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第44話 黒い犬

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 最近の天気はコロコロと変わり過ぎる。今日こそいいお天気だと思って外に洗濯物を干しても、昼過ぎから急に曇りはじめて、夕方にはバケツをひっくり返したような雨が降る。そのたびにイヴェリスと慌てて洗濯物を取り込んだりして。

 イヴェリスがお天気アプリを見て、今日は部屋に干すか外に干すかと考えるのが日課のようになっていた。

「じゃあ、行ってくるね」
「傘は持ったか?」
「うん、持ったよ」
「ん。気をつけてな」

 ちゅ

 パジャマ姿のイヴェリスが、玄関まで見送ってくれる。
 もちろん、いってらっしゃいのキス付きで。

 今日は朝から外での仕事。
 私が帰ってくるころにはイヴェリスもバイトでいないから、会えるのは明日になる。たった一日のすれ違い生活だけでも、なんだかすごい長い時間会えていないような気がしてしまう。

 もし、私が普通にOLしてたら、きっと会う時間も少なくてすれ違い生活なんだろうな。なんてふと考えると、今の仕事でよかったとさえ思えてくる。

 お天気アプリでは午後からにわか雨に注意って書いてあった。イヴェリスにも傘を持っていけと散々言われていたから、もちろん折り畳み傘を持ってきた。今のところ、電車の窓から見える空には雲一つない青空が広がっているけど、仕事が終わるころにはまた雨が降ってるんだろうな。

「お疲れ様でした!」

 時計を見ると18時を過ぎていて、早々に挨拶をしてエレベーターに乗り込む。窓のないスタジオにこもっていたから外の様子はまったくわからないけど、30分くらい前にスタッフの一人が「すごい雨だよー」って言っていたのを聞いて、エレベーターの中で傘の準備はしておいた。
 
 受付を通り過ぎ、出口に向かうと見事なほどの豪雨が目に飛び込んでくる。
 自動ドアの前に立つと、ウィーンという音を一瞬でかき消すように雨の大合唱。 

「うわ。すごい雨」

 あまりの雨に一歩後ずさりながらも、早く帰りたい一心で持っておいた折り畳み傘を広げる。手に持っていたスマホを見ると、イヴェリスから『あめすごい』のメッセージだけが届いていた。傘をさしていても、スマホの画面に水滴がとんでくる。足早に駅に向かって電車に乗ると、遠くの方で雷が光っているのが見えた。

 幸い、最寄りの駅に着くころには少し雨が弱まっていた。でも、すぐにまた雨脚が強くなる気配をひしひしと感じる空模様だった。

「買い物するかしないか迷うな」

 空を見上げながらスーパーに寄るか直帰するかで迷っていると、急にピカッと空が光る。

 ――うわ、落ちる

 そう覚悟をした瞬間、雷が地響きのようにこだました。

「こわっ」

 あまりの雷に、思わず足がすくむ。まだ雨はそんなに強くないというのに、雷だけがゴロゴロと不機嫌に鳴り響く。

 これは近くのカフェで雨宿りした方がいいかもしれない――そう思い立って、すぐ近くにあるパン屋さんへ向かうことにした。路地裏にひっそりとあるお店で、買ったパンをすぐに食べれるカフェが併設されている場所だ。

 足下が濡れることなんて気にしている暇がないくらい、ピカッと光る空に危険を感じる。一刻も早く、安心できる場所へと行きたかった。この道を抜ければお店に着く――はずだった。

「あ、あれ?」

 パン屋さんが、ない。通いなれた道を歩いて来たはずはなのに、行きついた先は見慣れない路地で。建物の壁と壁に挟まれて、奥深くへと続いている。

 間違えるはずはないけど、雷にビビり過ぎてどこかで道を間違えたのかと思って引き返そうとしたとき。

 視線の先で、黒い何かが道に転がっているのが見えた。

 ここからでは、その黒い“何か”がわからない。黒いバッグが落ちているようにも見えるし、布が丸く固まっているようにも見える。どんどんと雨脚が強くなり、地面に落ちる雨が勢いよく跳ね返る。その飛びまわる水滴のせいで視界が悪くなるなか、その転がっている“何か”妙に気になってしまい、雷のことも忘れて近づくと……。

