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9 鬼の洞穴
6 母様
しおりを挟むまだ足がおぼつかない僕をサドゥラ兄さんが城まで送り届けてくれた。しかもお姫様抱っこみたいにして。いい年した男子がなんか恥ずかしい。でも、ちょっといい気分だった。
城に着くとそのままリビングのソファに置かれて?
「援護はすると言ったが、無茶をしろとは言ってない」
チクリと言われた。
「ごめんなさい…」
ソファに横になったまま反省。
「ふ―――…まぁ、しばらく休んでおけ」
呆れたような溜息を一つ。そう言ってサドゥラ兄さんはまた出かけていった。
去り際の目が少し笑ったように見えた。
(久しぶりに見たあいつの顔…やっぱり腹が立つ)
僕のいない世界であんなことが起きていたなんて。それが真実で、親友のほんとの心を垣間見ることができてよかったのかもしれない。僕はそこで逃げたら、ずっと死ぬまで(あ、もう死んでるか)智哉くんのことを疑い続けていたんだろう。
(で…?あいつはどこに堕ちたんだろう…ま、そんなことど―でもいいや)
ソファに横になりながら僕はなんとなく笑ってた。
少しの間、眠っていたのか意識が戻ってきた。
しんとしたリビングに意識が向いて、
(そうだった…兄様たち今日はいないんだった‥‥)
それで思い出した。
「シーツ‥‥」
まだ夕方には早い時間のようだったから急いで取り入れることもないか、ってゆっくり起き上がって勝手口の方から裏庭へ向かった。華歯さんも今は自分の時間を過ごしてるんじゃないかな。
菜園から干してあるシーツが見えていた。あんなに大きなシーツだから隠しようがないんだけど、今日が誰もいないことが幸いだった。華歯さん以外は。
菜園の野菜の出来栄えを見ながらシーツに触れる。風があったおかげで完全に乾いていた。
シーツを取り込もうとしていたところに、あの井戸のような囲いが目に留まった。
前から気にはなっていたんだけど“近寄るな危険”の勧告があったから寄らずにいた。
「ダメ」と言われると余計、好奇心が湧いてくるもんじゃない?
それに、今日は兄様たちも留守だし、用心しながらだったらいいかって邪心が芽生えて、シーツは後回しでそこへ足が進んでた。
囲いに近づくにつれて足場は粗目の石ころだらけで“危険”って言われるのも分かる気がした。
あと数十センチのところで、
「そこで何をしている?」
ビクゥゥッ!
すぐ後ろからの声に心臓が跳ねた。
心臓も身体も縮こまっておどおどして後ろを振り返った。
だけど、後ろには誰もいない?
辺りを見回したけど声の主はいない。
「そこは危ないからこっちへ‥‥」
やっぱり聞こえる、僕の近くで。
四方を何度も確かめるように見回していると風に揺れたシーツの向こう側に小さな影が見えた。
わりと離れているのに声はすぐ近くに聞こえていた。
その影は少し動いてシーツの向こう側から姿を見せた。
(え?女の…子?)
離れてはいたけれど、ここからでもその性別は分かる。
(誰?)
確か、今日は誰もいないはずだった。
どう見ようにも華歯さんとは違うことを証明するように勝手口から本人が出てきて、その子に向かって軽く頭を下げてるなと思ってたら、
「ミツキさ――――ん!」
僕を呼んで手招きした。
また勝手なことをして叱られるだろうと冷や汗もんで急いで駆けていった。
「ごめんなさい!注意されてたのに、つい‥‥」
二人の顔を見もしないで真っ先に深く頭を下げて謝った。
「気をつけなさい」
透明な優しい声でその子は言った。
「鬼子母様、ミツキさんはとてもいい人で‥‥」
「鬼子母」って言った?
下げていた頭をブン、と振り上げて目の前を確かめる。
僕の目の前にいるのは黒い髪をポニテにした愛らしい女の子。
どっから見ても四、五歳の幼児の姿なのに華歯さんは当たり前に「鬼子母様」と呼んだ。
「あなたが…鬼子母神様?」
想像をはるかに超えた実物を前に、身体が硬直してしまってた。それは、神の領域にいるという計り知れない緊張だった。
こくっと上品に女の子は頷いて微笑みながら華歯さんと僕に言った。
「あの子たちも留守だし、早めに夕食にしましょうか」
こんな小さな女の子があの九十八の兄弟+僕の母様だなんて‥‥。
ピチャン…ピシャッ‥‥
空洞を叩きつける湿ったような音。そこに風が入り込んで耳の奥まで抜けるような空音。
井戸のような囲いの中から時折聞こえてくる。
夜更け頃、そこに佇んでいるのは小さな鬼子母神。
ゆっくりと囲いの縁に手を掛けて中を覗き込んでいるようにも見える。先ほどからじっとして動かない。
「ふぅぅぅ―――‥‥」
深く息を吐き出し、そして鼻から一気に周りの空気を取り込んで全身の血という血を逆流させて滾らせる。
ギシギシと筋細胞がきしむ音が響いて頭から足の先まで血肉が剥れ上がった。
そこに幼い子の姿はなかった。
骨格は浮き出て、その骨の細部までねじ込まれた筋肉が脈動する。
背中から生えた二本の腕で囲いの縁を支えると、もう二本の腕が囲いの中の奥深くまで入り込んだ。
囲いの奥底から伸びる無数の赤い糸にも見えるそれは、まるで湿った生物のようにくねりながら内壁にぶつかり、絡んではまた伸びる。
囲いを覆うくらい大きな柘榴色の目が中を覗き込んで、くいっと長い爪の先にその赤い糸を引っかけてじわじわと引き上げた。
長く、長く、長い先に絡んでいたそれは人間の赤ちゃん。
今にも泣きだしそうな赤ちゃんを目の上に吊り上げて首を伸ばすと耳元まで届く口をあんぐりと開けて、
パクリ。
丸呑みにしてしまった。
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