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第75話 決断
しおりを挟む甘い香りに包まれて、目が覚める。
夢と現実の境目から抜け出しきれてない中で、重い瞼をゆっくりと開けると、ボヤッとした視界に映るのは白銀色の長髪。
どこからともなく吹き込む風に揺れる髪は水面に反射する光みたいにキラキラとして、キレイだった。
「……イヴェリス?」
だんだんと視界がクリアになってくると、途端に胸の鼓動がはやくなる。
私の声に反応して、煌めく長髪をなびかせた人影がこちらを振り向く。
赤く揺られる瞳。血の気のない肌の色。黒く長い爪。
「イヴェリスッ」
まだ夢を見ているのかもしれない。でも、それでも構わないと思った。これが夢でも、会えるならそれでよかった。
「戻って来てくれたんだね」
ベッドから落っこちそうになりながら、掛け布団をはぎ、イヴェリスへと近づく。
せっかく目が覚めたというのに、今度は溢れ出てくる涙によって視界がまたすぐにボヤけていく。
「イヴェリスッ……」
必死にしがみつくようにイヴェリスの身体へと抱き着く。
骨ばった体つきと、ヒンヤリとした感触が懐かしい。
「蒼」
名前を呼ばれた瞬間、全身が奮い立つように高揚するのがわかった。
ああ、どれだけ待ち望んだことか。この瞬間を。もう一度、もう一度だけでいいから名前を呼んで欲しいって。
声が震える。身体が震える。嬉しいからか、安心したのかわからないけど、イヴェリスに会ったらたくさん言いたかった言葉があるのに――何も出てこない。
「ご、ごめんっ、抱き着いてごめん」
イヴェリスの手が肩に触れたとき、ふと美月さんが頭を過ぎる。
そうだ、今のイヴェリスはもう私を好きなイヴェリスじゃなかった。
溢れでてきそうになる気持ちをグッと堪えて、イヴェリスの身体から必死に離れた。
「ごめんっ」
「なぜ謝る」
間を置いて放たれた少し冷たいイヴェリスの声が心臓を突き刺し、私の思考を冷静にさせてくれる。
そう、私がすべきことはイヴェリスに会えたことの嬉しさを伝えるわけではない。
“分け与える者”として、使命を全うするだけ。イヴェリスが離れた理由を、壊してはいけない。
「……トマリは?」
ふと視線をベッドに戻すと、トマリの姿がどこにもない。
「ここに居たくないそうだ」
視線を私から外しながら、イヴェリスが答える。
「そっか……」
トマリには最期までそばにいてほしかったけど。それも私のわがままだ。
溢れてくる涙を必死に止めて、着ていたパジャマの袖で拭いとる。
イヴェリスがここに居るっていうことは、ついにその日が来てしまったということだ。
「お誕生日おめでとう、イヴェリス」
「まだ少し早い」
「今日じゃないの?」
「魔界の時間は、こっちの昼の12時で日付が変わる」
「そうなんだ」
時計を見ると、まだ朝の9時くらい。
12時までには少し時間がある。もしかしたらトマリは、私とイヴェリスを二人っきりにさせてくれたのかもしれない。
「元気だった?」
「ああ」
「体調はどう? まだ何ともない?」
「大丈夫だ」
イヴェリスがゆっくりとベッドに腰を掛ける。
魔力が弱っているのか、少し身体がダルそうだ。
「ゴグは元気?」
「そこにいる」
「きゅっ!」
鳴き声と共に、肩に何かが乗っかる。
横を向くと、くりんとした目でこっちを見ているゴグが姿を現した。
「よかった」
二人の変わらない姿を見て、ホッとする。
なんだか、こうなる前の日々に戻った気分。
「そうだ! プリン作ったんだよ」
昨日の夜、イヴェリスのためにプリンをたくさん作った。
私のお誕生日のお礼と、イヴェリスのお誕生日プレゼントを兼ねて。
「いっぱい作ったから、いっぱい食べていいよ」
「……そうか」
「今食べる?」
「ああ」
冷蔵庫の中で冷やしておいたプリンをイヴェリスの元へと持っていく。
いつかイヴェリスが戻ってきたらって思って、レシピの研究もしたから、前より少しは美味しくなっているはず。
「はい、どうぞ」
スプーンと一緒にプリンを手渡すと、イヴェリスは一瞬私の顔を見る。
目が合っただけで、まだこんなにもドキドキするなんて。
そのまま、イヴェリスがゆっくりとプリンをすくって口に運ぶ。
「ん……んまいな」
そう言うと、さっきまで冷たい雰囲気だったイヴェリスがふわっと笑みをこぼす。
その瞬間だけは、前みたいに優しいイヴェリスに戻る。
「やはり、蒼のプリンが一番うまい」
「……ふふっ言いすぎだよ」
イヴェリスの言葉にじわっと心が温かくなる。ああ、私の好きなイヴェリスだって。会いたかったって言いたい。まだ好きだよって言いたい。
でも、言ったらきっと、またイヴェリスは消えてしまいそうな気がして。
「おかわり、いいか?」
「あ、うん! いっぱいあるよ」
どうせ5個くらいはペロッて食べちゃうだろうなって思って。冷蔵庫に10個も用意した。それをひとつひとつ食べていくイヴェリス。5個くらい食べたところで
「残りはまたあとで食べる」
そう言って、スプーンをテーブルに置いた。
何を喋ったらいいかわからなくて、時間だけが流れていく。
イヴェリスもその時を待つように、どこか一点を見つめたままだ。