 ――黒い犬だ

「え、大丈夫!?」

 その“何か”が犬だとわかって、思わず駆け寄る。毛足の長い黒い毛が雨に濡れ、まるで死んでいるようにも見える。でも、私が近づいた瞬間に「グルルル」と力なさげに頭を上げ、牙を剥いた。よかった、生きてる。

「大丈夫、何もしないよ。車に轢かれたの?」

 今にも噛みつきそうな雰囲気で、金色の目がこちらをギロリと睨む。

「何にもしないって。見てるだけ、大丈夫だから」

 少し距離を保ちながら声をかける。その間も、雨は容赦なくその犬の体を濡らし、目に見えて衰弱していくのがわかった。雷のことも忘れ、自分が濡れることよりもその犬が濡れることの方が命に関わる気がして。持っていた傘を犬のそばの地面にそっと置いた。

 私は、昔から人よりも犬が好きだった。友達よりも、近所の家の犬と遊んでいるのが何よりも楽しかった。ずっと自分の犬が欲しくて、自分で飼えるようにもらったお年玉を必死に貯めてバイトもした。ある程度貯まってから、このお金で面倒を見るからと親に懇願して飼えることになったのだ。それがルカ。私にとっての一番の親友だ。
 一人暮らしを始めても連れていけるように、今の住んでいるマンションを借りたのだ。ちょっと狭いけど、ペットOKの場所。でも、そのルカも4年ほど前に虹の橋を渡ってしまったのだ。

 この黒い犬を見た瞬間、ルカの最期を思い出してしまった。
 苦しそうに、寂しそうに鳴いたルカの声が聞こえてきた気がした。

 それもあって、この犬を放っておくことなんてできなくて。どうしたらいいか考えていたら、犬が急にはぁはぁと息を荒げながらゆっくりと目を閉じてしまった。

「え、死んだ!?」

 声をかけても、近づいても動かない。ただ息はしているようで、お腹あたりが上下にゆっくりと動いているのだけは確認できた。

「ちょっと触るよ、怒らないでね」

 ゆっくりと近づいて、黒い犬の背中を触る。でも反応は無く、このままじゃ本当に死んじゃうと思って、おもいきって抱き上げた。

「ウウゥッ」
「ごめんって! でも我慢して! 美味しいご飯あとであげるから!」

 その犬はさっきよりも力ない声で唸った。噛みつく様子はない。
 大型犬ほどはないが、中型犬よりも少し大きいその犬を抱えて、昔お世話になってた動物病院へと駆け込んだ。

 レントゲンとか血液検査で色々と診てもらったけど、とくにケガもしてなければ悪いところはなく。言うならば、栄養失調に近いからってことで一応点滴を打ってもらい、また抱きかかえて家に連れて帰った。

 ――って、普通に拾ってきちゃったけど……この後どうしよう。

 とりあえず古いバスタオルの上に寝かせる。今は点滴が効いてぐっすり眠っているみたいだけど、もし目が覚めた時に暴れて噛まれたりしたら……。だからって、このまま外に置いておくわけにもいかないし、イヴェリスがなんとかしてくれるかもしれない。

「くうぅん……」
「大丈夫。濡れた毛を乾かすだけだから。痛くないよ」

 タオルで優しく濡れた毛を拭いていると、黒い犬は少し目を開けて鼻を鳴らす。
 全身真っ黒な毛で覆われていると思っていたけど、よく見ると首のあたりと、喉元に銀色の毛が混じっていた。ふさふさの長い毛はタオルじゃどうにもできなくて、結局ドライヤーを使って頑張って乾かした。

