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第41話 骨抜きです

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「ん……」

 ハッ――!
 眠気から覚めたとたん、夢のようで現実過ぎる記憶が脳内に流れこんでくる。
 恐る恐る布団をめくると、そこにはいつかの日のように服を着ている自分はいない。

 吸血鬼と一緒に住むことになってから3ヶ月。
 私はついに超えてはいけないような気がする一線を越えてしまった――

 この出来事が世間一般的な男女なら早いのか遅いのかすら私にはわからないけど……。いや、さすがに一緒に暮らしているなら遅いんだと思うけど。

 私にとっては、人生最大のビッグイベントと言っても過言ではないものを、あんなにもあっさりと……。

 正確に言えばイヴェリスから出ている魔力のせいだ。絶対に。
 痛いとか、恥ずかしいとか、初めてならではの気持ちを考える隙さえ与えられなかったというか。それこそ本当に、媚薬を使われているんじゃないかと思うくらい、イヴェリスに溺れさせられた気がした。

 ――でなきゃ、この私が、あんなことを受け入れるわけが! 

「んんっ」

 隣に寝ていたイヴェリスが寝がえりをうつと、思わずビクッと体が硬直してしまう。イヴェリスが起きる前に、服を着たい。

 起きないで起きないで起きないで……! 
 そう心の中で念じながら、そろりとベッドから抜け出そうとしたら……

 ガシッ

「ひい!」
「どこへ行く」
「いや、服を……」

 腕を掴まれ、そのままイヴェリスの腕の中へと引きずりこまれる。

 当たり前のことだけど、イヴェリスも裸なわけで。肌と肌の感触が直接伝わってくるのが妙に変な感じがした。

「もう少しここに居てくれ」
「……」

 耳に唇があたるように喋られて、思わずゾクッとする。
 そのまま、イヴェリスはまたスーっと静かな寝息をたてて眠り始めた。

 こちとら、そんな二度寝をかますほどの余裕はないってのに。呑気に寝ちゃって。

 人間と違って、吸血鬼は頻繁にこういう行為はしないんだろうか。どちらかというと、本能のままって感じではあったから、本当に動物の発情に近いんだろうけど…‥。

 さすがに300年近くも生きてて、初めてってことはないよね。
 なんか手慣れてたし。

 それにしても、人間とまったく同じ身体の作りだったな……。そりゃそうか。
 吸血鬼と人間って、しても大丈夫だったのかな。前例がないわけではないだろうけど。なんか、魔族と人間で交わってはいけないみたいな掟を破ったことになったりしてたら……。

 抱きしめられたまま動けなくなった私は、ボーッと部屋の一点を見つめたまま、どうでもいいような事を考えていた。

「ん……」

 結局、拘束されている間に私もまた寝てしまったようで、イヴェリスが起きたタイミングで再び目が覚める。

 あくびをしながらのそっと起き上がると、何も身に着けてないイヴェリスがクローゼットで服を引っ張り出して着替えている姿がチラっと見える。服を身に着けて戻ってくると、床に散らばった二人分の服を拾って洗面所へと持っていった。

