オアシスの歌

くまのこ

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見えぬものと見えるもの

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 天からの強烈な日差しに焼かれ、見渡す限り広がる砂漠は、空気が揺らめくほどに熱を帯びている。
 砂塵じりの風の向こうに時折浮かぶ蜃気楼は、どこか遠くの街並みなのだろう。
 今でこそ、空気の温度差が作り出す自然現象と判明しているが、昔は旅人を惑わせる悪魔の仕業などと言われていたものだ。
 そんな不毛の砂漠の真ん中に奇跡の如く存在するオアシスは、旅人たちの救いであり安らぎの地である。
 豊かな湧き水から生まれた湖の周囲には草木が生い茂り、砂漠を旅する者たちの為の宿といった施設が立ち並んでいる。
 アルヤの家も、そうした宿のうちの一軒だ。
 昔は交易の為の物資を運ぶ隊商が主な客であったが、最近では観光目的の客も増えている。
「こんな何もないところ、何がいいのかな」
 空いた客室を掃除し整えている母を手伝いながら、アルヤは呟いた。
「砂漠の中に、ぽつんとオアシスが浮かんでいる風景が、よそから来る人たちにとっては珍しいって話だよ」
 アルヤの母は、そう言いながら手早く洗い立てのシーツを広げ、瞬く間に寝台を仕上げていく。
 生まれて十年と少し、この街から出たことのないアルヤにとっては、あまり理解できない話だった。
「これで、今日のお客を迎えられるね。そろそろ父さんが仕入れから戻ってくるだろうし、あんたは、夕方まで自由にしてていいよ」
 母の言葉に、手伝いから解放されたアルヤは家から出て、街へ向かった。
 相変わらず、街は異国の装束をまとった観光客たちで賑わっている。
 土産物や軽食を売る露店もアルヤにとっては当たり前の日常的な光景だが、街の外から来た者たちには物珍しいのだろう。
 何とはなしにアルヤが露店を眺めていると、一組の裕福そうな男女が、砂漠で採れる綺麗な石でできた装飾品を品定めしている。品物が気に入ったのか、彼らは幾つかを購入した。
 ――あの店、けっこうなボッタクリなんだよね。まぁ、よそから来た人たちには、そんなこと分からないか……
 そう思いつつも、男女の楽しそうな様子に、アルヤは少し羨ましさのような気持ちも覚えていた。
「お嬢さん、ちょっといいですか」
 突然、不思議と心地良い声で呼びかけられたアルヤは、驚いて声の主を見た。
 彼女の傍に立っていたのは、日除けのローブをまとった、女のように優し気な顔立ちの青年だった。小脇に携帯できる大きさの竪琴を抱えている。
 この辺りの住民はアルヤを含め、ほぼ全ての者が淡い褐色の肌をしているが、青年の肌は、母がとっておきの料理に使う陶器の皿のように白くつややかで、明らかに遠方から来たのだろうと思われた。
 最もアルヤの目を引いたのは、彼の目だ。髪と同じ金色の長い睫毛が影を落とす、透きとおった緑色の目――以前、旅の商人に見せてもらった緑柱石エメラルドという美しい宝石を、アルヤは思い出した。
「この辺りで、良さそうな宿はありますか?」
 青年の言葉で、彼の目に見とれていたアルヤは我に返った。
「あ、ええと、うちも宿屋なんだけど、見てみる? 今日は、まだ空きがあったと思うよ」
 アルヤが言うと、青年は安堵の表情を浮かべた。
「そうですか、是非案内をお願いします。何軒か見て回りましたが、間が悪かったのか、どこも一杯だと言われてしまって……」
「よろこんで! うちは大きな宿じゃないけど、母さんの料理は頬っぺたが落ちる程おいしいよ」
「それは楽しみですね」
 そんなことを話しながら、アルヤはヨナスと名乗る青年を自分の家でもある宿屋へ案内した。
「母さん、お客さんだよ。部屋、まだ空いてるよね」
「おや、お客さんまで連れてくるなんて、すごいじゃないか。……お一人様ですね。夕食は、こちらでお召し上がりでしょうか?」
「はい、彼女がお勧めしてくれたので」
 母の問いかけに答えると、ヨナスはアルヤを見やって微笑んだ。
 ヨナスを空いている部屋に案内した後、アルヤは両親を手伝って夕食の仕込みに取り掛かった。
