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第32話 初出勤
しおりを挟む「えーめっちゃいい彼氏じゃん!」
「そうなんだけどぉ……」
結局、一人ではこの気持ちをどうすることもできなくて、恋愛マスターである楓を呼び出してカフェで話を聞いてもらう。
「今時あんな顔で、彼女のために働きたいとか言う男いないよ!?」
「それはわかってるー」
「まあね、あの顔だからこそ、バーで働いたら浮気とかの心配にもなるよね」
「浮気――」
いや、浮気とかいう心配はないんだけど。だってそもそも付き合ってないし。別に私が勝手に好きなだけで、イヴェリスは好きにすればいいんだし。
「でも、蒼が養うわけにもいかないでしょ」
「なんとかなる」
「なんとかって、あんたの稼ぎじゃ限界があるでしょ」
「うー……」
「閉じ込めておきたい気持ちもわかるけど、逆にそんなことすると男って逃げてくよ」
「閉じ込めたいわけじゃ……」
楓に言われて、ハッと自分の本音に気付く。本当は閉じ込めておきたいのかもしれないって。
「なんでこんなにモヤモヤするの……」
自分がこんなにも独占欲強いことにも自己嫌悪だし、イヴェリスがしたいことを止めようとしてることにも自己嫌悪。心のモヤモヤが、どんどんと膨らんできてしまう。
「おうおう、やっと恋愛してる感でてきたねぇ!」
「嬉しそうにしないでよ」
「ふふっ。誰かを好きになるって、楽しくて幸せで、でも苦しくもあるものなんだよ」
頬杖をつきながら、楓はニコニコとこちらを見ながら話してくる。
「やだ」
「やだって」
「楽しいだけでいい……」
「子供じゃないんだから。ま、蒼からしたら初恋だもんね」
こんな私に呆れた様子を見せるわけでもなく、楓は心に寄り添いながら話を聞いてくれる。私は楓がこういう話をしてきた時、こんなに寄り添ってあげれなかったな……。
「女にできることは、信じることだけだよ」
「信じる?」
「そう。仕事もできる、浮気もしない、ただ彼を信じて見守ってあげるの」
「見守る……」
楓はわがままそうに見えるけど、私なんかよりも人に対して愛情深い。そうだよね。私がとやかく口を出すことじゃないんだよ。イヴェリスがやりたいなら、やらせてあげるべきだし。そこに私の気持ちは関係ない。この先、私じゃない他の人間に恋することだってある。
私がたまたま“分け与える者”だったとしても、それはイヴェリスが他の人間と出会っていくことには関係のない話だから。
「見守ってみる……」
「うん。大丈夫だよあの子なら。落ち着いたらお店遊びに行ってみようよ!」
「うん」
楓に話を聞いてもらって、少しスッキリした。あー、楓が私に相談してくるときも、いつもこんな気持ちだったのかな。ちょっとしたことがこんなに苦しくてモヤモヤするなんて、思ってもみなかった。
「じゃあ、明日また迎えにくるから」
「はい、ありがとうございます」
帰宅すると、ちょうど玄関の前で兄とイヴェリスがなにやら会話をしているのが見える。
「おお、蒼。スマホ買ってきたから操作教えてやって」
「あーうん」
「じゃあな」
部屋から出ていく兄と入れ替わって、私が部屋へと入る。
「おかえり」
「ただいま」
玄関には、新しいスマホの入った紙袋を持ったイヴェリスが立っていた。顔を見てしまうと、またモヤモヤが大きくなりそうになる。イヴェリスがやりたいって言うなら止めるべきではないって、頭ではわかっているのに――
「ん。これで私にいつでも電話できるよ」
「ゴグみたいにか?」
「んーちゃんと声が聞こえるけどね」
「やってみてもいいか?」
「いいよ」
そう言うと、イヴェリスはもらったばかりのスマホをたどたどしく操作し、私のスマホが鳴る。
