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第68話 住む世界

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「はあ、びっくりした~。もう、本人からチケットもらったなら言ってよ」
「すまない」

 あのあと、とくに私が失態を犯すことなくパーティーも無事に終わった。
 みんなで後片付けをして、今は帰っている途中。いつもより早い時間だ。

「湊さんってすっごい人気のアイドルなんだよ!」
「ああ、聞いている」
「こんな体験、人生で出来るなんて思わなかったよ!」

 あとから湊さんに聞いた話では、兄のお店には芸能関係の人が結構通っていたらしく。
 打ち上げに使ったり、お忍びデートしたいときにお店を貸切りにしてくれることもあるんだとか。
 湊さんも前はよく通っていたらしいけど、お店が人気になってからはなかなか来れずにいたようで。久しぶりに行ったときに、イヴェリスに色んな話しを聞いてもらっているうちに仲良くなったらしい。

「はぁ~夢みたいだったな。女優さん、みんな顔小っちゃかったね」
「あまり気にして見ていなかった」
「えー! まあ、イヴェリスも人間だったらあっち側の人だもんね」
「あっち側?」
「そう。キラキラした世界に住む人たち。私みたいな一般人が、一生関わるようなことができない人だよ?」
「同じ人間だろ」
「そうだけど。ほら、イヴェリスだって魔界では王様でしょ? その王様に、普通に暮らしている魔族は会うことすらできないのと同じだよ」

 そう、普通なら会えない人たちは魔界にも人間界にもいるんだ。
 仕事でモデルさんに会っても、いつも思う。ああ、この人たちと私は住んでいる世界が違い過ぎるって。
 でも、話してみると案外普通で。みんな同じ人間なんだなって思うときもある。
 湊さんはまさに、壁を感じさせない人だと思った。

「また湊さん、お店に来てくれるかな?」
「どうだろうな」
「あと2回くらい、映画も観に行こっか」

 結局、最後までクリーニング代は受け取ってくれなかったし。
 映画をたくさん観ることくらいはするべきだと思った。

「イヴェリス?」

 ふと、イヴェリスの歩く速度がゆっくりになる。振り向くと、何かを考えているような顔だ。

「どうしたの?」
「いや、なんでもない」

 一歩だけ差の開いた距離を縮めるために戻ると、イヴェリスはまた何事もなかったように歩き出した。

 家に着いても、イヴェリスの口数が少ない。
 仕事の前は「覚悟しろ」とか言ってたくせに、シャワーを浴びるとすぐに布団に入ってしまった。

「イヴェリス? 疲れちゃった?」

 髪を乾かしてから、私もベッドにもぐりこむ。
 いつもしてくれるおやすみのチューすらまだない。

「もう寝た?」
「いや」

 顔を覗き込むと、視線をそらす。

「どうしたの? また何か怒ってる?」

 イヴェリスが黙るときは、だいたい怒っているときだ。
 また私が何かをしてしまったのかもしれない。心当たりがあるとすれば、私が失敗したときのお礼をまだちゃんとしていないことくらいだろうか。

「今日、ありがとうね。イヴェリスがすぐに拭いてくれたから、助かったよ」
「いや……。俺こそすまない」
「え、なんでイヴェリスが謝るの?」
「俺のせいで、お前を動揺させてしまったから。それに、庇ってやれなかった……」
「イヴェリスのせいじゃないよ! 先に知ってたとしても、緊張して倒してそうだし」

 もしかして、私がミスしたことを自分のせいだと思っているのだろうか。
 イヴェリスが責任を感じることなんて1ミリもないのに。

「アイドルというのは、やっぱりすごいな」

 少しため息まじりに、ぽつりとイヴェリスが嘆く。

「俺は所詮、魔族でしかない。人間には、なれない」

 いつも自信しかないようなイヴェリスが急にネガティブな言葉を放つ。
 それも、自分と人間と比べて言っている。 

「イヴェリスほど完璧な人間なんて、どこにもいないよ」
「でも湊さんは……焦っているお前を庇い、そのあとも落ち込んでいる蒼を笑顔にしていた。今日会ったばかりなのに、すぐにお前の気持ちを理解していた」
「それは」

 確かにあの瞬間は湊さんには救われた。いつもなら、今日の失敗を一週間くらい引きずるところだけど、あと腐れなくというか。私に罪悪感を抱かせずにすぐに解決してくれて。キラキラした人が苦手な私ですら、話しやすかった。人見知りもせずに、ポンポンと会話が弾んだし、アイドルだからって気取った印象はまったく感じなかった。

