45 / 58
三の姫
四十二、知らせ
しおりを挟む
頭中将からの文が届いてから数日、葵は話があると両親に呼び出された。
まさか、頭中将からの文が届いたことを知っているかのような丁度の頃合いに、自然と顔も引きつる。
なにか、悪いことでもあったのか。
滅多なことで、両親が葵を呼ぶことはない。
葵のもとに頭中将の訪れがなくなったときでさえ、何も言われなかったぐらいだ。きっと、家のことを考えるとはやく夫を見つけて欲しいはずなのに、葵のやりたいことをやらせてくれていた。
それが、どんな風の吹き回しだろう。
はやく終わればいい、なんて思いながら葵は身支度を続ける。いつも通り、女房に手伝ってもらいながら着物に袖通す。
今日は、濃紅に紅梅の重ねに身を包む。春の訪れを喜ぶような、鮮やかな色合いだ。葵が身につけるのにはすこし派手だが、そうでもしなければ、気分が上がらなかった。
しっかり唇に紅までひいてもらい、葵が鏡を見ると、美しく着飾った姫君が、浮かない表情でこちらを見つめ返していた。いつもは意志の強い真っ直ぐな瞳も、いまは曇って不安げな色を滲ませている。
いや、もう姫君という歳でもないか。鏡に写っている自分の額には、細かな皺が寄っている。小さくため息をついて、額の皺を伸ばすように、眉間を揉み解す。
「なんでこんないきなりのお呼びなのかしら……」
つぶやくと、女房もはて?と首を傾げた。
「昨今、物騒な事件も続いておりますからねぇ」
のんびりとした声音で女房が言うのは、おそらく左大臣家の姫君のことだろう。葵に気を遣ってか、名前までは言わない。
最初に聞いたときには、彼女の身の上へ同情する気持ちこそあったが、その後のことを考えると顔も見たことがない左大臣家の姫君に対しての怒りのほうが勝った。彼女は、左大臣家の命運を背負って立つような人間だ。おいそれと、自分の命を無駄にして良いわけがない。
そう思ってしまうのは、おそらく左大臣家の姫君に対する嫉妬もあるのだと思う。頭中将は大層嘆き悲しんでいるという。彼女が輿入れするはずであった東宮も、それはそれは悲しまれているとも。
高貴な男君たちに死を悲しまれ、彼女は今ごろ何を思っているのだろう。死人に口なし、とは言うが何かひとことぐらい伝えてくれたって良いじゃないか。
そう思ったからだろうか、その時鏡の奥が光ったような気がした。はっとして鏡のなかをもう一度見ると、葵のすぐ後ろに、髪の長い女が、長い前髪の間からこちらをじっと見つめていた。
あまりの恐怖に、腰が抜け、口からは絶叫がほとばしった。
「いや、いやぁぁぁぁ!」
自分のものとも思えないような金切声が響き、葵はその場に崩れ落ちる。
「ひ、姫さま。どうかなさいましたか?」
着付けをしてくれていた女房が、驚きながらも葵の肩を抱く。
「い、いま。鏡のなかに……!」
「鏡?」
女房はそう言って、葵がのぞいていたのと同じ角度から鏡をのぞく。
「なにも、変わったところはありませんが。何かご覧になったのですか?」
「……ひ、ひとが」
震えながら言うと、女房の表情がさっと強張った。
「姫さま、いかがなさいましたか」
その時、葵の悲鳴を聞いた他の女房たちも、どたどたと葵のもとに駆けつけてきた。ほっとしたのと同時に、葵の意識は薄れていった。
まさか、頭中将からの文が届いたことを知っているかのような丁度の頃合いに、自然と顔も引きつる。
なにか、悪いことでもあったのか。
滅多なことで、両親が葵を呼ぶことはない。
葵のもとに頭中将の訪れがなくなったときでさえ、何も言われなかったぐらいだ。きっと、家のことを考えるとはやく夫を見つけて欲しいはずなのに、葵のやりたいことをやらせてくれていた。
それが、どんな風の吹き回しだろう。
はやく終わればいい、なんて思いながら葵は身支度を続ける。いつも通り、女房に手伝ってもらいながら着物に袖通す。
今日は、濃紅に紅梅の重ねに身を包む。春の訪れを喜ぶような、鮮やかな色合いだ。葵が身につけるのにはすこし派手だが、そうでもしなければ、気分が上がらなかった。
しっかり唇に紅までひいてもらい、葵が鏡を見ると、美しく着飾った姫君が、浮かない表情でこちらを見つめ返していた。いつもは意志の強い真っ直ぐな瞳も、いまは曇って不安げな色を滲ませている。
いや、もう姫君という歳でもないか。鏡に写っている自分の額には、細かな皺が寄っている。小さくため息をついて、額の皺を伸ばすように、眉間を揉み解す。
「なんでこんないきなりのお呼びなのかしら……」
つぶやくと、女房もはて?と首を傾げた。
「昨今、物騒な事件も続いておりますからねぇ」
のんびりとした声音で女房が言うのは、おそらく左大臣家の姫君のことだろう。葵に気を遣ってか、名前までは言わない。
最初に聞いたときには、彼女の身の上へ同情する気持ちこそあったが、その後のことを考えると顔も見たことがない左大臣家の姫君に対しての怒りのほうが勝った。彼女は、左大臣家の命運を背負って立つような人間だ。おいそれと、自分の命を無駄にして良いわけがない。
そう思ってしまうのは、おそらく左大臣家の姫君に対する嫉妬もあるのだと思う。頭中将は大層嘆き悲しんでいるという。彼女が輿入れするはずであった東宮も、それはそれは悲しまれているとも。
高貴な男君たちに死を悲しまれ、彼女は今ごろ何を思っているのだろう。死人に口なし、とは言うが何かひとことぐらい伝えてくれたって良いじゃないか。
そう思ったからだろうか、その時鏡の奥が光ったような気がした。はっとして鏡のなかをもう一度見ると、葵のすぐ後ろに、髪の長い女が、長い前髪の間からこちらをじっと見つめていた。
あまりの恐怖に、腰が抜け、口からは絶叫がほとばしった。
「いや、いやぁぁぁぁ!」
自分のものとも思えないような金切声が響き、葵はその場に崩れ落ちる。
「ひ、姫さま。どうかなさいましたか?」
着付けをしてくれていた女房が、驚きながらも葵の肩を抱く。
