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二の姫
二十二、唐菓子
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白が朝顔の君の元へ行っている間、小春たちは午後のお茶を楽しむことにした。
今日は、陰陽寮での授業も早く終わったから、比較的時間がある。
ちょうど、安倍家からの使いが来て、唐菓子を持ってきてくれたところだった。
「兄上、お茶入れましたー」
お盆のうえに湯吞が二つ。
入れたての煎茶の香りが鼻をくすぐる。
もうすこし立ったら、桜餅の時期だ。
大好物の桜餅を食べられると思うと、うきうきしてくる。
「ありがとう、小春」
お茶と唐菓子ののったお盆を持って保憲の部屋に入ると、保憲は本を広げて勉強をしているところだった。
いつも勉強熱心な兄上らしい、と小春は思わず口元に笑みを浮かべる。
近くの几にお盆を置き、そっと保憲の横顔を盗み見る。
――真剣な兄上の顔は、とても美しい。
と、小春は思う。
すこし切れ長の瞳に、鼻梁の整った顔立ち。
にこやかに笑うのが常である保憲の、本気を垣間見えるようで、目が離せなくなる。
そのままじっと見ていると、小春の視線に気づいた保憲がふっと笑みをこぼした。
「どうした、小春」
「兄上の顔があまりに真剣だったので」
「まじまじと見るようなものでもないだろう。ごめんな。早くお茶にしよう」
「兄上の顔を見ているの、好きですよ」
ぽろりと、思ったことが口から漏れた。
(いま、私なんて言った――?!)
はっと口を抑えるも、時すでに遅し。
自分の顔がみるみるうちに熱くなっていく。
あまりの気恥ずかしさに、保憲の顔を見ることができない。
(なんてことを言ってしまったの、私――!)
うつむいて、自分の唇を噛んだ瞬間、はははと保憲の笑い声が響いた。
「小春は面白いことを言うなぁ。僕の顔なんて見ていても陰陽師にはなれないぞ。さ、今日は何をもらったんだ?」
「え、あっ。えーっと。唐菓子と、枇杷子をいただきました」
あわあわと保憲の前にお茶とお菓子を差し出すと、保憲の目がきらりと輝く。
保憲は、男性とはいえ小春に負けないぐらいの甘党だ。
「これは美味しそうだ! おじ様によろしく言っておいてくれ」
「はい。安倍の父上も、いつも兄上のことを言ってますよ。私の世話をしすぎて疲れていないか、とか。家に帰るたびに言われるんです」
「それは、おじ様も小春のことが心配なんだよ」
「それは……分かりますけど」
ため息をつきながら、唐菓子を口のなかに放り込む。
小さなひょうたんのような形をしたこの唐菓子は、なかに餡子と七種の香が入っている。
口から鼻に抜けるような、ぴりりとした香りは、小春のお気に入りである。
気を抜くと、何個でも食べられてしまう。いま、宮中でも大人気なんだとか。
「うーーん。やっぱり美味しい」
頬っぺたに手をやりながら言うと、保憲も目を輝かせてうなずいた。
「美味しいなぁ。毎日食べられるよ」
「偉い陰陽師になったら、毎日のように唐菓子を食べても怒られないでしょうか?」
「どうだろう。偉くなったら、こうやって唐菓子を食べている暇もなくなるんじゃないか?」
「……それは、ちょっと寂しいですね」
きっと、保憲はどんどん出世していく。
こうして保憲とゆっくりした時間を過ごせるのも、あと少しなのかもしれない。
そう思うと、胸がちくりと痛むのを感じた。
もう少し、この時間が続いて欲しいと思うのは、わがままなのだろうか――。
「あ……」
そのとき、目の前の信じられない光景に、小春の手から、お茶の入った湯吞が滑り落ちた。
保憲の胸元、いつも白を喚び出すときに使う呪印が入っている部分が、青く燃えている。
「あ、兄上――!」
難しい顔をした保憲が、胸元から呪印を取り出した。
「僕は大丈夫」
「ほ、ほんとですか?」
胸元が燃えたのだ。にわかに大丈夫だとは思えない光景だったが、張本人の保憲は落ち着き払っていた。
ゆっくりと確かめるように、胸元に入っていた呪印を取り出す。
もはや燃えクズになってしまったそれを、保憲はぎゅっと握った。
「白に何かあったようだ」
「白さんは、だ、大丈夫なんですか」
「心配するな。喚び出されたときの形を保てなくなっただけだ。ただ、白が太刀打ちできないような相手がいるということになる」
小春はごくりとつばを飲み込んだ。
白は、賀茂家に代々仕える式神だ。むろん、そんじょそこらのあやかしに負けるわけがない。
ということは、朝顔の君の元には、白をさらに越えるようなあやかしがいるということになる。
