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三の姫

四十一、約束の地

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 葵の元に、頭中将からの文が届いたのは、突然のことだった。

 もう二度と会えない。
 そう思っていたはずの男から、いきなり文が届いたのだ。
 それはそれは驚いた。それでも、嬉しくないと言ったら嘘になる。葵のなかでは、頭中将のことはもう良い思い出として忘れる他ないと思っていたのだ。
 忘れようと思えば思うほど、忘れられず。ふとした瞬間に頭中将のことを思うだけで、胸が苦しくて堪らなくなった。そんな日々を過ごしていたなか、その彼からの文が届いたのだ。期待しないはずがない。

「これは、本当に頭中将さまからの文よね?」

 何度も文をひっくり返して、日の光に に透かす。何か他に書いてないかと血眼になって探す葵に、女房は呆れたような声をあげた。

「いつも頭中将さまが御使いになっていた童からの文でございます。まさに、頭中将さまからかと」

「そ、そうよね」

 女房にたしなめられても、信じられない気持ちに変わりはなかった。口では納得したようなふりをしながらも、葵の胸は早鐘のように鳴っている。
 興味なんてない、そんな風に見えるように、高鳴る鼓動を抑えながら、葵はあえてゆっくりと文を開いた。

「……?」

 そこには、そっけない字が並んでいる。ただ、「貴船神社で会いたい」とだけ。再会の喜びなどもなく、要件だけを伝えた文。
 先ほどまでの、天にも登るような幸せな気持ちから、奈落へと突き落とされたような気持ちになる。

 あまりの絶望感に、ぐらりと視界が歪んだような気がした。

(私は、期待しすぎたのね……)

 文を持つ手が震えた。
 懐かしい、頭中将の香りが文から漂う。朝焼けのなかに咲く蓮の花のような、気品のある香り。頭中将の香りが、葵を過去の思い出へと引きずり込もうとする。

「頭中将さまへ文をお返しするわ」

 出した声は、震えていた。
 女房には、葵の動揺を悟られたと思うが、素知らぬ顔をして筆を取り出した。

「頭中将さまにお伝えしてちょうだい」

 自分の気持ちがこぼれるままに、すらすらと和歌を詠む。恨みごとのひとつでも言おうと思っていたにも関わらず、口から出たのは頭中将との再会を喜ぶ和歌だった。

「……しかと」

 女房はさらさらと和歌を書きつける。
 それを横目で見ながら、葵はぼんやりと中庭を見た。そこには、桜の大木がある。陽当たりのよい場所に枝には、蕾がついているようだった。

「あの、桜の枝にくくりつけて渡してちょうだい。出来るだけ蕾が大きいものを選んでね」

 女房に頼んで、桜の枝とともに文を渡してもらうことにする。頭中将はそれを見てどう思うのか。考えても答えは出ないけれど、考えずにはいられない。

 目を閉じると、最後に別れた朝のことを思い出す。あの時、なんてことを言ってしまったのだろう。

『私、東宮妃になるわ』

『何を言ってるんだ』

『だって、あなたは左大臣家の姫君がお好きなのでしょう? あの方が東宮妃になって仕舞えば、あなたはもう二度と会うことは出来ないのよ』

『……君は、俺のなにを知っているんだ』

 怒りを抑えたような、頭中将の声が頭から離れない。全部、善意だった。そう思いたい、と今では考えている。
 頭中将は、葵の後に出会った左大臣家の姫君に夢中のようだった。葵の元に訪れることも少なくなっていくだけ。このまま、訪れがなくなって、捨てられるのは葵の意地が許さなかった。

 捨てられる前に、こちらから捨ててやる。

 ちっぽけな意地で、葵と頭中将との縁はそれっきり消えた。
 もちろん、東宮妃になるなんて、口から出まかせだった。左大臣家の姫君が東宮妃になることは知っていた。それをもう変えることができないことも知っていた。それでも、左大臣家の姫君に張り合わずにはいられなかったのだ。

 今、手のなかにあるのは頭中将からの文。左大臣家の姫君は、亡くなった。
 なぜ、今になってこうして会いたいだなんて言うのだろう。すこし、期待していないと言ったら嘘になる。

 ——左大臣家の姫君の代わりに、なりたい。
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