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二の姫

二十九、闘い

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 焔のなかから飛び出してきた妖狐を、小春はすんでのところで避けた。
 妖狐の姿を捉えたと思った瞬間、思わず身体が動いていたというのが正しいだろう。避けることができたのは、いつもの鍛錬のおかげだと、小春はこれまでの自分に感謝した。

 小春すれすれのところで交差した妖狐は、粗い息を繰り返している。さすがにあれだけの焔に焼かれ無傷とはいかないようで、身につけていた着物はぼろぼろになっていた。少女らしい山吹と紅の衣の組み合わせも、いまは煤色に覆われ、まるで喪服のようだった。

「やるじゃないの、あんた」

 舌で唇を舐めまわしながら、妖狐は小春に言った。

「そっちの男だけ警戒してれば良いと思っていたけれど、違うようね」

「……私だって、陰陽師です」

 ぎりりと妖狐を睨みながら言うと、妖狐は目を細めて笑った。

「陰陽師って、男しかなれないんじゃなかった? あんた女でしょう?」

「……」

 男の格好をしていたとしても、やはりあやかしにはバレてしまうのだ。六花もそうだった。

 人には、それぞれの「気」がある。保憲も、小春も。人それぞれの纏う気には、生来のものも含まれる。男であれば「陽」の気を。女であれば「陰」の気が多く含まれる。
 人だけではなく、この世界にあるものすべてが「陰と陽」からなっている。陽と陰がうまく平衡感覚をとりながら、この世界はまわっているのだ。

 あやかしは、「陰」が強い。だから、「陽」の気が強い男のほうが、「陰」であるあやかしに強く、陰陽師として優れている、と言われる。小春は女だが、人よりも「陽」の気が多いそうだ。だからこそ、陰陽師として選ばれた。
 普通の人間にはこの違いは分からないものであるが、やはりあやかしは聡い。

 小春は唇を噛む。
 女だからと言って、陰陽師としての力が弱いとは限らない。小春とて、これまで厳しい修行を積んできたのだ。

「わたくし、そういう眼は好きだわ。意志の通った眼。この子も、あんたぐらいの気概があればよかったのに」

「……どうして」

「どうして? わたくしは九尾の狐。人を喰わねば生きていけないもの」

 妖狐は唇の端を吊り上げて微笑む。痩せ細った朝顔の君の身体のはずなのに、妙に艶かしく見えた。

「……違う。どうして、朝顔の君に取り憑いたのかと聞いているのです」

 朝顔の君、と妖狐は口の中で名をつぶやいた。それが自分が取り憑いているこの少女であることに気づいたのか、煤まみれの衣を摘む。

「この子がちょうどよかったのよ。想い人がいるのに自分から動けない。臆病で引っ込み思案で、周りから流されて生きるこの子のような甘っちょろい女がね」

 そんな辛い人生を、変えてあげようと思ったのよ、と妖狐は言う。
 その瞬間、小春のなかで何かが弾けた感覚があった。

「あなたに、辛いなんて言われる筋合いはないと思います!」

 自分が思っているよりずっと、強い言葉が口から飛び出す。
 小春の言葉が気に障ったのか、妖狐は片眉をあげる。

(どうして、私が怒っているの?)

 言われた瞬間、自分のことではないのに強い怒りが込み上げたのだ。
 この湧き上がる感情が誰のものなのか、分からない。

(もしかして、朝顔の君の感情が、小春になだれ込んでいる……?)

 朝顔の君は、たしかに怒っていた。
 
 恋しい相手への想いを否定されたこと、慎ましくも生きていた自分の人生を侮辱されたこと。大切にしていたものはすべて、に壊された。

 その張本人が、自分の人生をつらいと決めつけるな——。

 朝顔の君の感情と、小春の感情とか混じり合い、それは妖狐への強い怒りへと変わる。
 感情のまま、小春は戦闘態勢をとる。身体全体が力に満ち溢れているのが、手にとるようにわかった。

 ——いける!

 小春は地を蹴り、妖狐に向かって走り出した。
 

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