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カレーと絵具
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店内に漂う、家庭の台所にはないスパイスの香りと、シタールの音色が異国情緒を感じさせる。
「お待たせしました。スペシャルカレーランチセットです」
ウェイトレスの手で目の前に置かれたプレートを見ながら、陸は唾を飲み込んだ。
数種類のカレーと、淡い黄色のサフランライス、それに焼きたてのナンが盛られたプレートは、見るからに食欲をそそる彩りに溢れている。
しかし、陸の鼻は、目の前のカレーから立ち昇る芳しい香りの中に強い刺激が隠れていることも嗅ぎ取っていた。
――これ、凄く辛いやつだ。食べなくても匂いで分かる……!
「このお店、初めて来たんですけど、どのメニューも美味しそうで迷っちゃいました」
テーブルの向こう側に座って微笑む桜桃の前には、この店で最も優しい味と説明されたバターチキンカレーと野菜サラダのセットが並んでいる。
――俺も、バターチキンのほうが……いや、今日はヤクモの希望で来たんだから、彼の希望を叶えないと。
「怪異戦略本部」において「使い魔」扱いである陸は、外出する際、一人以上の術師か戦闘員と一緒でなければならないという制限がある。
その為、今日は、担当の術師である桜桃の付き添いにより、ヤクモが行きたがっていたインド風カレーのレストランを訪れているのだ。
術師の装束姿しか見たことのない陸にとって、私服の清楚なワンピースをまとった桜桃の姿は新鮮に感じられた。
――こうしていると、大学生くらいに見えるな。知らない人は、彼女が「怪異」に雷をバリバリ落としている姿なんて想像つかないだろうな……
「おお、ネットで見たのと同じである。研究施設の食堂のカレーも悪くないが、本場の味というものを体験してみたいと思っていたのだ」
どこからともなく、ヤクモの嬉しそうな声が聞こえた。
「うん、凄く辛そうだね……」
「食べる時は我が表に出るゆえ問題ないであろう」
「感覚は共有するから、どの道、俺も味わうことになるんだけど……もう、ひと思いにやってくれ」
陸が言うと同時に、彼の意識は肉体の深い部分へ沈み込んだ。
「では、いただきますなのである」
陸と入れ替わったヤクモが、スプーンでカレーとサフランライスを掬い、口に運ぶ。
「これは……カレーではあるが、我が知っているものとは全く異なるのである。この刺激、クセになりそうである」
普段と異なる味が気に入ったのか、ヤクモの食べるペースが上がっていく。
――これはマトンのカレーか。味は美味しい……
感覚を共有している為、ヤクモが食べているものの味は、陸も感じざるを得ないのだ。
――辛さが後から来た……! いや、これ俺には無理……!
口から食道へ、辛さと言うよりは、もはや痛みと言ったほうが相応しい刺激が流れ込んでくるのに、陸は、ひたすら耐えた。
「うむ、堪能したのである。では、交代するか」
食事を終えたヤクモは身体の奥に潜り込み、陸の意識が表に押し出される。
「なんか……口の中が痺れてるし、唇がタラコみたいに腫れてる感覚なんですけど……」
呟いた陸の顔を、桜桃が覗き込んだ。
「見た目には変わりないですよ?」
「気の所為かな……すみません、出る前に、ヨーグルト飲料をお代わりしていいですか」
辛いカレーで火照った口の中を、甘く冷たいラッシーで癒してから、陸は桜桃と共に店を出た。
「ヤクモは満足したみたいですけど、風早さんは大丈夫ですか?」
「口の中は、少し落ち着いてきました。今日は、貴重な休みに付き合わせてしまって、すみません」
陸は、まだヒリヒリと痛む口元を手で押さえた。
「いえ、私も気晴らしになりました。せっかく外に出ていることだし、もし風早さんご自身が行きたいところがあれば、もう少しお付き合いしますよ?」
桜桃に言われて、陸は、はたと考え込んだ。
生活用品も大半は通信販売で入手できるし、「怪戦」から貸与される物品もそれなりにある為、特に急ぎの用事はない――そう考えた陸の頭に、一つの閃きが浮かんだ。
「行きたいところ、思いつきました」
十数分後、二人は大きな画材店の中にいた。都内でも有数の、豊富な品揃えを誇る店だ。
「風早さんって、絵を描かれるんですね」
様々な画材が所狭しと並んでいる店内を、物珍しそうに見回しながら桜桃が言った。
「趣味レベルですよ。子供の頃は絵を描く仕事がしたかったけど、プロになれるほど上手くはないし、面倒を見てくれていた祖父母に心配をかけたくなくて、前の会社に就職したんです。デザインとかの仕事もなくはなかったんですが、結局、絵とは全然関係ない業務をこなしてました」
陸は自嘲するかのように、苦笑いした。
色とりどりの絵具や色鉛筆、マーカーペンなどを眺めながら、いつしか陸は、それらの画材で描けそうな絵を思い浮かべていた。
「風早さん、楽しそうですね」
桜桃に言われて、ふと腕時計を見た陸は、思いの外長い時間、画材を見ていたのに気付いた。
「わわっ、長々と、すみません……」
「気にしないでください。風早さん、とても楽しそうな顔をしていたから、邪魔しないほうがいいかと思って」
恐縮する陸に、桜桃は、にこやかに答えた。
「そうですね、こんな楽しい気持ちになったの、久しぶりです。こうして色々な画材を見ると、どんな絵を描こうかと思って、ワクワクしちゃうんですよね」
「私も、風早さんの描いた絵、見てみたいです」
「ちょっと恥ずかしいな……」
そんな話をしながら、目に付いたスケッチブックや色鉛筆など幾つかの画材を選び、陸は会計を済ませた。
と、彼は、少し離れた場所に見覚えのあるシルエットの後ろ姿を見付けた。
「お待たせしました。スペシャルカレーランチセットです」
ウェイトレスの手で目の前に置かれたプレートを見ながら、陸は唾を飲み込んだ。
数種類のカレーと、淡い黄色のサフランライス、それに焼きたてのナンが盛られたプレートは、見るからに食欲をそそる彩りに溢れている。
しかし、陸の鼻は、目の前のカレーから立ち昇る芳しい香りの中に強い刺激が隠れていることも嗅ぎ取っていた。
――これ、凄く辛いやつだ。食べなくても匂いで分かる……!
