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第4章

遠ざかる宇宙の壁(1)

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 違和感の始まりは、家の扉を開けた時からだった。
 何となく、空気が違うような気がしたのだ。どう違うかと言われたら、わからないけれど。
 それに。

「あれ……いない」

 門を開いて、誰もいない空間を見て呟く。大抵、待ち構えたように叶多がここに立っているのに。
 私が学校へ行く時間は、大体毎朝変わらない。いつからかその時間を覚えた叶多は、それに合わせて門の前で待つようになっていたのだ。
 夏休みに入ってからは毎日一緒に行っていたから、いないというのは珍しいと思った。
 ……でもまあ、約束をしているわけではないし、今まで一度もなかったというわけでもない。寝坊した叶多が空を飛んで追いついてきたこともあった。
 だから、その時は大して気にしなかったのだ。私に寝ろ寝ろ言いながら、叶多の方が夜更かししたんじゃないかくらいに考えていた。昨夜の違和感は、すっかり忘れ去っていたから。
 けれど、駅に着いて、電車に乗って、学校の最寄り駅へ着いても、叶多に会うことはなかった。
 もしかしたら、先に行ってるのかも。学校までの長くも短くもない道を歩きながら、そんなことを考えていた。叶多、たまに図書室に寄っていろいろ調べているから、そういうのかもしれないし。
 いつもの空き教室で、待っているだろう、と見当をつけて、私は呑気に、門の見え始めた道を歩いた。
 そうして、学校に着く。空き教室の扇風機がまわっているのが廊下から見えて、そこに叶多がいることを疑いもしなかった。

「おはよう叶多、……あれ?」

 だから、扉を開きながらそう言って……しかし、すぐに違和感に気が付いた。
 がらんどうの教室。叶多どころか、誰の姿も無い。それに、何かが違う気が、する。
 叶多は、まだなのだろうか。まさか本当に、寝坊なのだろうか。行く前に、家に寄ってくれば良かったかも?

「あ、澄ちゃんおはよー」

 入口に立ち尽くしたままの私の背後から、脳天気な声が飛んでくる。振り向くとやはり、真理がいた。

「あ……おはよう、真理」
「うん。今日も暑いねー」

 短いやりとりを交わして、真理は入口に突っ立っている私を抜かして教室へと入っていく。いつも座る机に、図書室から借りてきたのだろう参考書を置いている。よく見ると机の横に鞄が置いてあったから、先に教室に来ていたのだろう。扇風機も、真理が付けたのかもしれない。
 私も慌ててあとを追って、鞄を下ろす。それから、我慢出来ずに聞いた。

「ねえ真理、叶多、見てないよね? まだ来てないのかな」

 真理が、顔を上げる。きょとんとした顔をしている。やっぱり、見ていないのだろうか──


「え……?わからないけど、叶多くんって、誰?」


 ──ところが、真理が口にしたのは、思いもよらぬ言葉で。
 叶多くん、って、誰?
 頭の中で、反響する。誰? それって、どういうこと? なんで、そんなことを聞くの?

「え……ちょ、暑くてぼけちゃったの? 叶多だよ、星野叶多」

 混乱した私は、そう言葉を紡ぐ。
 けれど真理は、変わらぬきょとんとした表情のまま、言った。

「星の、彼方……? なにそれ、なんかロマンチックな名前だね。だけど、知らないなあ。隣のクラスの人?」
「え……?」

 ──真理は、何を、言ってるの?
 理解が、出来なかった。何が、どうなって彼女はこんなことを言っているのだろう。何かがおかしい。けれど私はそれを理解することを、拒んでいた。

「星野叶多、だってば。同じクラスでしょ? 私の隣の席だったじゃん」

 どうか、うんと言って。半ばそう願いながら、真理の言葉を待つ。
 けれど真理はさらに、首を捻った。

「同じクラス……? そんな人、いないよ? 澄ちゃんの隣の席は私だけで、反対側は空きだったじゃん」
「……え?」

 真理の表情は真剣そのもので、間違っても冗談を言っているようなものではない。いっそ、冗談であってほしいと願った。あはは、澄ちゃん嘘だよ、星野くんのこと忘れるはずないじゃん──。
 けれどそんな願いはむなしく、真理の表情は動かない。その、瞬間のことだった。先ほど教室を開けた瞬間の、妙な違和感の正体に思い当たる。
 ──机の配置が、おかしいのだ。
 昨日までは、私と真理と叶多と三人で、いつも使う机をほんの少し寄せて使っていたのに。今は、動いてる机は二つだけ──つまり、私と真理のもの、それだけで。
 叶多が使っていた、私の後ろの机を見る。その位置は、不気味なほどまっすぐだった。いや、もちろん、その場所が正しいのだけど、そうではなくて。

 まるで、それを使っていた人なんて、いないかのようで。

「……っ」

 慌てて、走り出す。教室を飛び出す時、真理の呼ぶ声が聞こえた気がしたけれど、気にしなかった。じっとしてなど、いられなかった。

『おやすみ、澄佳。いい夢を』

 昨夜の、叶多の声がよみがえる。思い出せば思い出すほど、おかしかった。だって、私は『また明日』と言ったのに、叶多は『うん』と頷きはしたものの、明確に答えてはくれなかった。
 胸がざわざわする。どうか、気のせいであれと願った。
 走って走って、廊下を越えて、階段を登って、目指した場所が見える。勢いよく、扉を開いた。
 そこは、私の教室だ。夏休みに入った一週間前と、中の様子は変わらなかった──ただ一つ、机が減っていることを除いて。

「うそ……」

 教室の一番左の列の、一番後ろ。私の席の隣に当たるそこに、あるべきもの──叶多の座るはずの席が、跡形も無く、なくなっていた。
 机も、椅子も、何も無い。そこに誰かの席があった気配さえ、消えていた。
 教卓に置かれたままの座席表を手に取る。迷わずに見たそこの席は、やはり、何も書かれていなかった。
 『星野叶多』という人の、存在ごと消えてしまったかのように。

「なんで……!?」

 信じられない、信じたくなかった。どうして、こんなことになっているの? 叶多は、どこにいるの?
 また、教室を飛び出す。学校のどこかに、ほんの少しだけでもいい、叶多のいた証拠が残っていないかと、私はその一心で駆け出した。
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