上 下
19 / 57

第19話【閑話】ハンス、もう一つの顔

しおりを挟む
《若執事ハンス視点》


 私の名はハンス。

 バルマン侯爵家に仕える執事である。
 亡き奥方様の遺言に従い、学園に通うマリアンヌ様に、今はお仕えしている。

 そんな私には、もう一つの顔がある。

 バルマン家が誇る秘密諜報部隊《暗部》の工作員。

――――それがお嬢さまにも知られていない、私の裏の顔であった。
 


マリアンヌ様が事件に巻き込まれていから、数日が経つ。

ある日の夜。
今はファルマの街を、漆黒の闇が包む真夜中だ。

(ここか……)

 そんな中、私は安宿の一室に、忍び込んでいた。
この数日で、この部屋の調査と段取りは、内密に済ませていた。

音も気配もなく、完璧に室内への侵入に成功する。 
他国の王城に忍び込むことに比べたら、この程度の雑な部屋に忍び込むことなど造作もない。
 
バルマン家の若執事として、私は幼い時から厳しく育てられてきた。
同時に裏では“暗部”の一員として、旦那様に鍛えられた。

今使っているのは暗部としての技術だ。

(こいつがベルガか……)
 
 安宿の薄汚れたベッドに、大きなイビキをかく男がいた。
調査によると、この者が大剣使いベルガ。
 
(噂ほどでなかったな。他愛もない……)

お嬢様には内緒で調査を行い、この男の住処を発見した。
目立つ男なので、この宿はすぐに判明した。

そして留守を狙い“目的の品”を探し、この部屋にも事前に侵入していた。
もちろん何の痕跡も残さないように。

 だが“目的の品”は、部屋の中には無かった。
 恐らくはベルガが持ち歩いていたのであろう。

 そして再度潜入の準備を終えて、今宵となったのだ。

気配を完全に消しながら、部屋の中を物色していく。

(あった……これだ)

 目的の品……ネックレスを発見する。

 これはマリアンヌ様の御母上さまが、彼女に託した形見の品。
この野蛮な男が奪い去った品だ。

(チェーンは引き千切られているが……修理は可能だな)

私はヒドリーナ様から密かに、このネックレスの経緯を聞き出していた。

それによると、このベルガは助けた対価として、強引にネックレスを強奪したという。

ヒドリーナ様の話によると、マリアンヌお嬢さまは笑って許していたらしい。

だが私とっては、それは許されざる蛮行だった。
だからこそ私は決意した。
 
 お嬢さまに内密に、このネックレスを取り戻すことを。

(ふん。よく寝ていられるものだな。ここで命を取られなかっただけでも、感謝するのだな、蛮人め)

本当ならこの男の寝首を斬り裂き、この世から滅殺したかった。
お嬢さまと御母上さまの絆を汚した、天罰を下したい。

 だが、それではこの形見の品が、野蛮な男の血で汚れてしまう。

だからこの場は、何もせずに立ち去ることにする。

(さて……戻るとするか……)

 貴金属の音を消す特別な布で、ネックレスを包み立ち去る準備をする。
後は帰還するだけだ。

――――だが、その時だった。

「ほほう……見事なもんだな?」

「――――っ⁉」

 驚くべきことが、起きた。

 男が……先ほどまで大きなイビキを、かいていたベルガ。
今はベッドの上に腰をかけていたのだ。
口元に野獣のような笑みを、浮かべている。

 なぜイビキが消えるのに、私は気がつかなかったのだ? 
 
そして完全に気配を消していたはずの自分に、どうやって気がついたのだ? 

 驚愕の数々に心が乱れそうになる。
 
ふう……。
 だが息を整え、スッと冷静さを取り戻す。

「ほほう? しかも、この“死地”でも、肝がすわってやがるな、お前」

 ベルガは鼻を鳴らし、機嫌よさそうに微笑む。
 だが、その右手には、いつの間にか鋭い大剣が握られていた。

――――“動けば死ぬ”

 まさに死地。
死の宣告の恐怖が、自分の心の臓を襲う。

このベルガという男の武を、私は見誤っていた。

(私は、ここで“死ぬ”か。だが自分とて歴代の“暗部”の中でも“最高傑作キラー・マシーン”と呼ばれた男……)

