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初恋

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    太陽がジリジリとアスファルトを焼き、綺麗に舗装された道を歩く人が民家の日陰を頼る季節に、僕の恋は始まった。200メートル程のスロープを登り、海辺に建つその学校は、この季節にはまるで試練のように思えた。しかしそれは部活動に励む学生には良い練習コースとなり、6限目が終わると走る学生で賑わった。部活動で走るのは、なにも運動部だけではない。吹奏楽部も体力が必要ということで、僕の学校だけなのかは把握していないが、しばしば走っている姿を見かけた。流れる汗を気にする余裕も無いほど必死に走る1人の女の子、小柄で“可愛い”という言葉がよく似合う、走る汗からも洗濯物の香りが漂う清潔感のある彼女に僕は、いつしか心を奪われていた。
    僕はといえば、体操部に所属しており、大車輪をしない日は無い。という生活をしていた。後に部長を務める事になるが、ここでは深く触れない。勉学の成績は中の上。顔のパーツにコンプレックスは特に無い。勉強も部活も、卒なくこなすタイプの人間であった。
    彼女とは同じクラスで、僕の席は廊下側の前から3番目。彼女は僕の3つ左隣だった。4限目、英語の授業中…隣の席の子に彼女が手を振っていたのを見て、何の気なしに僕も手を降ってみた。中学生のノリなんて(え、何急に…)や(いやいやいや…あなたに振ってませんけど。)などが当時一般的な反応だったため、笑って誤魔化す準備をしていた僕に、彼女は少し照れながら、ぎこちなく手を振り返してくれた。その瞬間、(…トクン…)と心臓が1つ脈を飛ばした。
誰もが人を好きになるきっかけみたいなものを経て、恋に落ちるとは限らないと思うが、僕のそれは、まるで高圧電流のバリケードに触ったような、スタンガンで打たれたような衝撃が走り、それから僕は彼女の一挙手一投足が気になって仕方がなくなっていた。

「青葉~。あんたさ、もしかして好きな人できた?」
聞いてきたのは同じクラスの美来(みく)だ。幼い頃からバスケをしていて、こげ茶に焼けた肌がよく似合う、物事をはっきりと言う女の子。クリっとした目で真っ直ぐ見る彼女に、
「別にー。なんでー?」と僕。
ふ~ん?と彼女は続けた。
「いや、あんたって分かりやすいよ。ずっと目で追いかけてるし。ほかの人が気付いてるかどーかは分かんないけど。」彼女はよく見ている。
「人間観察っても…ちょっと度が過ぎてる気がするんだけど。」
恋は盲目、とはよく聞くが、まさか自分がそうなるとは思ってもみなかった。
「…気を付けるわ。」僕は苦笑した。周りが見えなくなるほど凝視するなんてストーカーと思われても不思議じゃない。
 厳しい日差しに耐えていた緑も、もうすぐ大人の色気を醸し出す頃、僕は英語の授業を終え、沸騰しかけた頭を冷やすための昼休憩、給食を食べるというよりは飲み込むという表現が正しいだろう。そそくさと食べ終え、いつものように走って体育館へ移動する。僕の昼休憩はバスケをするのが習慣化していた。いつものように廊下をダッシュする。
「…っ!」突然何かが視界に入ってきて、反射的に飛んで避けたため衝突は避けられたが、僕は廊下に転がってしまった。
「ビックリしたー!!…大丈夫!?」
振り返ると彼女が心配そうにこちらを見ていた。
…どうだろう。僕の顔は赤くなっていただろうか。
「わりぃ!怪我しなかった!?…痛っ」
再度謝ろうと立ち上がる際に右足に痛みを伴った。僕は右足首を捻挫していた。
「保健室行こ!!」どうしよう…といった顔で僕の手を引く彼女。
いつも何も考えずに歩いて、当たり前の廊下だったこの道が、2人で歩いて保健室に行くことで、いつもより長く、でも短いように思えた。こんな特別な時間を過ごせるなら、毎日だって捻挫して良いと思えた。
「ごめんね?私が急に曲がって来たから…」
走っていた自分が絶対悪いにもかかわらず、彼女は謝ってきた。
「いや、ビックリしたよね。ごめんね?しかも保健室まで付き添ってくれて…ありがとね。休憩時間無駄にしたね。」ハハと気の抜けた笑い方をしてしまった僕に彼女は思いもよらない言葉をくれた。
「2人きりになる時間がもらえたら、聞きたい事があったの。だから…無駄じゃないよ。」少し俯きながら、一言ひとことを丁寧に話す彼女からは緊張感が伺えた。
「…聞きたい事って??」ゴクリ…という音が相手に聞こえそうなくらい自分の中で響いた。
「好きな人とか…いるの?」彼女はずっと俯いたままだ。
「え…いや…ぅん、いることには…いる…かな?」
ちょっと待ってくれ。突然好きな人からそんな質問をされてうろたえない男子はおそらくいないだろう。世の中の全男子共通だと思う。
「そっか…やっぱりいるよね。ごめんね?変な事急に。」言い終えてやっと顔を上げた彼女の表情はどこか切なさを纏い、苦笑の面持ちだった。
「え、なに?その表情。早川さん…どーしたの??」僕は慌てて聞いた。
「青葉くん、モテるもんね…気にしないで?ちょっと聞いてみたかっただけ。何急に、って思ったよね。ごめん…」
「それって…」喉が鳴る。心臓が破裂しそうなくらいバクバクし、橈骨動脈が波打っている。頭がグワングワンしてまともな思考にならない。もし、ここで気持ちを伝えなかったら、友達の多い彼女のことだ。誰にも悟られずに想いを伝える機会を得るのは困難を極めるだろう。(心臓が…口から出そうっ!)震える拳を握り、意を決して僕は伝えた。
「早川さん勘違いしてるよ。俺今まであんまり好きとか嫌いとか分かんなかったけど、あの日…手を振り返してくれた日から…(頑張れ俺!!)」
彼女の目が戸惑いに苦しんでいるのが分かる。
「あの日から、早川さんから目が放せなくなってる。前から気になってて、これが好きって気持ちなら、俺は早川さんが好きだ。」
たった2~3秒くらいだったろう。体感的にはとても長い時間の沈黙に感じた。僕の心臓といえばもう、何十キロ走ったのかってくらいに高速で動いていた。
「青葉くん…私…どうしよう。こんなに嬉しい事って…今までなかったから…なんて表現してどんな表情でいたら良いのかな。」
彼女は鼻を赤くし、くしゅっと笑いながらも、その両目からは涙が流れていた。とても綺麗で、いつまでも見ていたいと思った。この笑顔をもう一度見たい。何度でも喜ばせてやると、心に誓った。
心臓の鼓動は…自然と落ち着き、僕は彼女を真っ直ぐに見つめた。
「この早川さんの表情を、俺はこの先もきっと忘れない。何度だって、そんな顔にさせてやるから…俺と付き合ってくれませんか。」


昼休憩は、とても短く感じた。
あの日のできごとは、夢の中にいるようで、でも足の痛みが…これは現実なんだと教えてくれた。


僕の初恋は…枯れる事なく、これから心をジリジリと焼いていくことになる。
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