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第42話 おとぎ話みたいな
しおりを挟む梅雨に入ったのか、ここ最近は毎日のように雨だ。
台風も多くなってきたし。太陽が苦手なイヴェリスにとっては嬉しいことなんだけど、気圧にめっぽう弱い人間の私は、朝起き上がるのですらしんどく感じる季節でもある。
「うー」
「また頭が痛いのか?」
「うん……」
「天気で左右されるなんて、人間というのは本当に弱い生き物なんだな」
今日も朝から低気圧。ついでに女子の日の前触れにも重なって、身体がだるくてとにかく眠い。
「コンビニで何か食べ物を買ってくるか?」
「ううん、いらない……」
ベッドの中で浅い眠りを何度も何度も繰り返す。そのせいで余計にだるさが重なって、脳にも上手く酸素が回っていないような重たい感じがする。
「せっかく休みだから、どこかに行きたかったが……」
「ごめんね」
「いや、体調が悪いなら仕方ない。ん、少し飲め。カフェインは頭痛にいいと聞いた」
そう言って、イヴェリスはカフェラテの入ったマグカップを手にベッドの上に座った。
「ありがと……」
イヴェリスに身体を支えられながら、ゆっくりと起き上がり、ミルク多めのカフェラテが入ったマグカップを受け取る。
吸血鬼のくせに、いまや飲み物とかちょっとした料理まで作れるようになっていて。34年も人間として生きてきた私より、何十倍も人間としてのスキルが高くなってしまった。
「ん、美味しい」
「回復する魔力を入れておいたから、飲んだら少しはよくなるかもしれない」
「え」
「ほんのちょっとだ」
まるで薬みたいな使い方で魔力を使われても。人間に効果あるわけないでしょ。
って思ってたけど……
「なんかちょっとよくなったかも」
「効いたか」
しばらく横になっていると、頭痛がスッと消えて身体のだるさも嘘のようになくなっていた。待って、魔力、便利すぎる。
「なんか元気になったら、おなかすいてきた」
「なら、コンビニで何か買ってきてやる」
「どうせなら近所のカフェまで、ご飯食べに行こうよ」
「大丈夫なのか?」
「うん、今ならどこまでも行けそう」
「そうか。じゃあ、行こう」
なんだかんだあの温泉以降、イヴェリスとゆっくり出かける機会も無くて。
約束していたプリンアイスすらまだ食べに行けてない。イヴェリスはバイトで忙しいから、昼間は寝ていることが多いし。休みは休みで今日みたいに私が具合悪くて寝てたりで。タイミングが合わずにいた。
「給料入ったし、ついでに蒼の服でも買いに行くか?」
「いらないよ」
クローゼットで着ていく服を探していると、後ろで見ていたイヴェリスが少し同情するように言う。
「楓みたいな服は着たくないのか?」
「え? 私があんなの似合うわけないじゃん」
「そうか? 似合うと思うが」
「あれは楓だから似合うの!」
楓は私と違って、身長も体つきも超がつくほどの女子だ。おまけに顔もかわいいし。いわゆるモテ服みたいな女の子らしい恰好が似合う。背も大きくて、肩幅ガッチリな私には到底、縁のない服だ。
「よーし、行こう」
「ああ」
結局身軽なデニムに白シャツのスタイルが落ち着く。イヴェリスもデニムと白Tというシンプルな服装で、ちょっとシミラールックみたいになってしまった。
「どうする? 隣駅まで歩く? それとも駅前のカフェにする?」
「蒼の具合が大丈夫なら、少し歩きたい」
「うん。大丈夫そう」
「じゃあ隣駅まで行こう。具合が悪くなったら言えよ」
「はーい」
マンションを出ると、結構な雨が降っていた。イヴェリスは男性用の大きな傘。私は透明なビニール傘をそれぞれ差して歩き出す。
「蒼。これでは手が濡れる」
「え?」
「手が繋げないぞ」
「雨だから、我慢してよ」
「えー」
「えーって」
リアクションもだいぶ人間らしくなってきたな。
「傘は一つでいい。こっちに入れ」
「肩濡れちゃうよ」
「大丈夫だろ」
そう言われ、イヴェリスにグイッと手を引かれ真っ黒な傘の下へと誘導される。
仕方なく自分の傘を閉じて、濡れないようにイヴェリスの方へと近寄ると、逃がさないとばかりにすぐに手を絡めてきた。
「久しぶりだな、こうやって歩くのは」
「家でもすぐ握ってくるじゃん」
「それとこれは別だ」
「一緒だよ」
そう、イヴェリスはテレビを見ている時も寝ている時も、隙さえあれば私の手を握るか抱き着くかのどっちかだ。くっついてないと気がすまないらしい。さすがの私も、最初の時に比べたらドキドキはしなくなったけど……。
やっぱり外ってなると違う緊張感がある。
「これはデートに入るか?」
「うーん、入るかもね」
「そうか」
デートって聞いて、少し嬉しそうにする横顔がかわいい。私だって本当は嬉しくて嬉しくて仕方ないのに。もっと素直に嬉しい気持ちを出せたらいいのに。