 やすやすと殺される訳には、いかなかった。
 腰にある短剣に手をやり、いつでも抜けるようにしておく。
そして小さな猛毒針と煙玉も用意しておく。

「ほほう? こいつは面白ぇえ。卓越した隠密術に、鋼の魂に、それに、その暗殺術か? 本当にいいな、お前は」

私の行動を見透かし、ベルガは子供のような無邪気な笑みを浮かべる。

(くっ……力ではこの剣士には敵わない。だが、この狭い室内での近接戦闘なら、あるいは……)

ベルガの騎士としての実力は、凄まじい。
単騎で妖魔兵の群れを駆逐したことからも、それは推測できる。

だが対人戦闘と暗殺術ならば、自分にも分があるかもしれない。

(私は必ず生き残る。マリアンヌお嬢さまの元へ帰還するために!)
 
 私は覚悟を決める。
必ず生き残ると。

御母上さまの遺言を守るために、私はマリアンヌ様を助けていく責務があるのだ。

「ほう……そんな“戦士の目”もできるのか? ますますイイな……」

 自分は顔を含む全身を、黒装束で隠している。
だが不覚にも目線を、ベルガに見破られてしまった。

しかし今も気にしている場合ではない。
生き延びるために、全てを捨てて力を出す必要があるのだ。

「ふう……面白かったぜ、この時間は。このファルマの街は面白い奴が多くて、オレも最高だな。お前みたいな奴に、あのマリアンヌという女がいてよ。さて、満足したことだし、寝るとするか。またな、黒い兄ちゃん……」

――――驚いたことが起きた。

ベルガはベッドにごろりと横になったのだ。
先ほど同じように、大きないびきをかき寝始めたのだ。

(くぅ……見逃すということか? いや、次回にお預けということか)

 暗殺者に対して、無防備な背中を向ける男の思惑が、読み取れない。
 
 いや……この野獣のような男に思惑など、最初からないのかもしれない。
 
魂が飢えたら敵を食らい、満たされたら寝るだけ……そんな欲望に忠実な戦士なのだ。

(ベルガ……か。それならこの勝負の決着は、いつか必ずこの手に……)

 私は心の中でそう宣誓する。
ネックレスを元の場所に、そっと戻しておく。

ふう……戻るか。

 そして来た時と同じように、音もなくこの部屋から立ち去るのだった。



 私の名はハンス。

 マリアンヌお嬢さまに仕える若執事である。
 
自分の人生はマリアンヌお嬢さまを、陰ながら支える為に費やす予定でいた。
 
だが今は少し違う。

お嬢さまが変わった"あの日”から、少しずつ私も変わっていた。

きっとこれから、私も忙しくなりそうな予感がする。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢になりたくないので、攻略対象をヒロインに捧げます

久乃り
恋愛
乙女ゲームの世界に転生していた。 その記憶は突然降りてきて、記憶と現実のすり合わせに毎日苦労する羽目になる元日本の女子高校生佐藤美和。 1周回ったばかりで、2週目のターゲットを考えていたところだったため、乙女ゲームの世界に入り込んで嬉しい!とは思ったものの、自分はヒロインではなく、ライバルキャラ。ルート次第では悪役令嬢にもなってしまう公爵令嬢アンネローゼだった。 しかも、もう学校に通っているので、ゲームは進行中!ヒロインがどのルートに進んでいるのか確認しなくては、自分の立ち位置が分からない。いわゆる破滅エンドを回避するべきか?それとも、、勝手に動いて自分がヒロインになってしまうか? 自分の死に方からいって、他にも転生者がいる気がする。そのひとを探し出さないと! 自分の運命は、悪役令嬢か?破滅エンドか?ヒロインか?それともモブ? ゲーム修正が入らないことを祈りつつ、転生仲間を探し出し、この乙女ゲームの世界を生き抜くのだ! 他サイトにて別名義で掲載していた作品です。

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

悪役令嬢に転生したので、剣を執って戦い抜く

秋鷺 照
ファンタジー
 断罪イベント(?)のあった夜、シャルロッテは前世の記憶を取り戻し、自分が乙女ゲームの悪役令嬢だと知った。  ゲームシナリオは絶賛進行中。自分の死まで残り約1か月。  シャルロッテは1つの結論を出す。それすなわち、「私が強くなれば良い」。  目指すのは、誰も死なないハッピーエンド。そのために、剣を執って戦い抜く。 ※なろうにも投稿しています

【完結】異世界転生した先は断罪イベント五秒前!

