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10 百鬼夜行

1 真っ赤な…

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      百鬼夜行――なので、それなりにエグイです。





 バルコニーの手摺りにしゃがんで月を見上げていた。

 白鼠色の瞳は月の光を映したよう。


 「ま、オレはミツキにか興味ないから。おとなしく寝てろ」

 四つん這いに伏したまま身体をフルフルと震わせてさっきから動かない。バルコニーの床に白濁の液がポタポタと流れて広がっていた。

「は、はっ、‥‥ボクを…お願い‥‥連れて…行って‥‥」

 発情ヒートしたその声はひどく掠れて、伸ばした指先は力なく震えてぱたりと床に落ちた。


「紛らわしい匂いプンプンさせやがって‥‥」

 真っ赤な唇が苦笑いして、その姿は空に消えた。




 三日後の新月。


 「…あ、はい。分かりました。今からそっちへ向かいます」

 スマホの通話終了を確認する。

「悪ぃ、今から仕事先の人んとこ行かないといけなくなった…」

 ラブホの駐車場から出ようとしていた黒のSUV車の運転席の男が黄色い髪をサラリと掻き上げて、助手席の彼女に向かって掌で「ごめん」のポーズで謝った。

「えぇぇ~ほんとぉ?!だってなお、今日は大丈夫だって言ったじゃん」
 赤茶色のロングヘアの彼女が膨れっ面で睨んでいる。
「ごめんて。ちゃんと家まで送るから‥‥」
 そう言いながら彼女の方へ腕を伸ばしてキスをする。
「…ん、も、ぉ‥‥」
 絡んでくる舌にうっとりしながら、今日のところは…と彼女は渋々受け入れた。

 何てことは真っ赤な嘘で‥‥。





 「…あ、直?今から来れる?‥‥じゃ、待ってる♡」

 卓上テーブルの上にスマホをポンと置いて、そそくさに化粧をし始める。


 「ママ…?おなか、すいた‥‥」

 小さなアパートの部屋は、キッチンと6畳ほどのリビング、襖で仕切られた奥の部屋はベッドが入ってキュウキュウなくらいだが寝るだけの部屋には十分だ。

 夜も11時を過ぎて、寝室から顔を覗かせた年は3歳くらいの小さな女の子が、話し声に目が覚めたのか、眠れていなかったのか、弱々しい声だった。

「え―っ?まだ寝てなかったの?キッチンにあるから食べな」

 化粧を施しながら「ママ」と呼ばれた女は、面倒くさそうに顎でキッチンの方を指した。

 そこに、この小さな女の子の腹を満たす食べ物があるのか。散らかったキッチンテーブルの上には食べかけの袋菓子と、一応、口は縛ってあるが、これも食べかけのテーブルロールが数個入っているだけ。成長盛りの子どもの栄養なんて欠片もない。
 寝間着姿で寝室から出てくると、自分が使っている椅子を引っ張り出して来て、その上によじ登ってテーブルをあさる。
 一番食べやすいテーブルロールの袋に手を伸ばしてカサカサと開け始めた。口の空いた袋菓子が誘惑するが、そこはに言われているようでぐっとがまん。
 テーブルロールをかじりながら、リビングのママに目をやる。

(ママ…おけしょうしてる‥‥)

 お化粧=小さい子どもながらにも、どこかへ出かける雰囲気は分かっていた。

「ママ、どこ行くの?」
「あぁ?いいから…あんたは早く寝なさい」

 こんなことはいつものことだった。トイレも自分で行ける年になって、たまに夜中にトイレへ行きたくなって目が覚めると、いつもママは居ない。真っ暗な部屋を伝ってトイレへ行く。トイレの電気の明かりを点けると、ぽっとそこだけ明るくなってほっとした。

(また…居なくなっちゃうんだ)

 どう足掻いても、ママは私のこと見えてない。自分のことでいっぱいなんだ。と、小さい心は諦めていた。

 くるんと巻いた茶色の毛先を手櫛で解しながら髪を整えた後に、パサッと開いた付け睫毛をパチパチさせて仕上げにシルバーのピアスを付けて。鏡に映っている容姿を何度も角度を変えて修正して、を限りなく続けている。

