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第70話 連絡先

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 最後に見たイヴェリスの目は、赤く揺らいだような気がした。

 あれからもう、イヴェリスが姿を現すことはなくなった。

 時間だけが過ぎていく。
 ただただ、時間だけが過ぎていく。

「トマリ」
「ん?」
「食べていいよ」
「飯か?」
「ううん、私のこと」
「またお前はすぐそう言う」
「血だけはイヴェリスに残しておいてあげてね」

 ベッドの中でふとイヴェリスを思い出すと寂しさで押しつぶされそうになる。
 そのたびにトマリに早く食べてくれないか頼むけど、トマリはいつも困った顔をするだけ。

「そんなにイヴェリスが好きか?」
「うん」
「なら、なぜあの時引き止めなかった」
「引き止めたって、私じゃダメだよ」
「そんなことはない」

 トマリが優しく頭を撫でてくれる。
 そのたびに、思い出すのはイヴェリスが頭を撫でてくれるときのこと。
 重ねちゃいけないってわかっているのに、どうしても思い出が消えなくて。
 トマリも、それでいいって言ってくれる。その言葉に、私はまた甘えている。
 イヴェリスの代わりなんていないのに、イヴェリスの代わりを探してしまう自分が嫌だ。

「トマリ、今ならチューしてもいいよ」
「いやだね」
「なんでよ」
「辛気臭い女は苦手だ」
「ひど」

 イヴェリスと付き合っていたときは、あんなにしてきたがったくせに。
 今のトマリは頭を撫でたり、抱きしめてくれたりするだけで。それ以上は絶対に手を出してこなかった。どうせなら、手を出してくれたほうがイヴェリスを忘れられそうなものだけど。そんなことをトマリに頼むのも間違っているし。

 でも、トマリが居てくれたおかげで私はなんとか生きている。
 ルカを亡くしたときの喪失感とは別の喪失感に押しつぶされなくてすむのは、トマリのおかげだ。

 世の中の人は、失恋をするたびこんなに辛い気持ちを抱えていたと思うと、今まで失恋で泣いていた友達の慰め方をやり直したいと心から思う。今なら一緒に泣いてあげるし、今なら一緒に振ったやつの悪口も言ってあげられる。そりゃあ、憂さ晴らしの合コンだって開きたくなる。私は自分がいやだからって、それをことごとく断っていたけど。

「合コンって、楽しいかな」
「合コン? なんだ、それは」
「んー。男と女が出会うためにする飲み会のこと」

 トマリの腕の中で、考えることはそんなくだらないことばかり。
 こんな会話に付き合わせているトマリもかわいそうだ。

「はん。人間はそんなくだらないことをしてつがいを探すのか?」
「そうらしいよ。獣族はどうやって探すの?」
「時期が来れば、女はみんな俺を求める」
「なにそれ」
おさというのは、そういうものだ。女は俺の子を産みたがる。俺はそれにできる限り応える」
「ふうん」

 人間とはまったく違う世界過ぎて、おとぎ話を聞いている気分。

「じゃあ私が求めてもトマリは応えくれるの?」
「お前は獣族ではない、人間だ」
「いいじゃん、人間でも。関係ないよ」

 難しいな。捕食する側とされる側なんて。
 だって、人間で例えたらブタとか牛に恋をするようなものだ。
 そりゃあ、魔族からしたらそんな人間に情を抱くイヴェリスのことを変なやつって目で見る。そのうえ好きなんて感情。ほんとに、イヴェリスは変な王様なんだろうな。

 でも、人間だって牛や豚に愛着がわかないわけではない。目の前で殺されたら悲しいし残酷だと思う。食べなくても生きていけるけど、結局人間のほとんどは肉食だ。

「もう寝ろ」
「眠くない」
「俺が眠いんだが」
「私が寝るまで寝ちゃだめ」
「なら余計にとっとと寝てくれ」

 寒い日は、トマリの体温が心地いい。
 もしイヴェリスだったら、寒くて一緒の布団では寝れなかったかもしれない。

 今ごろ、イヴェリスは美月さんと一緒に寝てるのかな。冷たくて抱き着けないだろうな。ざまぁみろってんだ。なんて、心のなかで言うことくらいしかできなくて。

「トマリはあったかくていいね」
「蒼もあったかい」
「もっとぎゅーしていいよ」
「腕が疲れるからやだ」
「けち」
「一緒に寝てやらないからな」
「やだ、ごめん」
「ったく」

 もうすぐ冬が来てしまう。
 冬が来れば、イヴェリスのお誕生日までのカウントダウンが始まる。
 早く来て欲しい気もするし、やっぱり死にたくないかもって思う気もするし。
 でも、その時がくれば嫌でもイヴェリスと会える。

