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第77話 消えた記憶

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 目が覚めると真っ暗だった。

「んっ……」

 身体を起こそうと思っても、だるくて起き上がれない。
 全身の血が足りていないような気がする。

「イヴェリス……!」

 ふと思い出したように、イヴェリスの名前を呼ぶ。
 けど、返事はない。

 確かにイヴェリスは私の血を飲んだ、でも私は死んでない。
 ってことは、間に合わなかった――? 

 手で首筋に触れると、そこにはくっきりと牙が刺さったような傷跡が残っている。
 つまり、夢ではない。でも、じゃあイヴェリスはどこに? 

「イヴェリス? トマリ?」

 二人の名前を呼んでも、現れる気配がない。
 もしかして、二人はすでに死んでしまったんじゃないかと、不安で押しつぶされそうになる。

 スマホに表示された時刻はAM2:35。

 通りで暗いわけだ。
 でも、ふと日付をみると3月18日になっていた。
 イヴェリスの誕生日は3月15日だから……あれから3日も経ってる――?
 血を飲まれすぎたせいで、3日間も眠ってしまったのだろうか。

 それにしては喉も乾いてないし、お腹もすいている感じはない。
 ただダルくて頭が痛いっていう、至って貧血に近い具合の悪さだ。

「イヴェリス、トマリ」

 暗い部屋のなかで、何度も二人の名前を呼んでみる。
 ようやく手にした電気のリモコンで、部屋を明るく照らす。

 何も変わらない、私の部屋。

 あんなに狭く感じた部屋も、一人だと広く感じる。
 あの後に何が起こったのかわからなくて、とにかくイヴェリスが生きていることだけを願った。

 ようやく起き上がることができて、立ち上がろうとしたとき。
 ふとイヴェリスの甘い香りがした。

 辺りを見渡しても、姿は見えない。
 でも、その香りはどんどんと強くなっていく。
 香りがする方へと辿ると、机の上に小さく可愛い白い花が置いてあった。どうやらこの花から、甘い香りが放っているようだ。
 すると、急に体のダルさがなくなっていく。
 頭が痛いのも、消えていく。

「あれ? 私……」

 途端に、なんだか長い夢を見ていたような気分になる。

「……何してたんだっけ」

 急に記憶の断片から大事な何かが消えていったような感覚。

「変な時間に起きちゃったな」

 テレビ台に置いてあるデジタル時計で時間を確認して、コップ一杯のお水を飲んでベッドに戻る。いつも一人で寝ていたはずなのに、無意識に一人分のスペースを空けたまま。

 目を瞑ると、また深い眠りに落ちそうになる。
 どこからともなく漂ってくる甘い香りになつかしさを感じながら、今見ていた夢を思い出そうとする。

 ありえない話だけど、私が誰かに恋をしていて。
 すごく幸せだった夢だ。

 あー、恋がしたいなー。なんて、自分らしくもない気持ちがこみあげてくる。
 夢の中の私は、優しくてちょっと意地悪で、いつも私のことを優先に考えてくれる人に愛されていた。

 そんなの、夢でしかありえない話なんだけど。
 なんでかすごくリアルで、思い出そうとするだけで心を満たされている気分になった。正夢にならないかなーなんて、考えながら、また私は眠った。



 ***


「やっぱりここのご飯めちゃくちゃ美味しい!」
「いっぱいお食べ」

 今日は楓と一緒にご飯を食べにきた。
 それも、いつも行くところよりもちょっといいお店。

「で? 式の日程は決まったの?」
「まだ! なーんにも決まってないよ」
「友樹さん、忙しそうだもんね」
「うん。私一人で決めるのもなんか違うなって。別に急いでないし」

 数週間前、楓はついに友樹さんからプロポーズをされた。
 二人が結婚するのはすごく嬉しくて、泣きながら報告してきてくれた楓につられて私も泣いてしまった。
 今日は、そんな結婚祝いも兼ねたディナーだ。

「蒼は? あれからいい人いないの?」
「うーん。今のところ」
「そっかー。でももったいないなー! 湊さんでしょ? いやー今からでも遅くないから付き合えばいいのに」
「そんな簡単じゃないって」