「あんな蒼は、初めてみた。とても楽しそうだった」
「た、確かに楽しかったけど! それはイヴェリスがそばに居てくれたからだし」

 “楽しい=好き”にはならないって、イヴェリスに伝えたいのに。上手く言葉がみつからない。何よりも、相手はアイドルだよ。人を楽しませることも、人への配慮も長けているだけで。

「お前は、湊さんみたいな人間と付き合った方が幸せなのではないか?」

 寂しそうな声で言われる言葉に、一気に不安が押し寄せてくる。私が好きなのは、イヴェリスなのに。なんでそんなことを言うんだろう。

「イヴェリスは、私が幸せならなんでもいいの?」
「……俺は、いずれお前の幸せをすべて奪うことになる。なら、少しでも幸せな思いをさせてやりたい」
「だったら、イヴェリスがそばにいてよ」

 私にとっては、イヴェリスがすべてだ。
 イヴェリスがいなかったら、こんなに胸が締め付けられるような気持ちも知らなかった。幸せな気持ちだけじゃなくて、誰かを大事に思うことも、誰かに大事に思われることも知らなかった。

「俺は人間ではない。お前の気持ちを知るのにも、心を読まないとわからなかった」
「今は読まなくてもわかってくれるじゃん」
「わからないことも多い」
「それは、私だって同じだよ……」

 なんでイヴェリスは私なんかを大事にしてくれるんだろうって。デートの時だって、服を変えただけであんなに喜んでくれて。いつも優しくて、いつも私の気持ちを優先してくれて。顔が赤くなるくらい照れてくれるときだってあるし。

「なぜ泣く」
「そんなの、急にイヴェリスが変なこと言うからっ……」

 私がいつも感じている壁は、イヴェリスにとっても同じ壁だったのかもしれない。
 住む世界が違うからって、一緒になれないわけじゃないんだよ。
 新しく自分たちの世界を作ればいいだけなのに。

 人間と吸血鬼なんて、ちょっと文化と価値観が違うだけで。

「ん……」

「っ…‥」

 イヴェリスが急に遠ざかっていく気がして、言葉じゃ伝わらない気がして。
 だからって、自分からキスしたところでその思いが伝わるとも思わない。

「いいよ、心読んで……」

 イヴェリスの手を、自分の胸にもってくる。
 心を読んでくれたら、少しは伝わるかもしれない。私がどれだけイヴェリスが好きで、どれだけ大事に思っているか。

「私が好きなのはイヴェリスなんだよ……イヴェリスじゃなきゃやだっ」

 まるで子供のように、イヴェリスにしがみつく。
 泣きじゃくりながら、何度もキスして、何度も好きって言って。

「蒼、俺はお前を――」

 それでもイヴェリスは、いつもみたいに優しく抱き返してくれなくて。
「俺も好きだ」って言ってくれなくて。
 泣いても涙を拭ってくれない。

 私がウーロン茶をこぼしたのがいけなかった。
 私がアイドルに浮かれてしまったのがいけなかった。
 私が笑ってしまったのがいけなかった。

 全部全部、私が悪い。

 私なんかを好きになってくれたのに、それに甘えていたのかもしれない。
 どこかでイヴェリスは、絶対に離れないって思っていたから。





「イヴェリス……!」

 目が覚めると、隣にイヴェリスの姿がなかった。ベランダにも、洗面所にも、お風呂にもいない。

 電話をかけても出ない。
 

「ゴグッ! ゴグいないのっ?」

 ゴグを呼んでも、ベッドから出てくる気配はなかった。


「トマリ! トマリ!!」


 お店に行って、扉を叩く。もしかしたら、ここに来ているかもしれないと思って。

「どうした」
「イヴェリスが、いなくなっちゃった」
「イヴェリスが?」
「うんっ、私がイヴェリスのこと傷つけちゃった」

 昨日も散々泣いたのに、涙が次から次に溢れてくる。
 トマリは居るのに、イヴェリスがいないなんて。

「イヴェリス、どこに行ったかわからない……?」
「すまない。今はわからない」
「もしイヴェリスに会ったら、帰って来てって伝えてくれる?」
「ああ。伝える。伝えるから泣くな」

 本当はイヴェリスに泣くなって言われたいのに、涙を拭ってもらいたいのに。

 ねえ、どこに行っちゃったの。
 私を一人にして行かないでよ。

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