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血を与えし者の運命
しおりを挟む今から1000年ほど前。
人間界と魔界は自由に行き来ができる時代だった。
魔族は腹が空けば人間を求め人里にやってくる。
空腹に限らず、娯楽のために人間を襲う魔族も少なくはなかった。
当然、人間は魔族を恐れ、常に怯え逃げながら生き永らえていた。
目の前で親が殺され、子が殺され。
慈悲や同情とは無縁の魔族たちに立ち向かう術もなく……。
そんな時代に生まれ育った一人の少女エーデル。
エーデルは月光のように美しく輝く金色の髪を持ち、まるで天使のように可憐な少女だった。
両親は魔族によって殺されていたため、祖母と二人で村を転々としながら生きてきた。
魔物に襲われ、いつ死ぬかわからない時代のせいで、どの少女も十二を過ぎる歳になれば男たちに嫁がなければいけなかった。
その日、エーデルも十二の歳を迎えてしまった。
男はみんなエーデルを欲しがった。その可憐な姿に誰もが夢中だったのだ。
でもエーデルは誰にも嫁ぐ気はなかった。
祖母と一緒に暮らしていたかったのだ。
毎日のように男たちに言い寄られては、無視をし続けていた。
誰もが、何度口説いても言葉すら交わさず、ツンと跳ね返される。
そんなエーデルに腹を立てた一人の男。金もあり、容姿も端麗。必然的に、女に困ったことはなかった。それでもエーデルは彼を無視した。プライドが傷つけられたその男は、エーデルを手に入れるためにある計画を企てた。
夜、エーデルが寝ているとその男が家へと侵入してきた。
祖母を薬草で眠らせている間に、エーデルの口を塞ぎ攫ってしまったのだ。
エーデルは恐怖だった。魔物に襲われるよりも恐怖を感じた。
ジタバタと暴れ、声にならない声で助けを求めたが、森の奥深くに連れ込まれてしまい、その声は誰にも届かなかった。
男はエーデルの腕を縛ると、狂ったような笑みを浮かべた。
「お前が嫁いでこないからだ」
そう言って、まだ幼い少女の服を破った。
エーデルはただ目を瞑り「たすけて」そう心の中で叫ぶことしかできなかった。
「うぎゃ!」
その瞬間、急に目の前にいた男が呻き声をあげた。
恐る恐る目を開けると、男は何かにおびえるように転がっていた。
「ウゥゥゥッ」
低く唸る声。白く光る白銀の毛。そして、赤く光る眼。
男の視線の先には、牙を剥きだし、今にも襲いかかりそうな狼の姿があった。
「や、やめろ、やめてくれ!!」
「失せろ」
腕に大きな傷を負いながら怯える男に、狼の低い声が地鳴りのように響く。
男はその言葉に、なんとも情けない声を出しながら走り去っていった。
魔族だ。それも、人喰いがもっとも好きな種族、人狼。
赤く鋭い眼光が、エーデルの方へと向く。
エーデルに再び、新たな恐怖が襲いかかる。
でも、エーデルは思った。このまま生きていても、また別の男に同じようなことをされるかもしれない。
そんな思いがふと頭を過ぎったとき、このまま食べられた方がいいのではないかと悟った。
ただならぬ覇気を纏った狼が、ゆっくりとエーデルへと近づく。
一歩、また一歩と。鋭い爪で地面を捕らえる音をさせながら。
すぐ目の前までくると、牙の生えた大きな口が開く。
喰べられる……!
