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序章

宇宙が生まれるときの話(3)

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* *


 さらに歩くこと20分くらいだろうか、私はようやく、頂上に到着した。
 登ってるうちに舗装された道は途切れ、木の根を足がかりに進んだ。靴が汚れ、制服であることを忘れて進んでしまったことを後悔したけれど引き返しはしなかった。

「ふう……」

 開けた場所に出て、息を吐き出す。朝のため息とは違い、なんだかとても清々しかった。
 頂上にある広場は、記憶にあるものと大した差は見られない。相変わらずだだっ広いだけで特に何もなく、張り巡らされた柵もところどころ壊れているような、そんな忘れられたような広場だ。
 端の方にちょっとした東屋があり、ほど近くに『星見峠』と書かれた古ぼけた木の板が立っている。確か、東屋の屋根の裏には簡単な星座図が書いてあるのだっけ。
 とりあえず東屋の方に足を進め、ベンチに荷物をおろす。ここ、昔好きでよく来ていたな、と思い出した。嫌なことがあったとき、一人でここまで来てぼうっとしていた記憶がある。今思えば家からなかなか距離があるのに、よく来ていたものだ。
 それから、東屋から進み出て、広場の中央、太陽の真下に行く。日に日に強くなる陽射しが肌を刺すけれど、不快な暑さではなかった。

 大きく伸びをして、深呼吸。

 それを終えた時、ふと、見慣れないものに気がついた。
 ……なんだろう、あれ。柵の近くに、金属のような岩石のような塊が転がっている。
 特に深い考えももたず、足を進めて手を伸ばす。──それは拳の大きさほどの、銀色の塊だった。
 細長い三角錐さんかくすいを二つ繋げたような形をしている。表面は滑らかで、なおかつ光沢があることから金属かとも思ったのだが、それにしては軽い。アルミ、だろうか?何故こんなところに?
 それにしても、綺麗だ。つやつやしていて手触りも良い。太陽の下にあったのにひんやりとしていた。
 物珍しくてべたべた触りながら、何度もひっくり返したり撫でる。すると。

「痛っ……」

 不意に、左の指先に鋭い痛みが走る。見ると中指が切れてしまっていた。どうやら、錐の頂点の部分が思っていたよりも鋭かったらしい。思わず落として地面に転がった銀色にも、私の赤が付着していた。
 見る間に、あとからあとから血が流れてくる。案外深く切ってしまったようだ。
 絆創膏、貼らなきゃ。何枚かポーチに入れっぱなしだった気がする。とりあえず、東屋の裏に水道があるはずだから洗おう。
 足早に、東屋の方に戻る。おぼろげな記憶は正しかったようで、蛇口をひねるとぬるいながらも水が流れてきた。手早く洗い流して、取り出した絆創膏を巻く。
 出血量はあったけれど、痛みはそんなにない。ほっと一息ついていると、視界の端で何かが光った。

「……え?」

 顔を上げて、光の方向に視線を向けて、そして我が目を疑った。
 先程まで手にしていた銀色の物体が、青い光を発しながら、風船が膨らむように、ゆっくりと形を変えていたのだ。

 これ、は、なんなんだ。何を見ているんだ。

 金縛りにあったかのように動けない私の目の前で、膨張は止まらない。

「……!」

 が人の形に近付いていると気付いたとき、私は息を呑んだ。
 縦に細長い胴体、そこから伸びる二本の足と腕、そして、今ゆっくりと膨らんでいるのは……頭。

 ──宇宙人。

 私の頭に、その三文字が浮かぶ。
 ──これ、やばいやつだ。逃げよう。
 結論を出すと同時、私はなるべく音をたてないように後ろに足を出す。
 目線は、未だ青い光を発しながら変化を続ける宇宙人らしきものに向けられたまま。

 だから──忘れていたのだ。

 東屋があるのは広場の端、そして、斜面とを隔てる柵はちょうど壊れていることを。

「わっ……!?」

 踵が空をきった瞬間、私の口から悲鳴が漏れた。
 重心が、がくりと後ろに傾く。まずい、と思った。
 落ちる。
 視界に青空が映った時、私は迫る衝撃と痛みを覚悟して目を閉じた。

 ──の、だけど。

「……大丈夫?」

 不意に、耳元で聞こえた声。
 衝撃どころか、胃の底が浮き上がるようなあの特有の感覚もない。
 もしかして、たまたま居合わせた誰かが、助けてくれた……?
 そんな、なんとも楽観的な考えにつられるように、ゆっくり目を開ける。

 初めに目に入ったのは、黒とも青とも違う、夜空を溶かしたような色。
 それが瞳だと気付くよりも先に、私の身体を覆う銀色が、視界に飛び込んできてしまった。

「……!!!」

 悲鳴を、あげるだろうと思った。けれど声帯が痺れてしまったように、息の塊が喉から飛び出るばかり。
 本当に驚いた時は、叫ぶ余裕すらないのだと、どこか冷静な自分が囁いた。
 そして同時に、先程浮かべた楽観的な可能性を打ち消す。
 たまたま居合わせた誰かなんて、いるはずがないじゃないか。あの時広場にいたのは、私とあとはあの物体だけだった。

 つまり今、私が相対してるのは──いや、そんな推論なんてなくとも、この銀色で一目瞭然だ。

 宇宙人の姿が、私の目の前で変わっていく。──否、色がついていく。
 頭の部分に、髪の毛らしき黒が。手足の部分に、肌色が。そしてそれを覆う衣服──何故か学生服だれども。
 最後に顔のパーツひとつひとつも形作られて、あっという間に、そこには人間の、男子高校生の姿があった。

 膨張した銀色の塊が、人間に、なった。

「…………」

 何か、言わなきゃ。そう思うのに、頭はパンクしたままで、言葉どころか声さえ出てきてくれない。
 これは、どういうことだ。
 思考が滞る。いや、わかっているのだけど、理解することを放棄している。

 今、私の前にいるのは、明らかに人間だ。──そう見える。

 全部、私の見間違いなのではないか?……けれどそんな可能性も、彼の姿をいま一度よく見て霧散する。
 彼は、空中に浮かび上がっていた。

「うーん、怪我、は、ないみたい?」

 私の混乱を余所に、浮遊する少年はほっとしたような声を漏らす。
 そうだ、私はさっき、斜面を滑り落ちそうになって……察するに、この宇宙人が空中から私を止めたのだ。
 つまり、彼に支えられている私も、今浮かんでいるということ……?
 青ざめる私に気付いてなのか、それともたまたまタイミングが良かったのか。私が怪我をしていないことを確認した彼は、その場からさらにふわりと移動する。身を固くする私を余所に、何事もなかったかのように先ほどの広場に着地した。

「ありがとう、それじゃあ」

 そしてにこりと微笑むと、何故か私にお礼を言って、くるりと背を向ける。
 そのまま広場から姿を消す様子を、私はしばらく呆然と見つめていた。

「……え?」

 ようやく、声帯が機能するようになったのは、彼が完全に見えなくなってからだった。




*




【ビックバン理論】

 この宇宙は爆発のようなものが起きて生まれた、とする説。
 時間的・空間的「無」の状態から、ほぼ0%に近いような確率で宇宙が忽然と誕生したとされる。
この『爆発』が起こったのは138億年前のことと計算されている。




 ──つまりね、奇跡みたいなものなんだよ。この宇宙や、僕や、君が存在してるのは。

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