 よくねたパンの生地を成形してかまどに入れ、それらが焼ける間に大量の野菜を刻んだり、肉料理に使う肉を食べやすい大きさに切ったりと、やることは幾らでもある。
「アルヤも、すっかり手際が良くなったな」
「あんたができることが増えて、あたしたちも助かるよ」
 両親にねぎらわれ、アルヤは、照れ隠しに肩を竦めてみせた。
「そりゃ、毎日やってれば、嫌でも覚えるよ」
 夕食の時間になり、食堂に宿泊客たちが集まると、忙しさは一層増した。
 母が次々に仕上げてカウンターに並べる料理を、アルヤは父と共に客たちのもとへ、てきぱきと配膳していく。
 他の客たちと料理に舌鼓を打っていたヨナスが、アルヤに声をかけてきた。
「飲み物のお代わりを、お願いします。……ここの料理は初めて食べるものばかりですが、君が言っていた通り美味しいですね」
「あ、ありがとうございます!」
 ヨナスの優しい眼差しに、アルヤは思わず赤面した。
「兄ちゃん、その竪琴……あんた、楽師がくしかい?」
 別のテーブルで酒を飲んでいた男が、ヨナスに言った。
 よく見ると、ヨナスの傍らには、彼が持ち歩いていた竪琴が置かれている。
「楽師というか、吟遊詩人というやつです。これは、私の相棒のようなもので、手元にないと落ち着かないのですよ」
「どうだい、一曲聞かせてくれないか。もちろん、心付けチップは払わせてもらうからさ」
 酔いの所為か陽気になっている男の言葉に、ヨナスは少し考える素振りを見せた。
「私としては構いませんが、ご迷惑ではありませんか?」
 彼は、そう言ってアルヤを見た。
「父さん、母さん、大丈夫だよね?」
「もちろん、大歓迎ですよ」
「むしろ、ありがたいですよ!」
 アルヤの問いかけに両親が快く答えると、ヨナスは竪琴を手にした。
 彼の指先から生み出される、どこか物悲しい旋律が、辺りの空気を一変させる。
 ヨナスは、竪琴を爪弾つまびきながら、旅人が故郷を懐かしむ心情を切々せつせつと歌い上げた。
 ――故郷ふるさとを思う心は見知らぬ街を濡らす雨となり、大河となって、いつの日か懐かしい人のもとへ届くのだろうか……
 一曲が終わった時には、食堂にいた客たちの誰もが涙を流していた。
「これほどまでとは思わなかった……なんだか、今すぐにでも故郷へ帰りたくなっちまったよ」
 ヨナスのテーブルの上に、客からの心付けチップうずたかく積み上げられるのを見て、アルヤは驚くと共に感動していた。
 彼の歌そのものも素晴らしかったが、何より、多くの人の心を動かす力というものを目の当たりにした衝撃もあった。
 しかし、同時に、自分は何とつまらない存在なのかという思いも湧いてきた。
 客たちにわれて次々と美しい歌を披露するヨナスを横目に、アルヤは複雑な気持ちで食器などの後片付けをこなしていった。
 翌日、いつものように空いた客室を掃除していたアルヤは、ヨナスに声をかけられた。
「オアシスが美しく見える場所をご存知ではありませんか?」
「そうだね……観光客が喜ぶって言われている場所は、いくつかあるけど」
 考えているアルヤを見て、母が言った。
「あんた、案内してあげればいいじゃないか。掃除は、もうすぐ終わるから、あたし一人でも大丈夫だよ」
「いいの? ……じゃあ、ついてきて」
 アルヤは、ヨナスに、ついてくるよう促すと歩き出した。
 朝夕は冷える砂漠だが、日が高くなった戸外は、既に熱を持った空気に満ちている。
 砂を運ぶ熱い風を遮るように、アルヤは日よけのローブに付いた頭巾を目深に被った。
「ここは、どうかな。景色がいいって言われてるけど、意外と観光客が少ないんだ」
 湖を見下ろす土手の上で、アルヤはヨナスに声をかけた。
「ああ、素晴らしいですね。乾ききった砂漠の中に浮かぶ湖と木々の緑が、強烈な対比を作っていて、とても美しいです」
 ヨナスは感心した様子で周囲を見渡している。
「……ヨナスさんは、『歌』を作る人なんでしょう?」
「そうです」
 アルヤが問いかけると、ヨナスは頷いた。
「歴史上の事件や、こういった素晴らしい景色、人の心の動き……あらゆるものが『歌』の題材になります。私は、旅をしながら、それらを探しているのです」
 ヨナスの話を聞いて、アルヤは溜め息をついた。