「このお店、初めて来たんですけど、どのメニューも美味しそうで迷っちゃいました」
テーブルの向こう側に座って微笑む桜桃の前には、この店で最も優しい味と説明されたバターチキンカレーと野菜サラダのセットが並んでいる。
――俺も、バターチキンのほうが……いや、今日はヤクモの希望で来たんだから、彼の希望を叶えないと。
「怪異戦略本部」において「使い魔」扱いである陸は、外出する際、一人以上の術師か戦闘員と一緒でなければならないという制限がある。
その為、今日は、担当の術師である桜桃の付き添いにより、ヤクモが行きたがっていたインド風カレーのレストランを訪れているのだ。
術師の装束姿しか見たことのない陸にとって、私服の清楚なワンピースをまとった桜桃の姿は新鮮に感じられた。
――こうしていると、大学生くらいに見えるな。知らない人は、彼女が「怪異」に雷をバリバリ落としている姿なんて想像つかないだろうな……
「おお、ネットで見たのと同じである。研究施設の食堂のカレーも悪くないが、本場の味というものを体験してみたいと思っていたのだ」
どこからともなく、ヤクモの嬉しそうな声が聞こえた。
「うん、凄く辛そうだね……」
「食べる時は我が表に出るゆえ問題ないであろう」
「感覚は共有するから、どの道、俺も味わうことになるんだけど……もう、ひと思いにやってくれ」
陸が言うと同時に、彼の意識は肉体の深い部分へ沈み込んだ。
「では、いただきますなのである」
陸と入れ替わったヤクモが、スプーンでカレーとサフランライスを掬い、口に運ぶ。
「これは……カレーではあるが、我が知っているものとは全く異なるのである。この刺激、クセになりそうである」
普段と異なる味が気に入ったのか、ヤクモの食べるペースが上がっていく。
――これはマトンのカレーか。味は美味しい……
感覚を共有している為、ヤクモが食べているものの味は、陸も感じざるを得ないのだ。
――辛さが後から来た……! いや、これ俺には無理……!
口から食道へ、辛さと言うよりは、もはや痛みと言ったほうが相応しい刺激が流れ込んでくるのに、陸は、ひたすら耐えた。
「うむ、堪能したのである。では、交代するか」
食事を終えたヤクモは身体の奥に潜り込み、陸の意識が表に押し出される。
「なんか……口の中が痺れてるし、唇がタラコみたいに腫れてる感覚なんですけど……」
呟いた陸の顔を、桜桃が覗き込んだ。
「見た目には変わりないですよ?」
「気の所為かな……すみません、出る前に、ヨーグルト飲料をお代わりしていいですか」
辛いカレーで火照った口の中を、甘く冷たいラッシーで癒してから、陸は桜桃と共に店を出た。
「ヤクモは満足したみたいですけど、風早さんは大丈夫ですか?」
「口の中は、少し落ち着いてきました。今日は、貴重な休みに付き合わせてしまって、すみません」
陸は、まだヒリヒリと痛む口元を手で押さえた。
「いえ、私も気晴らしになりました。せっかく外に出ていることだし、もし風早さんご自身が行きたいところがあれば、もう少しお付き合いしますよ?」
桜桃に言われて、陸は、はたと考え込んだ。
生活用品も大半は通信販売で入手できるし、「怪戦」から貸与される物品もそれなりにある為、特に急ぎの用事はない――そう考えた陸の頭に、一つの閃きが浮かんだ。
「行きたいところ、思いつきました」
十数分後、二人は大きな画材店の中にいた。都内でも有数の、豊富な品揃えを誇る店だ。
「風早さんって、絵を描かれるんですね」
様々な画材が所狭しと並んでいる店内を、物珍しそうに見回しながら桜桃が言った。
「趣味レベルですよ。子供の頃は絵を描く仕事がしたかったけど、プロになれるほど上手くはないし、面倒を見てくれていた祖父母に心配をかけたくなくて、前の会社に就職したんです。デザインとかの仕事もなくはなかったんですが、結局、絵とは全然関係ない業務をこなしてました」
陸は自嘲するかのように、苦笑いした。
色とりどりの絵具や色鉛筆、マーカーペンなどを眺めながら、いつしか陸は、それらの画材で描けそうな絵を思い浮かべていた。
「風早さん、楽しそうですね」
桜桃に言われて、ふと腕時計を見た陸は、思いの外長い時間、画材を見ていたのに気付いた。
「わわっ、長々と、すみません……」
「気にしないでください。風早さん、とても楽しそうな顔をしていたから、邪魔しないほうがいいかと思って」
恐縮する陸に、桜桃は、にこやかに答えた。
「そうですね、こんな楽しい気持ちになったの、久しぶりです。こうして色々な画材を見ると、どんな絵を描こうかと思って、ワクワクしちゃうんですよね」
「私も、風早さんの描いた絵、見てみたいです」
「ちょっと恥ずかしいな……」
そんな話をしながら、目に付いたスケッチブックや色鉛筆など幾つかの画材を選び、陸は会計を済ませた。
と、彼は、少し離れた場所に見覚えのあるシルエットの後ろ姿を見付けた。
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