 そして私は、完全に布団から出るタイミングを失った。

「起きてるんだろ」
「うっ」

 洗面所からイヴェリスが戻ってくるなり、こちらに視線を向ける。頭まで布団をかぶっていたけど、逆にそれでバレてしまったようだ。

「……服、とって」
「自分でとればいいだろ」

 いつになくニヤニヤとしているイヴェリスに、久しぶりにイラッとしてしまう。

「無理ぃ!」
「もう全部見た。恥ずかしがらなくてもいいだろう」
「そ、そっちはそうかもしれないけど!」
「あーあー。わかったから。ほら」

 バサッ

「ぅわ」

 干してあったTシャツとスウェットパンツをバサッと投げ込まれる。

「下着……」
「それは触っちゃいけない約束だろ?」
「くっ……」

 諦めて布団の中でそのまま着替え、胸元を手で押さえながらベッドから出る。下着を素早く取って、足早に洗面所へと移動した。

 やっと安心できる恰好になって部屋に戻ると、イヴェリスはカーテンをチラッと開けながら「雨だな」って呟いた。

 なぜか少し悲しげで、寂しそうな顔をしている。雨の日でも外の光が眩しいのか、そのまますぐにカーテンを閉め切った。

「蒼」
「ん?」

 キッチンでカフェラテを入れていると、いつものようにイヴェリスが後ろから抱き着いてくる。

「俺は幸せだ」
「なに急に」
「蒼とこうしていられるのが、嬉しくて仕方がない」

 私の肩に顎をのせながら喋るから、背中にイヴェリス声が響いてくる。

「ずっとこうしていたい」

 “ずっと” 
 彼がその言葉を口にしたのは、初めてかもしれない。

「なぜ人間は、たった100年も生きられないのだ」
「しらないよ」
「蒼も吸血鬼になってしまえばいいのに」
「その前にイヴェリスが血を飲み干すでしょ」
「……」

 言わないようにしていたのに、つい言ってしまった。イヴェリスは黙ったまま、何かを考えているようだ。

「なぜ我々は、人間の血を飲まねば生きていけぬのだろうか」
「人間が水分とらないと死んじゃうのと一緒じゃない?」
「蒼は、死ぬのが嫌じゃないのか?」
「今さら聞く?」
「すまない……」
「もちろん、嫌だけど。でも、それ以上に今が幸せだからいいよ」
「……」
「イヴェリスが私の願い、叶えてくれたから」
「お前は本当に……」

 愚かだ――

 消えかけた声で、イヴェリスがそう呟く。そのまま優しく首筋に顔を埋めると、軽くリップ音をたてながらキスをした。

 この幸せな時間も、あと8ヶ月で終わってしまう。

 イヴェリスと出会ってから、私の人生は一変した。こんなにも誰かを好きになることが、幸せなことだなんて知らなかった。

 もし、もう一度生き方を選べるとして。
 この気持ちを知らずに100歳まで生きるくらいなら、私は迷わずあと8ヶ月の道を選ぶだろう。

「仕事に行きたくない」
「えっ、珍しい」
「蒼と毎日、営みを交わしたい」
「ちょ」
「蒼を肌で感じられるのは、とてもよかった」
「やめてって」
「蒼は嫌だったか?」

 すぐにそうやって「嫌だったか?」って聞くの、ほんとやめて欲しい。嫌なわけないじゃん! なんて、素直に言えるわけがないのに。

「イヴェリスって、その……したことなかったの?」
「なにをだ」
「昨日みたいな……」
「ないな。お前が初めてだ」
「はじめて……」

 思わずそのワードに、嬉しさが隠しきれなくなる。本当に、イヴェリスは誰かを好きになったこととかないのだろうか。300年も生きてて、一度も? ちょっといいなとか、周りに居る他の吸血鬼とかにも。

「魔界では、あまりそういうのはしないの?」
「基本的に、子を宿すための行為だろ。そもそも、俺の種族は繁殖をする習性があまりないからな」
「そ、そうなんだ」

 子を宿すって……。あんた、私と子を宿そうと思ってたんかい! って突っ込みを入れたくなって、やめた。そもそも、吸血鬼と人間の間で子供ってできるのかな。

「獣族の場合は別だが。やつらは子孫繁栄が仕事だからな」
「なるほど……だから発情って言うのか」
「もちろん、快楽を求めるためにする者もたくさんいる」

 種族によって違うのは、私と楓みたいな感じかな。私はきっと、前世のどこかで吸血鬼と繋がりがあるのかもしれないな。なんて、またくだらないことを考えたり。

「智に言わないとな」
「え!? なにを!」
「昨日のことを」

 急に変なことを言い出すから、思わず持っていたカフェラテを落としそうになる。

「いや、言わないで!? 絶対だめだよ!?」
「いや、しかし、早く帰らせてくれたから礼を伝えなければ」
「え? あ、そっち?」
「そっちってなんだ」
「いや、なんでもない」

 さすがに、さすがにだよね。焦ったー。いくらノンデリの兄だって、妹のそっち事情は聞きたかないだろうし。

「じゃあ、行ってくる」
「うん」

 そしてまた夜になって、いつものようにイヴェリスが仕事に向かう。

「あ、イヴェリス」
「なんだ?」
「あんまり……女の人にベタベタくっつかれないようにね……」
「ああ、わかった。気をつける」
「お仕事頑張ってね」
「蒼も留守番たのんだ」

 ――チュッ

 いつもはおでこなのに、今日は唇に行ってきますのチューをされる。
 これはこれで、胸キュン指数が高すぎる。
 バタンとしまった扉の前で、へにゃへにゃと床に座り込んでしまうくらい、私はイヴェリスに骨抜きにされていた。



 ♢♢♢

[お知らせ]
番外編でイヴェリス視点の短編小説をUPしています。
よかったらそちらも読んでみてください。
(少しだけ残酷描写入っていますので、苦手な方は気を付けてください)
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