「直接、行ってみよう。朝顔の君の元に、何かがいる」
保憲の言葉に、小春はただうなずくしかなかった。
今日は、陰陽寮での授業も早く終わったから、比較的時間がある。
ちょうど、安倍家からの使いが来て、唐菓子を持ってきてくれたところだった。
「兄上、お茶入れましたー」
お盆のうえに湯吞が二つ。
入れたての煎茶の香りが鼻をくすぐる。
もうすこし立ったら、桜餅の時期だ。
大好物の桜餅を食べられると思うと、うきうきしてくる。
「ありがとう、小春」
お茶と唐菓子ののったお盆を持って保憲の部屋に入ると、保憲は本を広げて勉強をしているところだった。
いつも勉強熱心な兄上らしい、と小春は思わず口元に笑みを浮かべる。
近くの几にお盆を置き、そっと保憲の横顔を盗み見る。
――真剣な兄上の顔は、とても美しい。
と、小春は思う。
すこし切れ長の瞳に、鼻梁の整った顔立ち。
にこやかに笑うのが常である保憲の、本気を垣間見えるようで、目が離せなくなる。
そのままじっと見ていると、小春の視線に気づいた保憲がふっと笑みをこぼした。
「どうした、小春」
「兄上の顔があまりに真剣だったので」
「まじまじと見るようなものでもないだろう。ごめんな。早くお茶にしよう」
「兄上の顔を見ているの、好きですよ」
ぽろりと、思ったことが口から漏れた。
(いま、私なんて言った――?!)
はっと口を抑えるも、時すでに遅し。
自分の顔がみるみるうちに熱くなっていく。
あまりの気恥ずかしさに、保憲の顔を見ることができない。
(なんてことを言ってしまったの、私――!)
うつむいて、自分の唇を噛んだ瞬間、はははと保憲の笑い声が響いた。
「小春は面白いことを言うなぁ。僕の顔なんて見ていても陰陽師にはなれないぞ。さ、今日は何をもらったんだ?」
「え、あっ。えーっと。唐菓子と、枇杷子をいただきました」
あわあわと保憲の前にお茶とお菓子を差し出すと、保憲の目がきらりと輝く。
保憲は、男性とはいえ小春に負けないぐらいの甘党だ。
「これは美味しそうだ! おじ様によろしく言っておいてくれ」
「はい。安倍の父上も、いつも兄上のことを言ってますよ。私の世話をしすぎて疲れていないか、とか。家に帰るたびに言われるんです」
「それは、おじ様も小春のことが心配なんだよ」
「それは……分かりますけど」
ため息をつきながら、唐菓子を口のなかに放り込む。
小さなひょうたんのような形をしたこの唐菓子は、なかに餡子と七種の香が入っている。
口から鼻に抜けるような、ぴりりとした香りは、小春のお気に入りである。
気を抜くと、何個でも食べられてしまう。いま、宮中でも大人気なんだとか。
「うーーん。やっぱり美味しい」
頬っぺたに手をやりながら言うと、保憲も目を輝かせてうなずいた。
「美味しいなぁ。毎日食べられるよ」
「偉い陰陽師になったら、毎日のように唐菓子を食べても怒られないでしょうか?」
「どうだろう。偉くなったら、こうやって唐菓子を食べている暇もなくなるんじゃないか?」
「……それは、ちょっと寂しいですね」
きっと、保憲はどんどん出世していく。
こうして保憲とゆっくりした時間を過ごせるのも、あと少しなのかもしれない。
そう思うと、胸がちくりと痛むのを感じた。
もう少し、この時間が続いて欲しいと思うのは、わがままなのだろうか――。
「あ……」
そのとき、目の前の信じられない光景に、小春の手から、お茶の入った湯吞が滑り落ちた。
保憲の胸元、いつも白を喚び出すときに使う呪印が入っている部分が、青く燃えている。
「あ、兄上――!」
難しい顔をした保憲が、胸元から呪印を取り出した。
「僕は大丈夫」
「ほ、ほんとですか?」
胸元が燃えたのだ。にわかに大丈夫だとは思えない光景だったが、張本人の保憲は落ち着き払っていた。
ゆっくりと確かめるように、胸元に入っていた呪印を取り出す。
もはや燃えクズになってしまったそれを、保憲はぎゅっと握った。
「白に何かあったようだ」
「白さんは、だ、大丈夫なんですか」
「心配するな。喚び出されたときの形を保てなくなっただけだ。ただ、白が太刀打ちできないような相手がいるということになる」
小春はごくりとつばを飲み込んだ。
白は、賀茂家に代々仕える式神だ。むろん、そんじょそこらのあやかしに負けるわけがない。
ということは、朝顔の君の元には、白をさらに越えるようなあやかしがいるということになる。
「直接、行ってみよう。朝顔の君の元に、何かがいる」
保憲の言葉に、小春はただうなずくしかなかった。
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