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頭中将
五十二、身代わり
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東宮が持ちかけた提案はこうだった。
自分の代わりに、結婚候補の姫君に会って欲しい。そして、その姫君が自分に合う相手なのかを見極めて欲しい。
この提案に、困惑しなかったと言えば嘘になる。だが、あまりに真剣な東宮の瞳を見て、本人が本気であることはすぐに分かった。
「東宮さま。俺を信頼してくれるのはありがたいです。ですが、こんな大切なことを俺に任せてしまっていいのですか?」
「あぁ。私がこの宮中で信頼しているのは、お前だけだ。お前は、なぜか私によく考え方が似ている。お前が信ずる相手であれば、私も信じられる」
「……勿体ないお言葉です」
そう頭を下げれば、眼前にいるはずの東宮はあきれたような笑い声をあげた。
「そう、かしこまらないでくれよ。これは私の我儘だ。次期帝になる、哀れな人間の、最後の我儘に付き合わされるだけなんだから」
「……東宮さま」
「わかってる。不敬だと言いたいんだろ」
投げやりに言って、どっかりと東宮は脇息にもたれかかった。ふと、頼近は驚いた。
——東宮さまは、こんなひどく疲れ、濁った目をしていただろうか。
「私とて、父上がどれだけ苦心してこの平安の都を治めておられるのか、分かっているつもりだ。……だからこそ、怖い。己のような愚鈍な帝が生まれてしまったら、どうなるだろうかと。私には、この京を守ることができるか、頼近」
「……」
頼近には答えられなかった。
次期帝として、東宮がどれだけ骨を砕いてきたのか、わかっているつもりだった。
——東宮さまは、友人のよしみから見ても、優秀な人物だと思う。
そう答えたいのに、声が出ない。
東宮が求めているのは、そんなお世辞ではない。この世を背負う者として、彼は覚悟を決めて生きているのだ。
それに対して、どんな言葉をかけたら良いのか、頼近には分からなかった。
頭中将の職を与えられ、あまりからもてはやされるなか、気の利いた言葉のひとつ言うことができない自分に、ひどく失望した。
「……すまない。気が昂った」
情けない顔をしていたのだろう。
何も言えない頼近を見て、東宮は謝罪する。
「というわけだ、頼近。頼まれてくれないだろうか」
こんな流れで、断れるわけがなかった。
「東宮さまの、頼みとあらば」
答えた頼近の姿を見て、東宮はかすかに笑った目尻に悲しみを滲ませる。
「お相手は、左大臣家の姫君だ」
「……左大臣家の?」
宮中では、左大臣派と右大臣派とに分かれている。このたび、東宮が娶るのが左大臣家の姫君となれば、宮中の勢力図はまた変化を見せるだろう。
これまで優勢を保ってきた右大臣派が勢力を落とし、左大臣派一強となる時代が来るのかもしれない。
「もちろんだが、正式に決まるまでは他言無用だ。……無用な争いを起こしたくない。伝えても良いのは、左大臣家の姫君だけだ」
「承知しました。東宮さま、ひとつ質問をしても良いでしょうか?」
頼近の質問に、東宮は静かに首肯する。
「もし、左大臣家の姫君が、国母として
相応しくないと分かったときには、どうされますか?」
「……相応しい人物を、探すだけだ」
東宮は、本気だ。
表情を見て、よくわかった。
「……左様ですか。ありがとうございます」
幾分か目元を緩ませ、東宮は言う。
「期待してるぞ、頼近」
それから、頼近の地獄が始まった。
自分の代わりに、結婚候補の姫君に会って欲しい。そして、その姫君が自分に合う相手なのかを見極めて欲しい。
この提案に、困惑しなかったと言えば嘘になる。だが、あまりに真剣な東宮の瞳を見て、本人が本気であることはすぐに分かった。
「東宮さま。俺を信頼してくれるのはありがたいです。ですが、こんな大切なことを俺に任せてしまっていいのですか?」
「あぁ。私がこの宮中で信頼しているのは、お前だけだ。お前は、なぜか私によく考え方が似ている。お前が信ずる相手であれば、私も信じられる」
「……勿体ないお言葉です」
そう頭を下げれば、眼前にいるはずの東宮はあきれたような笑い声をあげた。
「そう、かしこまらないでくれよ。これは私の我儘だ。次期帝になる、哀れな人間の、最後の我儘に付き合わされるだけなんだから」
「……東宮さま」
「わかってる。不敬だと言いたいんだろ」
投げやりに言って、どっかりと東宮は脇息にもたれかかった。ふと、頼近は驚いた。
——東宮さまは、こんなひどく疲れ、濁った目をしていただろうか。
「私とて、父上がどれだけ苦心してこの平安の都を治めておられるのか、分かっているつもりだ。……だからこそ、怖い。己のような愚鈍な帝が生まれてしまったら、どうなるだろうかと。私には、この京を守ることができるか、頼近」
「……」
頼近には答えられなかった。
次期帝として、東宮がどれだけ骨を砕いてきたのか、わかっているつもりだった。
——東宮さまは、友人のよしみから見ても、優秀な人物だと思う。
そう答えたいのに、声が出ない。
東宮が求めているのは、そんなお世辞ではない。この世を背負う者として、彼は覚悟を決めて生きているのだ。
それに対して、どんな言葉をかけたら良いのか、頼近には分からなかった。
頭中将の職を与えられ、あまりからもてはやされるなか、気の利いた言葉のひとつ言うことができない自分に、ひどく失望した。
「……すまない。気が昂った」
情けない顔をしていたのだろう。
何も言えない頼近を見て、東宮は謝罪する。
「というわけだ、頼近。頼まれてくれないだろうか」
こんな流れで、断れるわけがなかった。
「東宮さまの、頼みとあらば」
答えた頼近の姿を見て、東宮はかすかに笑った目尻に悲しみを滲ませる。
「お相手は、左大臣家の姫君だ」
「……左大臣家の?」
宮中では、左大臣派と右大臣派とに分かれている。このたび、東宮が娶るのが左大臣家の姫君となれば、宮中の勢力図はまた変化を見せるだろう。
これまで優勢を保ってきた右大臣派が勢力を落とし、左大臣派一強となる時代が来るのかもしれない。
「もちろんだが、正式に決まるまでは他言無用だ。……無用な争いを起こしたくない。伝えても良いのは、左大臣家の姫君だけだ」
「承知しました。東宮さま、ひとつ質問をしても良いでしょうか?」
頼近の質問に、東宮は静かに首肯する。
「もし、左大臣家の姫君が、国母として
相応しくないと分かったときには、どうされますか?」
「……相応しい人物を、探すだけだ」
東宮は、本気だ。
表情を見て、よくわかった。
「……左様ですか。ありがとうございます」
幾分か目元を緩ませ、東宮は言う。
「期待してるぞ、頼近」
それから、頼近の地獄が始まった。
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