しばらく歩いていると、急にちょっと前の記憶が蘇る。
――ここは確か
「イヴェリス」
「どうした?」
「ここ。この辺でイヴェリスに会ったよね」
そうだ、ちょうどこの辺りだ。歩きなれた道のはずなのに、急に見慣れない小道を見つけて。気になって奥まで突き進んだら、イヴェリスが苦しそうにしゃがみこんでいたあの場所。
「そうか。この辺りだったか」
「うん」
確かにこの辺なのに、あの時あった小道なんてどこにも無くって。
「本当に魔界から来たんだね」
「まだ信じてなかったのか?」
「いや、吸血鬼ってことは信じてるけど。こことは別の世界があるのはまだちょっと信じられないかも」
イヴェリスが人間らしくなりすぎたせいもあるけど、たまに吸血鬼だということを忘れてしまいそうになる。
「人間が魔界に行くことはできないの?」
「あー。まあ、行ったところで誰かに喰われて死ぬだろうな」
「こわっ」
「向こうでは、人間が一番魔力を補充できる食べ物だからな」
さらっと怖いことを言うな。まあ、そんな私もいずれ捕食される人間ではあるんだけど……。でも、イヴェリスみたいな優しい吸血鬼が魔界の王様でよかったなって、心底思ってしまう。もし悪い吸血鬼が王様だったら、人間は魔族に襲われて終わりだもんね。
「一応、法律で決まっている」
「え?」
「人間をむやみやたらに食べてはいけないという法律みたいなものが、魔界にはある」
「そうなんだ。だからイヴェリスも100年に一回なの?」
「まあ……そんなところだ」
もしあの時、私がイヴェリスじゃない魔族に狙われていたらって考えると……。きっと死ぬほど怖い思いをして、毎日怯えて暮らす毎日だったんだろう。必死で命乞いして、必死で逃げようとして。なんなら、こんなにも長く生きていられなかったかもしれない。
そう考えると、生贄のくせになんて幸せな日々を送っているんだ私……!
「ふふっ」
「なんだ?」
「いや、イヴェリスの生贄でよかったなって思って」
「は? 生贄でよかったなんてないだろ」
「そんなことないよ! 毎日楽しいし、毎日幸せだもん」
「……やめろ」
「ん?」
「ああ、もうっ。外ではそういうこと言わないでくれっ」
「うわ! 髪の毛髪の毛!」
ふとイヴェリスのほうを見ると、一瞬で黒髪が見事なほどにキレイな白銀色へと変わっていた。
「それ、なんとかならないの!?」
「心臓が掴まれたような感覚になると、どうしても魔力がコントロールできなくなる」
「それって……ドキドキしてるってこと?」
「苦しくなるだけだ――」
そう言いながら、イヴェリスは少し照れたように手の甲を口元にあて、視線を逸らした。
「興奮すると吸血鬼が出ちゃうってことだよね?」
「くっ……」
「王様のくせに、感情のコントロールが下手くそだねぇ」
「黙れっ」
「ふふっ」
ちょっと面白くなって、繋いでいた手をほどいて、腕を絡めてからイヴェリスにくっつくようにまた繋ぎなおすと――
「ばっ――」
「うわ! 目の色目の色!」
サングラス越しでもわかる、赤く光った瞳の色。そして、甘い香りがふわっと漂う。
「お前、からかっているだろ」
「いつものお返しですー」
人気のない道なのをいいことに、真っ黒な傘で顔が隠れているのをいいことに、私は少しだけイヴェリスをおちょくって楽しんでいた。さんざんからかわれてきたんだから、たまにはいいでしょ。これくらい。
「……イヴェリス?」
上手くからかえて満足していると、イヴェリスが急に立ち止まる。
「早く人間に戻せ」
少しムッとした顔で、こちらを見下ろしてくる。
「どうやって?」
「そんなの――」
そのまま、傘を持っている方の手で後頭部を抱き寄せられると
「んぅ……」
顔に角度をつけて、深めのキスをされてしまった。
雨がポツポツと顔にあたる。真っ昼間に、こんな道端で、私はなにをしているんだろう。
わざとらしく、音を立てて唇を離すイヴェリス。さっきまで赤かった瞳も、白銀の髪も、瞬時にいつもの色へと戻っていった。
「キスしたら戻るとか、どんなおとぎ話」
「今のはお前が悪い。俺は悪くない」
そうかもしれないけど。まさか外でキスされるなんて思わないじゃん。
慌てて周りを見渡したけど、近くに人影は見当たらなかった。
「俺は興奮すると何をするかわからない。気を付けてくれ」
「そんな、動物みたいなこと言わないでよ」
「俺だって、こんなことは初めてなんだ。仕方ないだろ」
「ごめん……」
せっかくいつものお返しができたと思ったのに、結局それ以上のお返しが待っていることを学んだ。
とくに外では気をつけよう――
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