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一の姫
二十、六花
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「あなたがこの家に来てから、何かこの家にありませんでしたか?」
たずねると、千代はきょとんとした顔を見せる。
いきなりの質問に、驚くのも無理はない。
「安倍晴明」は、「六条の君」がこの家に売られたことを知る由もない。
ただ、「千代と小春」はすでに会ったことがあるのだ。
「……あなた、どこまで知っているの?」
警戒したように、顔をこわばらせる千代。
「私も、あなたと同じような境遇なので」
小春も、千代と――六花と同じだ。
小さなころに親に捨てられ、こうして出会った。
不安げに揺れる千代の瞳を真っ直ぐに見つめると、千代も小春の視線を受けとめる。
「そう。知っているのね。六花に教えてもらったのかしら」
本当のことを言うならば、千代から直接教えてもらったのだが、それを言うとまたややこしいので何も言わない。
ただ沈黙を貫いていると、千代は観念したように息を吐いた。
「教えればいいんでしょ。もう、六花から聞いているかもしれないけれど」
「ありがとうございます」
「あたしがこの家に来たとき、この家はたいそう貧乏だったわ。廊下も障子も穴だらけ。お金がなくて夜に使う灯りの油さえ買えない。そんな毎日だった。……でも、私が来てからすぐ、父上が昇進したわ。そこから先は、あなたも知る通りよ。どんどん父は昇進し、家は大きくなり。私には求婚の文ばかり届く。いいことづくめなの。事情を知る人たちは、私が幸運を運んできた、だなんて言った」
自嘲するように、千代は言う。
「でも、きっと全部違う。全部全部、六花のおかげなんでしょう?」
「……そうです」
小春は千代にただそれだけを告げる。
「あたし、ちょっと怖かったのよ」
何かを吐くように、千代は言葉をこぼす。
「あたしのおかげなんかじゃないのに、いろんな人があたしを持ち上げて。あたしを求めて。求められることは、嬉しかった。だって、あたしは要らないって捨てられた子だから」
「……」
「でも、よく考えてみたら、あたし何にもしてないもの。いつそれがばれるのかって、怖かったのよ。……全部、六花がいてくれたからなのね」
千代の目に、涙がみるみるうちに盛り上がっていくのが分かった。
月光が反射して、涙がまるで朝露のように光る。
きらりと一層の輝きをまとった涙がこぼれて、お地蔵さまのうえに落ちた。
お地蔵さまにかけた屋根は、きっと千代が自ら作ったものなのだろう。
不格好な屋根は、それでいてあたたかみがある。
「六花は、ただあなたの幸せだけを祈っていたんだと思います。あなたが、六花の幸せをただ祈ってくれたように」
座敷童は、死んだ子どものあやかしだ。
死んだ子どもの無念が、あやかしと変化して人の前に現れる。
これまで親に得られなかった愛を得るために、居着いた家に幸運をもたらすのだとも言われている。
これまで六花は、ただ千代の幸せだけを願っていた。
――千代と一緒にいたい。
その思いだけが、六花を動かしていたのではないかと、小春は思う。
千代が大人になるにつれ、六花のことが見えなくなっていったとしても。
「もう一度六花に会えたなら、ありがとうって伝えたい。あたしと一緒にいてくれて、ありがとうって」
「六花も、あなたに会いたいって言っていました」
「そう。……それだけでも聞けて、良かったわ」
嬉しそうに、口元を緩ませる千代の横顔は、とても美しかった。
***
帰り路で、保憲は小春の肩を叩く。
「よかったな、小春。座敷童に会ったんだろう?」
「……これで、よかったんでしょうか」
「この家に座敷童がいるうちは、この家もずっと栄えていくだろうよ」
「なら、よかったです。……でも、なんで私の元に現れたんでしょう?」
「それは、久しぶりに視える相手が来て嬉しかったんじゃないかな。一緒に暮らしているとはいえ、ずっと無視されるのは悲しいだろう?」
保憲の言葉に、思わずうなずく。
親子の描かれた屏風を見ている六花の横顔は、確かに悲しそうに見えた。
少しの間だったけれど、六花の寂しさをやわらげることができたなら、小春としても嬉しい。
「……それで、兄上のほうはどうだったんですか?」
「なにが?」
「なにが、じゃないですよ! 左大臣家の姫君について、何か情報は見つかったんですか?」
問い詰めると、保憲はばつが悪そうに目を泳がせた。
「それがだなぁ……。六条の君は、頭中将のことなんてさっぱり覚えてない、だとさ」
「は?」
「六条の君のもとには、彼女の幸運の噂を聞きつけた男君がたくさん集まるそうで。頭中将もそのうちの一人だったんじゃないか、ってさ」
「……」
絶句する小春に、保憲はひきつったような笑顔を向ける。
「まあ、これで一人目は終わりだ。あと二人の候補に聞き込みだ」
夜も更け、もうすぐ朝日がやってくる。
