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三の姫
四十、文
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保憲がとても上機嫌に、頭中将の香りを焚きしめた文を葵の君に送ってから数日後。これまでまったく返事をよこしてこなかった葵の君からの文が届いた。
蕾がついた桜の枝にくくりつけられて送られてきた文。
保憲に呼ばれた小春は、一緒に文を開封することになった。肩と肩とが触れ合いそうなほど、保憲の近くに寄る。
文からは、桜の花のような、華やかで儚い香りが漂ってくる。目を閉じると、艶やかな髪の美しい女性の姿が浮かんでくるような、素敵な香りだ。
(葵の君って、どんな女性なんだろう……)
葵の君が高貴な方だということは知っているが、香りを嗅いだだけで、その気品が伝わってくるようたった。
わくわくしながら、保憲の手で文が開かれるのをそっと見守る。
女性らしいやわらかな筆跡で、何やら和歌が書いてあった。
「……これは、葵の君の詠んだ歌でしょうか?」
保憲の顔を覗き込んでたずねる。
——雪の内に 春は来にけり うぐひすの こほれる涙 今やとくらむ
「額面通りに読んだなら、いつの間にか春が来たって歌……ですよね?」
「そうだな。でも……」
頭中将と葵の君の関係性をふまえると、決してそのままの意味だとは思えなかった。
「僕には、こうも読める。——冬の間、
たくさんの涙を流した。その涙も凍るほどの冬を越えて、あなたと再び会えて嬉しい」
「な、なるほど! 頭中将との再会を喜んでいる和歌ってことですか。兄上、天才ですね」
思わず手を叩いて喜ぶと、保憲は渋い顔をして小春を見つめた。
「小春。そろそろ、人の機微というものも学んだほうが良いと思うぞ」
「うぅ……。私は修行で忙しいので遠慮しておきます。それを言ったら、兄上だって、そんなに変わらないと思うんですけど」
「……」
渋い顔を崩さない保憲。
おそらく、図星だ。
保憲もこんなことを言うけれど、勉強以外をしているところをとんと見たことがない。
「ま、まぁ。ともかく! やっと葵の君に会うための手がかりが出来たのはよかったじゃないか」
「……でも、頭中将からの文だと思っている葵の君を騙すようで気が引けます」
「たしかにな」
保憲は顎に手をあてた。
どんな思いでこの和歌を詠んだのか。
それを思うと、さすがに恋愛に疎い小春とて、胸が痛んだ。
「なんとか、頭中将に会わせられたりしないでしょうか」
「頭中将と会うことが必ずしも良いこととは限らないから、難しいかもな。……でも、小春の言う通り、葵の君のことを考えると不憫だと思う。僕から、頭中将に掛け合ってみるよ」
「本当ですか! ありがとうございます」
「なんで、小春がお礼を言うんだ」
「……なぜか他人事とは思えなくて」
ぽつりと言うと、保憲は表情を和らげた。
「頭中将と、会えるといいな」
「はい!」
勢いよく頷いた。
すっかり、まだ見ぬ葵の君に感情移入しているのだと思う。
「葵の君とは、貴船神社で会うことになった」
「貴船神社?」
聞き返すと、保憲は困ったように眉毛を下げた。
「あぁ。すこし遠いが仕方ない。なんでも、頭中将と葵の君の思い出の場所なんだとさ」
「では、すこしお出かけですね」
小春はるんるんと出かける支度を始めるのだった。
蕾がついた桜の枝にくくりつけられて送られてきた文。
保憲に呼ばれた小春は、一緒に文を開封することになった。肩と肩とが触れ合いそうなほど、保憲の近くに寄る。
文からは、桜の花のような、華やかで儚い香りが漂ってくる。目を閉じると、艶やかな髪の美しい女性の姿が浮かんでくるような、素敵な香りだ。
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葵の君が高貴な方だということは知っているが、香りを嗅いだだけで、その気品が伝わってくるようたった。
わくわくしながら、保憲の手で文が開かれるのをそっと見守る。
女性らしいやわらかな筆跡で、何やら和歌が書いてあった。
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——雪の内に 春は来にけり うぐひすの こほれる涙 今やとくらむ
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「そうだな。でも……」
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「僕には、こうも読める。——冬の間、
たくさんの涙を流した。その涙も凍るほどの冬を越えて、あなたと再び会えて嬉しい」
「な、なるほど! 頭中将との再会を喜んでいる和歌ってことですか。兄上、天才ですね」
思わず手を叩いて喜ぶと、保憲は渋い顔をして小春を見つめた。
「小春。そろそろ、人の機微というものも学んだほうが良いと思うぞ」
「うぅ……。私は修行で忙しいので遠慮しておきます。それを言ったら、兄上だって、そんなに変わらないと思うんですけど」
「……」
渋い顔を崩さない保憲。
おそらく、図星だ。
保憲もこんなことを言うけれど、勉強以外をしているところをとんと見たことがない。
「ま、まぁ。ともかく! やっと葵の君に会うための手がかりが出来たのはよかったじゃないか」
「……でも、頭中将からの文だと思っている葵の君を騙すようで気が引けます」
「たしかにな」
保憲は顎に手をあてた。
どんな思いでこの和歌を詠んだのか。
それを思うと、さすがに恋愛に疎い小春とて、胸が痛んだ。
「なんとか、頭中将に会わせられたりしないでしょうか」
「頭中将と会うことが必ずしも良いこととは限らないから、難しいかもな。……でも、小春の言う通り、葵の君のことを考えると不憫だと思う。僕から、頭中将に掛け合ってみるよ」
「本当ですか! ありがとうございます」
「なんで、小春がお礼を言うんだ」
「……なぜか他人事とは思えなくて」
ぽつりと言うと、保憲は表情を和らげた。
「頭中将と、会えるといいな」
「はい!」
勢いよく頷いた。
すっかり、まだ見ぬ葵の君に感情移入しているのだと思う。
「葵の君とは、貴船神社で会うことになった」
「貴船神社?」
聞き返すと、保憲は困ったように眉毛を下げた。
「あぁ。すこし遠いが仕方ない。なんでも、頭中将と葵の君の思い出の場所なんだとさ」
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