お嬢様、ご無事で何よりです」
ですが! と、彼は目を吊り上げる。
「危険な森だとわかっていたのに、どうして飛び出したりしたのですか?」
「えっと、白い鳥がいて……」
この子、とステラは両手を掲げて見せる。
鳥は大人しくステラの手の中にいた。変わらずぐったりしている。
鳥を見たブルーノは、
「お嬢様がお優しいのはわかっていますが、何かを助けるときは周りに注意を払ってください。助ける前にお嬢様が倒れてしまっては意味がありません」
「はい……気をつけます。ごめんなさい」
他に魔獣がいないか探っていたニコラスも、
「ステラは警戒や安全確認の特訓をすべきだな」
「ええ、そうですね。あとは森や街中で敵から身を隠す特訓もしましょう」
「ああ。念のため、室内の場合も教えておいてくれ」
「わかりました」
どんな敵を想定しているのだろう、と内心首をかしげつつ、ステラは「がんばります」と返事するしかなかった。
白い鳥は砦に連れて帰った。
一連の報告を受けたマーサからステラが怒られている間に、鳥は鳥獣に詳しい厩番が診てくれた。
「彼が言うには、カラスではないか、と」
鳥を寝かせた鳥籠を持って戻ってきたブルーノがそう教えてくれた。
「カラス? 白もいるの?」
ステラが知っているカラスは黒だ。辺境伯領の固有種なのかと思ったけれど、そうではなく突然変異らしい。
「翼は治っているそうです。聖女の護符の効果ですかね。明日になったら目を覚ますでしょうから、外に放してあげましょうね」
ステラは一泊だけして明日には領都に戻る予定だ。
北の森に住んでいる野生の生き物を連れて帰るわけにはいかない。
「わかったわ。一晩だけだから、この部屋で診ていたらだめ?」
マーサもブルーノも「仕方ないですね」と了承してくれた。
翌日。早起きしたステラが見に行くと、窓辺に置いた籠の中で白いカラスは目を覚ましていた。
白い羽は、幼いころに領地で見た白鷺を思い出す。このカラスは嘴も白い。
目は澄んだルビーのような赤だった。
「綺麗ね」
ステラが呟くと、カラスは褒められたのを理解しているかのように、カァと短く鳴いた。
それから、帰る時間になり、ステラたちを見送りに来たニコラスが、カラスを見て言った。
「ああ、こいつも赤目か」
「こいつも? 白い動物が他にもいるのですか?」
「いや。動物は知らないが……」
ニコラスは言葉を濁し、
「ステラは、このカラスの目が怖くないのか?」
「えっ! なぜですか? とっても綺麗だと思います」
「いや。魔獣の目も赤いだろう? 見なかったか?」
「見ましたけれど、全然違う色ですよね。魔獣の目はもっと黒っぽくて濁っていました」
ステラがそう答えると、ニコラスは「そうか、そうか」と何度もうなずく。
よくわからないまま、ニコラスは自己完結して、ステラにはそれ以上説明してくれなかった。
ブルーノが「お嬢様、カラスを放しますよ」と声をかけたから、ステラの意識も逸れた。
昨日診てくれた厩番が鳥籠を開けると、カラスは自分から外に出てきた。彼が差し出した腕に一度飛び移り、軽く羽ばたくと、そのまま高く飛んでいった。
あっさりした別れだった。
「カラスですから」
ステラががっかりしたのを察した厩番はそう慰めてくれた。
そして、領都までの帰路。
「なんか、いますよね」
「いますわね」
馬車の天井を見上げて、ブルーノとマーサが顔を合わせる。
そう言われて耳を澄ませると、カァと鳴き声がする。
「カラス?」
「はい」
「そのようですわね」
馬車を止めて確かめると、白いカラスが屋根にとまっている。
御者が手を伸ばしたら飛び立ったのだけれど、少し走らせるとまた戻ってきた。
「ブランが一緒に来たいって言うのだから、仕方ないわよね?」
「お嬢様、いつの間に名前つけてるんですか」
馬車の天井からカァと返事がきた。
結局、領都の城までついてきたカラスは、庭で一番高い木に居着いた。
聖女の護符の光を浴びた影響かもしれない、とダレルが言っていた。騎士が聖女の護符を発動させたときに乗っていた気性の荒い馬が従順になった事例があるそうだ。
ちなみに聖女の護符は使い切りで、ステラが発動させた護符は守袋の中で灰のようになって崩れてしまっていた。心配したクレアが、自分のものをステラに譲ってくれ、今はそれを肌身離さず持ち歩いていた
「ブラン!」
いつもの木にいるのを見つけてステラが呼びかけると、ブランは鳴いて返事をする。しかし、それだけですぐに羽繕いを再開する。ときどきは飛んで見せてくれるけれど、二、三度旋回したらどこかに行く。ステラの前に降りてくることはない。
エサは自分で探しているようだ。
飼っているような、住み着いているだけのような、おかしな関係だった。
でも、ダレルは猟師ギルドや城下町に、白いカラスはステラのカラスだから撃ち落としたり捕まえたりしないように通達してくれた。
今日のブランは、空を飛んでくれる。
初夏の空に白が映える。
ステラは手を振って、飛んでいくブランを見送った。
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