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エリザの躍進

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 修道女になってそろそろ一年が経つ。
 エリザは順調に経典の翻訳を進めていた。
 資料がないとわからない歴史や外国文化の考証はハリー司祭が外部の専門家に相談してくれることになったから、エリザはひたすら古語や外国語を読んで訳す日々だ。
 エリザが現代語に翻訳した古語の経典は大人気らしい。『歴史モノ』と呼ばれて、愛好家も現れたとか。
 外国語を翻訳した経典のうち、特にトータン帝国やヤマタ王国など遠い国の経典は実際に行ける人がほとんどいないため、異文化に触れる機会としても人気らしい。
 ハリー司祭は視察に来るたびにエリザに経典の評判を教えてくれる。読者からの手紙ももらった。
 反応があるとエリザの熱も高まり、エリザは毎月二冊ほどのペースで仕上げていった。
 院長室で原稿を渡し、打ち合わせをする。そのあと、内壁の門までハリーを見送るのはいつのまにかエリザの役目になっていた。
 ちょうど休憩時間のため、小道を並んで歩いていると物陰から視線を感じる。
 それに気づいたハリーがおもしろがってエリザのウィンプルに触れると、「きゃー!」だとか「ぎゃー!」だとか温度の違う悲鳴が響く。
 恋愛は見て楽しむ派の人たちは、エリザとハリーが近づくのを喜んでいるらしい。オルガやマギーがこちらだ。二人からは「エリザとハリー司祭様は絵になるわー!」と言われている。ついでにハリーの護衛騎士のジョージも巻き込んで「三角関係もよくない?」などとありもしない物語を作られていた。
 一方、恋愛の主人公になりたい派の人たちからは、エリザは嫉妬の目を向けられていた。
 エリザはハリーの手からウィンプルを引き抜き、
「申し訳ないのですが、あまり近づかないでいただけると助かります……」
「シスター・エリザはこういうのは好まないですか?」
「私の場合、恋愛は見て楽しむものですから」
 エリザはそう言って数歩下がる。そうすると、ハリーとジョージが二人揃って視界に入る。
「このくらいの距離感が良いですね」
「ああ、それならば……」
 納得の表情を浮かべたハリーは、ジョージに近づくと背の高い彼を見上げ、そのまま真顔でじっと見つめる。察したジョージも苦笑いしながらだけれど、ハリーと見つめ合ってくれた。
 ここで聞こえてきた悲鳴は、喜色を帯びたものばかりだった。主人公になりたい派も、ハリーの相手が精悍な男性騎士なら許せるらしい。
 恋愛は見る派のエリザは、自分が当事者でないなら何でも楽しめる。
 祈るように両手を組んで、二人を讃えた。
「お二人とも、素敵です! ありがとうございます!」