覚悟を決め、またギュッと目を瞑るエーデル。
しかし、いつまで経っても痛みが襲ってこない。
それどころか、きつく縛られていた腕の縄から解放されたのだ。
「え……?」
エーデルは驚いて目を見開いた。
「これを羽織れ」
そう言うと、狼は口に咥えていた布をエーデルにかけた。
「なんで……?」
その言葉に、狼は応えることもなくすぐに森の中へと消えてしまった。
それから数年後。
エーデルが十八の歳。
可憐な少女から、誰もが目を奪われるほどの美しい女性になっていた。
しかし、相変わらず異性に興味はなく。お金持ちにも、美しい男にも、見向きもしなかった。
あの一件以来、魔物よりも怖いものは人間の男ということに気付いてしまったからだ。
そして、エーデルはあの赤い目を持つ狼のことが忘れられなかったのだ。
買い物をしていると、街に鐘が鳴り響く。
魔物が現れた警報だ。
人々はみな叫びながら家や森の奥へと非難する。
しかし、人間もやられてばかりではいなかった。
この頃には、魔物と戦う部隊がどの村にも存在した。
各々武器を手に、魔物が現れた方へと兵士たち走っていく。
すれ違うように、エーデルは森の中にある祖母が待つ小屋へと逃げた。
太陽が沈むころには、魔物がいなくなったことを示す鐘の音が遠くから聞こえた。
その音を聴き、エーデルは小屋の外へと出た。
灯りのないこの時代に、月明りは眩しいくらいだった。
その日は、満月。
いつもより森の中を明るく照らしていた。
「水を汲みに、川に行ってくるね」
「まだ魔物がいるかもしれないよ」
「大丈夫。今日は満月だし」
満月の夜は、決まって魔物が出ることはなかった。
理由はわからないが、満月の夜だけは人々が安心して眠れるのだ。
エーデルは、水を汲むための桶を持ち、すぐ近くの川へと向かった。
何往復かしていると、突然後ろの草陰から「ウウゥゥ」という唸り声がした。
エーデルは振り返り、すぐに息をひそめた。
逃げ遅れた魔物がそこにいると察したのだ。
「ウゥゥッ」
気づかれる前に、そっと小屋へと戻ろうと踵を返したとき。
その声が唸っているのではなく、苦しんでいるような声に聞こえた。
エーデルは何かに惹かれるよう、その草陰へと近づく。
弱っているならなおさら、その魔物は人間を求めているはずだ。
それでも、なぜか気になってしまい、エーデルはゆっくりと足をすすめた。
「ガルウッッ」
エーデルの気配に気づいた魔物が、低い声で唸る。
これ以上近づくなと言っているように。
その唸り声を聞いて、エーデルはさらに足をすすめた。聞き覚えがあったからだ。
「……!」
エーデルが生い茂った草をかき分けると、そこには一匹の狼が苦しそうに横たわっていた。
白銀色の赤い目の狼。
「大丈夫ですか……!」
エーデルは思わず駆け寄った。
間違いない。あの時助けてくれた魔族の狼だ。
「近づくな」
恐れることなく近づいてくるエーデルに、狼は低い声で警告する。
それでもエーデルは気にせず、狼のそばに寄った。
「大変、血が出てる……」
白銀色の毛を染める真っ赤な血。
後ろ脚には、剣で切られたような深い傷があった。
エーデルはすぐさま、着ている衣を手で切り裂いた。
「何をしている!」
それに気づいた狼が、エーデルを見てまた低い声で怒鳴る。
「大人しくしていてください」
その声に構わず、エーデルは割いた布を巻き付け止血した。
触れられた痛みで狼が呻きをあげる。
「なにか薬草……あ、そうだ。私の腕をお喰べください!」
「は?」
傷にいい薬草はないか考えたエーデルは、思い出したように自分の腕を狼の前に差し出した。
その言葉に、驚く狼。
「魔族の方は、人間を喰べると回復すると聞きました。なので、私の腕をどうぞお喰べください!」
純粋な目で、小鹿のように細い腕を差し出してくるエーデルに、狼はあっけにとられてしまった。
「貴様は何を言っている」
「え? ですから腕を」
「そんな細い腕の一本じゃ、この傷は治らない」
「ならば、脚をお喰べください! 脚なら腕よりもふくよかです!」
エーデルは腕をひっこめたと思ったら、今度は脚を差し出した。
曇りひとつない真剣な目で、脚を差し出すエーデルを見て、狼は思わず笑ってしまった。
「人間とは愚かな生き物だと思っていたが、ここまで愚かな人間がいるとは」
そう言って、狼は月を見た。
狼が月へと視線を送ると、急に体が光に包まれる。
その眩しさにエーデルが手で顔を覆った一瞬で、狼は人の姿になっていた。
「えっ」
「驚いたか」