「いいなぁ。私は、この街から出たこともないし、たぶん、一生ここに住むんだろうと思ってる……うちの宿は私が継がないと、なくなっちゃうからね。でも、何だか、つまらないな」
「宿屋は素晴らしい仕事だと思いますよ? 君たちのような人のお陰で、我々は安心して旅ができるのですから。つまらないなどと言うのは良いこととは思えませんが」
 そう言うヨナスの表情は、どこか寂しそうに見えた。
昨夜ゆうべは、ヨナスさんの歌を聞いて、お客さんたちは泣くほど感動してたでしょ? 自分は、あんな風に人の心を動かすことなんてできない……上手く言えないけど、羨ましいっていうか……」
 アルヤは、自分が何を言いたいのか分からなくなり、口籠くちごもった。 
「私は、君たちの宿の美味しい料理や、快適さに感動していました。君にとっては当たり前のことかもしれませんが、私を含め、他の者からすれば、それは決して当たり前ではないのです」
 ヨナスはアルヤに微笑みかけると、不意に空を見上げた。
「これは……雨が降りますね」
「雨? 天から水が降ってくるってやつ?」
 アルヤも空を見上げた。彼女は、生まれてかた、雨というものを話には聞いたことがあっても実際に見たことはない。
 ここは砂漠の真ん中に存在する街だが、湧き水から生まれた湖や、深く掘った井戸といった水源がある為、雨が降らなくても困ることはないのだ。
 だが、いつも砂漠の砂を運んでくる風の向きが変化したことに、アルヤも気付いた。
「何だろう、冷たい風に乗って変な匂いがしてくる」
「雨の匂いです。あと5分ほどでしょうか。これは、宿に戻ったほうがいいですね」
 来た時とは逆に、ヨナスに促されたアルヤは、彼と共に宿へ帰るべく歩き出した。
 そうしているうちに、空はアルヤが見たことのない真っ黒な雲に覆われていく。
 ぽつぽつと顔や頭に雫が落ちてくる中、二人は宿に辿り着いた。
 出入り口の扉を閉めた途端、雷鳴と共に、雨が激しく降りだした。
「これが、雨?」
 窓から外を見ながら、アルヤは不安な気持ちになった。
 ひっきりなしに雨粒が屋根を叩く音と、時折鳴り響く雷の音と光――彼女にとっては、初めての体験だった。
「こんなに水が降ってきたら、地面が沈んでしまうんじゃないの? ヨナスさんの歌でも『雨が大河になる』って……」
「砂漠は水捌みずはけが良い筈だから、心配ないでしょう」
 アルヤの問いかけに、ヨナスが微笑みながら答えた。
「それより、面白いものが見られそうですね。もう少し、ここに滞在させてもらうことにします」
「面白いもの?」
「あと何日かすれば、分かりますよ」
 ヨナスの言葉に、アルヤは首を傾げた。
 雨は二日ほど激しく降り続いたのち、唐突にんだ。
 更に数日が過ぎた頃、街の住民たちは驚愕した。
 オアシスの周囲の砂漠が、一面の花畑になっていたのだ。
 砂で覆われていた筈の大地が、豊かな緑の葉と、色とりどりの花で埋め尽くされ、どこからやってきたのか、蜜を求める蝶や蜂が飛び回っている。
 古くから街に住む老人たちによれば、彼らが若い頃にも、一度だけ同じことが起きたという。
「これが、ヨナスさんの言ってた『面白いもの』? こんなの、初めて見たよ!」
 アルヤは、街の外に広がる花畑を驚きと共に見つめながら、傍らに立つヨナスに言った。
「ええ。奇跡の花畑――こういった現象は、伝承で知ってはいましたが、自分が生きている間に見ることができるとは思っていませんでした」
 彼も、少し興奮した様子で答えた。
 不毛の地に見えていた砂漠の中にも生命は息づいていて、雨が降る度に花を咲かせては次の世代に繋げていく――ほんの一時ひとときだからこそ、その美しさは眩しいものなのだろう。
 生命に満ち溢れた大地を前に、アルヤは心の中でくすぶっていたものが、いつしか溶けていくような気がした。
 数日って、花畑を満喫した吟遊詩人のヨナスは、次の目的地へと旅立った。
 彼は、つ前に一つの歌を作り、アルヤたち一家に捧げた。
 砂漠の宿の温かなもてなしと、奇跡の花畑の幻想的な風景、そして、そこで出会った少女の姿――オアシスの思い出を語る歌は、やがて、あらゆる国々へ広まり、いつまでも人々の記憶の中に生き続けるのだった。

おわり
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