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第20話 恋バナ
しおりを挟む人でごった返す駅前。楓との待ち合わせ場所に、10分も早く到着してしまった。
《いま着いたよ》
《私ももうすぐ着く! 楽しみ!》
私はちっとも楽しみじゃないよ! なんて、返せるはずもなく。楓が来るまでの間、行き交う人たちをボーっと眺めていた。
「きゅ」
ふと、かわいい声がどこからともなく聴こえてきて、両手を差し出すと周りからは見えない何かがポスッと収まる感触がした。
「ゴグは記憶を消したりできないの?」
「きゅぅ」
「そうだよね。ごめん」
手の中にいるのは、今日も一緒に着いてきてくれたゴグだ。姿こそ見えないけど、親指で頭あたりを撫でると、気持ち良さそうにしている感覚だけが伝わってくる。
「そぉーーう!」
しばらくすると、後ろの方から、一目も気にせず私の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。声の方に振り向くと、少し離れた場所からでもわかる、小柄で可愛らしい雰囲気をまとった女の子が、手を振りながら駆けよってくる。楓の気配を察知したゴグは、私の手から逃げるようにカバンの中へと入っていった。
「久しぶり~!」
「久しぶり」
ふわっと巻かれた髪を弾ませながら私の目の前までくると、両手を広げてぎゅうっと力強く抱きしめられる。その瞬間、フワッと香ってくるモテる女子の匂い。思わず、あーなんか久しぶりの女子だ。とか、おじさんみたいな感想が出てきてしまうくらい、楓の女子力の高さには憧れすらある。
「ふふふ」
体を少し離すと、早く聞きたくてたまらないと言った感じでニヤニヤと顔を覗き込んでくる。その妙な圧が嫌すぎて、するりと楓の腕から逃れては、これから行くお店に向かって歩きだす。
「で?」
「でって」
「どこから聞いてほしい?」
「いや、どこからも聞いて欲しくないんだけど」
「またまたぁ。普通は彼氏ができたら、言いたくてたまらないものでしょ?」
それは恋愛体質の皆さんの普通であって、私にとっての普通ではないっての。
「まあ、蒼はそのタイプじゃないかっ」
「わかってるなら聞かないでよ」
「えーそれは無理。だって親友の初彼だよ? しかも、あの蒼だよ?」
楓の言う“あの”の中には『一度も好きな人ができたこともなく、恋愛に興味もなく、男に興味のない』という嫌みのようなものがゴデゴテに含まれていることは、本人が一番わかっている。
「あ、ここだー」
楓が予約してくれたお店は、目立つ看板もなく、いかにも隠れ家的な感じで入りにくい。そのお店に、楓は慣れた手つきで入っていく。店内は薄暗く、各テーブルにはキャンドルが置いてある。バーカウンターのあるオシャレなレストランって雰囲気だろうか。
こういうお店に来るのは、だいぶ久しぶりだな。
「さてと、何飲む?」
席につくなり、ドリンクメニューを開きながら楓が問う。とくに飲む予定もなかった私は、普通にウーロン茶を頼もうとしたら、「は? 無理無理!お酒飲もうよー」と、楓に却下されてしまった。
「弱いの知ってるでしょ」
「今日くらい、いいじゃん! お酒でも飲まないと、話してくれなそうだし」
「いや、話す前に眠くなっちゃうよ」
「じゃあ、一杯だけ。ね?」
「しょうがないな」
愛想も愛嬌もない私と違って、楓は可愛い。年齢こそ同じだけど、その愛嬌たっぷりな笑顔でおねだりされると、女の私ですら断れなくなるときがあるくらい、とんだ甘え上手な女子である。
「今日は私がおごるからさ! そのかわり、たっぷり話聞かせね」
「わ、わーい」
楓が頼んでくれたおしゃれなカクテルがテーブルに運ばれてくる。グラスの縁にオレンジが刺さっていて、夕日のような色をしていて、いかにも映えな一杯だ。彼女はサッとスマホを鞄から出し、すぐにSNS用の写真を撮り始めた。今ではもう、インフルエンサーって呼ばれるレベルのフォロワー数を抱えているもんな。