姿形は変わったものの、脚に巻いた布からは血が滲みでている。
「この姿なら、お前も脚を喰えなどとは言えないだろう」
そう言いながら、再びエーデルに視線を向ける。
人の姿になっても、髪の色は白銀色で瞳は赤く、頭からは耳が生え、ふさふさの尻尾もある。
エーデルが初めて見る、人狼の姿だった。
「い、いえ! 傷が治るまで喰べてもらわないと困ります!」
それでもなお、エーデルはその男の前に腕を差し出してきたのだった。
「貴様は……おかしなやつだなっ」
頑なに自分を喰べろと言ってくるエーデルに、男は笑いをこらえられなかった。
その男の笑みを見て、エーデルは一目で恋におちたのがわかった。
「な、なんで笑うんですか」
「人間は普通、命乞いをするものだろう」
「他の魔物を見たらそうします!」
「ならば、なぜ私にはしない」
「それは……以前、助けて頂いた御恩がありますので……」
エーデルが少し恥ずかしそうに言う。
その言葉を聞いた男は、エーデルの顔をジッと見つめる。
「そ、そんなに見ないでください!」
赤い瞳に見つめられ、頬を赤く染めるエーデル。
金色の髪を見て、男は気付く。
「……ああ、あの時の娘か」
記憶の中から、いつか助けた少女のことを思い出した。
「あの時は、お礼も言えなかったので……」
「まだ生きていたか」
「おかげさまで」
エーデルにとっては生きていた中で大きな記憶でも、男にとっては忘れてしまうような記憶だった。
「あの時の御恩をお返ししたいのです」
「それでお前を喰ってしまったら、生かした意味がなかろう」
「いいのです。私はどうせ、お嫁にも行けないですから」
「なぜだ?」
「いきたくないのです!」
「嫁に行きたくない女がいるか?」
女は嫁ぐのが当たり前の時代に、そんなことを言う人間がいるのかと男は面白がった。
見た目も美しく、既に成熟している。エーデルと初めて会った時、変な男にまとわりつかれていたことを思い出すと、少し情けをかける目でエーデルを見た。
「まあ、お前の好きに生きるがよい」
「ならば、わたくしをお喰べください!」
なぜか、少し頬を膨らまし、怒ったように言うエーデル。
「貴様ごとき、喰う価値もない」
男は冷たく言い放つ。
「ならば、ならば……どうしたら貴方様を助けられますか」
その言葉に、澄んだエーデルの瞳から突然ポロッと涙がこぼれ落ちた。
「な、泣くな!」
突然の涙に、男は焦る。
「喰われないからと泣くやつがあるか!?」
「だって……」
大人びた美しい見た目に反して、口を尖らせて子供のように泣くエーデル。
恐怖で泣き叫ぶ顔は何度も何度も見てきたが、こんな風に泣く人間は初めてだった。
「な、泣くな。この程度の傷、ほっとけば治る」
思わず、エーデルからこぼれ落ちる涙を親指で拭いとっていた。
「……」
男のその行動に、泣いていたはずのエーデルの顔がまた高揚していくのがわかった。
「なぜ顔を赤らめる」
「し、しりません!」
そのことを指摘すれば、また怒ったように顔を背けるエーデル。
「なんとも、夏の空のように表情を変える人間だな」
すっかりエーデルのペースに巻き込まれてしまった男は、だんだんとエーデルのことが気になりはじめていた。
「名はなんという」
「エーデルです」
「ほう、いい名だな」
「貴方様は?」
「私の名など聞いてどうする」
「先に訊いてきたのに名乗らないのは失礼です!」
「ああ、わかった。そうすぐ怒るな」
男は頭をかきながら、めんどくさそうに自分の名をこたえる。
「……ヴィレンスだ」
「ビレンス様?」
「“ヴィ”レンス」
「呼びにくい名ですね」
「貴様」
「ふふ、冗談です。素敵なお名前ですね」
怒ったかと思えば、いたずらっぽく笑うエーデルにヴィレンスは心が惹かれていった。
そのまま二人は、朝が来るまで話をした。
基本的には、エーデルが一人で喋っているのをヴィレンスが聞いているだけだったが。
好きな季節、好きな花、好きな星。
たった数時間ではあったが、ヴィレンスはエーデルのことをよく知れた気がした。
でも、その間にもヴィレンスの負った傷からは血が止まることなく流れ続けていた。
思っていたよりも深く、エーデルの言った通り、今すぐ人間を喰べなければならない状態だった。
エーデルの声に集中できなくなってくる。呼吸も上手くできなくなってくる。
「ヴィレンス様は、好きな香りはありますか?」
「……ん? ああ、好きな香りか……」
「ヴィレンス様?」
ヴィレンスの様子がおかしいことに、エーデルが気づく。