「よし。このくらいでいっか」

 ルカは小型犬だったからまだ乾かすのは楽だったけど、この犬のサイズを乾かすのはなかなか大変なものがあった。

「ウウゥッ……」

 乾かし終わると、犬はまた少し苦しそうに声をだす。

「迷子かなぁ。でも首輪してないし……。明日、保健所に問い合わせてみるかぁ」

 このへんで飼い犬を探している人はいないかスマホで検索してみても、それらしき情報は何もなくて。一応、写真に撮って迷子犬の掲示板に預かっていますってことだけ投稿しておいた。問い合わせがくればいいけど。

 ピンと立った耳は、ずっと周囲の音に聞き耳をたてている。私が少し動いたり声を出すと、その度にピクッと反応した。改めて犬をまじまじと見ると、マズルが長くて太い。まるで狼のように野性的な顔つき。ハスキーの混ざった雑種だろうか。

 さっきまで濡れてペタッとしていた毛が渇くと、艶やかで、ポメラニアンのようにフワフワな毛質に蘇っていた。その触り心地のよさに、我慢しきれずモフッと顔を突っ込んでしまった。

「くあ~~~犬ぅ~~~~」

 約4年ぶりくらいの犬との触れ合いに、思わず嬉しさがこみあげてくる。本当はもっとわしゃわしゃと撫でくりまわしたいところだけど、まだ元気になったわけでもないし、起きて噛みつかれたら困るので、顔を埋めて耐えた。

 ルカが天国に行ってしまったあとの1年は、悲しみに明け暮れてもはやどう過ごしていたか記憶にないくらい病んだ。それから何度も犬が恋しくなったけど、死んだときの悲しみを考えると辛すぎて新しい子を迎えいれる勇気はなかった。

 その代わりに、散歩しているよそ様のお犬さんをニヤニヤと見るということで日々の幸せというか癒しを得ていたようなものだ。

 でも、今、目の前に、本物の犬がいる!!

「かわいいねぇーよちよち。あーふわふわだねぇー」

 寝ているのをいいことに、スリスリと犬に顔を埋める。獣医さん曰く、毛質はいいし変な虫とかもいないから、たぶん飼い犬なんじゃないかって言ってたけど……。

「飼い主さんはさぞ心配してるんじゃないかな。キミは一体、どこから来たの」

 横たわってる犬の隣に一緒に寝そべって、頭を撫でる。
 ずっしりとした前足。鋭い牙。ほんとに、どこか狼みたいな雰囲気で。
 お腹辺りに手を置くと、ゆっくり膨らみ、ゆっくりしぼむ。トクトクトクッって人よりも少し早い心音が手から伝わってきて。起きたら元気になってるといいんだけど。

 その前に、噛まれないことを祈ろう。

 本物の犬というのは、フワフワの毛を撫でているだけで癒し効果がすごい。触っているだけで、だんだんと瞼が下がってくる。床で犬と一緒に寝るのは何年振りだろう。ルカとも、こうやってよく寝たな――





 ――ピシャッ! ゴロゴロッ! 

「わっ、ビックリしたぁ……」

 雷鳴が部屋中に轟いた。
 その音にびっくりして目を開けると、部屋の中は真っ暗で。どうやらうたた寝をしている間に雷で停電してしまったようだ。

「犬、だいじょ――」

 ぶ。そう言いかけたところで、手に違和感を覚える。
 さっきまで触っていたはずのフワフワとした感触がない。確かに息をしているように上下に動いているけど、犬の毛と言うよりは――人の肌のよう感触だ。

 部屋が暗くてよく見えない。でも、明らかにさっきより犬のサイズが大きい。
 その瞬間、嫌な予感して。一旦、頭に過ぎった悪い想像を忘れるように深呼吸をする。

 次の瞬間。
 パッと部屋の明かりが点いて、目の前の光景が鮮明に映し出される。

「えっ」

 そう。私の目には、隣でさっきまで寝ていた犬がどう見ても人間の姿になっていた。





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