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第四章 境界の森
森への侵入者
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「これ何の色?」
「鉱物だって」
「へー」
タクトは王都で絵の具の元になる顔料をいくつか、肌に触れても問題ないものを選んで土産に買ってきてくれた。それをマニーグマレットの樹液に混ぜて爪用絵の具を作って、エマとタクトは遊んでいた。セドリックの結婚パーティで爪用絵の具を初めて作ったときから、二人はときどき森の素材を樹液に混ぜて遊んだ。
今タクトがエマの爪に塗っているのは、青緑色の絵の具だった。
「専門の素材はやっぱり違うわね」
「確かに。色がはっきりしてる」
森の素材はここまで色が強いものはなく、わずかに青い灰色だとか、赤みの強い茶色だとか、だいたい地味だった。
タクトが小筆でひと塗りするたびに、染色の仕事でうっすらまだらに染まっているエマの爪がくっきりとした青緑に変わる。
染色の染液は、色が出ていても水らしい透明度はある。一方で顔料を混ぜた絵の具は不透明だ。染液は材料から色だけを取り出したものだけれど、絵の具は色のついた鉱物自体を混ぜ込んでいるわけだから当然だけれど、おもしろい。透明な鉱物を混ぜたら透明な絵の具が作れるだろうか。
染料で染まった爪は元の色には戻らないけれど、絵の具は落とせばなくなる。本質から色を変えてしまう「染め」と、うわべだけを変える「塗り」。「塗り」の方が見た目上は色がはっきり出るし元の爪の様子を完全に隠してしまう。でも本当は「染め」の方が取返しがつかない。そして、染めを繰り返せば色は濃くなる。
そんなことを考えながら、エマはタクトが自分の爪を塗るのを見ていた。
いつの間にか、タクトは辺境伯家のメイドから教えを請い、爪の整え方まで覚えてきた。エマの爪は長くはないけれど綺麗な卵型になっていた。万が一ブリジットの結婚パーティに誘われたら、髪から化粧までエマの仕度はタクトができるんじゃないかと思うくらいだ。
「できた」
タクトが満足気に顔を上げる。エマは目の前に両手をかざした。角度を変えると青緑がキラキラ光る。わずかに濁りのような白みも見える。
「湖がこういう色になることがあるけど、水の色と石の色は、やっぱりちょっと違うわね」
「そうそう、湖が毎日色が違うって、ヴィオレットの森だけなんだね」
こっちの世界はどこもああなのかと思ってた、とタクトは苦笑した。
「ほら、やっぱり外に出てみて良かったでしょ?」
「はいはい。感謝してます」
タクトはおざなりに返事をしてから、
「あー、でも向こうの世界にも色が変わる沼ってあったかも」
「そうなの? その沼にも主(ぬし)がいるのかしら?」
「主ってあの影? え? あれのせいで色が変わってるの?」
「え? 違うのかしら。私ずっと主の気分で色が違うんだと思ってたわ」
エマが首を傾げたところで、アルコーブで寝ていたカイがふいに起き上がった。
「エマ! 誰かが森に入ったようだ」
「え? 迷子じゃないわよね。人?」
タクトが王都から帰ってきて二週間ほど。満月は過ぎて、新月はまだ先だ。しかも今は昼過ぎで太陽も高い。迷子が発生するのは夜だけだった。
こちらに来る迷子は夜だけだけれど、こちらから行く迷子は昼夜を問わない。だから、魔女の案内なしで森に入ったのが人なら、魔界に飛ばされてしまう危険があった。
「人間だな」
「カイ、先に行ける?」
「ああ、足止めしておく」
カイが空間を飛ぶ。
二人が話している間に、タクトはエマにケープを着せていた。菫色の髪をフードに収めると、「僕も行くから」と剣を取る。この剣は以前にダーツ辺境伯から贈られたものだ。