「ここの緑のところ横にスッてすると、出れるから。もしもーし」
「おお! 聞こえたぞ!」
スマホを耳に当て、私の声がそこからも聞こえてくることに目を丸くして感動している。
「で、終わりにするときは、この赤いのね」
「覚えることがたくさんあるな」
「イヴェリスならすぐ覚えるよ。そうだ」
楓と別れたあとに、買ってきたものを鞄から出してイヴェリスに渡す。
「なんだ、これは」
「これは文字を覚えるドリル。とりあえず数字は読めるから、ひらがなとカタカナね」
「買ってきてくれたのか?」
「うん。文字わからなきゃ大変でしょ」
「魔力でどうにかしようとしていたが、買ってくれたなら頑張って覚えよう」
「あんまり外で魔力使っちゃだめだよ」
「わかった」
ブツブツと独り言をこぼしながら、スマホをいじったりドリルをペラペラとめくったり。
「蒼の名前はどれだ?」
「私? これとこれだよ」
「これでそうと読むのか。いいな」
そう言いながら無邪気に笑う顔に、また胸がキュッと締め付けられる。
これ以上、私はイヴェリスを好きになってはいけない気がした。きっと、この先に待ってるのは、楽しいとか幸せだけの感情じゃないから。
その夜、イヴェリスがもっと文字を覚えたいというから、ひとつずつ教えてあげた。頭を使って疲れたのか、イヴェリスはベッドに入るとすぐに眠ってしまった。
バーで働くことになったら、こうやって一緒に眠れる日も減るんだよな。そう考えると寂しくて、胸が押しつぶされそうになった。つい最近までは、一緒に寝るのだってドキドキしてたくせに。
次の日の夕方、兄が車でイヴェリスを迎えにくる。
「本当に大丈夫?」
「ああ、頑張ってくる」
「なにかあったらすぐ連絡してね」
「わかった。蒼もな」
「うん」
マンションの下まで見送りに行く。
「おいおい、どっか遠く行くわけじゃないんだから、大げさすぎるだろ」
車の運転席に座っている兄が窓を開けて野次をとばしくるのだって、今はどうでもいい。
「大丈夫だ。心配するな」
「うん」
イヴェリスの手の平が、そっと私の頬を包み込んだ。
「帰ってきたらアイス食べようね」
「ああ、それは楽しみだな」
最後に私の頭をポンポンと2回触れると、イヴェリスは車の助手席へと乗り込んだ。控えめに手を振ると、イヴェリスも振り返し、そのまま車が発進した。
部屋に戻ると、あんなに狭く感じていた部屋が急に広く感じる。
パソコンが動いている音と、直前までイヴェリスが見ていたテレビ番組の音だけが部屋に響いているのが、余計に寂しく感じる。
どうせ、数時間後には帰ってくるってわかっていても、その数時間がすごく長く感じて。
子の巣立ちってこんな感じなのかな。何度も何度も無意味にスマホを見て、何か連絡はないかと気になってしまう。
手持ち無沙汰でSNSを流し見していると、食べにいく約束していたプリンアイスの写真がでてきて。
ーーあーまだ食べに行けてないな
今日はやることもないし。早めにお風呂入って、ご飯でも食べて、イヴェリスの帰りを待とう。
ガチャガチャ
「――っ!」
イヴェリスを待っている間に寝てしまったみたいだ。玄関で、鍵と扉が開く音が聞こえて目が覚める。兄から合鍵を奪い返し、それをイヴェリスに持たせておいた。
「おかえり!」
「ただいま」
慌てて起き上がって玄関まで行くと、数時間ぶりのイヴェリスの顔を見れて、思わず抱き着きたくなる衝動に駆られる。
「どうだった? 大丈夫だった?」
「ああ。今日は掃除して、グラスを洗った。」
「それだけ?」
「あとは、智の友人を紹介してもらったり」
「吸血鬼だってバレなかった?」
「そんな簡単にバレるわけないだろ」
「そっか……」
見送った時のイヴェリスと変わりなくて、ちょっと安心した。
「起こしたか」
「ううん、起きてた!」
「ぶっ。……顔を見てこい」