「おやすみなさい」

 暗い寝室へ戻っていく子の声が聞こえているのだろうか。
 見向きもしないでスマホに手を伸ばしていた。



 「‥‥あ、おれ。今着いたけど?大丈夫?出れそう?」

 アパートの前に車を停めて、今度は違う彼女へ会いに来た。

「…うん。愛してる。早く来いよ、待ってる」

 浮かれた声で前髪を掻き上げる。
 待ってる間にも、スマホを弄る指先は止まらない。

 ――今日はごめんな。明日、時間ある?
 ――うん。大丈夫だよぉwww
 ――明日また迎えに行くわぁ
 ――OK♡OK♡

 まで抜け目はない。


 外灯の灯りで細い通路は薄暗い視界だった。夜も遅く静かになった周辺に車のエンジン音が低く響いている。

 スマホを弄るのに周囲の様子など全く気にも留めていなかった。

 ゴツ。

 車の鼻先に何かが当たった音がしてハッとした。待っていた彼女だろうと、目を凝らした先の視界は、ずっとスマホを見ていたからだろうピンボケして定まらない。
 じっと瞼を薄くしてやっと焦点が合った時、そこに居たのは、背のすらりとした見た感じでも筋肉質な体型に白いシャツを着た男だった。
 不審に思いながらも運転席の窓を開けて
「なに?何か用?」
 顔だけ覗かせて男に問いかける。
 その男は、腕組みをしながら車体に凭れかかったままで、顔だけこっちに向けてニヤリと笑っていた。
「なぁ?何なの?誰よあんた?」
「誰って?そんなのど―でもいいでしょ。それよりさぁ‥‥」
 次の瞬間にはもう目の前に居て窓から首を突っ込んできた。
「おい!おいっ!な、何なんすかっ!」
 にゅうっと首だけが車内に入ってきて、驚いて身体を反らせる。突然、見知らぬ奴が関わってくれば、誰だって「襲われるんじゃないか」と頭の中はパニックになる。その上、やけに白く光る眼光が恐怖を煽った。
「あ、あ、な、な、の?」
 声が詰まって何を言っているのかも分からない。
「ははぁ~っ。怖いの?え?」
 真っ赤な唇がキュウっと笑う。
「でもさぁ…それはないんじゃない?」
 伸ばしてきた指先の爪は異様に長く弓形に曲がっていて、その先で彼の左耳のピアスを引っかけた。そして、爪先でククッとピアスを引き寄せる。
結構な力で引っ張られて
「いッ!」
 痛さに顔を歪ませた。
「痛い?痛いのぉ?でもねぇ、こんな痛みよりをもっと痛くしてる子がいるって知ってる?」
 別の爪先で、硬直している彼の胸をトントンと指す。

 その爪先はピックのようになって

 プ、ス――――‥‥

 胸を突き刺した。

「ううっ…け…ほっ‥‥」
 
 何をされているのか?状況が理解できないうちに、意識は遠のいて呼吸は薄くなる。

 膨れ上がった左手が、すでにぐったりとしている男の首に食い込んで、そのままズルリと車から引き出した。

「カワイイ子たちをイジメちゃダメだよ」

 倍以上に膨れた左腕はドクドクと脈打ちながら萎れた男を持ち上げて、真っ赤に裂けた口の中へポトンと。

「ごちそうさまでしたぁ」

 薄い唇を真っ赤な舌先でペロリと舐めた。





 ピンポ――ン

 呼び鈴が鳴って慌てて玄関へ向かう。

「ごめ~ん!今、行こうって‥‥」

 ガチャ。

 ドアを開けた目の前に

「こんばんは」
「‥‥え?」
 知らない男が壁に片手を付いてにっこり笑って立っていた。
「だ…れ?」
 不審者じゃないかと、ものすごく警戒した目で睨んでくる。
「ごめんね。こんな遅くにびっくりするよね」
 小首を傾げて今度は苦笑い。シルバーアッシュの髪がサラッと目元に掛かる。

(誰…って…知らないけど?え、でも、なに?え?すっごいイケメンじゃん)

 警戒していた彼女の顔つきが少し解けた。

「待ち人、来なかったり?とか?」
 白鼠色の目をくりっと開いて彼女を見つめる。その目に見つめられる彼女の鼓動が聞こえてきそうだ。
「え…直の…彼の知り合い?」
 さっきの声より心持ち可愛らしく聞こえる。
「知り合い?ってほどじゃないけどね。あ~…でも、その彼?今夜は来れない?かもねぇ」
「え?なんで?」
 そんなことまで知ってて、何しに来たの?と言わんばかりの表情で見ている。
「ん~なんで…って―――」
 ふわりと彼女の腰に腕を回して引き寄せた。
「きゃ…っ」
 会って間もないのにこんなに強引に?!腕の中できゅっと縮んだ彼女が頬を赤らめている。
「来ないものは、来ないよ」
 彼女の口元にその唇を近づけて囁いた。
「もう――絶対に…ね」

 艶めいた赤い唇が彼女にキスをする。

 コトン。と腕の中に堕ちた彼女の身体を横抱きにして部屋へ上がっていくと、さっきまで居たであろうリビングには化粧道具と鏡、スマホがそのままで置いてあった。そこに彼女をゆっくりと寝かせて

「ダメだよ。カワイイ我が子を悲しませちゃ」

 彼女の顔にかかる髪をそっと払いながら吐息の声でそう言う。

 
 「お兄ちゃん、誰?」

 物音で気づいたのだろう、襖を少しだけ開けてこっちを覗く女の子が居る。

 知らないものが勝手に部屋へ上がってきてママに触れている。それだけでも怖いだろうに。声も上げず、泣きもせず、ただじっと身体を強張らせて襖の向こうで耐えている。

「大丈夫。ママは寝てるから」

 ね。と、女の子に向かってウィンク。

 もう、その小さな心で悲しまないで。
 もう、その小さな心を痛めないで。

「大丈夫。もうママは返って来たからね」

 と、真っ赤な唇は優しく微笑んだ。

 襖の向こうの小さな身体が、ほわりと解けた気がした。


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