「ヴィレンス様……?」
心配そうに顔覗きこんでくるエーデルを心配させまいと、ヴィレンスは微笑む。
「大丈夫だ。気にするな。すぐよくなる」
「嘘です!! 早く、早くわたくしをお喰べください! 」
「喰えるわけないだろ」
「なぜです!」
「さあな、わからないが、お前のことは喰えぬ。別の人間を連れて来てくれ」
「そんなの、無理です!」
さっきまで楽しそうに笑っていたエーデルが、また大粒の涙をポロポロと流す。
「泣くな、エーデル。お前は笑った顔の方が愛らしい」
「そんなの、今言われても嬉しくないです!」
「すまない」
またすぐ怒る。そう思いながらも、ヴィレンスは心が満たされていた。
ヴィレンスの意識が少し遠くなりかけたころ――
「おい、この辺りのはずだ! 探せ!」
「エーデル! どこだ!!」
川の方から兵士の声がした。
一晩経っても帰ってこないのエーデルを心配した祖母が、兵士に捜索を頼んでいたのだ。
「どうしよう……!」
その声にエーデルは焦った。
ヴィレンスが見つかれば、間違いなく殺されてしまうからだ。
「ヴィレンス様、逃げなきゃ」
「俺はもう動けない。お前だけ行け」
「嫌です!!」
「まったく貴様は強情だな……」
ヴィレンスは呆れたように笑うと
「エーデルならここに居る!!!」
すぐ近くに居る兵士に向かって、そう叫んだ。
「ヴィレンス様、なにを……!」
その声を聞きつけ、数人の兵士が草をかき分け勢いよく駆けてくる。
「魔物め!! その女から離れろ!!!」
「フン、人間ごときが」
「おやめください……!!!」
「エーデル! 何をしている、その魔物から離れろ!」
エーデルはヴィレンスを庇うように立ちふさがった。
「このお方は悪い方ではありません! どうか、これ以上傷つけないでください!」
そう叫ぶエーデルを見て、兵士たちがざわついた。
魔物を庇うなんて、あってはならないことだからだ。
「面はいいが、昔から変な女だと思ったら……貴様も、魔物だったのか?」
中心に居た一人の男が言う。
「ち、ちがいます! ですがっ」
「エーデルを捕らえろ!!」
それ以上エーデルが何かを言う隙も与えず、男が叫ぶ。
その一声で剣を構えた男たちがエーデルに向かって走り出した。
「キャッ!」
一人の男が、後ろから抱き着くようにエーデルを捕らえる。
「エーデル……!」
慌てたヴィレンスがエーデルに手を差し伸べる。
「貴様の相手は俺だ」
その腕に切りかかってくる男を避けるために、ヴィレンスは手をひっこめた。
「ヴィレンス様、お逃げください!!」
「黙れ!」
「きゃ」
ヴィレンスを逃がそうと、必死にもがくエーデルを容赦なく男が殴った。
その衝撃で、エーデルは一瞬でぐったりとしてしまった。
「……愚かな人間どもめ」
ヴィレンスのなかで、とてつもない怒りがこみあげてくる。
人の姿から、また狼へともどっていく。
怪我をしていることなど忘れ、牙を剥きだし、低い声で唸る。
「赤目の人狼であったか。取り逃したと思ったら、こんなところに逃げ込んでいたとは」
兵士の一人が片方の口角を上げニヤリと笑う。
彼はずっと、ヴィレンスのことを追い続けていた一人だった。
「ウウゥゥゥッ」
エーデルの耳に、ヴィレンスの低い唸り声が聞こえる。
すぐに失った意識が戻り、目の前で繰り広げられている争いが視界に飛び込んできた。
「ガウッ!!」
「くそっ」
狼の姿に戻っているヴィレンスが、兵士に噛みつく。
兵士も負けずとヴィレンスを蹴り上げると、鈍い音と共にヴィレンスが地面へと転がった。
「ヴィレンス様!!」
思わずエーデルが叫ぶと、再び彼女を捕らえている男が黙らせようと殴りかかった。
「グァウッ――!!」
エーデルがギュッと目を瞑ると、ドンッと何かに強くぶつかる衝撃と共に、すごいスピードで自分の身体が移動しはじめた。
「ヴィレンス様……!」
目を開けると、ヴィレンスの背中の上だった。
「すまない……こんなことになるとは思わなかったッ……」
猛スピードで森を駆けていくヴィレンス。
その速さに振り落とされないよう、エーデルはギュッと首に抱き着いた。
森を抜け、川を越え、岩を飛び。
ヴィレンスはエーデルのために走り続けた。
やがて、洞穴を見つけ、そこにエーデルを下した。と、同時にヴィレンスはバタッと倒れてしまった。
「ヴィレンス様!」
「はぁはぁッ……」
限界をとうに超えていたヴィレンスは、ぐったりとしたまま狼の姿から人の姿に戻っていった。
「嫌です、死なないでください」