「い、いま。鏡のなかに……!」
「鏡?」
女房はそう言って、葵がのぞいていたのと同じ角度から鏡をのぞく。
「なにも、変わったところはありませんが。何かご覧になったのですか?」
「……ひ、ひとが」
震えながら言うと、女房の表情がさっと強張った。
「姫さま、いかがなさいましたか」
その時、葵の悲鳴を聞いた他の女房たちも、どたどたと葵のもとに駆けつけてきた。ほっとしたのと同時に、葵の意識は薄れていった。
0
お気に入りに追加
30
あなたにおすすめの小説
月華後宮伝
織部ソマリ
キャラ文芸
【10月中旬】5巻発売です!どうぞよろしくー!
◆神託により後宮に入ることになった『跳ねっ返りの薬草姫』と呼ばれている凛花。冷徹で女嫌いとの噂がある皇帝・紫曄の妃となるのは気が進まないが、ある目的のために月華宮へ行くと心に決めていた。凛花の秘めた目的とは、皇帝の寵を得ることではなく『虎に変化してしまう』という特殊すぎる体質の秘密を解き明かすこと! だが後宮入り早々、凛花は紫曄に秘密を知られてしまう。しかし同じく秘密を抱えている紫曄は、凛花に「抱き枕になれ」と予想外なことを言い出して――?
◆第14回恋愛小説大賞【中華後宮ラブ賞】受賞。ありがとうございます!
◆旧題:月華宮の虎猫の妃は眠れぬ皇帝の膝の上 ~不本意ながらモフモフ抱き枕を拝命いたします~
あやかし狐の京都裏町案内人
狭間夕
キャラ文芸
「今日からわたくし玉藻薫は、人間をやめて、キツネに戻らせていただくことになりました!」京都でOLとして働いていた玉藻薫は、恋人との別れをきっかけに人間世界に別れを告げ、アヤカシ世界に舞い戻ることに。実家に戻ったものの、仕事をせずにゴロゴロ出来るわけでもなく……。薫は『アヤカシらしい仕事』を探しに、祖母が住む裏京都を訪ねることに。早速、裏町への入り口「土御門屋」を訪れた薫だが、案内人である安倍晴彦から「祖母の家は封鎖されている」と告げられて――?
寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。
にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。
父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。
恋に浮かれて、剣を捨た。
コールと結婚をして初夜を迎えた。
リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。
ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。
結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。
混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。
もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと……
お読みいただき、ありがとうございます。
エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。
それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
隣の家に住むイクメンの正体は龍神様でした~社無しの神とちびっ子神使候補たち
鳴澤うた
キャラ文芸
失恋にストーカー。
心身ともにボロボロになった姉崎菜緒は、とうとう道端で倒れるように寝てしまって……。
悪夢にうなされる菜緒を夢の中で救ってくれたのはなんとお隣のイクメン、藤村辰巳だった。
辰巳と辰巳が世話する子供たちとなんだかんだと交流を深めていくけれど、子供たちはどこか不可思議だ。
それもそのはず、人の姿をとっているけれど辰巳も子供たちも人じゃない。
社を持たない龍神様とこれから神使となるため勉強中の動物たちだったのだ!
食に対し、こだわりの強い辰巳に神使候補の子供たちや見守っている神様たちはご不満で、今の現状を打破しようと菜緒を仲間に入れようと画策していて……
神様と作る二十四節気ごはんを召し上がれ!
椿の国の後宮のはなし
犬噛 クロ
キャラ文芸
※毎日18時更新予定です。
架空の国の後宮物語。
若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。
有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。
しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。
幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……?
あまり暗くなり過ぎない後宮物語。
雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。
※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。
タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒―
私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。
「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」
その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。
※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる