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第37話 恋人のふり
しおりを挟む「んん……」
窓の外から聞きなれない鳥の声が聞こえて、目が覚める。
「……起きたか?」
「わっ」
目を覚ますと、イヴェリスの口元が視界に入り、瞬時に昨日の出来事がフラッシュバックされた。
――そうだ、キスしちゃったんだ
「なぜ隠れる」
「そんなのっ」
いたたまれなくなって思わず頭まで布団をかぶると、すぐにガバッとはがされてしまった。
「ああ、キスのこと考えているのか」
「言わないでっ!」
「ふっ」
ここぞとばかりに悪戯に笑うイヴェリスの顔が、ちょっと前とはまた違って見える。そういえば、目の色も髪の色も人間に変わってる。よかった。
「楓から連絡がきて、もうすぐ朝ごはんの時間だと」
「あ、そっか。準備しなきゃね」
昨日の夜のことが濃厚過ぎて、一瞬自分がどこに居るのか忘れていた。
寝ている間に乱れた浴衣姿のイヴェリスがすぐ傍にいるのが恥ずかしくて、そそくさと準備しようと体を起こす。と、同じタイミングで起き上がったイヴェリスに引き寄せられる。
「な、なに」
「恋人のふり、いつまでするつもりだ?」
「いつまでって?」
「もうやめないか」
寝起きから突発的なイヴェリスの申し出に、なんだか焦ったような緊張が走る。それはどっちの意味で言っているのか、寝起きの頭じゃ判断ができなかった。でも――
「ふりじゃなくて、本当の恋人ではダメなのか?」
「それって」
その不安は一瞬に消える。
期待はしちゃダメって思うたびに、イヴェリスの方から近寄ってくる。勘違いだと思うたびに、イヴェリスは私をドキドキさせようとしてくる。うっすらと感じていたけど、イヴェリスも私と同じように誰かを好きになる感覚がわからないんじゃないかって。
「私のこと好きってこと?」
「好き……?」
その二文字を口にすると、イヴェリスが軽く首をかしげる。しばらくそのまま考え込むと、ふっと表情がゆるんで――
「これが好きと言う気持ちなら、俺は蒼のことが好きなようだ」
ふわりと笑うその顔に、胸のときめきが止まらない。自意識過剰って思われるかもしれないけど、私を見下ろすイヴェリスの目は、とても愛情深くて、愛おしいものでも見ているかのように優しくて。愛されているって、こういうこと言うのかなって思ってしまうくらい。
「それなら、仕方ないか……」
嬉しさと恥ずかしさをごまかすために、なぜか私のほうが上から目線になってしまう
「これで蒼も何かと我慢しなくていいだろ?」
「なっ」
「楓のように、いつでもくっついていいぞ」
「それはっ――」
髪がボサボサになるくらい、頭をわしゃわしゃと撫でられる。色んなことを我慢していたのが全部バレてるぞって言われているようで……。
そりゃそうだよね。私だってどこかでイヴェリスに気付いてほしいとか、思っていた節がある。我慢しようと思えば思うほど、人って生き物は我慢できなくなるんだなって。
――これが恋か
「おっはよー!」
朝食バイキングのために二人でレストランへ向かうと、入口には既に楓と友樹さんが待っている。
「お、おはよ」
「あれ? あれれれ? これはこれは、いい夜が過ごせたのかな?」
手を振っていた楓の視線がおもむろに下に移る。イヴェリスに繋がれている手を目ざとく見つけると、ニヤニヤしながら私たちのことを肘で小突いてきた。
「こら、楓」
「ごめーん」
そんな楓を友樹さんが引っ張り、レストランへと入ってく。その二人を追うように、私たちもレストランに入った。
「別に、今は繋がなくてもいいんじゃないの」
「俺が繋ぎたいから繋いでいるだけだ」
部屋を出た瞬間からイヴェリスに手を握られてしまい。結局、楓たちの前まで手を繋いだまま行くはめになってしまったのだ。
イヴェリスにとっては初めてのバイキング。料理をのせるためのお皿を渡して、好きなものを好きなだけとるんだよって教えたら――
「蒼、甘いのがこんなにあった……!」
予想通り、イヴェリスはケーキやドーナツがてんこもりに乗ったお皿を持って帰ってきた。
「うわ。本当に甘いもの好きなんだね」
「見てるだけで胃もたれしそう……」
「異常なの、気にしないで」