眠い目をこすりながら、小春は白み始めた空を見上げた。
――次に会うのは、どんな姫君だろう。
たずねると、千代はきょとんとした顔を見せる。
いきなりの質問に、驚くのも無理はない。
「安倍晴明」は、「六条の君」がこの家に売られたことを知る由もない。
ただ、「千代と小春」はすでに会ったことがあるのだ。
「……あなた、どこまで知っているの?」
警戒したように、顔をこわばらせる千代。
「私も、あなたと同じような境遇なので」
小春も、千代と――六花と同じだ。
小さなころに親に捨てられ、こうして出会った。
不安げに揺れる千代の瞳を真っ直ぐに見つめると、千代も小春の視線を受けとめる。
「そう。知っているのね。六花に教えてもらったのかしら」
本当のことを言うならば、千代から直接教えてもらったのだが、それを言うとまたややこしいので何も言わない。
ただ沈黙を貫いていると、千代は観念したように息を吐いた。
「教えればいいんでしょ。もう、六花から聞いているかもしれないけれど」
「ありがとうございます」
「あたしがこの家に来たとき、この家はたいそう貧乏だったわ。廊下も障子も穴だらけ。お金がなくて夜に使う灯りの油さえ買えない。そんな毎日だった。……でも、私が来てからすぐ、父上が昇進したわ。そこから先は、あなたも知る通りよ。どんどん父は昇進し、家は大きくなり。私には求婚の文ばかり届く。いいことづくめなの。事情を知る人たちは、私が幸運を運んできた、だなんて言った」
自嘲するように、千代は言う。
「でも、きっと全部違う。全部全部、六花のおかげなんでしょう?」
「……そうです」
小春は千代にただそれだけを告げる。
「あたし、ちょっと怖かったのよ」
何かを吐くように、千代は言葉をこぼす。
「あたしのおかげなんかじゃないのに、いろんな人があたしを持ち上げて。あたしを求めて。求められることは、嬉しかった。だって、あたしは要らないって捨てられた子だから」
「……」
「でも、よく考えてみたら、あたし何にもしてないもの。いつそれがばれるのかって、怖かったのよ。……全部、六花がいてくれたからなのね」
千代の目に、涙がみるみるうちに盛り上がっていくのが分かった。
月光が反射して、涙がまるで朝露のように光る。
きらりと一層の輝きをまとった涙がこぼれて、お地蔵さまのうえに落ちた。
お地蔵さまにかけた屋根は、きっと千代が自ら作ったものなのだろう。
不格好な屋根は、それでいてあたたかみがある。
「六花は、ただあなたの幸せだけを祈っていたんだと思います。あなたが、六花の幸せをただ祈ってくれたように」
座敷童は、死んだ子どものあやかしだ。
死んだ子どもの無念が、あやかしと変化して人の前に現れる。
これまで親に得られなかった愛を得るために、居着いた家に幸運をもたらすのだとも言われている。
これまで六花は、ただ千代の幸せだけを願っていた。
――千代と一緒にいたい。
その思いだけが、六花を動かしていたのではないかと、小春は思う。
千代が大人になるにつれ、六花のことが見えなくなっていったとしても。
「もう一度六花に会えたなら、ありがとうって伝えたい。あたしと一緒にいてくれて、ありがとうって」
「六花も、あなたに会いたいって言っていました」
「そう。……それだけでも聞けて、良かったわ」
嬉しそうに、口元を緩ませる千代の横顔は、とても美しかった。
***
帰り路で、保憲は小春の肩を叩く。
「よかったな、小春。座敷童に会ったんだろう?」
「……これで、よかったんでしょうか」
「この家に座敷童がいるうちは、この家もずっと栄えていくだろうよ」
「なら、よかったです。……でも、なんで私の元に現れたんでしょう?」
「それは、久しぶりに視える相手が来て嬉しかったんじゃないかな。一緒に暮らしているとはいえ、ずっと無視されるのは悲しいだろう?」
保憲の言葉に、思わずうなずく。
親子の描かれた屏風を見ている六花の横顔は、確かに悲しそうに見えた。
少しの間だったけれど、六花の寂しさをやわらげることができたなら、小春としても嬉しい。
「……それで、兄上のほうはどうだったんですか?」
「なにが?」
「なにが、じゃないですよ! 左大臣家の姫君について、何か情報は見つかったんですか?」
問い詰めると、保憲はばつが悪そうに目を泳がせた。
「それがだなぁ……。六条の君は、頭中将のことなんてさっぱり覚えてない、だとさ」
「は?」
「六条の君のもとには、彼女の幸運の噂を聞きつけた男君がたくさん集まるそうで。頭中将もそのうちの一人だったんじゃないか、ってさ」
「……」
絶句する小春に、保憲はひきつったような笑顔を向ける。
「まあ、これで一人目は終わりだ。あと二人の候補に聞き込みだ」
夜も更け、もうすぐ朝日がやってくる。
眠い目をこすりながら、小春は白み始めた空を見上げた。
――次に会うのは、どんな姫君だろう。
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