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第2章

流れ星に乞い願う(2)

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「ん……?」

 違和感を覚えたのは、上り坂に差し掛かったところ。
 星野は浮いているらしい。だから二人乗りでも重くないのは当然のことなのだけど、それにしてもあまりにも軽すぎる。この坂は、もっと気合入れて漕がないと登れないのに。
 いつもだったら立ち漕ぎするところを、サドルに腰掛けたまますいすいと登っていく。足も、息も、疲れない。何だか、おかしい。
 それに、何だかいつもより視界も高いような。
 私は、確認のために足元を見て、ぎょっとした。

「ちょ、浮いてる……!?」

 思わず叫び声をあげる。前輪が、明らかに地面から浮いていたのだ。
 後ろで星野が笑ったのを気配で感じる。もしかする余地もなく、明らかに星野の仕業だ。

「松澤さん、空、飛んでみない?」
「は!?」

 全く悪びれた様子もなくそう提案する星野に、叫び声で返事をする。彼はまた、楽しそうに笑った。

「大丈夫。怖くないよ」

 そう話してるうちに、ついに後輪も浮き上がったようで、地面から伝わる振動が無くなる。
 ゆっくりゆっくり、もうとっくに坂は下りになっているのに、さらに視界が高くなっていく。

「……!!」

 だんだん街並みが遠ざかって、空にどんどん近づいていく。

「ほら、風がすごく気持ちいい」

 声すらも出せない私とは裏腹に、後ろから聞こえてくる星野の声は非常に楽しげだ。

「松澤さん、大丈夫。絶対、君を落とさないから」

 カチコチになっている私を察したのか、星野がゆっくりと、私の名前を呼ぶ。
 ──不思議なことに、それを聞いた途端、恐怖がちょっとだけ和らいだ。
 頬を撫でる風も、空の青も、ようやく感じられるようになる。なるほど確かに、ちょっとだけ心地いい。

「……落ちる時は、星野を下敷きにするからね」
「あははっ。わかったよ」

 けれど、素直にそれを告げるのもなんだか悔しかったので、半ば冗談半ば本気でそう言った。星野はまた、楽しそうに笑う。
 少し怖いけれど、眼下を見下ろす。いつの間にか街は小さいくらいにまでなっていて、まるで博物館にあるジオラマの模型のようにも見える。
 対照的に、空はどこまでも広い。こんなに、どこまでも広かったんだ。しばらく学校の窓から見える、四角い空しか見ていなかった気がする。

「ね、綺麗でしょ」
「……うん」

 今度は、素直に頷いた。大きな空の一部になってしまうようで少し怖いけれど、風も景色も、心地よい。
 星野が笑う。それも、心地よいと思った。
 ちょっとだけ、この時間がもう少し続きますように、と、心の片隅で願った。



* *



 およそ十五分ほどの空中散歩を終えて、自転車は星見峠の山頂に着陸した。

「地面だ……」

 足の裏が、しっかりと地面と触れ合っている。そのことになんだかとてつもなくほっとした。
 空が嫌だったわけではない。けれど、あそこは私には広すぎるから、どんなにちまちまとした歩みでも、地面にいたいと思った。

「楽しかったねぇ。またやりたいね、松澤さん!」

 一方、というか、上機嫌の星野に、げんなりとした視線を向ける。こいつ、私がどんだけびびったと思ってるんだ。

「今度は絶対飛ぶ前に言ってよね……」

 もう二度としないで、と言うまででもないけれど、でもまた突然やられたら心臓がもたない。こちとら狭々とした地上で、こまごまとした生活しかしてきてない普通の人間なんだってば。

「でも、おかげで早く来れたね!」

 星野は相変わらず楽しそうだけど、微妙に会話が噛み合っていない。三十分以上かかるところをこんなに早く来れたのは確か、だけれども。
 ああ、と脱力する。それ以上怒ることもせず、仕方ないなと思ってしまう私は、大分星野に甘くなった気がする。多分、また唐突に飛ばれても、同じように道連れにされるんだろう。それでいいのだろうか。私は、星野が何か悪いことをしないかの見張りで一緒にいるのではなかったっけ。
 悪いこと。……悪いことか。
 冷静になって考えてみると、本当は先ほど、かなり危ない状況だったはずだ。唐突に空まで連れていかれて、私は何も抵抗できなかった。落とされたら、それまでだったはず。
 星野が、事情を知っている私のことを始末したいのだったら、あの時が絶好のチャンスだったと思う。ある程度警戒心をなくさせてから、事故死に見せかける、とか。
 そう考えると、今自分が立っていられることがにわかに信じられなかった。もちろん、星野にそんな気がなかったから、まだ呼吸をしていられるのだろうけど。
 そんな風に考えても、離れよう、と考えない私は、多分星野を、信じている。絆されている。そうじゃなきゃ、わざわざ山に一緒に来たりしない。
 昨日学校で初めて会ったときに抱いた、地球征服だとかそんなことをするのではないかという不安のことを忘れ去ったわけではない。けれど、そう囁く疑心暗鬼な私は、すっかりと小さくなっている。

「松澤さん、日が沈みそうだね」

 柵まで寄って街を見下ろしながら、星野が私を呼ぶ。

「ほんとだ。飛んでた時は違ったのに、あっという間に」

 自転車を止めた私は、傍まで行って同じようにする。
 眼下に広がるなじんだ街並みは、西日に照らされてオレンジ色に染まっていた。まだ空の上の方は青く、色の境界がピンクとも紫とも言えない不思議な世界を作り出している。

「こんなの初めて見たなぁ。綺麗だね」
「……うん」

 考えるよりも先に、肯定していた。
 夕焼け、なんて久しぶりに見た気がする。ううん、空の色すら、しばらく意識していなかったんじゃないのか。
 染め上げられた空の色は、私の持ち合わせている言葉なんかでは表現出来ないくらいに綺麗だった。引き込まれて、しまいそうだった。こんな色を毎日見もしていなかったなんて、すごく勿体ないことだと思った。

「地球には大気があるから、こんなふうに見えるんだよね。僕のいたところからじゃ、どんなに恒星が照らしても、宇宙はいつだって暗かった。水色をしているのも、オレンジ色をしているのも、初めて見た」

 そう、しみじみと言う星野の横顔を、こっそりと覗き見る。
 深い色を宿す瞳にも、空の不思議な色が映り込んでいた。そして、その全てで、じっと目の前に広がる景色を見つめていた。私よりもずっと、まっすぐと。
 不意に、星野がこちらを向いた。視線がぶつかってたじろぐ私に構わず、彼はにこりと微笑む。
 ゆっくりと、星野は言った。

「松澤さん、僕、」

 その真剣そうな声色に、思わずそちらを見つめ返す。視線をしっかりと合わせたまま、星野の声が人のいない頂上に響いた。



「好きになったかもしれない。君が生まれた、この小さな星のこと」


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