 ハリーの戯れのせいか、その夜、夕食後の自由時間にエリザは談話室に呼び出された。心配したオルガも一緒についてきてくれた。
 予想通り、談話室にはハリーの特に熱心な信奉者たちが三人揃っていた。
「シスター・エリザ。あなたが経典の翻訳でハリー司祭様のお役に立っていることは確かだけれど、いくらなんでも近づきすぎではないですか?」
「そうよ。お見送りは今までシスター・サマンサの仕事だったのに、なぜあなたが?」
「それは、司祭様のご希望で、打ち合わせの時間を長く取りたいと……」
 エリザに文句を言われても困る。
 こうやって皆が騒ぐから余計におもしろがって、ハリーはエリザに近づくのだ。
「あなたなんて、古語が読めるだけでしょう!?」
 一人がそう言うと、オルガが反論してくれる。
「読めるだけって何よ! とっても重要なことじゃない! ハリー司祭様の溺愛はエリザの貢献に対する正当な報酬よ!」
「え、オルガ。なんだかいろいろ間違ってない? 溺愛? 報酬?」
 エリザはオルガを止めようと慌てるけれど、ハリーの信奉者たちがそれを遮る。
「私も古語が読めたら……」
「そうよ! そうしたらきっとシスター・エリザよりも司祭様と仲良くなれるわ!」
「私ならあのとき手を振り払ったりしなかったのに!」
 それを聞いてエリザは、はっと思いついた。
「シスター・レイラ! それです!」
 突然エリザに手を握られたレイラは「え? それって何よ?」と困惑する。
「愛を知ったら、愛を伝えるのですよ!」
「司祭様に伝えるってこと? そんなことできるわけないじゃない!」
「いいえ、司祭様にではありません。スプリング王国の信者の皆様に伝えるのです!」
「ええっ?」
「先ほど言いましたよね、私ならあのときって。それを物語にしませんか? シスター・レイラの考える経典を作るのです」
「私と司祭様の物語……」
 レイラは頬を染める。他の修道女が「レイラだけずるいわ」と声を上げたため、エリザは彼女たちも誘う。
「皆それぞれの物語を書けば良いのですよ! 私は全部読みたいです」
「本当に?」
「私も書いていいの?」
「ええ! 皆で書きましょう! 書き上がったら司祭様に見せてみますね。出版してもらえるようにがんばりましょう!」
 拳を握るエリザに、皆もそれぞれうなずく。
 話がまとまりかけたところで、オルガが割って入った。
「さすがに本人だとあからさまにわかるのはまずいんじゃない? 司祭様が出版部に持ち込むんでしょう? 自分が登場人物の本はやりにくいんじゃないかしら」
「そうね、オルガ。そうしたら、名前は出さずに『司祭』で通すのでもいいですか?」
「わかったわ」
「大丈夫よ」
「時代も少し昔に設定しましょうか。百年前くらいはどうですか?」
「百年前って?」
「ええと、『黄色の花咲くブリングサンダンド』や『放浪の王女と呪われた三人の眠れる王子』と同じ時代です」
 エリザが講堂の書棚にある経典のタイトルを例示すると、皆わかってくれた。
 あとは用紙を統一して枚数制限をかけた。
 それ以外は自由だ。ハリー司祭は作中でも司祭だが、自分に相当する人物は修道女にしなくてもいいことにした。
 エリザは経典読解の時間に翻訳しているが、彼女たちが使えるのは自由時間だけだ。だから、期日は長めに取った。
 円満に解散して、エリザとオルガは部屋に戻る。
「本当に司祭様に見せるの? 大丈夫かしら」
「大丈夫よ。愛を知ったあとは愛を伝えなさいってハリー司祭様がおっしゃっていたもの」
 不安がるオルガを横目に、エリザは皆がどんな話を書くのか今から楽しみだった。
 ――それが『黒百合司祭シリーズ』として巻数を重ねる人気アンソロジーになるなんて、このときはエリザもオルガも想像していなかった。

 ある日、エリザは次に翻訳する経典を決めるため、院長とともに経典庫の中にいた。
 順に取り出して机に置いてから、だいたいの内容を確認する。出版する際に同じような話が続かないように選んでいるのだ。
「まあ! 院長様! これ、『聖女カオルコ伝』だそうですよ!」
「あら、知らなかったわ。そんな経典があったのね!」
 聖女カオルコは出自不明と言われている。七百年前のスプリング王国で、海に現れた巨大な魔物を聖なる力で退けた。その後、当時の若き国王レジナルドと結婚したものの、子どもが生まれる前に王は早世してしまう。王弟が即位すると、聖女カオルコはこの修道院を建て、亡くなるまでここで過ごしたと伝えられていた。
 エリザは心を踊らせながら本を開く。
 すると、本文は古語ではなかった。
「えっ! ヤマタ王国の言葉? 少し違うのは現代語ではないからかしら。ああ、でも読めるわ」
 冒頭から読み始めたエリザは、驚きの連続だった。
(異世界転移? 異なる世界って、どういうこと?)
 この経典は、聖女カオルコの直筆のようだった。回顧録だろうか。
「シスター・エリザ、どうしたのです?」
 急に黙ってしまったエリザに院長が声をかける。
 エリザは顔を上げると、
「院長様、これが本当なら大発見です! こちらは聖女カオルコ直筆の回顧録だそうです。聖女様はこことは別の世界からやってきたと書いてあります」
「別の世界、ですか?」
 院長もよくわからないらしく、首をかしげた。
「聖女様が暮らしていた国はこの大陸にはなくて、言語も文化も、地理も歴史も何もかも異なるんだそうです。聖女様はその異世界から突然こちらに来たようで、ご本人も理由は不明だ、と……」
「女神ディーテの思し召しでしょうか」
「ええ。魔物からこの国を守るために女神が遣わしてくださったのかもしれませんね」
 院長は真剣な目をエリザに向けた。
「シスター・エリザ。この回顧録を訳してください」
「はい! もちろんです!」
 今まで以上に重大な仕事に、エリザは武者震いした。

