上 下
55 / 58
頭中将

五十二、身代わり

しおりを挟む
 東宮が持ちかけた提案はこうだった。

 自分の代わりに、結婚候補の姫君に会って欲しい。そして、その姫君が自分に合う相手なのかを見極めて欲しい。

 この提案に、困惑しなかったと言えば嘘になる。だが、あまりに真剣な東宮の瞳を見て、本人が本気であることはすぐに分かった。

「東宮さま。俺を信頼してくれるのはありがたいです。ですが、こんな大切なことを俺に任せてしまっていいのですか?」

「あぁ。私がこの宮中で信頼しているのは、お前だけだ。お前は、なぜか私によく考え方が似ている。お前が信ずる相手であれば、私も信じられる」

「……勿体ないお言葉です」

 そう頭を下げれば、眼前にいるはずの東宮はあきれたような笑い声をあげた。

「そう、かしこまらないでくれよ。これは私の我儘だ。次期帝になる、哀れな人間の、最後の我儘に付き合わされるだけなんだから」

「……東宮さま」

「わかってる。不敬だと言いたいんだろ」

 投げやりに言って、どっかりと東宮は脇息にもたれかかった。ふと、頼近は驚いた。

——東宮さまは、こんなひどく疲れ、濁った目をしていただろうか。

「私とて、父上がどれだけ苦心してこの平安の都を治めておられるのか、分かっているつもりだ。……だからこそ、怖い。己のような愚鈍な帝が生まれてしまったら、どうなるだろうかと。私には、この京を守ることができるか、頼近」

「……」

 頼近には答えられなかった。
 次期帝として、東宮がどれだけ骨を砕いてきたのか、わかっているつもりだった。

 ——東宮さまは、友人のよしみから見ても、優秀な人物だと思う。

 そう答えたいのに、声が出ない。
 東宮が求めているのは、そんなお世辞ではない。この世を背負う者として、彼は覚悟を決めて生きているのだ。
 それに対して、どんな言葉をかけたら良いのか、頼近には分からなかった。
 頭中将の職を与えられ、あまりからもてはやされるなか、気の利いた言葉のひとつ言うことができない自分に、ひどく失望した。

「……すまない。気が昂った」

 情けない顔をしていたのだろう。
 何も言えない頼近を見て、東宮は謝罪する。

「というわけだ、頼近。頼まれてくれないだろうか」

 こんな流れで、断れるわけがなかった。

「東宮さまの、頼みとあらば」

 答えた頼近の姿を見て、東宮はかすかに笑った目尻に悲しみを滲ませる。

「お相手は、左大臣家の姫君だ」

「……左大臣家の?」

 宮中では、左大臣派と右大臣派とに分かれている。このたび、東宮が娶るのが左大臣家の姫君となれば、宮中の勢力図はまた変化を見せるだろう。
 これまで優勢を保ってきた右大臣派が勢力を落とし、左大臣派一強となる時代が来るのかもしれない。

「もちろんだが、正式に決まるまでは他言無用だ。……無用な争いを起こしたくない。伝えても良いのは、左大臣家の姫君だけだ」

「承知しました。東宮さま、ひとつ質問をしても良いでしょうか?」

 頼近の質問に、東宮は静かに首肯する。

「もし、左大臣家の姫君が、国母として
相応しくないと分かったときには、どうされますか?」

「……相応しい人物を、探すだけだ」

 東宮は、本気だ。
 表情を見て、よくわかった。

「……左様ですか。ありがとうございます」

 幾分か目元を緩ませ、東宮は言う。

「期待してるぞ、頼近」

 それから、頼近の地獄が始まった。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!

雨宮羽那
恋愛
 いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。 ◇◇◇◇  私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。  元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!  気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?  元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!  だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。 ◇◇◇◇ ※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。 ※アルファポリス先行公開。 ※表紙はAIにより作成したものです。

極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。

猫菜こん
児童書・童話
 私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。  だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。 「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」  優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。  ……これは一体どういう状況なんですか!?  静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん  できるだけ目立たないように過ごしたい  湖宮結衣(こみやゆい)  ×  文武両道な学園の王子様  実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?  氷堂秦斗(ひょうどうかなと)  最初は【仮】のはずだった。 「結衣さん……って呼んでもいい?  だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」 「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」 「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、  今もどうしようもないくらい好きなんだ。」  ……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。

【完結】出戻り妃は紅を刷く

瀬里
キャラ文芸
 一年前、変わり種の妃として後宮に入った気の弱い宇春(ユーチェン)は、皇帝の関心を引くことができず、実家に帰された。  しかし、後宮のイベントである「詩吟の会」のため、再び女官として後宮に赴くことになる。妃としては落第点だった宇春だが、女官たちからは、頼りにされていたのだ。というのも、宇春は、紅を引くと、別人のような能力を発揮するからだ。  そして、気の弱い宇春が勇気を出して後宮に戻ったのには、実はもう一つ理由があった。それは、心を寄せていた、近衛武官の劉(リュウ)に告白し、きちんと振られることだった──。  これは、出戻り妃の宇春(ユーチェン)が、再び後宮に戻り、女官としての恋とお仕事に翻弄される物語。  全十一話の短編です。  表紙は「桜ゆゆの。」ちゃんです。

聖獣の卵を保護するため、騎士団長と契約結婚いたします。仮の妻なのに、なぜか大切にされすぎていて、溺愛されていると勘違いしてしまいそうです

石河 翠
恋愛
騎士団の食堂で働くエリカは、自宅の庭で聖獣の卵を発見する。 聖獣が大好きなエリカは保護を希望するが、領主に卵を預けるようにと言われてしまった。卵の保護主は、魔力や財力、社会的な地位が重要視されるというのだ。 やけになったエリカは場末の酒場で酔っ払ったあげく、通りすがりの騎士団長に契約結婚してほしいと唐突に泣きつく。すると意外にもその場で承諾されてしまった。 女っ気のない堅物な騎士団長だったはずが、妻となったエリカへの態度は甘く優しいもので、彼女は思わずときめいてしまい……。 素直でまっすぐ一生懸命なヒロインと、実はヒロインにずっと片思いしていた真面目な騎士団長の恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID749781)をお借りしております。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

処理中です...