エマは、タクトが結んでくれた綺麗な蝶々結びのリボンを見て微笑んだ。
「うん、一緒に来て」
「鉱物だって」
「へー」
タクトは王都で絵の具の元になる顔料をいくつか、肌に触れても問題ないものを選んで土産に買ってきてくれた。それをマニーグマレットの樹液に混ぜて爪用絵の具を作って、エマとタクトは遊んでいた。セドリックの結婚パーティで爪用絵の具を初めて作ったときから、二人はときどき森の素材を樹液に混ぜて遊んだ。
今タクトがエマの爪に塗っているのは、青緑色の絵の具だった。
「専門の素材はやっぱり違うわね」
「確かに。色がはっきりしてる」
森の素材はここまで色が強いものはなく、わずかに青い灰色だとか、赤みの強い茶色だとか、だいたい地味だった。
タクトが小筆でひと塗りするたびに、染色の仕事でうっすらまだらに染まっているエマの爪がくっきりとした青緑に変わる。
染色の染液は、色が出ていても水らしい透明度はある。一方で顔料を混ぜた絵の具は不透明だ。染液は材料から色だけを取り出したものだけれど、絵の具は色のついた鉱物自体を混ぜ込んでいるわけだから当然だけれど、おもしろい。透明な鉱物を混ぜたら透明な絵の具が作れるだろうか。
染料で染まった爪は元の色には戻らないけれど、絵の具は落とせばなくなる。本質から色を変えてしまう「染め」と、うわべだけを変える「塗り」。「塗り」の方が見た目上は色がはっきり出るし元の爪の様子を完全に隠してしまう。でも本当は「染め」の方が取返しがつかない。そして、染めを繰り返せば色は濃くなる。
そんなことを考えながら、エマはタクトが自分の爪を塗るのを見ていた。
いつの間にか、タクトは辺境伯家のメイドから教えを請い、爪の整え方まで覚えてきた。エマの爪は長くはないけれど綺麗な卵型になっていた。万が一ブリジットの結婚パーティに誘われたら、髪から化粧までエマの仕度はタクトができるんじゃないかと思うくらいだ。
「できた」
タクトが満足気に顔を上げる。エマは目の前に両手をかざした。角度を変えると青緑がキラキラ光る。わずかに濁りのような白みも見える。
「湖がこういう色になることがあるけど、水の色と石の色は、やっぱりちょっと違うわね」
「そうそう、湖が毎日色が違うって、ヴィオレットの森だけなんだね」
こっちの世界はどこもああなのかと思ってた、とタクトは苦笑した。
「ほら、やっぱり外に出てみて良かったでしょ?」
「はいはい。感謝してます」
タクトはおざなりに返事をしてから、
「あー、でも向こうの世界にも色が変わる沼ってあったかも」
「そうなの? その沼にも主(ぬし)がいるのかしら?」
「主ってあの影? え? あれのせいで色が変わってるの?」
「え? 違うのかしら。私ずっと主の気分で色が違うんだと思ってたわ」
エマが首を傾げたところで、アルコーブで寝ていたカイがふいに起き上がった。
「エマ! 誰かが森に入ったようだ」
「え? 迷子じゃないわよね。人?」
タクトが王都から帰ってきて二週間ほど。満月は過ぎて、新月はまだ先だ。しかも今は昼過ぎで太陽も高い。迷子が発生するのは夜だけだった。
こちらに来る迷子は夜だけだけれど、こちらから行く迷子は昼夜を問わない。だから、魔女の案内なしで森に入ったのが人なら、魔界に飛ばされてしまう危険があった。
「人間だな」
「カイ、先に行ける?」
「ああ、足止めしておく」
カイが空間を飛ぶ。
二人が話している間に、タクトはエマにケープを着せていた。菫色の髪をフードに収めると、「僕も行くから」と剣を取る。この剣は以前にダーツ辺境伯から贈られたものだ。
エマは、タクトが結んでくれた綺麗な蝶々結びのリボンを見て微笑んだ。
「うん、一緒に来て」
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