春風悠里
恋愛
乙女ゲームの世界に転生したと思ったら、まさかの悪役令嬢で断罪イベント直前! さて、どうやって切り抜けようか? (全6話で完結) ※一般的なざまぁではありません ※他サイト様にも掲載中

転生令嬢の涙 〜泣き虫な悪役令嬢は強気なヒロインと張り合えないので代わりに王子様が罠を仕掛けます〜

矢口愛留
恋愛
【タイトル変えました】 公爵令嬢エミリア・ブラウンは、突然前世の記憶を思い出す。 この世界は前世で読んだ小説の世界で、泣き虫の日本人だった私はエミリアに転生していたのだ。 小説によるとエミリアは悪役令嬢で、婚約者である王太子ラインハルトをヒロインのプリシラに奪われて嫉妬し、悪行の限りを尽くした挙句に断罪される運命なのである。 だが、記憶が蘇ったことで、エミリアは悪役令嬢らしからぬ泣き虫っぷりを発揮し、周囲を翻弄する。 どうしてもヒロインを排斥できないエミリアに代わって、実はエミリアを溺愛していた王子と、その側近がヒロインに罠を仕掛けていく。 それに気づかず小説通りに王子を籠絡しようとするヒロインと、その涙で全てをかき乱してしまう悪役令嬢と、間に挟まれる王子様の学園生活、その意外な結末とは――? *異世界ものということで、文化や文明度の設定が緩めですがご容赦下さい。 *「小説家になろう」様、「カクヨム」様にも掲載しています。

悪役令嬢でも素材はいいんだから楽しく生きなきゃ損だよね!

ペトラ
恋愛
   ぼんやりとした意識を覚醒させながら、自分の置かれた状況を考えます。ここは、この世界は、途中まで攻略した乙女ゲームの世界だと思います。たぶん。  戦乙女≪ヴァルキュリア≫を育成する学園での、勉強あり、恋あり、戦いありの恋愛シミュレーションゲーム「ヴァルキュリア デスティニー~恋の最前線~」通称バル恋。戦乙女を育成しているのに、なぜか共学で、男子生徒が目指すのは・・・なんでしたっけ。忘れてしまいました。とにかく、前世の自分が死ぬ直前まではまっていたゲームの世界のようです。  前世は彼氏いない歴イコール年齢の、ややぽっちゃり(自己診断)享年28歳歯科衛生士でした。  悪役令嬢でもナイスバディの美少女に生まれ変わったのだから、人生楽しもう!というお話。  他サイトに連載中の話の改訂版になります。

悪役令嬢はぼっちになりたい。

いのり。
恋愛
「友人も恋人もいりません。私は1人で生きていきます」  一条 和泉は乙女ゲームで主人公をいじめ最後には没落してしまう、いわゆる悪役令嬢として転生した。  没落なんてまっぴらごめん、と考えた彼女の方針はずばり「ぼっち」であった。  ところが、なかなかうまくは行かないようで……。  少しだけ、ほんの少しだけ「変化球」な「転生悪役令嬢」モノです。  女性主人公ですが、男性でもお楽しみ頂けると思います。  かなり先まで原稿は出来ていますので、ご贔屓にして頂ければ幸いです。

悪役令嬢は始祖竜の母となる

葉柚
ファンタジー
にゃんこ大好きな私はいつの間にか乙女ゲームの世界に転生していたようです。 しかも、なんと悪役令嬢として転生してしまったようです。 どうせ転生するのであればモブがよかったです。 この乙女ゲームでは精霊の卵を育てる必要があるんですが・・・。 精霊の卵が孵ったら悪役令嬢役の私は死んでしまうではないですか。 だって、悪役令嬢が育てた卵からは邪竜が孵るんですよ・・・? あれ? そう言えば邪竜が孵ったら、世界の人口が1/3まで減るんでした。 邪竜が生まれてこないようにするにはどうしたらいいんでしょう!?

処理中です...