「一枚撮ってもらってもいい?」
「いいよ」
物撮りが終わると、今度はレンズが3つ付いたスマホを私に渡してくる。おもむろにそのスマホを向かい側にいる楓に向けると、被写体としてポーズをとった。
「あーもうちょっと顎ひいて」
「こう?」
「そうそう。いいね、かわいいよー。もう一枚いこうか」
「ちょっと、変態カメラマンみたいなこと言わないでよ」
「あー! 今の笑顔かわいいね!」
「もおっ」
楓の可愛さは、思わず撮影する側も楽しい気分にさせてくれる。顔がいいっていうのは、ほんとにすごいなって。イヴェリスの顔を見ていても思うことだけど。
「私も撮ろっと」
楓に言われて気がついたけど、イヴェリスが来てからまったくSNSを見なくなったし、ストーリーすら更新していなかった。あの日に行った、カフェの写真すらまだあげていないことを思い出す。まぁ、自己満の世界だしな。とりあえず、久しぶりに外にでたのもあって、自分のSNSに載せるための写真も撮ってみた。
一人じゃないだけで、写真を撮る時間もなぜか周りの目が気にならないんだよな。
「蒼、こっちむいて」
「ん?」
カシャ
「ちょ、いいよ私は!」
「ふふ、思い出~思い出~」
ふいに名前を呼ばれて顔を上げると、楓のスマホがこっちを向いており、レンズと目が合った。
一通り写真を撮り終えると、「さあ本題に行きましょうか」と言いたげな顔でグラスを持って構えている楓が視界に入る。
「じゃあ、祝! 蒼の初彼氏にかんぱ~い!」
「いいって」
おしゃれなジャズをBGMに、カチンとグラスとグラスがぶつかる音が店内に響く。飲み口に刺さったオレンジを外し、柑橘の香りが混じるカクテルで喉を潤した。
「ん、美味しい」
「でしょ。ここのカクテル、飲みやすくない?」
「うん」
久しぶりに飲んだお酒は、気をつけないと飲みすぎちゃいそうなほど美味しく感じた。
「では、話を聞かせてもらいましょうか?」
「何も話すことないよ」
頼んでいたパスタやピザがテーブルに並んだのを見計らって、話をそらすように「美味しそー」なんて言いながら手を伸ばすけど
「私、ほんとに嬉しいんだよ。蒼に彼氏ができて」
ガシッと肩を掴まれ、秒で話を戻されてしまった。
「楓が嬉しくてどうするの」
「そうだけどー! やっと恋バナができるっていうか!」
話すような恋バナは一切ないんですけどね。
「で? どんな人? どこで出会ったの?」
テーブルに身を乗り出す勢いで、楓がイヴェリスについて聞いてくる。
「やっぱり年上?」
年上――だけど。もしこの先、二人がどこかのタイミングで顔を合わせるようなことがあることを考えると――。どう見ても私より年上には見えないし……。一応年下って答えておく方が得策だよね。
「とし……した?」
「年下!? えーーーー意外っ!!」
年下と聞いて、想像していた通りの反応が楓から返ってくる。
「どうして!? なんでそうなったの!?」
「どうしてって……まあ、なんとなく」
「なんとなくぅ!? あの蒼がなんとなくで付き合うわけなくない!?」
失礼な、と言いたいところだけど、まったくもって図星で。なんとなくで付き合うなんて、本来の私ならありえないことだから。
それよりも、想定していた以上に、イヴェリスを彼氏として話すことに緊張する。緊張するというか、なんか恥ずかしい。そのせいですぐに喉が渇いて、ついついカクテルに手が伸びてしまう。
「どんな人なの?」
「ちょっと生意気かなぁ」
「生意気? 生意気系の年下なの?」
「それに甘党」
「甘党年下系男子ぃ!? なにそれなにそれキュンキュンじゃん!」
「きゅんきゅん? はっ。そんなのないない」
「ないの?」
出会いは、彼が具合が悪そうにしているところを私が助けた。