このままじゃ、せっかく再会できたのに何も話せず終わってしまう。そう思ったタイミングで、イヴェリスが先に口を開いた。
「すまない」
「え?」
「お前の前から姿を消してしまって、すまない」
遠くを見ていたイヴェリスの視線が、すぐ斜め下の床へと移る。
「……大丈夫だよ」
本当は、『謝るくらいならずっとそばに居てよ』って言いたかった。
でも言えなくて。逆の立場だったら、もしかしたら私も同じようにイヴェリスの幸せを願って消えてしまうかもしれないと思ったから。
「謝らないでよ。私は大丈夫だから」
大丈夫って言葉は便利だ。
自分の気持ちを隠すのに、一番便利な言葉だ。
「本当はっ……」
イヴェリスが何かを言いかけると、グッと拳を握って、そのまま続く言葉を呑み込んだ。
すぐ隣にいるはずなのに、なんでかすごく遠く感じる。
喋らない間に、時計の表示が1分、また1分と進んでいく。
「あのさ」
その沈黙が耐えられなくて、今度は自分から口を開く。
「その、血を飲まれるときって痛い?」
「は?」
「だから、あの牙でガブッてされるわけでしょ? だから痛いかなって」
こんな時に自分でも何を聞いてるんだって感じではあるけど、思いついた話題がそれくらいしかなくて。
「ふっ……お前は本当におかしなやつだ」
でも、それが逆にイヴェリスを笑わせるきっかけになった。
「だって、痛いのは嫌じゃん!」
「大丈夫だ。痛くはしない」
「本当?」
「ああ。約束する」
そう言って、ふわりと笑いながらおもむろに私の頭に手を乗せてくるイヴェリス。
想定外の行動に、思わずドクンッと心臓が跳ね上がる。
「あ、そ、それならいいんだっ」
動揺が隠せなくて、自分の視線が右に左にと泳ぐのがわかる。
ずるい、反則だ。こっちはまだ好きなのに、こんなことするのは反則だ。
顔が熱い。すぐに顔が赤くなるのはどうにかならないのかな。血がなくなれば、そんなこともなくなるんだろうけど。
そう思いながら、照れてしまった顔を見られたくなくて思いっきり下を向く。
頭に乗せられたままの手の重みが、嬉しくて。
喜んじゃいけないのはわかってるんだけど、できることならその手をずっと頭に乗せておいて欲しいと願ってしまう。
でも、その手はすぐに元の位置へと戻っていった。
「蒼」
しばらくイヴェリスの顔が見られなくって、下を向いたり、窓の外を見たりしてごまかしていると、イヴェリスにまた名前を呼ばれる。
「ん?」
「お前は、本当にいいのか」
「なにが?」
「……俺に血を奪われても」
間のあいた言葉と、私を見てくるイヴェリスの表情は「嫌だと言ってくれ」って言っているような気がして。
「いいに決まってるじゃん」
でも、私にその選択肢はない。ここまで来たら、意地でも飲んでもらうからな精神だ。
「言ったでしょ? 私はもうイヴェリスに一生分の幸せをもらったって」
イヴェリスのおかげで夢だった恋をすることができた。
彼氏もできた。誰かに好きになってもらうこともできた。友達や家族が大事だって思うようになれた。
「でも、私はイヴェリスに何もあげられなかったから。だから、血くらい飲んでもらわないと困るよ」
イヴェリスは優しいから、人間を殺すことをためらう。
イヴェリスは優しいから、こんな私にも愛情深く接してくれた。
イヴェリスは優しいから、きっと今も私を生かそうとしてくれている。
「俺は……」
だから、そんなに泣きそうな顔で、私を見ないでほしい。
私まで泣きそうになる。
「俺は……お前を失いたくないっ……」
消えそうな声で、少し震える声で、イヴェリスの口からこぼれた言葉。
その言葉を聞いた瞬間、抑え込んでいた気持ちが溢れ出してしまいそうだった。
「何言ってんの。大丈夫だよ。私はイヴェリスの一部になれるのが嬉しいんだから」
「そんなのっ……俺は嫌だっ……」
イヴェリスの手が、私の背中に回ってくる。
グッと力強く引き寄せると、イヴェリスは私の肩に顔埋めた。
「すまないっ……本当はずっとそばにいたかった……でもっ、俺は逃げたっ……お前を失うのが怖くて……」
力いっぱい抱きしめられているせいで、イヴェリスの爪が少し背中にくいこむ。
その痛みよりも、イヴェリスの言葉の方が今の私には痛かった。
「ごめんね。辛い思いさせちゃって……ごめんっ」
私が好きにならなかったら、イヴェリスがこんなに辛い思いをすることはなかったのだろうか。
気持ちを伝えなければ、お互いこんなに苦しい思いをしなくてすんだのだろうか。
たくさんの後悔が押し寄せてくる。けど、別れは誰にでもくるものだ。
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なんて、イヴェリスには言うくせに。
私が生きて、イヴェリスが死を望むとなれば話は別だ。
結局、私は自分だけが辛くない方法をとりたいだけだ。
残された方の悲しみをよく知っているくせに。
いや、よく知っているからか……。
刻一刻と、時間が12時へと迫っていく。
時が来れば、どちらかが死ぬ。
私たちが選ばなきゃいけない現実はすぐそこまで来てしまった。
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