急に吹きだすイヴェリス。私の顔に何かついているのかと思って鏡を覗いたら、ほっぺのところにくっきりと寝ていた跡がのこっていた。
は、恥ずかしい。寝てたのバレバレじゃん。
「先に寝てていい」
「でも今日は初日だし」
「ふむ。すまないな」
バーの制服だろうか。白いシャツと黒パンで、いつもより大人っぽく感じる。
「今日から俺も湯浴びしていいか?」
「え、いいけど」
「煙と酒の匂いが身体についてしまうようだ」
言われてみれば、そんな匂いがする。
「使い方を教えてくれ」
「あ、うん」
そう言うと、イヴェリスはおもむろにシャツのボタンを外し始めた。
「ちょっ、まって、脱ぐの早い!」
「上くらい、いいだろ。テレビでもよく脱いでいるではないか」
「あれは芸人さんだから!!」
「何が違う」
「全然ちがう!」
「ドキドキするのか?」
「なっ……もうそういうのイチイチ聞かなくていいからぁ!」
「ふっ」
前のボタンを全部はずし、白く引き締まった腹筋がシャツの隙からチラチラと見える。それを必死に見ないようにしながら、シャワーの使い方を教えた。
「これがシャンプーってやつで、その次これね」
「わかった。蒼はもう寝ていいぞ」
「うん」
そう言うと、イヴェリスはうちに来て初めてお風呂に入った。
自分じゃないシャワーの音に無駄にドキドキしちゃって、イヴェリスの言った通りベッドに入って寝ることにした。
とにかく、お仕事1日目は何もなくてよかった。やっぱり少し疲れてそうな顔はしていたけど、楽しかったって感じそうだし。まさかイヴェリスが働くなんてなぁ。
――バタン
スマホを見ながら色々考えていると、イヴェリスがお風呂から出てくる音がする。起きてるってことにすればいいのに、慌てて持ってたスマホから手を離し、狸寝入りをするように目を瞑ってしまった。
「アイス……」
私がいつも食べているように、イヴェリスもお風呂上りにアイスを一本食べているようだった。一緒に食べようって約束してたのに。忘れちゃったな。
ソファが軋む音がして、座っているのがわかる。スマホでもいじってるのか、ポンッと、メッセージが届く音がした。誰かと連絡先交換したのかなって考えるだけで、また嫌なモヤモヤに襲われる。
うっすらと目を開けると、スウェットだけ穿いて上半身裸のイヴェリスが目に飛び込んできたから、慌ててまたギュッと目を瞑り直した。
ーー脱ぐなって言ったのに
しばらくすると、ドライヤーで髪を乾かす音がして、また部屋へと戻ってくる。イヴェリスもこうやって私の生活音聞きながら寝てたのかな、なんて考えながら。
カチッと音ともに、間接照明が消えた気配がすると、イヴェリスがゆっくりとベッドに入ってくる。やっと、近くにイヴェリスを感じられて安心する。
「……」
「――っ」
寝ているふりがバレてるのかはわからない。けど、イヴェリスの手が顔にかかった私の髪を耳にかけてくる。少しくすぐったくて。目を瞑っていてもわかる、すぐ近くにイヴェリスの顔があるのは。
髪に触れていた手が、そのまま私の後頭部に回ってくる。グイッと抱き寄せられ、いつのまにかイヴェリスにすっぽりと頭を抱きかかえられていた。
「おやすみ」
耳元でイヴェリスの声が聞こえて、なんとも言えないゾクゾク感が身体を走る。
なんでこんなに好きになっちゃったんだろう。こうやって抱きしめられて寝るのだって、嫌じゃなくて。本当は今すぐ私も抱き着きたくて。でも、そんなことしたら止まらなくなっちゃいそう。
もっともっと、イヴェリスが欲しくなっちゃいそうで怖かった。
でもイヴェリスは、どうしてそんなことをしてくるんだろう。私はどうしたらいいの?
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