そこからお礼にってご飯に誘われて、何度も会っているうちに……なんて、事実と嘘を混ぜ合わせながら付き合うことに至ったストーリーを作り上げていく。
「えー運命じゃん!」
「運命ねぇ」
そう、私はあとちょっとで死ぬ運命。楓とこうやって話すのも、あと何回くらいできるんだろう……。
そんなことをふと考えると、急にこの時間も大切に思えてきた。
「で? なんて告白されたの?」
「こ、告白? そんなことまで聞かないでよ」
「えー聞きたいー」
「んっと……。あ、俺が彼氏じゃ不服か? って」
まあ、これは本当に言われことだから、引用させていただこう。
「なにそれ! 俺様系!?」
「ね、生意気でしょ」
「うそでしょ! 蒼って意外とそういうタイプが好きだったんだね……」
「いや、好きというか……」
「好きじゃないの?」
「んーわからない」
「じゃあ彼氏くんはよっぽど蒼のことが好きなんだね!」
「そ、それはないって」
「え、じゃあなんで付き合ったの?」
そう質問されても「なんでだろう」しか答えることができなかった。
そもそも、好きってなんだろう。私はイヴェリスのこと好きなのかな? 手を繋がれてドキドキしたり、たまに優しい目で見られるとドキッとしたり。それは好きだから? それとも、男の人に対しての免疫がないから?
自分でも、そこがよくわからない。
わかることはただ――
「一緒に居ても、嫌じゃなかった」
ただ、それだけだ。
「そっかそっか。うん、そういうもんだよ好きって」
「そう、なの?」
「うん。あれだけ一人でいるのが好きな蒼が嫌じゃないって言うんだから、それは好きってことだよ」
「すき……」
一緒にいて嫌じゃないは、好き。
改めてそうやって不透明な感情を言葉によって明確にされると、今まで奥底に隠し込んでいた気持ちが溢れてきそうになる。
「よかったね、蒼」
「よくないよ……」
「悩みがあったら、いつでも聞くからね」
そのあとも、楓の元彼や今の彼氏の話をしながら、ジュース感覚でお酒がすすむ。おかげですっかり眠くなってしまい、机の上にゴツンとおでこをぶつけて、失いかけた意識が戻る。
「ん~……」
「ちょっと、蒼、寝ないでよ?」
「うん、だいじょぶ」
「タクシー呼ぶから待ってて」
さすがに久しぶりのお酒は酔いが早い。
でも、ふわふわと、なんだか気持ちいい。
「きゅ」
「あーゴグかぁ」
楓がお店の外までタクシーを捕まえに行ってくれている間に、ゴグが心配そうに、姿を消したまま肩に乗ってくる。
「ゴグが居てくれて、私は嬉しいよ」
「きゅっ」
「ゴグも? ふふ、両思いだね」
なんて言い合いながら、頬にあたるふわふわの感触が気持ちよくて、お互いにスリスリと頬を寄せ合う。
「蒼、歩ける?」
「うん」
前に進もうとすると、ゴグと同じくらい私の足取りもふわふわしていることに気づく。体重をかけすぎると「重い~」って言いながら押しのけてくる楓の身体を支えにしていないと、今にも倒れてしまいそうなくらい。
「すみません、××町まで」
楓に押し込められるようにタクシーに乗り込むと、頑張って立っていなくてもいいという安心感に、意識が奪われそうになる。
「ねえ楓」
「ん?」
「私、恋愛できてるのかな」
「うん、できてるよ」
「好きだと、すぐに気持ちがドキドキしたり、ムカついたり、するの?」
「うん、するかもね」
「そっか……」
「ふふっ」
楓の肩を借りながら、窓の外を流れる光を見ていると、だんだんと瞼が重くなる。
ふと頭の中に浮かぶのは、イヴェリスで。機嫌をそこねて口を尖らす顔。プリンを美味しそうに食べているときの顔。人を小バカにしたように笑う顔。ときどき、私のことを優しい目で見てくれるときの顔。
意識が遠退いていくなかで、私って、どのイヴェリスも、好きなんだなーって心地良い気分にさせられる――
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