 エリザが翻訳した回顧録から、ずっと謎だった聖女カオルコの出自が明らかになった。
 教会としても大発見だったので、出版の前に高位聖職者に審議してもらった。異世界出身など信じられないと言う声もあったが、回顧録に綴られた異世界の様子は嘘とは思えず、巷間に伝わるカオルコの突飛な言動も回顧録と合わせると納得がいくものになった。それに巨大な魔物を退ける特別な力を考えたら、出自も特別でおかしくない。
 回顧録はほぼ本物だと認定され、無事に出版された。
 ――『聖女カオルコ伝』の内容はこうだ。
 異世界で学生をしていたカオルコは十五歳のある日何の前触れもなく、この世界にやって来る。
 右も左もわからないが言葉だけは通じる中、カオルコが降り立ったのはまさに巨大魔物が襲いくる海辺だった。
 あちらの世界の伝承を参考に光を右手から発する攻撃をしてみたところ――本人の言では『ヤケクソでポーズをとってみた』ところ――、驚くことに本当に聖なる光線が発射された。それを受けた魔物はあっという間に崩れ落ち、海に還る。こうしてカオルコは転移して早々に国を救い、聖女に認定された。
 教会に籍を置いたカオルコだけれど、女神ディーテは愛の女神。聖職者も恋愛や結婚が可能だ。カオルコは若き国王レジナルドと恋に落ち、国中から祝福されて結婚する。
 結婚に至るまでの三年は、文化の違いから起こるトラブルやすれ違いなど、ドキドキハラハラの連続で、笑ったり切なさに涙したり、とても楽しい。
 結婚して一年も経たずにレジナルドが亡くなった場面では、エリザも訳しながら涙が止まらなかった。
 しかし、カオルコの人生はそのあとのほうが長い。
 レジナルドの次に即位した義弟から王妃に望まれたカオルコは、逃れるために修道院を建てた。聖カオルコ修道院が外と交流せず、女性の駆け込み先と言われるのはこのためだ。義弟はなかなか強引な人だったらしい。しかし、そんな彼にコメを探させたりするカオルコも負けていない。再婚はあり得なかったようだが、義理の姉弟としては仲良くしていた様子が察せられた。
 聖カオルコ修道院の戒律は、異世界の文化を取り入れている部分が大きいようだ。ラディーオ体操はその筆頭だった。『音楽はちょっと違うものになっちゃったけど』とカオルコは書いている。ナットゥーの製法を確立させるまでの苦労は、それだけで一つの物語になりそうだった。
 今は普通に流通しているミソやショーユも、ヤマタ王国から持ち込んだ調味料を参考に、カオルコが製法を編み出したらしい。これも新発見だった。――ヤマタ王国はカオルコの生まれた国と文字も文化も似ているそうだ。カオルコが祖国の言葉で書いた回顧録がエリザに読めたのは、そのせいだった。
「レジナルド様の最後の願いが、カオルコ様の教えに繋がるのね」
 エリザが翻訳する隣で最初の読者を務めていたオルガが、大きく息をついた。目尻に涙が浮かんでいるが、エリザも気持ちがわかる。
 レジナルドは突然の病に倒れたのだが、その病床でカオルコに「君は元気に長生きしてほしい」と願ったのだ。
「だから、カオルコ様の教えは美と健康を目指すものなのよ」
 院長とハリー司祭は話し合い、ラディーオ体操やマッサージなど秘伝でない教えは公開することにしたそうだ。その『聖女カオルコの教え』は院長を中心に執筆が進められて、『聖女カオルコ伝』のあとに出版され、ともに人気を博している。

 エリザは経典翻訳の功績で、伝道師の役職につくことになった。
「伝道師ですか? 女神の教えを説いて地方を巡ったりするのですか? 無理です。私にはできません」
 打診されたエリザは、話を持って来たハリー司祭に辞退を申し出る。
「大丈夫ですよ。シスター・エリザは今まで通りに翻訳してくれたら、それで伝道師の仕事をしているとみなされます」
「今まで通りでいいのですか?」
「ええ」
 うなずいたハリー司祭は苦笑する。
「シスター・エリザの功績が大きくなりすぎて、一修道女のままではよろしくないという意見が出ましてね。教会の都合で申し訳ありません。できるだけあなたの希望に沿うように取り計らいますので、何でも言ってくださいね。信者を集めて演説がしたくなったら場を設けますよ」
「いいえ! それは絶対ありません!」
 エリザは王太子の婚約者として人前に立ったことがあるが、楽しんでいたわけでも得意だったわけでもない。やらなくていいならやりたくない。
「中央教会で任命式がありますから、それには出席してくださいね」
 ハリー司祭ににっこり笑って言われ、エリザは仕方なくうなずくのだった。
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