 それが永遠の別れだってわかっていても、もう一度イヴェリスに会えると思うと嬉しくなる。つくづく、私って愚かだなって。

「私が死んだらトマリは寂しい?」
「寂しいかもな」
「お肉が増えるように、少し太っておこうかな」
「……喰えないかもなぁ」

 トマリのその一言に、なんだか急に涙が込み上げてくる。
 なんでこんなに私によくしてくれる人たちに、私を殺させなきゃいけないんだろうって。
 いっそ、見ず知らずの魔族に殺された方が誰も嫌な思いしなくてすむのに。

 二人に殺させるくらいなら、ひっそり自分で死んだ方がいいんじゃないかとか。別の魔族にお願いした方がいいんじゃないかとか。色々と考えてしまう。

 トマリがイヴェリスを悪く言わないのも、イヴェリスの気持ちがわかるからだと思う。時間だけが過ぎていく間に、私も少しは俯瞰で物事を見られるようになったかもしれない。


「今日、お店ついていってもいい?」
「ああ、いいんじゃないか?」

 一人でいるのが不安な日は、たびたびトマリにくっついてお店に行く。
 ザワザワと騒がしい店内でボーッとグラスを洗っている時間は、無心になれる。
 たまにイヴェリスの残像が見えて、胸がギュッとするけど。それはそれで、自分がまだ生きてる実感が湧けて嫌じゃない。


「こんばんは!」
「おー湊くん」

 終電くらいの時間を境に、お客さんが一気に減る。イヴェリス目当てで来ていたお客さんが来なくなったせいもある。

 その代わりに、2時くらいになると来る人たちもいる。

 そう、湊さんもその一人だ。

「蒼さん、こんばんは」
「こんばんは。仕事終わりですか?」
「ううん。今日は夕方くらいに終わってる」
「あーじゃあ、どっか飲みに行ってたんですか?」
「いや? 家でゲームしてた」
「で、この時間にお店に?」
「蒼さんが居るって聞いて」

 深夜2時だというのに、なんて爽やかな笑顔なんだ。そんなセリフを聞いて、キュンとしない女はいないだろうに。

「私に会いに来てくれたんですか?」
「あ。迷惑だった?」
「湊さんのこと、迷惑がる人っています?」
「山ほどいるでしょ! 僕、意外とアンチ多いんだから」
「それはただの妬みやひがみなだけでしょ」
「そんなことないよ」

 イヴェリスとトマリのおかげか、イケメンとも普通に話せるようになっている。
 湊さんの気さくな雰囲気がそうさせているのもあるけど。明らかに自分がちょっと変われている気がする。

「最近、ナズナくんお店にいないですね」
「あーそうですね」
「……なんかあったんですか?」
「まあ色々と」
「ごめんなさい、あんまり聞いちゃいけないことだった?」
「いや、全然大丈夫ですよ」

 この前、湊さんの年齢が気になって調べたら30歳だった。てっきりまだ23歳くらいかと思っていたのに。20代前半にしか見えないのに30って、アイドルのすごさを思い知った。

 でも、年齢をあんまり気にしないで話せるのは楽でいい。

 仕事の話も、プライベートの話もあんまり聞かない方がいいかなって思うけど……そうなるとこっちから振る話題もなくて。そこに気を遣っていることも湊さんにはわかるのか「なんでも聞いていいですよ。僕、NGないタイプのアイドルなんで」って笑いながら答えてくれる。

 だから、話は尽きなかった。
 湊さんと話しているときだけはイヴェリスを忘れて笑える気がした。

「あ、そうだ。迷惑じゃなかったら連絡先とかって聞いてもいいですか?」
「え、私の?」
「うん」
「いや、そんな。私もしかしたらネットに流しちゃうかもしれないですよ!」
「え、そういうことするタイプ!?」
「いや、しないですけど。湊さんくらいのアイドルが、一般人に気軽に教えない方がいいですよって思って」
「あはは、そんな心配してくれる時点で蒼さんは大丈夫でしょ」

 私なんかがいいんだろうか。アイドルと連絡先を交換してもいいんだろうか。
 って思いながらも、イヴェリスのことを少しでも忘れるためには前に進むしかなくて。トマリにいつまでも甘えるわけにもいかないし。

「じゃあ、お願いします」
「はい、こちらこそ」

 湊さんと連絡先を交換してしまった。

 これでスマホは一生落とせなくなった。誰かに見られたら大変だと思って、登録の名前も「Mさん」に変えておいた。のちにそれを聞いて、湊さんはまた大笑いする。湊さんが笑うと私もつられて笑ってしまう。


 なんだ、私、まだ笑えるじゃん。


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