エーデルはそんなヴィレンスの頭を抱きかかえ、また涙を流し始めた。
「エーデル……最期にお前と話せてよかった……」
「最期なんて言わないでください……!」
「怒るな……」
「怒ってませんっ」
「まったく、お前は……」
ヴィレンスが目を細める。
「笑った顔が見たい」
「こんな状況で、笑えませんっ」
「頼む」
「無理です……」
ヴィレンスがエーデルの顔に視線をやると、口の端から血が出ているのが目に入る。兵士に殴られたはずみで口の中が切れたのだろう。
「……痛かっただろ」
「こんなの、なんともありませんっ」
どこまでも強情なエーデルに、ヴィレンスはまた呆れたように笑った。
「お前はいつまでもそのままでいろ」
「ならば、ヴィレンス様と一緒がいいです」
「何を言うか、私は魔物だぞ」
「だからなんですか! あんな人間といるくらいなら、魔物の方がいいです」
「おかしなやつだ……」
ヴィレンスの手の平が、そっとエーデルの頬を包む。
「お前は、私を慕っているのか?」
「……それはっ」
その言葉に、涙を流しながらも頬を赤く染めるエーデルを見てヴィレンスは嬉しそうに微笑む。
「どうやら、私はお前のことを好いているようだ」
「えっ」
「お前はどうだ? 私が嫌いか」
「そ、そんなわけありません! わたくしも……ヴィレンス様が好きです」
少し恥ずかしそうに答えるエーデル。
その言葉に、ヴィレンスは最期の力をふり絞るように体を起こした。
「ダメです! 動いては――」
焦るエーデルの口を塞ぐように、ヴィレンスは口付けをした。
二人にとって、初めてのキスはエーデルの血の味が混じっていた。
でも、温かくて、優しくて、このまま時が止まってしまえばいいとエーデルは願った。
その願いは届かず、ヴィレンスがゆっくりと唇を離す。
「……なんだ?」
すると、ヴィレンスが自分の身体におこっている異変に気付く。
なぜか、全身の痛みがどんどんと引いてくのだ。それだけじゃない、使い切ったはずの魔力が戻っていく。
足の傷が塞がっていく感覚まであった。
「ヴィレンス様……?」
「どういうことだ」
数分もすれば、すっかり傷が癒え、体力も魔力も回復していたのだ。
「エーデル、お前の力か?」
「わ、わたくしはなにも……」
何がおこったかわからないと言う様子でキョトンとするエーデルの顔を見て、ヴィレンスがほほ笑む。
「お前は、本当におかしな人間だ」
そう言いながら、ヴィレンスはエーデルを抱きしめた。
少し力を入れたら折れてしまいそうなほど細いエーデルの体を、優しく、ギュッと抱きしめた。
「な、なにがおきたんです?」
「お前の血で、回復したようだ」
「え?」
「ああ、お前の傷も治っているな」
ヴィレンスの親指が、エーデルの口角を撫でる。
「わあ、すごい! 痛くないです!」
「なんと、不思議なこともあるのだな」
「ほら、だから言ったでしょう! 早く私をお喰べくださいと」
エーデルは嬉しそうに笑いながら、ヴィレンスの前に真っ白な腕を差し出した。
「ああ、本当だな。でも、お前のことを喰わずとも治癒力が高いようだな」
「ならば、お喰べになってくださればヴィレンス様はもっと強くなるかもしれません!」
「そんな強さは必要ない」
「なぜです? 遠慮なさらず!」
「そんなに私に喰われたいか?」
「当たり前です! 御恩をお返ししたいのですから」
また小さく頬を膨らますエーデルを見て、ヴィレンスは微笑む。
「ならば、喰ってやろう」
そう言うと、ヴィレンスはエーデルの顎をもつと、再び口付けをした。
それも、さっきとは違う。さらに深く、さらに甘く、刺激的な。
「んんッ……」
上手く息ができず、少し苦しそうなエーデルのために時おり唇を離すが、呼吸したことを確認するとまた口を塞ぐ。何度も何度も。舌を使い、気持ちよくさせる。しばらくして、エーデルの声に艶が帯びてきたのを見計らうと、ヴィレンスはそのままエーデルを抱いた。
「た、たべるの意味が違います……!」
「そうか? だが、これでも力が回復しそうだ」
そう言って、ニヤッと悪戯っぽく笑うヴィレンスの顔が、エーデルは好きだった。
のちに、エーデルの血にはたった一滴で魔族を治癒できる力が宿っていることがわかった。
ヴィレンスを通し、人間である彼女を受け入れて慕う魔族が増える。
その魔族たちもまた、人間を殺さずともエーデルが分け与える一滴の血で魔力が満たされたという。
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