 相手が芸能人っていうこともあって、楓には事後報告で湊さんとのことを話した。
 まさか私たちがそんな関係になっているなんて思いもしない楓は、すごく驚いていた。

「まあ、蒼ならまたすぐいい人みつかるよ」
「だといいけど」

 コース料理のデザートに添えられたプリンを見て、ふと夢の記憶を思い出す。

 ――蒼のプリンが一番うまいな

 そう言って笑う、誰かの顔が頭のなかでボヤッと浮かぶ。

「どうしたの?」
「あ、ううん。なんでもない」
「合コンでも開いてあげようか?」
「いいよ。婚約してる人にそんなこと頼めないって」
「えーいいじゃん。私も久しぶりに参加したい!」
「それがバレて、婚約破棄になったらどうするの」
「うわーそれは絶対に無理だわ。うん、ダメだ」

 楓は友樹さんのことが大好きで、でもそれ以上に友樹さんは楓のことが大好きで。
 二人は私にとって理想のカップルだった。

「楓!」
「あ、友樹!」

 レストランを出ると、お店の前には友樹さんが迎えに来ていた。

「いいって言ったのに」
「いや、仕事帰りのついでだし。蒼ちゃんも乗ってくでしょ?」
「あ、私は大丈夫です! ちょっと寄りたいところあるし」
「そこまで送って行こうか?」
「いえ、すぐそこなんで」

 ――おかえり

 楓を待っている友樹さんを見て、再びふと誰かの面影が重なる。
 いつも私を待ってくれていた人。
 どこに居ても、私が寂しいと感じたら迎えに来てくれた人。

「なんだろう」

 なんだか、最近よく胸のあたりにふと寂しい気持ちがこみあげてくる。
 大切な人を失ったような喪失感が時折襲ってくるような気がした。

「お兄ちゃん」
「おう」

 楓と別れたあと、兄のやっているバーに足を運ぶ。

「あれ、新人さん?」
「あ、初めまして! 先週からここで働かせてもらってる夏樹なつきです!」

 カウンターには見慣れない男の子。
 やっと新しいバイトの子が入ったらしい。

「蒼さんですよね! 智さんと大和さんから、お話は伺ってます!」
「おお、元気だね」

 今時の子らしく、髪はシルバーに近い色に染めていて。
 耳にはいくつものピアスがぶら下がる。
 女の子よりも肌は白く、身体の線も細い。
 一見、貧弱そうな雰囲気はあるけど喋り方はハキハキとしていて、元気がよかった。

「よろしくね」
「こちらこそ!」

 ライターの仕事の傍らで、たまにここのお店でも働くようになった。
 きっかけは覚えてないけど、ここで働いている間はなんかいつも心が温かくなるから。

「蒼さん! チーズとナッツお願いします!」
「はーい」

 韓国アイドル顔負けのルックスと愛嬌の良さで、お店にくるお客さんはどんどん夏樹くんに堕ちていく。SNSでお店の名前を検索すれば、夏樹くんの写真で埋まっているほどだ。その画面を見て、なんだか夢でも同じようなシーンを見たことあるような気がして、デジャヴかな。

「よかったね、イケメンの子が入って」
「ああ。仕事の覚えも早くて助かるわ」

 ここ最近、お客さんの入りが少なくて心配していた兄も夏樹くんのおかげで嬉しそうだった。
 接客している夏樹くんを目で追うと、また夢の記憶がチラつく。
 背が高くて、白シャツとベストが良く似合う男の人。

 目が合うと、いつも笑ってくれて。
 そのたびに私はドキドキしていた。

「蒼さん?」
「うわ、びっくりした」

 名前を呼ばれて、記憶の中から戻ってくると目の前に夏樹くんのドアップ。

「眠いんすか? 俺、代わるんで休んできていいですよ!」

 ニカッて笑うその顔も、別の誰かを思い出す。

「ごめん、ちょっと考えごとしてただけだから大丈夫だよ」
「悩みあるなら、俺でよければいつでも聞きますよ!」
「ありがと」

 屈託のない笑顔は、周りの人を明るくする。楽しい気分にもさせてくれる。
 人と関わるのが苦手だったはずの私が、今こうやって色んな人と関わりを持てるようになったのはなにがきっかけだったか。

 たまにそんなことを考える。
 ふとした瞬間、何か大切なことを忘れているような気持ちになる。
 それが何かは思い出せないんだけど――
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