アラサーの私たちにとってはしんどい大量の甘い物を、当の本人は幸せそうにパクパクと頬張る。昨日の夜は、デザートとワインしか口にしてなかったし、甘いものいっぱい食べれて幸せそうだ。
「はあー楽しかった!」
「ありがとうね。連れてきてくれて。友樹さんも、運転までしてもらっちゃってありがとうございます」
「いやいや。こちらこそ楓のわがままに付き合わせちゃって。たまにはみんなで行くのもなんか新鮮で楽しかったよ」
楽しい時間っていうのは本当に時間が過ぎるのが早くて、あっという間にマンションまで戻って来てしまった。
楓のためにと思って行ったのに、結果的に私のためになってしまったような気もして。少し申し訳ない気持ちもある。
「今度、俺の働いている店にお二人で遊び来てください。サービスするんで」
そう言うと、イヴェリスはおもむろにお店の名刺を取り出し、友樹さんに渡した。
うわ、営業までできるようになってるじゃん……。
「ありがとう。絶対行くわ! んじゃあ、また」
「お気をつけて」
「ばいばーい!」
車がゆっくりと発進して、遠ざかっていくのを見送ってから部屋に戻る。たった一晩なのに、なんかすごい久しぶりに部屋に帰ってきた気がする。
「楽しかったな」
「うんっ」
荷物を解くと、イヴェリスがすぐに洗濯機を回し始める。
「私が明日やっとくから、そのままでいいのに」
「ああ、入れるだけだし」
なんか、すっかり家事も板についてしまって……。もう人間じゃん。
「ん? なんだ」
「いや、もう人間みたいだなーって思って」
「そうか?」
「うん」
それもハイスペック過ぎるほどの。
「ふむ。蒼のおかげで色々勉強できたからな。まあ、上手く馴染めているだろう」
「前に来たときも、こんな感じだったの?」
「前?」
「うん。100年前とか、200年前とか」
「ああ、前はあまり人間と接することはなかったな。山にこもっていたし」
「そうなんだ」
「今みたいに、こんなに人も多くないからな」
「そっか」
なんだ、じゃあ私みたいに一緒に誰かと住んだりとかもなかったのかな。そう言えば、昔の話を聞いたことない。
「よし、洗濯終わった」
「ありがとう」
イヴェリスは洗濯物をきれいに干し終え、私の方を向きながらソファにボスっと座った。そんなイヴェリスに、お疲れ様の気持ちを込めて、つい頭をポンポンと撫でてしまった。
「……」
すると、何か珍しいものでも見たようにイヴェリスがびっくりした顔をしている。
「なに?」
「いや、蒼から触れてくれたから」
「え」
「ふふ、恋人のふりじゃないってのは、いいものだな」
少し照れたように笑うイヴェリスに、思わず胸がキュンとする。いや、そんなつもりじゃなかったのに。それくらいで喜んでくれるなんて。か、かわいい……。
「また明日からお仕事だね」
「そうだな」
あの広いベッドを体験しちゃうと、自分のベッドが余計に狭く感じる。
「仕事は大変じゃない?」
「ああ、まあ面倒なこともたくさんあるが、大丈夫だ」
「無理しないでね」
「お前のためなら頑張れる」
「……っ」
思わず、心の中で叫びたい気分になる。こんなにも真っすぐに気持ちを言ってくれる人がイヴェリス以外にいるのだろうか。
「いいよ、頑張らなくて」
「早く、服を買ってあげたい」
「いらないって」
「あと、美味しいものもたくさん食べさせてやる」
「いらないって」
「欲しいものがあれば、言って欲しい」
本当に、今は欲しいものなんてないんだよ。だって、たぶん、私は今まで一番欲しいものが手に入ったから。もうそれだけで、一生分の幸せが手に入ってる。
「イヴェリスが居てくれるなら、何もいらないよ」
私を大切に思ってくれる気持ちが嬉しくて、初めて自分からイヴェリスに抱きつく。って言っても、腰に手を回すくらいが、今は精一杯なんだけど。
「……お前はなんでそう俺の心をかき乱す」
「んわっ」
すぐにその三倍くらいの勢いでイヴェリスに抱きしめ返される。
「ん……」
かと思えば、おでこにイヴェリスの唇が触れる。ドキドキして、目を瞑ることしかできないけど、瞼、頬、鼻と、順番に優しくイヴェリスの唇が降りてくる。
色んなところに唇の感触の余韻が残るなかでそっと目を開けると、またイヴェリスの目が赤く光って――
2度目のキスをした
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